猫好き俳優 東正実の またたび☆

俳優 東正実の東南アジア旅

聴き流し者に訪れる ライドオンタイム

 

第139話

聴き流し者に訪れる ライドオンタイム

 

よくよく考えたら、僕はこのツアーの事あまり解っていなかった。

ツアーを勧めてくれた日本人店長さんの話を、僕はあまりちゃんと聞いていなかったみたいだ。。

 

最初にツアーを紹介された時、僕は舞い上がっていた。

なんと!「戦場にかける橋」の舞台に行けるツアーがある!!

子供の頃に見た映画の実際の舞台に、思いがけず、訪れる事ができるなんて!!

 

その事に僕は、海外旅行の醍醐味を感じて、舞い上がり散らかしていた様だ。。

その為、かつてのカンボジアでの遺跡のガイド、ジェイクの英語の説明を、解りにくい所は聞き飛ばしていた時のように、うっかり店長さんの日本語まで、

「右から左へ聞き流していた」 らしい。。

この旅の間に、いつの間にか身についてしまっていた、( まぁ、行けば解るさ!)という旅のスタイルが、日本語すら聴き流してしまう という悪癖になっていた様だ (^_^;)

 

その為僕は、実はこのツアーが、次に何をするのかも、さっぱり分かっていなかった 。

(一体僕は 何の為に、日本語で説明してくれる

 ツアー会社にわざわざ行ったのだろう?😅)

と 自分自身に少し呆れてしまう。

 

そんな僕は、木造の泰緬鉄道を穴が空くほど眺めた後、再び車に戻った。

次に飛んで向かったのは、小さな無人駅だった。ここで現地ガイドに待つ様に言われる。

 

(ツアー時間が押したせいで乗れないのかな?

 それとも、このツアーの内容自体が、

 元々 乗るプランじゃ無いのかな?)

と、道中ドキドキしていた僕は、心の中でバンザイをしていた。

 

(せっかくここまで来たんだし…

 う〜ん。。 列車に乗ってみたいなぁ。)

と思っていた泰緬鉄道に、どうやら実際に乗れるみたいなのだ!!

ドキドキしている僕の前に、向こうから列車がやってくる。

それは「ギギーィ!! 」と、昔の電車の様に、音を立てて、僕の目の前に止まった。

 

僕は不思議な感覚を覚えていた。

それは、子供の頃憧れていた「銀河鉄道999」に、これから乗る様な、そんな不思議な気持ちで、ワクワクが止まらなかったのだ!

僕達は車内に乗り込むと、思い思いの席に座る。車内は空いているので、選び放題だ。

 

すぐに電車は出発し、結構なスピードで、車窓から景色は後ろに流れていく。

右側の窓には、並走する道路が見え、やがて岩場だったり、崖のギリギリ、そそり立つ岩場を窓から、目の前に見る事ができる。

左側は、向こうに小さな山や谷、緑の自然が雄大に流れていく。。とにかくすごい景観だ。

「実用性」という軍事目的に特化されて作られたこの鉄道は、とにかく色々なモノを削ぎ落としている様に感じる。。

それが逆に、この鉄道の魅力となっていた。

 

20分ほど走った列車は、やがて駅に着いた。

到着の少し前にガイドが「次で降りるよ」とアナウンスしてくれていたので、列車から降りる。

驚いた事に、駅の目の前の駐車場に、僕達の乗ってきたワゴンが先回りして止まっていてくれていた。

まさにドア to ドアで僕らは、再び車で移動となった。

 

この段取りの良さは意外だった。

今日初めて僕は「タイ、やるじゃないか!」と感心していた。(だいぶ失礼な感想である 笑)

車はまたしばらく飛び、やがて川沿いの木造のレストランに着いた。どうやらここで昼食の様だ。

ここは、川を見下ろせるテラス席も多くあり、気持ちの良さそうなお店だ。

 

ライスとカレー、野菜炒め、がバットに用意してあり、好きなだけ取って食べていいとの事だった。

自分で頑張って " 当たり" の食事ばかりを引いてる僕だが、ツアーの食事は選べない。。

と言えばお分かりだろうが、あまり美味しくなかったのである 笑

 

ご夫婦(カップルではなくご夫婦だと本人たちから聞いた)とは 途中よく話したが、僕とおなじく一人で参加しているインド系の人は、クールにあまり誰とも話さない。

なんとなく気にしていたので、思い切って彼に話しかけた。席の向かいに座り、

「一緒に食べてもいいですか?」と聞くと

「どうぞ。」と無愛想に言われる。

 

(なんか、ちょっと怖いな。。この人)

僕はちょっと、余計なことをしたかなぁ。。?

と気にし始めていた。

めげずに話かけると、ポツリポツリとだが、色々答えてくれた。

クールなだけで、悪い人では無いみたいだ。

向こうの席にいる、ご夫婦は何人ですかね??とそれとなく聞いてみると、

「たぶん、中東の方の人間だろう。」

と、ご夫婦が話している言語から推理し、そう教えてくれた。

 

実は僕もご夫婦も英語が拙すぎて、コミュニケーションがいまいち取れていなかったのだ。

その為、一度「ウェア ユー カムフロム?」と聞いたのだが、

「〜~ス○~ん。、」としか聞こえず、何度聞き返しても解らなかったので、

もう僕は「おー、オーケー!」と仕方なく、さも解ったふりをしていた。

(ここでも「右から左へ」が発動していた。)

 

それから彼としばらく話すと、笑顔も見せてくれる様になり、少し仲良くなった。

僕達は「飯がまずいね。。」という意見だけは、しっかりと一致してから席を立った。

ガイドと車に戻ると、川沿いに少し飛んで、すぐに止まった。

水上のバンガローの様なところで、救命胴衣を渡された。(んん?)と思ったが、接岸しているイカダが見えるところをみると、どうやらここから川下りの様だ。

 

しかし、盛りだくさんのツアーである。

そして、いちいち驚いている僕は、本当に店長さんから何を聞いていたのだろう…? 笑

だが、逆に色々ビックリ箱の様に、新鮮に驚いて楽しめる事は「聴き流し者」の特権かも知れなかった。

 

イカダはそこそこ大きく、日除けに 藁の屋根も付いていた。ゆったりとした川の流れに任せて、イカダは下流へと進んでいく。

 

川沿いには、木造りの水上のコテージの様な家屋が多い。やがて向こうに、蔓で作った様な、簡単な作りの吊り橋が見えてきた。

やがて、その真下を通ってイカダは進んでいく。本当にジャングルの先住民が作った様な、簡易の吊り橋で、とても良い景観だった。

 

空を飛ぶほどのスピードから、このゆったりとしたイカダの川下りはまるで、160キロ越えの豪速球ストレートの後のスローカーブのようで、物凄い緩急だ。

お陰で、この世のものとは思えない程、僕はゆったり出来ていた。

静けさの中、小鳥のさえずりだけが聞こえる、本当にのどかなクルーズである。

 

ゆっくり下流へと流れていたイカダは、やがて小さな船着場に着いた。

奥には草が生い茂っているが、小さな小道がある。船着場から、ガイドに付いて上陸し、そのまま歩いていく。

そして、左右に背の高い草が生える小道を抜けると、いきなり世界が広がった。

牧場の様な広さの広場が目の前に現れ、そしてそこで見たものに、僕は声を失っていた。

 

 そこにいたのは、なんと象だった!!

 

パオーン! などとは言わず、おとなしい象達が、象使いに操られ、ゆったりと歩いていた。

ガイドは僕らの方に振り返り、

「これから象にライドします」と言った。

 

ら、ライド??  

…嘘だろ?! 信じられない…

どうやら僕は象に乗れるらしい!!

こんな事は、想ゾウもしていなかった。

そして、僕がいかに「人の話を聞いていなかったか」のエピソードも、ここに極まれりである 笑

 

そして、同時に僕は思っていた。

「このツアーは、朝のスクーターから始まり、

 ずっと何かに乗っている気がする。。

 今日だけでぼくは、一体何種類の

 乗り物に乗るんだろう…??」 

と。

 

 

つづく。

 

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↑ 駅から夢の泰麺鉄道へ!


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↓ 動画 泰麺鉄道

https://m.youtube.com/shorts/E9zpd4YbRRA

 

↓ 動画 泰麺鉄 2

https://m.youtube.com/watch?v=yeGYQpvTSPg

 

 

 


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↓ 動画 筏で長閑な川下り

https://m.youtube.com/watch?v=0KVy9-7NK0s

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↑ 筏での川下り。


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↑ 急に現れた、象の広場。

 

次話

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戦争の傷痕

 

第138話

戦争の傷痕

 

カンチャナブリーの有名な橋は、僕の記憶の中の映画では、爆破されていたはずだった。

だが実際には架け直したのか、立派な鉄橋が川に架かっていた。

 

現地に着くと、そこには地元のガイドが待っていた。

運転手と仲良く喋り、バトンタッチする。

なるほど。 運転手は客を連れて来るだけで、ガイドは現地に住む詳しいスタッフが引き継ぐ。

非常に合理的なツアー会社である。

 

新しい現地スタッフが、これからのスケジュールを説明してくれる。

JEATH戦争博物館、クウェー川鉄橋を自由に回ってきてくれと言われ、戦争博物館のチケットだけ渡された。

集合時間を言われて、僕らはそれぞれ好きなように散った。

 

まずは戦争博物館に行ってみる。

日本軍のやった連合国軍の捕虜への強制労働の資料、武器や、日本軍の装備、橋の建設のために実際に使った道具の展示がある。

 

ここカンチャナブリーは、当時の日本軍が、インドを攻める為に、泰緬鉄道を建設していた。

タイから ミャンマーを通り、インドまで物資を運ぶための鉄道だ。

 

しかし、と思う。 当時の日本軍はどこまで戦線を拡大させるつもりだったのだろうか?

ここ東南アジアに来てから、色々知った事であるが、マレーシアを一年ほど支配していた事も含めて、本当に驚く事が多い。

 

自分の足で訪れ、歩いてみると、日本からは、自分が思っていたよりも、はるかに遠く感じるこの東南アジア、さらにはインドを、極東の小さな島国が、どうやって支配をしようと思ったのだろうか?

 明らかに戦線を広げ過ぎでしょ。。

 …道理で戦争に負けた訳だ。

僕はそう感じていた。

無理は歪みを生み出す。それは、狂気へと人をより誘う。そんな戦争が生み出す歪みと、人間の狂気を僕は感じていた。

 

ここの戦争博物館は、色々な言語で説明が書かれている為、日本語でも書かれているものが多く、周りやすい。

 

そして、等身大の木製で作った人形たちが、強制労働の場面の再現をしている。

色々な場面、全部で30体くらいあった気がする彼らは、立体的に当時の様子を生々しく伝えてくれる。中には偉そうに、サイドカー付きバイクに跨る日本の軍人の人形もある。

 

そして、灼熱のこのタイで、裸に大きい褌のようなもの一枚で、大きな枕木を運ばされたり、ツルハシを持たされ、鉄道のレールをひかされている人たちの人形。

彼らは日本軍が捕らえた捕虜であり、連合国のアメリカ、オーストラリア、イギリス兵である。彼らは劣悪な環境で強制労働させられていた。

今日ですら、直射日光の下に 少し居ただけで、クラクラする暑さだ。この酷暑の中、重労働などしたら、僕ならすぐに倒れるだろう。。

事実、枕木一本に死者一人と言われるほど、過酷な強制労働であったらしい。

 

こうした人形の展示はけっこう生々しい、昔、新宿でロシアのシベリア抑留者の展示に行ったことがあるが、そこにも 等身大の人形で、当時の様子が再現されていた。そして、それらには、わかりやすく訴えかけてくる力がある。

特にここは、色々な国の人が来る事を考えても、文章だけよりも 写真だけよりも、より理解しやすいようにとの工夫でもあるのだろう。

 

僕は日本人が、戦時中、酷い事をしたのを否定する気はない。きっとしたのだろうと思う。

それが戦争だからだ。

日本に限らない、大なり小なり、他の国も戦時中は他国にロクでもないことをしたに決まっている。

アメリカも原爆を落としたし、ロシアも満州で日本人に本当に聞くに耐えない事をしている。

それは、戦争だからである。

はっきり言うと、僕はそういう人間の狂気を引き出す装置である、戦争が大嫌いだ。

 

とにかく、日本人として、日本人のした事、

他の国にある、日本以外の視点で見た日本軍、日本を見なければいけない。

これはある意味チャンスである。

文献では無く、身体で、感覚であの戦争を、一部でも捕らえるチャンスだ。

日本でも、広島や、沖縄等でも色々考えさせられるが、やはり僕の思考は、日本の枠を出ないはずだと思う。

 

その昔、芝居の先生が、

「新潟が舞台の芝居をやるなら、新潟へ

 長崎が舞台の芝居をやるのなら長崎へ

 お芝居の場所に、土地の空気を感じる為に、

 出来るなら、実際に 一度行ってみてから

 稽古に入りなさい。」

と仰っていて、その通りだと思った事がある。

そしてそれは、芝居に限ったことでは無いのだと、旅をしていると実感する。

 

色々と興味深く周っていたが、とある資料の前で僕は止まった。そこに書かれていた事に僕は、衝撃を受けた。正直びっくりした。

 

映画「戦場にかける橋」と「史実」は全く違った。

映画では、仕掛けた爆弾で橋が爆破されるのだが、史実では 飛行機による爆撃で破壊されたらしい。

そして資料には、その時の事が書かれていた。

橋の爆撃の日にちと 時間の情報を手に入れていた日本軍は、それを阻止する為、捕虜を橋にギュウギュウに並べ、飛んで来た爆撃機に、

「死にたく無い!!爆撃しないでくれ!!」

とアピールさせた、。と言うのだ。

パイロットも人間である。同胞ごと橋を爆破するのを躊躇するだろうと言う考えだ。

捕虜達は死にたく無いので、命懸けで飛行機に手を振る。「やめてくれ!!」と。。

 

結果、連合軍の作戦は遂行され、橋は、橋に並べられた捕虜もろとも爆撃され、100人ほどがバラバラになった。

バラバラになった捕虜達の血で、川は数日、紅い色だった。

と言う記述である。

本当だとしたら、恐ろしい戦争犯罪である。

だが、そんな話はほとんど聞いた事がない。

事実だとしたら、戦後、もっと大騒ぎになっていてもおかしくは無いのではないだろうか?

とも思ったが、事実だとしたら、本当に狂っている。。

僕はこの暑い中、背筋が寒くなったのを覚えている。

 

どちらにせよここに来て強く思った事は、

 とにかく戦争は狂っている。。 という事。

自分は、自分の国から遠く離れた、こんな恐ろしく暑い所で、重労働をしたり、重い装備を担いで進軍したり、人を殺す事は、

  絶対に! 絶対にしたくない!!

と思い、身体の芯からその事を強く実感した。

 

それはとてつもない実感だった。

本当に心から「嫌だ!」と思ったのだ。

 

その後、僕は頭を整理する為に、ベンチでしばらくぼーっとしていたが、やはり橋を見に行く事にした。

観光客でごった返すこの橋は、今はあの悲惨な戦争が無かったかのようにただ佇み、下を流れる川は、ゆったりと流れている。

「ほら、やっぱり平和が一番じゃんか…」

僕はふと、そんな事を呟いていた。

 

とりあえず、鉄橋を川の向こう側まで渡ってみる。橋を渡った奥には自然が広がっている。

全くのどかな。。「スタンド バイ ミー」のゴーディや、クリス達がひょいと出てきそうな雰囲気だ。

僕はそこから振り返り、茶色の川を見ながら、ありし日の紅くなった川を想像し、橋の上を歩く観光客を眺め、彼らを捕虜に置き換えてみた。

 

全く信じられない事だ。

もし、今爆撃があったなら、今いる彼ら、彼女らが爆撃で木っ端微塵になるなんて、誰が想像出来るだろう??

僕は一つ大きなため息をつき、集合場所へと戻っていった。

 

集合時間まで10分ほどあったが、皆 車に戻ってきていた。現地ガイドが助手席に乗っており、僕は後ろのシートに移動した。

そしてまた車は飛ぶように走る。

どういう時間調整なのかはわからないが、とにかくぶっ飛ばす。これはもう運転手の性格なのかも知れない。。 やれやれだ。

 

しばらく線路沿いの道を走っていた車は、途中で駐車場のある場所にとまり、ガイドと共に降りる。

レールは流石に鉄だが、木造りの線路が現役で使われているこの泰緬鉄道を、じっくり眺める事ができるポイントだ。

下から眺めることもできる、この木組みの鉄道が、現役で使われている事に 不思議な感じを受けた。

 

僕が初めて見る、木造りの土台の上に鉄道が走っている線路だ。

鉄道というだけあって、日本では枕木以外の、特に土台はコンクリートか、安心感のある鉄でしか見たことがない。

土台が木で出来ているこの現役の鉄道に僕は、色々な危うさを感じていた。

 

木組みの土台は、メンテナンスを定期的にキチンとしなければ、すぐに劣化して駄目になりそうに見える。

いい加減なタイ人の管理で、この鉄道は大丈夫なのだろうか??

 

そんな事を思った時、僕はここカンチャナブリーに来て、初めて笑いが込み上げてきた。

ここへ来るまでのドライバーのマイペンライな飛ばしっぷりといい、きっとセイムセイムな鉄道の管理も想像して、何故か笑えてしまう。。

 

やっぱり、タイは面白い 笑

僕は自分に、そんなタイの水があっているのでは無いか? と、うっかり感じ始めていたが、

 

それは喜んでいい事なのか、そうでは無いのか、わからないままに、ただ苦笑していた。

 

 

つづく

 

 

 

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↑ クウェー川鉄橋の向こう側  緑が続く…

 

↓ 動画 今は穏やかな クウェー川鉄橋

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↓ 動画 いまだ現役の現役泰緬鉄道

https://m.youtube.com/channel/UCnaa41CzfSrZtpiKfTxNXog/videos

 

↓ 泰緬鉄道 動画 2

https://m.youtube.com/watch?v=subKUkm8yv0

 


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↑ 現役の泰緬鉄道

     木造のこの上を電車が走るのだ。

 

 

次話

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空飛ぶワゴン

 

第137話

空飛ぶワゴン

 

アーバスを待つ僕のアタマには、真矢みきさんの声がリフレインしていた。

 「 …あきらめないで。 」

そんな僕は、しつこく 色々なワゴン車に話しかけていた。

 

しかし、その内に僕はある事を思いついた。

単純な事だった。  それは、

 「黙って待つ」 という事である。

真矢みきさんの声に従い、頑張っていた僕だったが、一つの真実に気付いたのである。

 

(なんで 遅刻してるツアーバス

 俺が必死に探さなきゃならないんだ!?)

という事である。

 

よくよく考えたら、遅刻して慌てなきゃいけないのは向こうのツアー会社である。

必死に僕を探すのは、彼らの方の義務のはずだ。

そう、真実はいつも一つだ。

そんな事に気付いた僕は、もう他の車が来ても、ただ佇み、ボケっとすることにした。

すると先程までと景色は一変し、僕は俯瞰してツアーバスとのやりとりを観察できるようになった。

 

アーバスが来る。スタッフが降りて来て、僕と目が合う。向こうは目を逸らす。

きっとこれは 違うバスである。

冷静に考えてみると、客が日本人だという情報は、ツアー会社にも入っているハズである。

今日ここに来た日本人は、今の所 僕だけだ。

元々濃い顔の上、日焼けしているので、この間インドネシア人に間違えられたとはいえ

 流石に百戦錬磨のツアー会社の人間が、

 日本人の区別がつかないわけがない。

僕はそう結論づけていた。

 

そして、もう来ないなら宿に帰るだけである。

そう腹が据わっていた僕は逆に、

(見つけられるもんなら、

 この俺を見つけてみろ!)

と どっしりと構えていた。

 

また、観察していると、ここカオサンで拾われる客は、1人か2人である事が多い。

到着したワゴン車には、違う場所で拾って来たのであろう、数人の観光客が、すでに乗っている事がほとんどだ。

そこから推察すると、ここカオサンは、最後のツアーメンバーをピックアップする場所と考えられる。

つまりは、他の客が遅刻しているか、なんらかのトラブルで他の場所を周っているのだろう。

 

時計は既に8:35を指している。

待ち合わせ予定時間から、悠に1時間は過ぎた。

ぼくは、これでもかという程、時間通りにはいかない、東南アジアの洗礼を浴びながら、9時まで待って来なかったら帰る事に決めていた。

 

それから10分ほど待っていると、黒いミニバンタイプのワゴン車が到着した。

ドライバーが降りて来て、僕を見つけるなり、

「カンチャナブリツアーの方ですか?!」

と聞いて来た。

やはり ツアー会社のスタッフが、待ち疲れて キレ気味の、かなり目つきが悪くなっている日本人を探し当ててくれたらしい。

 

20代中盤の細身のタイ人男性である彼は、遅れた理由を謝りながら説明してくれた。

それによると、一人、どうしても待ち合わせ場所で落ち合えない客がいて、彼と合流するのに こんなに時間がかかったのだという。

そしてそのお客には結局会えず、その彼はキャンセルになったとの事だ。

 

 もう少し遅れていたら、キャンセルの客は

 もう一人増えていただろうね。。 笑

 

そう嫌味の一つでも言いたくなったが、流石にそれは我慢した。

「来てくれたから良いよ、大丈夫だ。」

僕はそう言って、そのバスに乗り込む事にした。

(内心は腑が煮えくり返っていたが、

 それは、頑張って抑えていた。

 彼が必死だったので、事情を察したのだ。)

噂に聞く、タイ人らしく

マイペンライ (気にするな)」とかわされていたら、さすがに怒鳴りつけて帰っていただろうが、意外と彼は、真摯に謝ってくれた。

 

スライドドアを開けて待っていたワゴン車を見ると、先客が3人ほど乗っている。

僕は先に乗っている彼らに「ハロー!」と挨拶をして乗り込もうとしたが、

改めて車を見ると、助手席が空いている。

「助手席に乗っても良いかな?」と聞くと、一瞬嫌な顔をされたが、

「私物を片付けるから、少し待ってくれ」

と意外とすぐにOKが出た。

僕は車は、景色も見れるし、助手席で足を伸ばしながらの方が好きなので、我儘を言わせて貰った。

まぁ、待たされた分、これくらいの我儘は許されるだろう。

 

そんな車は僕を乗せてすぐに、カンチャナブリーへと出発した。

黒いキャップを被った運転手は気のいい男で、僕に気を遣ってか、色々と話しかけて来た。

僕も もう気持ちを切り替えていたので、普通に受け答えをする。市街地をゆったりと走りながら、何となしに話していた。

とはいえ、ツアーの出発時間を1時間以上オーバーしている。その事について聞いてみると、

「ノープロブレム」を連発された。

彼が言うには、

「間に合うから、ノープロブレムだ」という事であった。

 

やがて大きな国道に出た。そして、その時に彼の言う「ノープロブレム」の本当の意味を僕は知る事となった。

空いている、3車線の国道に出た途端に、彼は人格が変わったように飛ばし始めた。

信じられないスピードで、どんどん周りの車は車窓から後ろに消えていく。。

 

スピードメーターを見ると、なんと! 130キロ越えで走っている。

高速道路に乗ったわけでもないし、タイの国道の法定速度が何キロか知らないが、明らかにスピード違反である。

というか、、法律などはどうでもよい。

(このスピード… 事故るんちゃう?😅

 というか、事故ったら確実に助からない…)

僕はタイに来て初めて戦慄した。

 

この猛スピードの中 話しかけてくる運転手にも、

「いいから、運転に集中してくれ!!」

と怒鳴りたくなった。

そう。 彼の言う「ノープロブレム」は、

「間に合うから」と言う意味では無く、

「間に合わせるから、ノープロブレム」

の意味だったのだ。。

 

僕はこの旅で初めて、死 を覚悟した。

しばらく動悸が止まらなくなったし、頭の中には

" 日本人 タイで交通事故で死亡 "  というニュースも浮かんできた。

しばらく僕は、生きた心地がしなかった。。

 

だが、不思議なもので、しばらくすると僕はこのスピードに慣れていた。

きっとこのスピードで走る事に運転手も慣れているに違いないし、

(もう、死んだらその時だ。)

と腹が据わった。

日本だと、流石に運転手に注意するが、

「 タイだからしょうがない 」 という、マイペンライな結論に、僕は至ったのである。

タイにも、スピードにも慣れる(諦める?)のだから、人間とは本当に不思議なものである。

 

40分程、ぶっ飛ばしただろうか?

空を飛ぶ様に走っていた不思議なワゴンは、急いでいるハズなのに、何故かコンビニに到着した。

「ここで5分休憩です」とドライバー。

どうやら道が空いていた為、かなり時間を稼げた様だ。

(一体どれだけ飛ばして来たんだ 😅)

そんな疑問は僕の他のツアーメンバーも感じていたらしく、心なしか皆 表情が暗い。

 

他のメンバーは、身長は僕より低く、太っているが、がっちりとしたインド系の知的な50前の男性と、どこの国の人かは掴みづらい、白人より少し浅黒い、彫りの深い20代中盤の若いカップルだった。

降りながら、挨拶をして少し話す。

やはり皆「飛ばし過ぎだろ?」と苦笑いしていた。

トイレに行き、缶コーヒーを買った僕を乗せたワゴン車は、再び空を飛び始める。

ドライバーはトイレに行きたかったらしく、戻ってからはより絶好調で話しかけてくる。

それは後ろのメンバーにもである。

後ろのメンバーも諦めたのか、普通に会話をしている。

相変わらずの猛スピードでぶっ飛ばす車は、10時過ぎに目的地に着いた。

 

途中、前を走っていたこれまた飛ばしているセダンタイプの車と、しばらく並走し、カーチェイスを始めたのには閉口したが。。

 

とにかく僕、いや、僕たちは何とか生きて、「戦場にかける橋」カンチャナブリーに辿り着いたのである。

それはまるで、映画の中で、橋爆破の為に 命懸けでここに辿り着いた、イギリス兵達のように。

 

やはりこの橋に来るのには、戦後であるはずのこの現代でも  " 命懸け" である事に変わりはない様だ。。

 

 

つづく

 

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↑ 辿り着いたカンチャナブリー

 

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https://m.youtube.com/watch?v=QRQkX6-ks00

動画 戦場にかける橋を通る列車


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↑ 丁度電車が通った。。

     何か感慨深いものがあった。

 


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↑ JEATH戦争博物館

     ヘリやセスナを展示してある。

 

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↑ 「戦場にかける橋」に辿り着いた!

 

 

次話

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戦場に架ける橋への試練

 

第136話

戦場に架ける橋への試練

 

朝、スッキリと目覚めた僕は、シャワーを浴びてから、早朝の気持ちのいいバンコクを ツアー会社へと向かっていた。

 

昨日、タクシーで寝てしまった僕は、宿の近くで運転手に起こされ、無事 部屋へと辿り着いていた。

そして、暑さに慣れたのか?

クーラー無しの部屋で僕は、不思議なくらい ぐっすりと眠れていた。

朝の日差しで目覚めた僕は、スッキリとした頭で、小さなリュックに荷物を詰め、出掛けていた。

 

早朝のカオサン通りを抜けて、まずはツアー会社に向かう。

夜の喧騒とは裏腹に、シャッターの閉まった通りは、人影はほとんどなく、出ていた屋台なども姿を消している。ガランとした、ゴミだらけの通りを、真っ直ぐに抜けていく。

 

早朝に、カオサン通りに来るのは初めてであるが、ここまで夜とギャップがある事に、ある種の寂しさを感じてしまうが、この " お祭りの後" の様な寂しさが、僕は結構好きだった。

 

カオサンを抜けてしばらく歩き、やがてツアー会社前に着いた。今日はここに7時集合である。

時計を見ると、6:50である。

まっている間に、建物の間をふと見ると、可愛らしい三毛猫さんがいた。

首輪をしているのでどこかの飼い猫さんだろう。迎えの人が来るまでに、この美人さんと ひとときを過ごす事にした。

 いい猫(こ)だねぇ〜。 綺麗だねぇ〜。

 暑いよね〜、お水飲んでる??

と「岩合さんシステム」を真似した、下手くそなナンパの様なやり方で話しかけると、

「にゃー。」と返事をしてくれる。

挨拶の為に、ゆっくりと瞬きをすると、向こうも瞬きを返してくれる。

 嗚呼。。しあわせ〜。

と心から癒される。。

 

この娘さんは優しいおっとりさんで、撫で撫でさせてくれた。

時間を忘れるくらい三毛さんに夢中になっていると、ふと視線を感じた。

スクーターに跨った、40前のタイ人女性が、僕を冷ややかに見下ろしていた。

 

「ええと…何か?」と話しかけると、

「ツアーに行かれる方ですよね?

 もう行ってもいいですか?」

と言われる。

時計を見ると、もう7時を数分過ぎている。

どうやら僕は、しばらく前から彼女に観察されていたらしい。。

 

「ああ〜、可愛いねぇ〜❤️」とか、

「いい娘だねぇ。。あ"〜、ここだね〜。

 ここ気持ちいいねぇ。」とか

「美人さんだねぇ。綺麗だねぇ〜💕

 タイのオードリーさんだねぇ。」

 

と完全にメロメロに、おかしくなっていた僕の、一部始終を ずっと見られていた様だ(^_^;)

 

少し引き攣った顔の彼女に、全てを察した僕だったが、何事もなかったかの様に、強がって見せた。

「あ、はい。 大丈夫です。

 いやぁ〜!この猫さん可愛いですよねぇ〜!

 いやぁ! こんな綺麗な猫さん!

 日本でも見たことありませんよ!

 ガハハハハ! あ、えーと、お願いします。

 ぜひとも、しゅっぱつで。」

と顔を真っ赤にしながら、そう言い張る僕に彼女は、ちょっと笑い出し、

「乗って下さい。」とスクーターの後ろを指差した。その笑顔を見ると、とても良い人そうだが、、

(んん?  原チャリに、乗って下さい…

 とな?  うん。。  ええと… (^_^;)?

 スクーターに2ケツで乗っていくという。

 そんなツアーなど存在するのだろうか…?)

そう僕は 一瞬真剣に考えた。

そして、ツアー会社の店長さんの顔を思い出してみた。

そして、(そんな訳、ないハズだ!)と思い直した。

やはり、安心感のある人で、日本の人に組んでもらったツアーである。そこに対しての信頼感はやはり揺るがない。

 

ホーチミンから、カンボジアに、ツアーバスで陸路から入った経験もある僕は、その時の事を思い出して、

(彼女は ツアーバスの待ち合わせ場所まで、

 原チャリで送ってくれるだけに違いない…)

と過去の経験から、そう思い直していた。

 

何事も、一度自分でパニックになった経験が、本人を成長させ、冷静に対応させてくれる。

旅人が、経験値によってどんどんレベルアップしていく所は、ドラゴンクエストの様な RPG に似ているのかもしれない。

 

そんな僕は、自分のレベルがいくつかも分からないまま、カオサンロードに連れて行かれた。

そう。。何故か来る時にも通った カオサンロードに戻ってきたのである。

原チャリなので、2分で着いた。

僕の他にも観光客らしき旅人が、そこかしこにいる。

どうやら ここカオサンロードは、朝はツアーバスの待ち合わせ場所になっている様だ。

たしかに出店も、人もほとんどいないここは、待機するには最高の場所へと変貌していた。

カオサンロードの、もう一つの顔の様だ。

 

最初は、

(ここで待ち合わせなら、

 最初からここでええやん??)

と思ったが、結構長いカオサン通りであるし、色々なツアー会社がひっきりなしに来るので、一人で来ていたら、自分のツアーに参加するのは難易度が高そうだ。

早起きして、スタッフに連れて来て貰うのが 正解だと、途中から確信した。

「7時半に迎えが来ますので。」

というので、2人して半までじっと待つ。

目の前では、色々なワゴン車に、僕と同じ様に道端に佇んでいる観光客が、次々と乗り、出発していく。

流石に道幅的に、大型バスは入ってこれないので、僕のツアーバスも、ワゴン車である事が想像できた。

 僕も彼女もじっと待つ。

 皆を見送りながら待つ。

 少し話をしながら待つ。。

 その会話が終わり、また黙って待つ。

 

そんなことを何度も繰り返したが、待てど暮らせどバスが来ない、、周りにいた他のツアー客達も、ほぼいなくなっていた。

彼女に聞いてみても、

「待てば 来るはずだ。」の一点張りだ。

ふと時計を見ると、もう8時を過ぎている。

そして 流石に彼女も ソワソワし出した。

眠気もあり、待ち疲れてきた僕は、

(おいおい… これなら7時前に来なくても

 良かったし、もっと寝れたじゃんか。。)

と思わず心の中で毒づいた。

 やれやれ。。本当に来るのかしら?

 さすがに中止じゃないよな(~_~;)

とぶつぶつ言っている時に事件は起きた。

 

しばらくどこかに電話していた彼女が、電話が終わるなり、ツアーのペラ紙チケットを僕に渡して、

「ワタシはもう行かなければならない。

 ここで待っていれば大丈夫だから。」

と言い出したのだ。

「えええ? ちょっと待ってよ!

 さすがにそれだと無理だよ!」

と食い下がったが、彼女に、

「用事があって、どうしてもこれ以上は

 待つ事ができないの。ごめんなさい。。

 電話で聞いたから本当に大丈夫!

 絶対に迎えにきてくれるから!!」

と言って彼女は僕を残し、スクーターにまたがり、砂ぼこりをあげながら、猛スピードで走り去った。

(マジかよ?! つーか、どうすんの?)

ガランと空いている歩道に取り残された僕は、呆然とペラ紙を見つめていた。

 

それからも2台ほどワゴン車が来たり、セダンタイプのツアーバス?がやってきた。

来るたびに、僕のツアーであるかを確認する。

しかし、穴が開く程 ペラ紙を見られた後、

「違う。 ウチじゃない。」

と言われる。

そんな事を何回か繰り返した後、僕はやさぐれていた。

クアラルンプール国際空港で、マラッカ行きのバスを探していた時のトラウマが、蘇って来てさえいた僕は、

 もう… 。ツアーバスなど必死に探さずに、

 このまま宿にかえったろうかしら?!

と、そう本気でそう思い始めていた。

 

カオサンロードに来てから… というか、このタイ王国に来てから 一番心細くなっていた僕は、

(もう 全てを投げ出して宿に帰りたい。。)

という欲求と必死に戦いながら、歯を食いしばって、

「絶対に迎えに来てくれる!!」

はずのツアーバスを必死に待っていた。

 

つづく

 

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↑ 美人な三毛猫さん 💕

 (この時まではウキウキであった。。)

 

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↑ カオサンロードを彷徨う僕(イメージ)

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↑ 僕の目指す「戦場に架ける橋」

     出発すらできていないが…

 

 一体 どうなるんだろうか…

 

次話

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はじめてのフアランポーン駅

 

第135話

はじめてのフアランポーン駅

 

アジアティークを満喫した僕は、いつの間にか水上バスの終電を逃していた。。

ぼくの腕時計は、夜の10:40を指している。

 

ここから宿へは、タクシーで帰っても1000円もあれば帰れるはずなのだが、当時の僕は、そんな事は知らないし、何より " もったいないお化け" の僕は、道路まで出て思案していた。

 

タクシーはひっきりなしに来て、カップルから、ご夫婦、友達であろう人達がどんどん乗っていく。

どうやらこの時間だと、タクシーで帰るのを見越して 皆来ているらしい。

だが、貧乏旅行者を自称している僕には、すぐにタクシーというのは、罪の意識に苛まれ、まるで踏み絵をさせられているキリシタンの様に、足を踏み出せなかった。

 

大きな道を(何かないか??)とうろついていると、バスが何台か来る事に気付いた。

乗る人などほぼ皆無か、地元のタイ人しかいないのだが、僕はそれに乗り込む事にした。

前に乗った、タイのバスは無料だったので、とりあえずGoogleマップを見ながら、宿に近づけるだけ近づいて、それからタクシーに乗ろうと思ったのである。

意地汚い 交通貧乏人、と言えばそれまでだが、行きが200円しなかったので、何とか帰りもそれに近い値段で帰れないかと工夫していたのである。

たまに思うのだが、数百円も惜しむ僕は、本当に、一昔前に アジアで一番の経済大国 と言われていた、日本の旅行者なのか??  

と自問する事がある (^_^;)

 

とりあえず、宿の方向へ向かう車線に 来たバスに乗ってみた。

前に乗ったバスと違い、綺麗なバスで、窓ガラスがあり、ちゃんとクーラーが効いている。

この国で、初めて乗る 綺麗なバスだ。

 

席に座りボーっとしていると、卒業証書を入れる筒の様なものを持った、30歳前後のかなりふくよかな、女子プロレスラーのような、強そうなタイ人女性が、筒をポンポンと左手に叩きつけながら近付いてきた。

 なんだろう??  な、なに?  誰?

と思っている僕に彼女は、英語で話しかけてきた。

「ハロー、サワディーカー。プリーズ ぺい!!」

乗った時から(少し変だな?)と思っていたのだが、この乗り心地のよいバスは、どうやら有料の様だ。。

たしかに、無料だったオンボロバスとはグレードが違う。

有料という事に、僕はあっさり納得してしまっていた。

コワモテの強そうな彼女に、値段を聞く。

すると、「どこまで行くの? アンタ?」

と逆に聞かれてしまった。

もちろん僕は、どこで降りるかなんて決めていない。。

冷や汗をかいて「あー」とか、「ウー」と言いながら、ジエスチャアーしながら 結局英語で、

「あー、、あ、アイ ドンノー…」

というのが精一杯だった。。

 

彼女はそんな僕を冷ややかに一瞥した後、

「イレンブン バーツ」と冷たく言い放った。

 イレ?…ん?  おお! そんなには高くない!

 日本円で40円くらいだ!

僕は安心してお金を払い、彼女から解放された。

そういえば、夕方乗った船の会計係も、会計用の財布代わりに、筒を持っていた。

どうやら、この卒業証書入れの様な形の筒が、バンコクでは、交通機関の会計係が皆持っている、お財布らしい。

しかし、筒だけに、思わず叩きやすいのか、

 パシッ! パシッ! と、

アメリカのMADポリスが、警棒を叩きながら近づいてくるイメージに近く、謎の迫力がある。 なので、結構 圧があって怖いのだ 😅

 

とにかく行き先のわからない僕は、GoogleマップGPSの現在地マークに集中していた。

とあるY字路を、川沿いの宿の方の西北に行って欲しいところを、バスは東北へと走り出した。

だが、、なんとか、北上はしている。

僕は我慢しながら行けるところまで行く事にしていた。

マップをよく見て見ると、この大通りの先には、大きな駅がある。

見てみると、ファランポーン駅とあり、拡大してみると、ターミナル駅らしい 終点の鉄道駅へ向かっている様だ。

 おお! とにかく大きな駅がある。

 とりあえずここまで行けば 安全だろうし、

 何とかなるに違いない!!

僕はそう思い、駅まで乗る事にした。

かなりふざけた移動方法ではあるが、約40円で、明らかに宿まで近づいた事を喜ばねばなるまい。

宿の方向の車線のバスに乗っただけなので、そんなに完璧に宿に近付ける可能性など、最初からほぼ無いからである。

 

やがて、駅舎らしい建物が見えてきたところで、僕は運転手に近付き

「ここで降ります。」と伝えた。

止まったところで僕は降りた。

 

乗客は僕の他に二人しか乗っていなかったが、全員がここで降りた。

バスは次のバス停を目指し、すぐに出発した。

そのバスを見送りながら、しばらくボケっとしていたが「これじゃいかん!」とばかりに僕は自分の頬を叩き、気合を入れて、動き始めた。

 

バスから降りた、バンコクの夜の外気は涼しく、かなり過ごしやすい。

駅の近くの歩道には、レジャーシートを広げた家族や、数人の友達の集まり、コンクリートの段差に腰掛けたカップルなど、大量の人が楽しそうに飲み物を飲みながら、やもすると食べ物を食べながら談笑している。

もう、深夜の11時を過ぎている。

だが、夜はこれからとばかりに、皆 集まって来て遊んでいるようだ。

どうやら、この灼熱の地であるタイのバンコクでは、涼しくなった夜から、皆集まって遊ぶという、夜型の生活が一般的なようだ。

夜っぴきだが、涼しくなってから遊ぶというのは、たしかに、効率的な気もする。

このクソ暑いアジアにいると、涼しくなってから行動するのが正しい事に感じるのは、この東南アジアの地にしばらくいるせいで、身体で心底理解出来ているからである。

 

歩道をまるで庭のように、人が多くいるここは、まるで日本の夜桜の花見に来ている人たちを彷彿とさせる。

僕はまた、カンボジアにいた時の、夜のプノンペンの王宮前の広場の歩道に集まっていた、カンボジアの人達を思い出していた。

 

そして、出店も少し出ていて、夜中を感じさせない活気がある。

そして、そこには温かい人の交流があり、穏やかな空気が流れていて、東南アジアの深夜だというのに、アットホームな雰囲気で、全く危険など感じ無かった。

そこは、本当に不思議な空間だった。

(実はここが「バンコク駅」だと言う事は

 しばらく後で知る事となった。)

 

僕はしばらく駅の周りの人々を眺めて歩いていたが、ハッとした。

 あ、明日ツアーで早起きだった!

カリプソショーで感動し、アジアティークを堪能して興奮していた僕は、バスでの緊張も相まって、すっかり明日のことを忘れていたのだ。

 

もう少しここを堪能したかったが、残念ながらタクシーを探す事にする。

歩道の前の大通りは、ほとんど交通量はないが、たまに通る車はほぼタクシーであった。

僕はすぐにタクシーを捕まえて、宿までのGoogleマップを見せた。

メータータクシーでは無かったが、100バーツ(330円)で行ってくれると言うので、僕はもう妥協して、そのタクシーに乗り込んだ。

 

フアランポーン駅(バンコク駅)の人や、街灯を車窓から眺めていたのだが、

宿へと向かうタクシーの中で、値段交渉が終わっている安心感と、疲れからか僕は、ついうっかり寝てしまっていた。

 

薄れゆく意識の中で、

(無事 宿に着きますように…)

と頭の片隅で考えながら。。

 

つづく

 

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↑ 夜のアジアティー

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↑ タクシーの車窓

 

 

次話

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カリプソる日本人

 

第134話

カリプソる日本人

 

アジアティークは、かなりの人気スポットだった。とにかく人もお店も多い!

カオサンロードと全く違う賑わいではあるが、観光地としてはこちらが本道の様だ。

 

船着場横の広場を抜けると、お店が綺麗に整備され並んでいる。洋服屋さん、雑貨屋、バーやレストランなどが所狭しとある。

なんと、巨大な観覧車まである。

かなり綺麗で、日本でいうと、郊外にある土地を贅沢に使った、新しい最新のアウトレットモールのイメージだ。

僕の降りた川沿いの、ちょうど反対側である、道路側の入り口付近に劇場があるので、結構急いだ。

チケットBOXに並んで、チケットの引換券を出す。男性スタッフはそれを見て一瞬止まったが、すぐにチケットを用意してくれた。

 さてと… である。 開演までは時間はある。

チケットは 指定席だったので、僕はまず、腹ごしらえをする事にした。

実は先程、日本が誇る 三大牛丼店の一つ

すき家」を発見してしまっていたのだ!

 

そして、ここにくる途中にも、ラーメン屋や、日本料理居酒屋の様なお店も色々あった。

結構日本人向けにもお店がラインナップされている様だ。

(まぁ、メニューは見ていないが、

 たぶん、お値段はお高いだろうが…)

 

僕は、庶民の味方であろう「すき家」の扉を開けて、店内に滑り込んだ。

メニューを見て、早速牛丼を頼む。

(メニューはタイ語だけでなく

 下に日本語も書いてある!)

牛丼は、半月前にプノンペンの空港で食べた、お洒落な「吉野家」以来である。

卵を生で食べる習慣の無いアジアであろうから、相変わらずの " 半熟卵推し" であるが、僕はシンプルな牛丼と野菜不足解消の為 サラダを注文した。

すき家では普段はチーズだ、卵だとトッピング牛丼を食べてしまう僕だが、ここ東南アジアのタイでは、シンプルな牛丼の味に集中したかったのだ。

80バーツ(250円)程の牛丼と、30バーツ(100円)程のサラダはすぐに来た。

日本よりは安いが、格安でご飯を食べてきた僕には少し高く感じるから不思議なものだ。

 

まずはサラダにドレッシングをかけて頂く。

 うん。。キャベツだね。うん。。

どうやら、千切りキャベツに対する感想は、世界共通の様だ。

次に牛丼である。日本が世界に誇る牛丼。

 うーむ。。美味い! 気がする。

 とても美味い気がする!!

 すっ、すきや!! 大好きや!!

日本とほとんど変わらぬ味に恋をする。

食材も、従業員も、全てが現地調達だろうから、味の再現度に、とてつもない努力を感じる。

なぜそれが分かるかというと、

実は僕は、若い頃に居酒屋の店長を一年程した事や、調理師免許を持っているので、たまに、そんな事まで考えて味わってしまうのである。

 日本って、努力を、怠らないよね…??

謎の感想と、満足感を得た僕は、日本ではおよそ何も感じなかった「すき家」に対して最敬礼をし、いよいよすぐそばの劇場内へと入っていった。

広くて綺麗なロビーに入ると、一段上がった奥では、セレブ達がテーブルで食事をしている。

彼らはディナー付きの、高額なディナーショー組である。

カフカの赤い絨毯がひかれている、高級ホテルのラウンジの様なセレブ感のあるこの場所は、僕の様な貧乏旅行者を確実に拒絶してくる。。

 

彼らを迂回する様に、壁沿いの廊下を進んでいくと、劇場に入れた。

演劇人の僕はまず、劇場に入ると舞台の大きさや、見易さ、席の座りやすさなど、うっかりと

「自分がやるならどうだろう?」

と箱(劇場)をつい値踏みしてしまうが、ここは、どこに座っても ゆったりとして見やすいだろうと思える、 素晴らしい客席、劇場だった。

オールバックの、まるでホテルマンの様に洗練された動きをするボーイに、席まで案内してもらう。先にドリンクを聞かれ、ビールを頼む。

ワンドリンク付きのチケットである。

 

席はゆったりと座れるふかふかの席で、ゆったりとした、映画館のプレミアムシートに近く、しっかりと舞台を見渡せる。

中々、日本では目にかかれない素晴らしい作りであった。

席の前にはテーブルがあり、隣の人達とシェアして使う、ここだけ日本の立ち飲み屋システムであった 笑

そして、日本人も多いらしく、同じテーブルを使う縁で、隣の日本人団体ツアー客の方に話しかけられた。

70歳近い男性で、元気な方だった。

思えば、日本人の団体ツアー客に会うのはこの旅で初めてかも知れない。

 

地元の老人会でタイツアーを組んで貰ってきたという、ハイカラなおばぁさん、おじいさんの皆様はお元気の塊だった。

話しかけてくれた佐藤さんは、71歳で、クラフトアートなるものをやられているらしく、色々な模様をラミネートした、不思議な下敷きの様な物を僕に何点かくれ、名刺もくれた。

(彼には悪いが。、荷物になるので

 正直いらなかったが… 断れる雰囲気ではない)

だが、とても気さくないい方だった。

大手の会社で勤め上げ、今は、趣味に 旅行にと忙しい「御隠居さん」だと、自分で言って笑っていた。

 

しばらくすると、幕が上がり、レディーボーイ達のショーは幕を開けた。

開幕は、往年のハリウッドの銀幕ミュージカルを彷彿とさせる豪華なオープニングショーである。

シルクハットに、タキシードでステッキを持った男性が進行と司会という感じで、かなり豪華だ。

お洒落な海兵の様な衣装に身を包み、これまたシルクハットをかぶった、綺麗なレディーボーイ達の群舞から始まり、ショーはどんどん進んでいく。

(途中で「アジアらしいなぁ」と思ったのは、

 写真も動画も、撮影OKらしく、

 お客さんはフラッシュだけ炊かない様に、

 パシャパシャと写真を撮って良い事だった。

 僕も何枚か撮らせてもらった。)

ショーは続いていく。

レオタードの美女達が煌びやかに踊るものもあるし、個人での持ちネタコーナーもある。

ビヨンセのモノマネの人や、ラップンツェル?のモノマネ、日本の着物に身を包んだ、コメディチックな女性のダンス、司会の男性も参加する、コントの様なダンスもある。

どうやら時代に合わせてどんどん進化している様だ。

最後の方は、デモ隊を摸しプラカードを持った民衆のダンスの様なものもあり、様々なアプローチの見せ物があり、全てド派手であった。

全て口パクで、音楽や歌に合わせているが、本当に楽しめた。

場面転換を、銀色の横滑りする幕を使い、流れる様にしていく演出が素晴らしかった。

この銀幕の素晴らしいところは、一枚布ではなく、細かい紐状の布を大量に吊り下げて幕にしているので、演者が間から出てこれる所である。

そのお陰で、ショーは怒涛の勢いで、流れる様に進んでいく。凄いテンポ感である。

そして、レディーボーイ達の美しさ!

正に「ザ・ショウ」を堪能した僕は感動していた。

およそ日本では見ることの出来ない、クオリティと、規模であった。

 

感動に身を包み、劇場を出て、ロビーまでの廊下を歩いてあると、先程のショーガール達(もうガールでいいだろう)がお見送りをしてくれる。

皆さんお綺麗だが、そこは元男性なので、身長は皆高めだ。

一緒に写真も撮ってくれるが、チップがいりそうだったので、僕は握手だけして退散した。

 

先程の佐藤さんが、鼻の下を伸ばして、彼女達と写真を撮っていたのに、少し癒された。

(やっぱり男って奴は、

 いつまでも助平じゃなくちゃ!)

と僕は、71歳の佐藤さんに、意味不明の感動を覚えて、劇場を後にした。

この素晴らしいショーの余韻に浸りながら、この " タイ版のお台場 " を散歩をする事にする。

色々な雑貨屋、バー、居酒屋、レストラン、出店もある。

途中、出店の可愛らしい店員さんに呼び止められたので、お店を覗いてみると、美味しそうなクレープ屋さんだった。

せっかくなので、お話をしながらひとつ頼む。

先程の佐藤さんの影響か、僕も鼻の下を伸ばしていた。

そして、この旅に出てはじめてのクレープだ。

チョコと、生クリームのシンプルなやつを頼み、食べ歩きをしながら 周る事にする。

クリームの優しい甘さが僕を癒してくれる。

 

行きに通り過ぎていた日本居酒屋を覗いてみると、やはり値段は高めだったのでスルーする。

雑貨屋では、オリエンタルなデザインのスカーフや、シャツ、小物など 色々と、いかにもタイという綺麗なものが並んでいる。

人も多く、活気に溢れている。

そして、このアジアティークで、一番目立つ、ピカピカと白い蛍光灯付きで、明るく周る巨大観覧車に僕はびっくりしていた。

 

何故なら、観覧車のくせに とんでもないスピードで回っていたからである!!

 ぎゅーーん!! と回ったかと思うと。

スピードは緩まり、、

(止まるのかな?)と思うと、

また ぎゅーーん!! と回り出す。

(一体… お客はいつ乗るのだろうか?

 アジアだけに、飛び乗るのだろうか…??)

と本当に謎であった。

僕は、そんな大観覧車を見ながら、

 そ、そんなバカな…?? 笑

と大笑いをして、このアジアティークを後にした。

一人でもかなり楽しめる、

 アジアティーク  ザ  リバーフロント

皆様も是非、バンコクにお越しの際は、寄ってみて下さい。

 

続く。

 

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↑ さぁ!ショーのはじまりだ!

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↑ 使い勝手良すぎる銀幕


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↑ ラップンツェル??

サウンドオブミュージックを歌っていた)


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↑ デモ隊の出し物

(性差別に対する思いもあるのだと思う)


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↑ コメディタッチの和服の方(ほぼ大トリ)

 後で、ロビーの客出しでお見かけしたが、

 綺麗で可愛らしい方だった。


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グランド・フィナーレ!!

 素晴らしいショウだった!

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↑ 綺麗なお姉様に(おいで ボウヤ。)と

 誘われたが、一緒に写るとチップがいる。。

 貧乏な僕は、残念だが断った😢


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↑  安定のすき家^_^

 

早すぎる観覧車 動画

https://m.youtube.com/shorts/vxiitb6hnpg
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↑ 早すぎる観覧車

 

次話

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バンコクの渡し

 

第133話

バンコクの渡し

 

カリプソショーに向かうべく僕は、夕方のバンコクを、チャオプラヤー川へと 早足で向かっていた。 そんな僕は少しイラついていた。

 

実はこの少し前に、朝会ったドイツ人のエマさんと一悶着あったのだ。

今朝、僕がカリプソショーを観に行くという話をしていたのだが、先程彼女が急に、

「一緒に観に行きたい」

とLINEをしてきたのだ。

「安いチケットを買えるなら行きたい。」

という彼女に、LINE電話して説明する。

「今日はツアー会社は閉まってるので、

 もう安く買えないよー。」

と僕が言うと

「安く買えないなら、じゃあ、良いわ。」

と言って来たので

「そこまで値段は変わらないし、

 正規の値段でも見る価値は有りますよ。」

と説得しても、ガンとして

「正規の値段? なら行かない、いいわ」

と言ってきた。僕は折衷案で、

「じゃあ、正規の値段のあなたのチケットと、

 割引の僕のチケット代を足して2で割って、

 割引きの値段は半分になるけど、

 お互い割引の値段で行こうよ。」

と提案したが、

「高い! それならいいわ。

 安くなるなら行こうと思ったけど、

 わざわざツアー会社に買いに行くのなら、

 要らないわ。大丈夫。」

と、ガンとして譲らない。。

しばらく押し問答した末に、流石の僕も、正直面倒くさくなって

(ああ、そうですか?)と思ってしまった。

「じゃあ 一人で楽しんできます。シーユー」

と僕は電話を切った。

何しろ、携帯の通信をWi-Fiに頼り切っている僕は、Wi-Fiのあるお店から離れると通話が出来ない。。お陰でかなりの足止めを食う事になった。

そして、この時僕は、正直 非常に交渉に疲れた。

別に僕は「一緒に行こうよ!」と朝 誘っていたわけでも無いので、善意で色々と提案したのだが、ことごとくハッキリと「ノー!」と言われて、改めて思ったのは、同じ日本語を喋っていても、

(やはり、相手の事を気にする日本人と違い、

 ハッキリと自分の意見を伝えてくる、

 外国の人との感覚の違いに気付かされるな…)

と言うものであった。こちらが良かれと思って提案しても、彼女からすると

「この値段でなければ、行かない。」

と言う動かない指標があり、それをちゃんと主張してくる。

わかりやすいと言えば、わかりやすいが、、

やはり、日本でのやりとりに慣れている僕は少し傷付くというか、面倒に感じてしまった。

 

こんな経験をさせてくれた彼女に今では感謝しているが、正直当時は、

(直前にいきなり連絡してきて、

 結局 行かんのかーい!?)

と かなりカチンと来ていた事は事実である 笑

僕の心は、先程雨が降ったばかりの悶々としたバンコクの曇り空と同じくモヤモヤとしていた。

 

そんな、僕の心を晴れやかに晴らしてくれたものがあった。

それが、チャオプラヤー川 であった。

この大きな川の茶色い水は、そんな僕の下らないモヤモヤなど意に介さずに、雄大に大きく早く流れていた。

 

何故僕がこの川に来たかと言うと、カリプソショーの劇場のある「アジアティーク」 と呼ばれる一角に行くには、この川を南下する、水上バスが一番便利だと聞いていたからである。

(チケットを売ってくれたツアー会社の

 オーナーさんが、行き方を紙付きで、

 丁寧にレクチャーしてくれていた。)

アジアティーク とは、色々な商業施設や、お店が集合している、日本で言うと、アウトレットモールほどの規模の商業施設で、チャオプラヤー川に面した、東京の「お台場」の様な場所なのである。

買い物してよし、デートしてよし、イベント行ってよし!!

と言う、凄い場所らしいのだ!!

 

そして川下りのイベントを楽しみながら行くのが、タクシーや 電車で行くよりも、一番安価で早いのである。

エマさんとの交渉が難航した事により、結構時間が押していた僕は、早歩きで 路地を歩いていた。Googleマップ先生でチェックしておいた船着場は、細い生活道路の先にあるらしい。。

低い建物達を通り過ぎた僕は、思わず声を漏らした。

そう!そこには、とてつもないデカさの川が流れていたのだ。波打つ川面は、雲間からの夕陽に照らされ、キラキラと光っている。

船着場であろうここは、あまり広くは無い。

そこでは、数人が船を待っていた。

 

僕は何かワクワクしてきた。

船着場の横にはお洒落なカフェがあり、皆テラス席で川を見ながらコーヒーやビールを飲んでいる。

やがて向こうから船がやってきた。

一階建ての遊覧船といった感じの船である。

小さめの屋形船とでも言った方が 分かり易いかもしれない。

それに皆と乗り込むと、合図なのか、船頭らしき男性が、指笛を吹く。

 「 ピュゥーーイ ♪♪ !!

という気持ちのいい音の後、船はチャオプラヤー川へと漕ぎ出した。

船と水面は近く、窓際の席だと、ピチャピチャと飛沫がかかる。手を伸ばせば、川の水にも触れられる。そして、なんかこの川は チャップン チャップンしている。そう思う。

 

夕闇の迫る中、夕陽に照らされたこのクルーズは最高であった。

この船は、大きく蛇行しながら川を降っていく。つまり、川の向こう岸に斜めに渡りながら、またこちら岸へと、川を斜めに横切りながら、各船着場を経由していくのだ。

まさに「バンコクの渡し」である。

乗り込んで皆、思い思いの席に座っていると、新しく乗った人間をめざとく見つける、会計専門の人が来て、その人に料金を支払う。

船内で会計する、車掌ならぬ、船掌システムだ。

 

途中 暁の寺」 とも言われる

「ワット・アルン」の目の前の船着場にも着いた。残念ながら、工事中で、覆われていて見られなかった。

夕陽に照らされた「ワット・アルン」を楽しみにしていたのだが、残念だった。

また岸を離れる時には、例の船頭の " 指笛 " が響き渡り、いっそうこの景色を際立たせていた。

 

夕闇の迫るバンコクを船は、川に揺られながら、南下していく。エンジンがかなり強いのか、川の流れに負けずにどんどん進んでいく。

途中で思った事は、水面の高さが市街地より、少し下がっているだけ。。と言う事である。

日本の多摩川のように、土手があり、水を逃がせる高さも、堤防も無いようにみえる。

ちょっと大雨が降ったら、この川をはすぐに氾濫してしまうのではないだろうか?

僕はそんな事を考えていた。

それくらいチャプチャプしている水の高さと、すぐ隣の陸地の高さが、この大都市はあまり変わらない。。そして、水のすぐ横が民家なのである。

 

カンボジアプノンペンメコン川は、かなり余裕を持った土手の、遥か下を川が流れていたし、ベトナムハノイや、ホーチミンの都市の川も、きちんと整備されていたのだが…

僕は見るからに危なかっしそうなバンコクの川と街を、勝手に心配していた。

 

そしてそんな事を考えている僕を乗せた船は、川を渡ったり、戻ったりと何駅かを経由していく。

船はあっさりと着岸する。よく考えると物凄い操船技術である。

そして、その度に人が降り、乗り、指笛が響き渡る。

今時、指笛で合図を送ると言うシステムが、本当に凄い。この仕事に着くには 指笛の技能が必須に違いない。

きっと求人票には、要 運転免許では無く、

※ 要 指笛技能  とでも書かれているのだろう 笑

 

ツアー会社から貰っていた、イラスト付き、説明付きの地図はとてもわかり易く、

「この橋を越えたら降りる駅です。」

と丁寧に説明されている。

その大きな橋の下を通り過ぎ、僕はその船着場で降りた。

ほとんどの乗客もここで一緒に降りる。

どうやら皆行く場所は同じ様だ。

 

降りた駅には、何故かそこそこ大きな涅槃している黄金の仏像があった。

ここから先は、アジアティーク行き専用の、無料の水上シャトルバスに乗り換えるらしい。

お陰で 船代はここまでしかかからないので、かなり安くアジアンティークに行ける計算になる。

そして、水上バスのハシゴである。なかなか出来る体験ではない。

先程の船より遊覧船感が強い、お洒落な船である。こちらの船でドンブラコと川を少し下ると、正式名称である

「アジアティーク ザ リバーフロント」の名に恥じぬ、船着場に着いた。

もう船がついた先からお洒落な感じのお台場である。すぐそこは広場になっていて、皆お洒落に憩っている。

思ったより上手く乗り継げた僕は、時間に多少の余裕があったが、油断は禁物である。

手元の引き換えチケットを劇場チケット売り場で引き換えるまでは油断はできない。

 

僕はゆったりする人たちを尻目に、結局小走りで移動をしなければならなくなった僕は、

カリプソショー」を上演する劇場へと、一目散に向かっていたのだった。

 

つづく。

 


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チャオプラヤー川の川下り 動画 

https://m.youtube.com/shorts/s0tBmEUKihc

 

チャオプラヤー川の夕陽と船頭の指笛

https://m.youtube.com/shorts/94zx-MxZDKI

 

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バンコクの渡し 船乗り場


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↑ 工事中の 暁の寺「ワット・アノン」


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↑ 夕闇とチャオプラヤー

 

 

次話

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香港とストリートライブ

 

第132話

香港とストリートライブ

 

宿に帰る前に、マッサージで熟睡した僕はお腹が空いていた。。

 

宿に戻る道すがら、中華屋の様なお店を見つけた。店先では肉まんを売っている。

(おお、、中華だ。。美味そう。)

可愛らしい女性店員さんに、肉まんを一切れ試食させてもらったところ、美味しかったので、店にも入ってみる事にした。

 

店の名前は「香港面 ~Hong Kong Noodle~」というお店だった。

席に座って値段を見ると、まあまあな値段だが、高すぎるわけでは無い。

安いヌードルもある。

僕はシンガポール料理でよく見る、チャーシュー入りのワンタンミーを頼む事にした。

これは焼きそばの様な麺に、味付け用の汁、ワンタンが乗り、チンゲン菜、赤い縁取りのチャーシューが乗っている。

見るからに美味そうな 一皿で、他の料理より安かった。

さっき美味しかった、肉まんも1つ頼む。

 

やがてきた ワンタンミーのワンタンを早速食べる。

 ワンターレン  うまうま。。

ジュワッと肉の旨みがダイレクトに舌を刺激する。麺もかき込む!

 ブホォ!! ぶふぉあぁああーー!!

麺に絶妙に絡む、味付けの汁とのハーモニーに僕は、バキュームマンと化し、ひたすら麺を吸い取っていった。。

途中で来た、ふわふわの肉まんで休憩する。

(落ち着け、、落ち着け俺。。

 美味いからと、勢いだけで食べると、

 あっという間に無くなるぞ!!)

 

そんな僕に、肉まんさんは容赦が無い。

 ふぉわあぁぁあ〜〜〜!!

 肉まんパラダイスぅ〜!!

 うまうま〜。肉マンチェスター〜。

 ユナイテッド!!!

 

肉まんの旨味が僕を叱咤激励する。

 旨さの ツアー会社に申し込んだで〜〜!!!

明日のツアーより先に僕は、この旨味のツアーに のたうち回っていた。。

 

それにしても、チェーン店?? と舐めてかかったこの店。。旨すぎるやろ??!!

僕はどこの国がやってるのかもわからない、香港面(麺では無く面と書いてある)に 驚愕し、涎を垂らして のめり込んでいた。

 

カンボジアシェムリアップで食べた

「究極のチャーハン」と戦える、唯一無二のお店であった!

恐るべし! タイラント!! である!

 

大満足した僕は、一休みしようと宿に向かった。

宿の共用スペースで、少しゆったりとしていると、なんちゃんが路上ライブに行こうと誘ってくれた。

どうやら 今から路上ライブに行くらしい。

昨日の約束を覚えていてくれ、誘ってくれたなんちゃんと一緒に、とりあえず再びカオサンロードに向かう。

 

まだ明るいカオサンロードは、これから夕方になろうとしていて、人が増え始めていた。

ギターケースを片手にカオサンの入り口から少し入ったあたりで、準備を始めようとした時、タトゥーを両手にびっしり入れた、

映画「ファイトクラブ」の時のブラット・ピッド位の、強そうな細マッチョの白人さんが、急に話しかけてきた。

彼はなおちゃんに、

「ここはダメだ、ここでは演奏するな!」

と英語で言っている。

(こわぁ。。な、なに〜😢  何かしました?)と僕がビビっていると、彼は続けて

「ここは、すぐにポリスが来るから、

 違う所にした方がいい。

 昨日もすぐにポリスが来たからね。」

と、わざわざ親切に、タイポリス情報を教えてくれた。

ざるざるのタイラントのクセに、意外と路上ライブにはうるさいらしいのだ?!

 

そして、どうやらカオサンロードには、人種差別などは存在せず、ただ、

「俺たちは同じ 旅人だろ?」

という仲間意識が働いているらしい。

なんちゃんは、慣れたもので、素敵な笑顔で、

「サンキュー! じゃあ、他の所探すよ!」

と言うと、そのブラピさんが、先頭に立って、カオサンの奥の方に案内してくれ、

「ここなら、たぶん大丈夫だよ?」

と言って、そのまま去って行った。

 

彼は、白のランニングに、短パンという、何も持たない主義の様な、暇を持て余している旅人の様に見えたが、当然のように、僕らに親切にしてくれた。

カオサンロードの真髄に触れたような経験だった。

(やはり、ここは、旅人たちの、、

 バックパッカーの 交差点なのだ…)

僕は改めてこのバックパッカーの聖地」という地名に、嘘偽りはなし!!と、感動していた。

実は最初は、

(ヤバめのジャンキーっぽい人が、

 結構な勢いで、話しかけてきた。。😢)

と泣きそうだったのだが、カオサンの懐は僕が思う数十倍は広いのだろう。

 

教えて貰った道路でなんちゃんは、慣れた様子で、ギターケースをあけ、スケッチブックを立てかける。そこには、

「日本人です!今、歌を歌いながら、

 世界を回ってます! 少しでも良いので

 助けて貰えると嬉しいです!」

という様な文言が英語で書いてあった。

 

それを見て、僕は感心していた。

(なるほどー! 日本人で、この文言か!

 確かに日本好きな人なら、

 素直に応援したくなるなぁ…)

と、僕ですらお金を入れたくなったのだ。

「日本人です!」という所に、何かパワーワードというか、日本人の強みを感じる。

 

僕は呼び水の役割を果たすであろう、100バーツを早速ギターケースに入れた。

こんな面白い事に誘ってくれたお礼を兼ね、また、先日奢ってもらったお返しも兼ねてだ。

 

知り合いの路上ライブを見るのは、マラッカのジョン以来だ。

なんちゃんも、ジョンと同じでハーモニカも駆使して、ギターと音楽を奏でていく。

本当のプロのミュージシャンの知り合いも多い僕だから、彼らと比べてはしまうが、技術というより、味があって、とても良い歌声だった。

人柄が歌声に出ていて、いつまでも聴いてられる。

 本来、芝居も こうあるべきなんだよなぁ。。

と思いながら僕は、魅力的な なんちゃんの歌声を聴いていた。

 

途中で色々な観光客や、バックパッカーが、足を止めて、日本の歌を聴き、お金も入れてくれる。僕に話しかけてくる旅人には僕が、

「今日たまたま僕も聴いています。

 いいっすよねー!!」

という体でアシストする。

僕の即興の役者スキルも、大発動である 笑

 

みるみる間に、お金は溜まっていく。

聴いてる人も、お金を入れてくれる人も皆笑顔で本当にいい空間だ。

僕は改めてなんちゃんの人間力というか、魅力に感心していた。

 

上を向いて歩こうや、イエスタデイ、たまたま歩いていた日本人からのリクエストの尾崎豊など、彼は楽しそうに歌っていく。

僕にとっても楽しく、最高の時間だった。

 

ストリートライブが佳境に差し掛かったあたりで、ポリスが来た。

タイポリスが見回る時間の様だ。

彼らは映画などで見る、高圧的なアメリカのポリスとは違い、やんわりと

「ダメダメよー。やめてね。ダメなんだからね」

と 全く高圧的な素振りは見せずに、中止を勧告してきた。

なんちゃんは「おー、ソーリー」と言いながら、ギターなどをしまって、手早く店じまいした。

それは惚れ惚れするほどの手際であった。

 

「ズマさん、今日はここまでっスね。」

と 僕にウインクをし、あっさりと諦めたなんちゃんと僕は、一緒にカオサンロードを後にした。

 

隣の通りの、例の彼行きつけの居酒屋に入り、軽く呑んだ。

なんちゃんがいうには、数年前にカオサンにきた時は、警察もこんなにうるさくなかったという。

何事も諸行無常で、移り変わっていくらしい。

 

「ズマさんのお陰で結構稼げたんで、

 ここはまた、奢りますよ!」

という彼に、僕の方が年上で、前も奢って貰っている手前、丁重にお断りして、割り勘にした。

 

何にせよ、彼のライブの打ち上げである。

この気のいい若者は、いつか外国でラーメン屋を出すのが夢だという。

日本の有名なラーメン屋さんで3年ほど働いていた事があるのだと聞いた。

 

確かに接客のいいラーメン屋の店員の様な、気の良さと、粋な感じが彼にはあったので、僕は妙に納得していた。

 

(しかし、彼は、、いや、宿にいる人も含め

 彼らはいつまで旅を続けるんだろうか?

 終わりはあるのだろうか??)

 

自分の旅の終わりもわからない僕だが、流石に、4、5年は旅を続けないだろう。。

自分の事をほったらかして僕は、

 日本に帰った時 どうするんだろう??

と 勝手に彼らの今後を 少し心配していた。

 

彼らからしたら本当に大きなお世話なのだろうが…

 

続く。


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↑ まだ明るいカオサンロード


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↑ なんちゃんの路上ライブ!!

     最高のライブだった!

 

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↑ 香港面 何を食ってもうまい!

 カレーラーメンの様なものも抜群だった!

 ただ… 店員さんのやる気は MAXで無い 笑

 

 

次話

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カオサンにある 日本人ツアー会社

 

第131話

カオサンにある 日本人ツアー会社

 

朝の散歩は少しにして、宿に一旦戻った僕は、

昼のカオサンロードへと向かっていた。

 

僕は「カリプソショー」というレディーボーイ達のニューハーフショウを見に行きたかったのだ。ここのショウは、世界的に見てもクオリティはナンバーワンだと言われているらしい。

「エンタメ業界にいるなら、

 是非見に行った方が良いですよ!」

と、前の宿のオーナーさんにも勧められていた。

 

そして、新しい宿の人に

カリプソショー見るなら、ここのツアー会社から買った方が安くて便利ですよー。」

と教えて貰ったのが、カオサン通りから少し先にある、日本人が経営するツアー会社であり、日本語で申し込めるツアー会社だ。

 なるほど。 それは有難い!

早速そこへ行く事にした。

カオサンで唯一、日本人がやっているツアー会社へと。

 

Googleマップを片手に昼のカオサン通りを進んでいく。

昼のカオサン通りも、色々とお店があり賑やかだが、人通りは夜の比ではない。

そこそこな賑わいで、深夜とは違い、健全な賑わいである 笑

 

通りを抜けて、少し閑静な路地に入りしばらく歩くと、郵便局があり、その先のコンクリートの建物の軒先に、こじんまりとしたサービスカウンターがあった。

同じ建物内には、ホステル宿もある様だ。

日本語で案内が色々出ており、一発でここだと分かった。

 

店先にはタイの方らしい女性スタッフがいたが、奥で日本人らしき人がパソコンをいじっていた。

「すみません。。」と遠慮がちに声をかけると、奥の男性が「どうしましたー?」と、にこやかに、日本語で声を掛けてくれた。

40歳位の、よく日焼けした男性だ。

 

この方が、このツアー会社のオーナーであり、店長さんであった。

話をすると、さっそくショーのチケットを手配してくれる。

正規の値段より安く買えて大満足な僕は、ついでに何かツアーがないか聞いてみた。

ここには「カオサン最安値!」という表示もあり、気になっていたからだ。

 

すると、「カンチャナブリーツアー」を勧めてくれた。

これは映画「戦場にかける橋」の舞台になった所で、実際に列車も見れる様だ。

店長さんは、話し方も柔らかく、とても良い方で、丁寧に色々と説明をしてくれ、今のタイやカオサンについても色々と情報をくれた。

僕はすっかり店長さんのファンになっていた。

 

タイのツアー会社はいい加減な所も多く、

「当日に急に中止」などという事もあるらしい…

ここは、ちゃんとした取引先を選択していて、取引きの度に、色々と話し合ったりしながら、信用できる相手先を開拓してきたのだという。

そして、安い理由は、いらないオプションをできる限り削ぎ落とした結果、実現出来ているとのことだった。

 

そんなタイのツアー会社事情なども含めて、色々と話を聞いて、面白そうだと思った僕は、ツアーに申し込むことにした。

自分で、どこに行ってみたいとか、どこに行ったら良いのか解らない…  そんな僕の様な 雑な旅人は、たまにはツアー会社に、旅を丸投げするのが楽だったりする 笑

 

カリプソショーの引き換えチケットを、割引で購入し、明日のツアーにも申し込んだ僕は、ホクホク顔でカオサン通りに戻っていった。

 

昼のカオサン通りは、夜とは全く違う。

客層も、お店も賑わい方も。

昼の賑わいは健全そのものだ。

 

途中で、少しふくよかな、人の良さそうな、30位の中華系のタイ人女性に声をかけられた。

" ザ・マッサージ師 " という様な清潔感のある、白衣の様な制服を着ている。

とてもこの雑然とした通りには、不釣り合いな格好だ。そして案の定、

「マッサージは、どうか?」というのだ。

暇そうで、皆に声をかけていた彼女は、

料金表を片手に、話しかけてきた。

1時間200バーツと書かれた料金表を見た僕が

「オー! エクスペンシブ!(高い!!)」

と言って立ち去ろうとすると、

「値引きをするので、寄って行ってって!」

と言われた。

そんなにマッサージを必要としていなかった僕だが、一応値段を聞いてみる事にした。

いくらか聞いてみると

「150バーツで良いわよ?」

と言ってきたので、また僕は

「エクスペンシブ!」とわざと言ってみた。

相手が暇そうなので、いくらまで値切れるか、試して見ようと、僕の悪戯心が発動していたのだ。

「じゃあ、130バーツ…」

と言いかけた所を、

「100バーツならいいよ。」

 と食い気味に言うと、

「オーケー。。

 ワン ハンドレッドバーツ、OK!」

と交渉が成立してしまった。。

(あ、しまった😅)

と思ったが、交渉は成立してしまった。

 

こうなったらもうしょうがない。

 …がそれにしても安すぎる(^_^;)

(一体どこに連れて行かれるのだろう?)

噂に聞く、路上にマットを引いた青空マッサージでない事を祈りながら、女性店員に付いていくと、比較的新しめの、こじんまりとしたビルの、小さなお店が何件か入っている、少し広いロビーの様なところに着く。

 

(ここで??  やるの? マジ。。(^◇^;))

と心配する僕を、舞台装置のカキワリの様な作りの、扉一つ入った、ガラス窓もある廊下の一角に案内してくれた。

ビルの中とはいえ、大きめのガラス窓なので、落ち着かない。。そう思っていたが、

「ここに寝ろ」と言われて、ベッドに寝てみると、窓の高さよりベッドが低いので、外からはあまり見えなくなった。

覗き込まれなければ、大丈夫だ。

中もベッドも 意外と綺麗だ。

 

100バーツ(330円)なので、

(一体どんな魔窟に連れて行かれるのだろう?)

と心配していたが、ひとまずは安心だ。

 

なにせ、昨日 カオサンロードに顔を出しただけの僕は、カオサンの事を何も知らない。

うっかりしていると、とんでもない目に遭わないとも限らないのだ。

外国では 油断したら負けだ。

 

カバンを手の届く手元に置き、少し警戒していると、マッサージを始めてくれた。

最初は(どんなもんだろ?)と、安さゆえに期待していなかったが、どっこい、この女性は激ウマだった!

残り20分あたりで、僕の頭の上の方に正座してくれ、彼女は 僕の頭を膝に乗せて、縦の膝枕をしてくれた。

 

少し照れる僕に彼女は、そのまま優しく 顔のオイルマッサージをしてくれた。

それがあまりにも気持ち良すぎて、昨日の宿の暑さゆえの寝不足も重なり、イビキをかきながら 僕はあっさりと寝てしまった。。

この旅で一番熟睡したかもしれない。

 

ハッと気がつき(ヤバっ!寝ちまった!!)と思ったが、僕の顔の真上にある彼女の顔は、まるで菩薩の様だった。

 

身体をほぐしてくれている時から思っていたのだが、なにか 彼女は徳のある尼さんのような、何か母性を感じる方だった。

今までして貰ったことが無いくらい、僕の身体を丁寧に扱ってくれ、大事に大事にほぐしてくれていたのだ。。

まるでそれは、母の乳飲み子に対する慈愛の様な触れ方だった。

(とんでもない慈愛に出逢ってしまった。。)

僕はゆっくりと瞬きをしながら、ニコニコしている彼女を見上げていた。

 

僕は 彼女に勝手に「カオサンの聖母様」と名前をつけ、お礼を言いい150バーツを支払った。

ここまでして貰ったのに、100バーツだけ渡したら、バチが当たるに違いない。

僕は本気でそう思いながら、タイ語でお礼と「チップです。」と言いながらそれを渡した。

 

彼女はビックリして、まんまるな目をしたが、直ぐに、笑顔で「コップンカー」と手を合わせてきてくれたが、僕も負けじと、

「コップンカップ」と言いながら手を合わせた。

 

もちろん僕の両手は、ただのお礼ではなく、もはや宗教的な意味を含んでしまっていて、彼女を拝んでしまっていたのだが… 笑

 

何にせよ、僕は昼のカオサンに祝福された事を喜びながら、宿の方へと歩き出していた。

 

カリプソショーまでは、まだ時間がある。

まだまだ歩き足りない、面白すぎるバンコクであった。

 

 

続く。


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↑ 世界的に有名な「カリプソショー」


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↑ カオサンロードはいつ行っても刺激的だ。

 

次話

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日本語しゃべりタイ ドイツ人

 

第130話

日本語しゃべりタイ ドイツ人

 

あ、暑い。。 あぁあ。。あつい。。

うーむ。うーん。。 あ、汗が… 止まらない。

 

僕は部屋が暑すぎてなかなか寝付けなかった。

窓を全開にし、扇風機をかけたがクソ暑い。

早くも「クーラーなしでも良い」

などと言った事を後悔していた。。

 

そんな僕は、かなり早起きしていた。

遅くにふっと寝れたのだが、結局、朝早くに汗だくで起きたのだ。

(まったく…   宿もなぜ?

 わざわざこんな クーラー無しの、

 くっそ暑い部屋を作ったんだ?!)

と勝手に憤慨した僕は、

(キャンセル料払っても良いから、

 今日も 暑くて寝れなかったら、

 明日、前倒しして宿から出よう。)

そう真剣に考えていた。

 

思えば灼熱のアジアに来てからというもの、クーラー無しの部屋で過ごすのは、初めての経験だった。

そんな僕は、エアーコンディション無しの部屋を舐めていたのだ。

まだ誰もいない一階の共用スペースの横の、シャワー室で水を浴びてから、散歩に出た。

 

今日は西の方へ歩いて行くことにした。

野良犬のいない方の 細い路地を歩いて行く。

すぐ横に公衆電話があった。

前にも話したが、東南アジアで、公衆電話のある国は珍しい。

使えるか試してみたが、メンテンナンスなど、あまりしていないらしく、流石のタイとはいえ、そこは東南アジアらしく、キチンと壊れていた 笑

 

宿の周りは、他にもバックパッカー宿が多く、ランドリー屋も多い。

値段も、ドミトリーなら かなり安い。

どうやらカオサンから少し離れたここは、静かな宿に泊まりたい貧乏旅行者が集まる場所らしかった。

 

カオサンロードや、そこから一本入った所にも、安宿はいっぱいあるらしいが、建物が古く、何より夜遅くまで… いや、下手すると朝までカオサンで大騒ぎする旅人達のせいで、よほど図太い神経でないと眠れない。。

そんな話を、知り合った旅人から聞かされていた。

 

きっとこの日本人宿周辺のゲストハウスは、

「カオサンの喧騒は、寝る時には必要ない!」

という、深夜に静寂を求める旅人たちのニーズに応えて 出来たのでは無いだろうか?

新しい宿も多く、外から見える内装も綺麗で、値段の割には清潔感がある宿が多かった。

 

そんな通りを歩いて行くと、ドアを開け放している、ガレージのようなカフェの様なお店があった。

洋風モーニングをやっているし、美味しそうなグリーンカレーを置いていた。

値段は少し高く感じたが、まぁ、払っても良い範囲内だ。

お店の人は、ヨーロッパ系の白人さんで、気持ちのいい挨拶をしてくれたので、僕はここで朝食を食べることにした。

 

話を聞くと、向かいにある宿がやっているレストランで、路地を挟んだ向かいの宿も

「Born Free Hostel」という、かっこいい名前の ホステル宿だ。

まるで、野生のメスライオンでも飼ってそうな宿だ。(←相当マニアックな感想である 笑)

ガラスのドア越しに、かなり綺麗な内装が見えた。

 

店員に オススメを聞くと、やはりカレーを勧めてくれたので、僕はそのままカレーを頼んでいた。

珍しく、カレーは、カレー専用の容器に別盛りにされて来た。

久しぶりに、上品な食事である 笑

 

天気も良く、日陰にもなっているので、路地にせり出している、テラス感のある丸テーブルで頂くことにする。朝の街の風を感じながらの最高のモーニングだ。

 

しばらくすると、向かいの宿から背の高い白人女性が出てきて、僕の横の丸テーブルに座り、モーニングを注文した。

店員と気軽に話している所を見ると、どうやら向かいの宿の宿泊者のようだ。きっと部屋代には、ここでのモーニング代も含まれているのだろう。

 

隣に座った彼女に軽く会釈し、

「ハロー」と挨拶をし、その後英語で、

「向かいの宿に泊まってるんですか?」

と笑顔で話しかけると、彼女は 僕の顔をじっと見ている。。

(な、なに?  なんか変なこと言ったかな?)

 

とドギマギしていると、目を細めて僕を見ていた彼女はいきなり、

「あなた、日本人?」

と急に 綺麗な日本語で聞いてきた。

 

「え、ええっ?  あの。。

 日本語。 喋れるんですね??」

 

「そうよ! わたしは、日本に10年いました。」

 

日本語を求めて日本人宿に来た僕だが、なんと! 日本語が喋れる外国人にも会えるとは…

さすがタイである!!(なにがだろう? 笑)

 

「久しぶりに日本語喋れて、嬉しいわ〜。

 本当に久しぶりに私、日本語 喋ってる!

 マジで、ウケる〜!」

と大喜びをしながら、グワァーっと、日本語で捲し立てるように、喋りまくる彼女と、お話をすることになった。

 

意志の強そうな眉をした、顔立ちのハッキリした美人の彼女は、エマという名前で、33歳だという。

かなり一方的に話す 彼女の日本語によると、

彼女はドイツ人なのだが、10年前から 日本で着物の「着付けの仕事」をしていたらしい。

元々 着物が大好きで「着物に関わりたい!」と日本に来て、着付けの学校にも入り、勉強しながらその仕事をずっと続けていたらしい。

話していると、彼女の意思力というか気の強さが伝わってくる。

(かなりはっきりモノを言う人だなぁ。)と。

 

僕も役者なので、着物での撮影の時がある。

一応、着物は 着方から畳み方まで、老舗劇団の研究所に 通っていたので、一通り出来る。

しかし、撮影レベルで綺麗に着る時は、

「着付け師」の方が来て、流れるように着物を着せてくれる。

 

着物とは 本来は、着る人に合わせて、オーダーメイドで作られているので、その本人が着るのが、一番綺麗に着れるようになっている。

だが彼らは、知識と、相手の体格に合わせて、オーダーメイドでは無い、局の用意した、ありあわせの着物を綺麗に着せてくれるテクニックの持ち主なのだ。

そして、自分が着るのと違って、人に着物を着せるのは、とても難しい。

 

そんな、日本人でも難しい技術を、

" 日本で飯の種にしていた " というドイツ人女性が、ここタイにいたのだ。

僕は、俄然興味を持って色々と聞いてみたが、彼女は 迷惑がらずに全部答えてくれる。

久しぶりに日本語が話せて嬉しいようで、マシンガンの様に早い日本語で喋る。

感心する程、凄い語学力である。

 

エマさんがいうには、当時、着付け界で活躍している外国人は、日本に自分を含めて5人しかいなかったという。

ドイツ人が2人、中国人が1人、オーストラリア人1人、アメリカ人が1人、という感じで、外国人の着付け師には、謎のネットワークがあった様だ。

 

「私が辞めた理由は ブラック企業だったから!

 社長に倒れるまで働かされた。

 本当に倒れるまで働かされたのよ!

 その後「辞めないで!お願い。。」

 とか、急に優しく言われたけど、

 こいつもう信用出来ない。そう思って

 「クソ社長!フザケンナっ」って、言って!

 辞票を叩きつけて辞めたのよ!」

彼女は、ものすごい勢いで 表情豊かに喋る。

あまりに憎々しげ、その社長の事を話すので、何故か同じ日本人として、僕が申し訳ない気持ちになる程だった。

 

僕は即興演劇もやっている男なので、冗談で、

(こんな感じの人だったの?)と、見たこともないその男社長のモノマネ?をやったところ。

「いや、 ソックリ! やめて!

 あいつの事、思い出した。

 ホントにヤメロ!あなた!」

とちょっとマジで怒られた。

よほどのトラウマらしい。。

 

向かいの宿の事も色々と教えてくれた。

向かいのドミトリー宿は、彼女と同じくドイツの人が経営する宿で、綺麗で快適だと言う。

もう2週間泊まっているという。

僕は彼女に気に入られたのか、

「あなた、ここに移ってきたら?

 安いし、きっと気にいるわよ?!」

と誘ってくれたが、

 せっかく空いた日本人宿に、

 まだ数日の予約をしてしまっている

と話すと、鼻で笑われ、

「は! 日本人って何処にいても

 本当に日本人だけで、群れるのが好きね。

 せっかくタイにいるのに、

 本当に気がしれないわ?」

と、かなり辛辣な事を言われた。

 

だが、ハッキリものを言う彼女に慣れてくると、キツい物言いをされても、不思議とイラっともせず。

「そうかもね… 笑」と聞き流せる様になる。

きっと、正直にモノを言うだけで、嫌味ではなく、悪気は無いというのが、伝わってくる女性だからだろう。

 

エマさんに今の仕事を聞くと、辞めたのは3ヶ月前で、それからアジアを放浪しているらしい。

再来月、NGOを友人が立ち上げるらしく、そこで働く事が決まっている。

それまでは、まだまだ色々な国を旅すると言っていた。

 

そんな、僕と同じで、時間が無限にある彼女は、日本語を喋れる話し相手が よっぽど気に入ったのか、4時間以上離してくれなかった…

 

途中、コーヒーを2杯お代わりした僕だが、終いにはもうビールを呑んでいた 笑

 

最後にエマさんとLINEを交換した僕は、ようやく本来の目的である、散歩に出れたのだった。

面白い時間だったが、久しぶりにドット疲れた。。

 

この国に来てから…

いや 量で言うと、日本を出てから、日本語を一番喋った相手が、ドイツ人女性に決定した。

 

つづく。

 

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バンコクの路地裏


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↑ 某撮影にて。

 着付け師さんに着せてもらうとこうなる。

 

 

次話

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伝説のカオサンロードへ

 

第129話

伝説のカオサンロードへ

 

煌びやかなネオン街の門で再び集結した僕たちは その後、何故か宿に帰って来ていた。。

 

歩いている途中で雨が降り出し、傘も持っていない僕たちは、メータータクシーを止めて、すぐに乗り込んだ。

そしてその雨は降り続け、やがて土砂降りになり、とても 何処かへ行くとかいう話では無くなっていた。

 

タクシー運転手は、結構 大変な人であった。。

30歳半ばの 細身のタイ人男性で、まだ仕事を始めて日が浅いのか、まずドアを開けた時に、

隣の車線で止まっていた隣の車に、

 ドアがぶつかったのでは無いか?

と泣きそうな顔で心配して、

「ブロークン、ブロークン!!ドアー!

 カー ドアァァ!ブロークン、ユー!!」

と発狂せんばかりに、タイ語とカタコトの英語で、半泣きで まくしたててきた。。

 

いや、ぶつかってないよ。

大丈夫だよ!  そう!大丈夫。

お、落ち着いて。大丈夫だから。

 

そんなやり取りをして、宿に向かってもらう。

とりあえず有名なモニュメントに向かって貰い、途中からこちらが、

「ライト」だの「レフト」だの指示をする。

その際も、

「こっ、こ、ここからか??

 ここ曲がるのか?!先か?!

 レフトはこっち? あ、こっちか??」

とまたしても発狂寸前であった。

 

最後に、宿への細い道に入って貰おうとすると、

「いっ、一方通行だ!!

 ここはぁ!! きっとそうダァぁあ!

 イッポーツーコー! なんだぁっっ!!

 ここはダメだ!警察につかまるぅぅう!」

と再び発狂したので、面倒くさくなった僕らは、もうここからは 歩いて帰ることにした。

 

雨が小降りになっていたとはいえ、まったく やれやれなタクシーであった。

(後でバンコクに詳しい人に聞いた所、

 最近のバンコクタクシードライバーさんは

 タイの田舎から、出稼ぎて来ている人が多く

 まだ、都会にも 道にも 外国人にも 全然

 慣れていない人が多いとの事だった。)

そんなドライバーさんは、僕ら外国人が降りて、ホッとした様子だった。

 

小雨の中、僕らは小走りで宿に戻り、宿の共有スペースで雨宿りする。

この宿は、ビールやコーラなどが、キッチンの冷蔵庫に常備されており、後清算で飲んで良い。

システムを聞くと、冷蔵庫の横のノートに名前と、買った本数を「正の字」で記入するらしい。(結構雑な管理も、日本人を信用している証拠だろう 笑)

僕らは早速それらを飲みながら、色々と話し、雨が止むのを待った。

 

木下さんは、有名なお寺さんで、観光客に精進料理を出す店で働いているという。

今はオフシーズン?なのか、時間ができたのでタイに来たようだ。

そういえば坊主頭であるし、そのせいか、何か普通の人とはちょっと違う雰囲気がある。

 

ナンちゃんは、ここに来る前は台湾で、ギター片手にストリートライブをしながら旅をしていたが、まとまったお金になったので、タイに来たようだ。

台湾の人は日本人に優しいので、投げ銭でも結構お金になるらしい。

「通帳作れるくらいのお金になりましたよ 笑」

と、喜んでいた。

香港も、物価が高く日本人に優しい人が多いので、かなり稼ぎになるという話だった。

 ここでもストリートライブするの?

と聞くと、

「今日は着いたばかりだから、

 明日あたりカオサンでやりますよ。」

というので、僕は 俄然興味が湧き、明日一緒に行く事になった。

その為にも、ナンちゃんは、雨が止んだらカオサンロードに、ライブできそうな所を、下調べに行きたいと言っていた。

 

そして、しばらく話していると、丁度雨が止んだ。僕たちはカオサン通りで飲み直そうと、意気込んで宿を出た。

この宿からカオサンロードまでは、徒歩10分ほどで着く。

 

辿り着いた 夜のカオサンは、凄い熱気だった。

今は、一番の繁華街の称号は、スクンビットなどに移ってしまい、ありし日のカオサンはもう無い。と嘆く旅行記を読んだことがあったが、そんな事は無い。

祝日の原宿ほどでは無いが、大賑わいだ。

逆にこれ以上賑わっていると、僕などは来たく無くなるだろう。

 

まず、カオサン通りに行く 前の通りから賑やかで、屋台でカオマンガイや、パッタイなど、タイの代表料理をおばちゃん達が、鉄鍋を振り、一心不乱に笑顔で作っている。

そして、カオサンロードには クラブやバーが軒を連ね。

その前には、お土産屋や、衣料品屋、果物やジュース屋などの屋台が、軒を連ねている。

 

外国人が所狭しと歩き回り、夜はこれからとばかりに、大盛り上がりだ!!

 おおおお!!!マジか〜〜!!!

 スッゲェな!! カオサン マジでヤバいな!

と僕が盛り上がっていると、何度も来ているナンちゃんは、

「ははは、ずまさん良かったっすね。

 一緒にひと歩きして、明日のライブ、

 やれそうなところも見つかりましたよー。」

と一緒に楽しんでくれていた。

 

バックパッカーの聖地」とまで言われている、憧れ続けたカオサンロードに、

 僕は今、自分の足で立っているのだ。

 そう!自分の足で、旅をして 日本を出て

 今!ここに、ついに! 立っている。。

何か物凄い事をやり遂げたような達成感と感動が僕にはあった。

 

ついこの間まで「外国」にすら行った事がなかった僕が、思い立ち、計画し、覚悟を決め旅に出た。

そして、憧れ続けた地に、遂に辿り着いたのだ。

これは、自分の人生にとっても大きな事だった。

 

一人 感慨に浸る僕に、

「どこいきましょうかぁ?」

と木下さんが、のんびり聞いて来たので、ナンちゃんが、前によく行っていたという、一本カオサンから入った通りの、小さな食堂風の場所で飲む事にした。

店の前の、テラス風のプラスチックのテーブルで3人でチャンビアーで乾杯する。

隣のカオサン通りより、地元感がある場所で、風も心地よい。

(ああ、俺はこれを感じたかったんだ…)

と、楽しい仲間とゆったり飲める事が最高の時間となった。

 

ナンちゃんは、頭も良いし、人も良い。

僕は彼が大好きになっていた。

僕が役者だと言うと、俄然彼も僕に興味を持ったようだった。

ナンちゃんが、酒が進んだ時に少し寂しそうな顔で、

「ズマさんは、役者だから言うんですけど…」

と前置きしてから話した事が印象的だった。

「実は、こう言う稼ぎ方してる僕らって

 旅ブロガーの人とか、他の旅人に、

 日本人を売りにして、小銭を恵んで貰ってる

 乞○きと一緒って言われる事があるんすよね…」

とストリートライブで旅費を稼いでいると言う、なんちゃんがそう言って来た。

 

僕の友人の俳優で

 「大道芸人」になりたいし、

 そんな風に いつでも演じられて、

 芝居で稼ぎながら旅をしてみたい。。

と言っている奴がいて、僕は出来るなら

 そんな彼女と仲間と、

 一緒に 一年くらいそうやって

 一緒に世界を回れたら素敵だな。。

と思っているような男なので、

 いや、俺は凄いと思うよ。

 そんな事を言ってる奴は、目の前の人間から

 一円すら貰った事が無いやつだよ。

 俺はナンちゃんは凄いと思うよ。

 絶対に、それも人間力だよね!!

と話すと嬉しそうに、

「ズマさんそう思います!?

 嬉しいなぁ。。なんか良かったなぁ。。

 俺、ここおごりますよ!マジ嬉しい!」

と、僕は奢ってもらう事になってしまった 笑

「ええと。。僕もそう思います。僕はぁ?」

と可愛い顔で聞いて来たので、木下さんもナンちゃんに奢られる事になった。

この人も、実にちゃっかりした人である 笑

 

とても楽しい 良い奴らと飲みながら、伝説のカオサン通りの隣で、とても心地よいタイの風に身を任せながら、

(やはり旅に出てみるもんだ。

 日本を出て本当に正解だった。)

と僕は、この伝説の地の風を、

しみじみと心ゆくまで噛み締めていた。

 

続く。

 

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↑ 夕方のカオサンロード

 夕方はまだ本気を出していない 笑

 

 

次話

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バンコク ジャパンビレッジ

 

第128話

バンコク ジャパンビレッジ

 

ここの日本人宿はかなりの規模で

「ジャパンビレッジ」という言い方がしっくりくる。

それほどの日本人の多さだった。

 

ここはもう、ひとつの村である。

若者が多いこの村には、色々な旅人がいて面白い。

長期旅行者も多く、もう日本に3年、5年帰ってない という人もざらにいる。

 お金はどうしてるのか?

と聞くと、皆、物価の一番高い、オーストラリアで、ワーキングホリデーを通じて農場で働くらしい。

長期旅行者の旅人は、一度はここで働いた事があるとのことだった。

住むところも、食事も出る為、あまり生活費はかからない。大体2ヶ月で70万以上稼げるらしい。

それを元手にまた、旅に出るのだとか。。

皆、どうしても日本に帰りたくないらしい 笑

他の手段は、皆 一芸を持っているので、路上でギター片手に歌ったり、大道芸のような事をして、日銭を稼いでいるらしい。

すごい暮らしだ。

 

何にせよ、およそ日本で聞いた事も、会った事もない面白い人達である。

 

そして中には、ここが心地よいので、日本で少しまとまった休みが取れると、ここに泊まりにくる 短期旅行の常連さんも多いらしい。

 

そんな皆は、する事がない時は、屋根もある吹き抜けの共有スペースで、ダラダラしたり、ギターを弾いたり、トランプをしたりしている。。

まるで大学のサークルを思い出させる。

そんな自由さがここにはあった。

 

僕が到着した時、鍵の番号を教えてくれた男性は 長期旅行者で、南野という28歳の旅人であった。

かなり柔らかい印象の青年だ。

初対面で、不思議とウマが合った僕達は、すぐに打ち解けて、

僕は、彼の渾名である「なんちゃん」という名前で呼ぶことにし、彼には 日本での僕の渾名である「ヅマさん」と呼び合う事になった。

バンコクには何回も来ているが、ここに来るのは初めてだという。

そして、今日来たばかりだと言う。

もう3年 日本には帰っていないそうだ。

 

 

宿の主人さんが、明日帰ってくるとのことなので、とりあえず代理の、旅人兼スタッフの方に、部屋に案内してもらう。

2階の一人部屋であるが、言われた通りクーラーは無く。扇風機が一台あるだけの、角の部屋だ。

3畳くらいの部屋は、そこまで狭くはない。

 

僕は荷解きをして、部屋はやはり暑いので、早速 涼しそうな共有スペースに降りていった。

 

下ではなんちゃんが、もう一人の日本人と、ギター片手に話している。

話しかけるともう一人は、木下さんという男性で、童顔で ちょこんとした感じの人で、30歳だと言う。

3人とも「今日この宿に来た」 という、何かの縁で、僕らは色々話して仲良くなっていた。

そして、そんな日本人宿は、誰かがイベントを提案して「いきたい人〜」と募ることもあるようだ。

 

今夜は 常連組の、29歳の、いかにも日本で仕事をバリバリやってそうな女性の提案で、有志の皆で出かける事になった。

なんと無しに、彼女に仕事を聞くとやはり大手のレコード会社勤務らしい。

中々 綺麗な女性である。

 

僕は、なんちゃんと、木下さんと話して、

「せっかくだから」と、皆と一緒に行く事にした。

10人程のメンバーは、タクシーにバラけて乗って、現地に向かう。

タクシーの交渉は、旅人のなんちゃんに任せて、場所までも指定してもらう。

 

ここバンコクは、タクシーは、まずは窓越しにやり取りする。

まず、メータータクシーか聞く。

メーターじゃ無い場合は、場所を告げて、いくらで行くかと交渉をする。

 

何故最初にメーターか聞くかというと、ほとんどの場合、メータータクシーの方が安いからである。

メーターを積んで無い運転手は、行き先にもよるが、大体50〜100バーツは高くふっかけてくる。そういう運転手はこちらが、

 メータータクシー?

と聞くと、答えずに、すぐ行く場所を聞き返してくる。

 

幸いメータータクシーがすぐに見つかり、僕達は、夜のバンコクへと繰り出した。

ここバンコクは、もうタクシーがほとんどのようだ。

タイの代名詞だと思っていた、トゥクトゥクはまず見かけない。

聞くところによると、ベトナムのシクロと同じで、観光用の乗り物になっているとか。。

ありし日のタイが見れないのは、少し寂しいが しょうがない。

 

そんな中、すぐにメータータクシーを捕まえた僕たちは、なんちゃんの英語で、行き先を告げた。どうやら有名な歓楽街らしく、そこの名前を聞いたタクシー運転手は、「OK。」と片手を上げて、すぐに出発してくれた。

なんちゃんに聞いてみる。

 

 なんか、どこ行くのかわからんのだけど、

 なんて言ってたっけ?

 

「ゴーゴーボーイっすね。」

 

 ???  ゴーゴーボーイ??  なんそれ?

 

「僕も行くのは初めてですけど。。

 まぁ、ズマさん、行けば分かりますよ」

そういって なんちゃんはニヤリと笑った。

 

木下さんをみると、彼もキョトンとしていて、目が合うと(わかりませーん)とジェスチャーをしてきた。

やがてタクシーは、煌びやかなネオンのあるゲートの前で止まった。

ゲートの奥はさらにギラギラとしたネオンで明るい。

まるで、近未来映画のセットの様だ。

他のメンバーは僕らを待っており、全員でお店へと向かう。

「一人、〜バーツで、

 飲み物はまた別だけど良いかな〜?」

と例のレコード会社の女性が、テキパキと交渉してくれる。

ここまで来て、入らないという選択肢などない。よっぽど高くなければ、帰る者など居ないだろう。

みんなOKして、店内に入る。

店内は薄暗く、タイ人の男性のスタッフに案内される。

奥へと進むと、何やらトランスミュージックの様な音が聞こえ始める。

やがて店内の開けたところに入り、僕はなんちゃんが、ニヤリと笑った理由を理解した。

 

店内には、中央に花道の様な横長のステージがあり、まっ裸のマッチョな漢達が踊っていたのだ。  みな若い。。

僕は唖然としたが、ここに来たいと言っていた例の女子は、大喜びである。

 

奥のL字型の豪華なテーブル席に通される。

レコード会社の彼女は、舞台の真下に移っていき、かぶりつきで楽しそうだ。

僕と同じく、どこに行くのかよくわからないまま付いてきた、まだ20歳くらいの大学生の女の子は、びっくりしすぎたのか、目をまん丸くした後、真っ赤な顔を手で覆っていた。

 

舞台のすぐ横のかぶりつき席には、眼鏡をかけた、まだ16、7歳であろう、タイの若い男の子の客が2人ほど 憧れる様に、頬杖をついて、うっとりと彼らの肉体美を見上げている。。

 

 なるほど。。そういう男子達の、

 楽しみの場所でもあるんだなぁ…

と妙に納得する。

 

大はしゃぎの例の女子と、仲間の2人の女子は大はしゃぎだが、我々男共と、女子大生には、ちょっとキツイだけだった。

皆黙ってお酒を飲んでいる。。

僕は役者のサガなのか、せっかく来たので、とりあえず、一回り店内を回って見ることにした。

 

舞台にはポールもあり、トランスミュージックに合わせて、男達はクネクネと踊ったりしている。

ステージを降りたところでは、パンツ一丁の男達が、出番待ちなのか、ひたすらバーベルなどで、体を鍛えている。。

ゆっくりと、重そうなダンベルを上下させ、上腕を鍛えている、パンツにサスペンダーだけの格好の男性もいる。。 きっと オシャレなのだろう。

 凄いな。。 凄い空間だ。。

席に戻った僕は、その光景を見ながら、皆と酒を飲む。

しばらくいたが、僕は正直なので、

「俺、もう充分だから、

 他のお店に行こうかな?」

と言うと他のメンバーも、激しく同意してきた。

舞台前で楽しんでいた女子3人組も、満足したのか、帰ってきた。

彼女達は、僕らの雰囲気を感じ取ったのか、もう満足したのか、みんなで、

「出ようか。。」となり、店を出た。

 

会計はレコード会社の女性がまとめてしてくれ、一人いくらでいいよ。

と多めに出してくれていた。

思ったより、みんなが引いていたので、

流石に「悪いな。。」 と思ったらしい。

凄いところに連れてきてくれた挙句に、大はしゃぎしていたので、

(おいおい… ちょっと オネェちゃん。。 笑)

と思っていたのだが、案外可愛いところがある。

 

店を出たところで、奥の飲み屋で みんな飲むらしい。

僕は(もうここは充分だな。)と思っていたので、黙って店の前にいた。

皆、奥にワイワイ言いながら消えていった。

(まぁ、一人いなくなっても大丈夫だろう?)

と僕は、やはりあまり大人数でつるむのは昔からあまり好きでは無いので、自然とそれを見送っていた。

 

(さてと、。どうしたもんだろう…?)

と一人、入り口のゲートに帰ってきた僕に、声をかけてきた男性がいた。

それは なんちゃんだった。

「ずまさ〜ん、どこ行くんですか?

 一緒に飲みにでもいきましょうか。」

優しい笑顔でそう言ってくれたなんちゃんの横には、木下さんもニコニコしながら、立っていた。

どうやら僕のバンコクナイトは、これで終わらない様だった。

 

つづく。

 

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バンコクのタクシー


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↑ 近所の猫さん😊

     挨拶すると返事をしてくれる🙏

 

 

次話

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バンコクの不思議なバス

 

第127話

バンコクの不思議なバス

 

前を向いて歩き出した僕は、すぐにオンヌット駅に着いた。

 

階段下で、今日も盲目の女性がカラオケを口パクで、歌っている。

彼女の側の缶に、そっと小銭を全て入れた。

この街への感謝も込めて、それが この街への僕なりのお別れだった。

 

オンヌット駅はからは、Googleマップの、指示に従う事にする。

宿で調べておいた「経路」の通りに行く。

Googleマップの便利さは、他の追随を許さないのでは。。?

と思う事が良くある。特に海外だとそう思う。

(中国だとGoogle系は全て使えないので、

 流石のGoogleも無力らしいが…)

 

少し前に気付いたのだが、かなり便利な機能がタイでも使える事を、改めて発見していた。

行きたい場所をタップして、その後、

「経路」ボタンを押すと、車での時間や距離、徒歩での所用時間が出て来る。

そして「電車」のマークを押すと、公共交通機関での行き方が出てくる。

完璧では無いし、出てこない経路もあるが、バスなどを利用する場合には、重宝する。

日本だけでは無く、この機能が タイでも使える事に気付いたのである。

 

「まず宿から最寄駅まで、徒歩で8分、

 その後、BTSに乗るという指示。

 出発と、到着駅までと時間。

 その駅から8分歩いてバス停へ。

 何時発のどこ行きのバスに乗ると、

 何分でこのバス停着、そこから宿へは、

 徒歩で10分で着きますよ」

という感じで、外国でも経路が出る。

 

今回の僕の経路は、オンヌットからBTSに乗り、

Phloen Chit(プルンチット)駅で降り、そこからバスで行くと一番良いらしい。

 

僕は、旅に出てからは、

Googleマップ先生の生徒ととして、旅をしてきたので、恩師の言う通りに宿に向かう事にしてみた。

まずオンヌット駅から、電車に乗る。

BTSのプラスチックカードをインサートし、警察官のいる物々しい改札内からホームへと向かう。

電車で、例のプルンチット駅に着く。

周りにはあまり何も無い駅だ。

ここからは、歩きでバス停までなのだが、意外と歩いた。。 旅のフル装備の僕には堪える。

 

 あ、あっつい。。死ぬ。。

 

暑いと、すぐに死にかける、汗っかきな僕であるが、水をガブガブ飲みながら、なんとかバス停に着いた。

 

バス停はスーパーの前にあったので、中に入りとりあえず涼む。。

時間は気にしない事にしていた。

経路案内で指定された、乗らなきゃ行けないバスの時間を過ぎても、3分おきくらいに、同じような路線のバスがいっぱいくるはずだからだ。

それに、東南アジアで、時間通りにバスが来るハズがない 笑

 

中で、水も買い足し、日陰のスーパーの日除けのシェードの下でバスを待つ。

やがて古びたオレンジ色のバスが来た。

窓は全開で、どうやらクーラーなどと云うものは 付いていなさそうだ。

 

僕はそれに乗り、目的地へと向かう事にした。

日本のバスと同じで、バスはややこしい。

 後払いなのか? 先払いなのか?

 小銭しか使えないのか??

と、集中力を最大限にして、行き先だけでなく、支払い方法なども含めて、とてつもないプレッシャーに晒されることである。

幸い僕は、時間だけは無限にあるので、乗り間違えようが、行き過ぎようが、そこのプレッシャーだけは皆無だ。

 

なので早速、行く場所をタイの人に見せて、

「ここに行きたいんだけど、

 このバスで合ってるかしら?」

と聞いてみる。

一人目の30歳くらいの男性は、英語がわからないのか、困った顔で、首をかしげた。

 

数人が携帯を覗き込んでくれたが、一人の強そうな40過ぎのおじさんが、「OK!」といってくれた。 おじさんは力強く、

「行く行く!大丈夫だ!このバスだ。

 俺に任せろ!そうだ!安心しろ!

 俺に任せれば、降りる場所も大丈夫だ!」

とかなりの強さで教えてくれた。

僕は嬉しくなり、覚えたての男性語尾で、

「おじさん、コップンカァっプ!」

とお礼を言い、そのままこのバスに乗ることになった。

後ろのドアから入り、皆 そのまま席に座ったので、このバスはきっと

後払いなのだろうと結論付けた。

席は、おじさんと通路を挟んだ隣に座った。

 

おじさんは良い人なのだが、あまりこちらの云う事が伝わらないのか、それとも使命感なのか、かなりの自分のペースで喋る。

 このバスは どこ行きなのか?

などと聞いても、答えは全て、

「大丈夫だ、俺に任せておけ」だった 笑

僕はもう 腹を決め、おじさんに全てを預ける事にして、Googleマップも見るのをやめた。

 

とりあえず、おじさんとなんとなく話す。

おじさんは そこまで英語が喋れないので、タイ語と日本語と英語で

伝わっているのか。 伝わっていないのか?

という会話を延々としていた。

 

「どこからか? コリアンか?」

 

 いえ、日本人です。

 ええと、ジャパン、ジャパン。

 ジャパニーズ!

 

「おおそうか、いつタイに来たんだ?

 だから、、いつ?いつ?タイ??」

 

 一昨日、、ええと、ツーデイ ビフォア

 ツーデイ…、まえ、前に。ふつか前。

 二、ツー?分かる? ツーね。デイ、ツー!

と云う具合に、ほとんどジェスチャーで、会話が進む。

その為、彼と僕は話はしたが、たぶん、お互いの脳内に残っている会話の内容は 全く違う可能性が高い。。 が、それはそれである。

どこの国でも、似たようなやりとりが色々あった僕は、そんな事にはもう慣れ切っていた。

お互いに興味があれば良いので、内容など重要では無いのだ、きっと 笑

 

おじさんと話しているうちに、信号の向こうに何やら巨大なモニュメントらしきものが見えてきた。

(ここら辺じゃ無いのかしら?)

となんとなく思いながらも

おじさんの話は終わらない。

話に夢中なおじさんの肩を、後ろの これまたおじさんがトントン叩いた。

するとおじさんは、ハッと気づき、

 ここだ!ここ!!

 おーい!降りるぞー!

と運転手さんに大きな声で呼びかけた。

 

バスはバス停に一直線に寄り、急停車した。

いきなりの展開に僕は驚いていたが、

「いくらですか?」と運転手に聞くと、

「降りろ降りろ!」という。

困って後ろを見ると、おじさんが、

「フリー、フリー」と連呼してくれていた。

 

なんと!? どうやら信じられない事に、タイのバスは無料らしい。

このバスでは、みんな気軽にひょいひょい乗って来ては、ひょいひょい降りていくので、不思議に思ってはいたのだが、、

「きっと定期か何かを持っているのだろう…」

と、考えていた。

流石に 無料だとは考えもつかなかった。

そんな 人生初の無料路線バスを降りる事にした僕は、

運転手さんにも 「コップンカップ!」

おじさん達にも 「コップンカップ!!」

とお礼を言ってからバスを降りた。

過ぎ去るバスから、おじさんは手を振ってくれていたので、それに答えた。

 

さて、、である。

巨大なモニュメントの 周りを回る車達を見ながら僕は、オンヌットとは、全く違う顔を見せるバンコクを感じていた。

道は4車線で広く、歩道も広い。

何か今までのような街では無い。

 

Googleマップで、現在地と、宿を確認する。

西にバスで移動してきた僕は、どうやらここからは徒歩で北へ向かうと、宿に着くらしい。

 

片掛けにしていたバックパックをゆすり上げ、僕は、北へと歩き出した。

 

途中、日本料理の小さな食堂があった。

メニューを覗いてみるが、値段の割にはあまり美味しくは無さそうだった。

(ここは無いな。。)

と勝手にランク付けしてさらに進む。

途中に結構 不思議なお店が多い。

額に入ったタイ国王の、写真などを全面に売っている小売店が結構あるのだ。

あまり日本では見かけないお店である。

奥では何やら、他の物も売っている。

 タイの国王様は、

 皆に愛されている方なんだなぁ。

と不思議とそう思う光景だった。

 

さらに北上し、大通りから一本入る。

日中なのに、急に人通りがなくなり、ちょっと雰囲気が良くない。

久しぶりに、僕の危険センサーが発動し始めた。

お店などは無い、民家だけの通りだが、ちょっとだけ、スラム感を感じる通りだ。

動かないであろう、パンクした、廃れた車も放置されている。

 

野良犬と、左右に気を配りながら、まっすぐ歩くと、しばらく言ったところに、僕の宿はあった。

ここは、外壁で囲まれた 結構大きな敷地の、大きめの一軒家が 二つほどある造りで、敷地内への入り口は一つだ。

金網の門にキーチェーンの鍵がかけてある。

中に見える共有スペースらしき庭には、日本人らしき人がいっぱいいる。

門の前に立った僕に、その中の一人の男性が、声をかけてくれた。

「今日泊まる人ですか??」

 はい、そうですが。。

「なら、そこの鍵を開けて入ってきたら良いよ

 番号は36079だから。」

番号通りに鍵を合わせると、鍵は開き、僕は門を抜けて、敷地内に入れた。

この時声をかけてくれた気のいい若者が、

「なんちゃん」と呼ばれる日本の旅人で、この後、この宿で 一番一緒にいることになるとは、この時は 全く予想などしていなかった。

 

つづく。

 

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↑ 巨大なモニュメントと大通り。

    このモニュメントをぐるっと車は周る。

 

 

次話

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河岸替えの日と 揺れるこころ

 

第126話

河岸替えの日と 揺れるこころ

 

今日は日本人宿のハシゴの日だ。

なかなかの河岸替えである 笑

 

「宿にあれば、誰かが使うので ^_^ 」

そうオーナーさんに言われたので、

地球の歩き方 東南アジア編」等、日本から持ってきたは良いが、もう使わない、使わなかった物など「勿体ない!」と捨てられなかった物も、宿に寄付し、荷造りを終えた僕は、

一旦荷物を預かってもらい、チェックアウト手続きをして、手ぶらで散歩に出た。

 

隣の市場へ行き、例の25バーツ(82円)のワンプレートの食堂へ行く。

いつも通りなのか、ここは混んでいる。

おばさんが、お椀にライスを入れ、それをお皿の中央にカパッと盛り付け、ご飯を山盛りにし、それを受け取った 違うおばさんが、三品 盛ってくれる。

今日は豪華に5バーツ足し、4品選べる、

30バーツ(100円)のプレートにした。

 

角煮と、野菜炒め、チキン、そしてやっぱりグリーンカレーを反対側にかけてもらう。

アジアに長く居るうちに、僕は カレーを朝から食べる男になっていた。

そんな アジア イチロー朝食に目覚めた僕は、

今朝は 4品の贅沢な モーニング野郎。である。

それでも相場からすると 本当に安い 笑

 

まずは野菜炒めを食べる。

優しい野菜の旨味で、胃に おはよう とご挨拶だ。

次に角煮を食べながらごはんをパクつく。

サイコーの タイラフテー丼である。

少し硬めの角煮にはしっかりとアジアンな味がついており、僕の味蕾を刺激する。

最後に、辛めの手羽チキンから 身をほぐし、グリーンカレーと混ぜて、〆のカレーだ。

トリの辛みと、グリーンカレーのスパイスの旨味が溶け合い、マリアージュする。

 カラカラ、辛うまぁ〜。

 喉もカラカラ〜。でもうまぁ。

それをラストスパートのようにかっこんだ僕は大満足し、そのまま 例のアイスカフェラテを買いに行った。

 

今日は2人体制で、若い従業員の男性が、店頭に立っていた。狭い奥でおばさまが、忙しそうに、飲み物を作っていた。

おばさんに声を掛けると、手を止めて話をしてくれた。

「あら? あんた また来てくれたの?

 また同じのでいいの??」

「うん。ありがとう。セイムセイムね 笑

 今日、オンヌットを出るんだ。」

「あらら、残念だわね。

 でもまた帰っておいでねー」

と暖かい言葉と、冷たいカフェラテを渡してくれた。

 

僕は手を合わせ 頭を軽く下げ、

「コップンカぁっプ」と キチンと男性語尾でお礼を言い、街に出た。

 

僕は 昨日もかなり歩いた。。足もなかなか疲れている。そこで僕が行くのは、昨日見つけた格安マッサージ店である。

マッサージが、1時間150バーツ(500円)の店はどうなのかを確かめに行く事にしたのだ。

例の角を曲がると、格安マッサージ屋である。

 

運良く、昨日のおばさまが、また暇そうに声を掛けてきてくれた。

おばさまに近付いて、

「1時間 150バーツのコース大丈夫?」

と聞くと、明るく。

「OK! ヤスイ、ウマイヨー!」

と日本語で、陽気に奥へ通してくれた。

 

奥では、おばさま達が皆暇そうにしている。

午前中の為、あまり人が来ないのだろうか?

少し心配になるが、まぁ、150バーツである。ダメだったらそれで良い。

 

8人ほど施術出来る作りで、横並びでベッドと、2つほど、リクライニングソファが置いてある。

どうやら、足のマッサージも専門にやっているようだ。

 

全身コースで、150バーツか、もう一度確認し、僕はベッドに横になった。

そして、念のため いつもの様に、腰に不安を抱える僕は、

「ソフトにしてね」とお願いする。

 

おばさまは施術を始めたが、、長年のテクニックなのか、これが人生経験の違いなのか?

とてつもなく上手かった。

「ドウ? オニイサン?」

と艶っぽく耳元で囁かれた僕はつい、

「ウマイヨー!ヤスイヨォ〜!」

と思わずカタコトで唸りながら絶叫していた 笑

 

あっという間に1時間が経ち、

 おいおい延長しちゃうか?おい?

と初めて延長しようかと思ったが、時間内に一通りやってくれたので、またの機会があれば来る事にした。

施術後に、お茶を出してくれたおばさまに、

「サイコー!おジョーズ!コップンカップ!」

言うと、彼女は爆笑していた。

 

それにしても、格安だからと馬鹿にできない。

タイのマッサージの基本レベルは かなり高い様だ。

これからは、わざわざ高い店では無く、安くて良さそうな店しか入らない事に決め、宿に戻った。

宿に戻るとオーナーさん以外誰もいない。

皆、部屋にでもいるのだろうか?

 

今日出る事は、昨日皆に伝えてあるので、お礼を言って出ようとすると、オーナーさんが、下までわざわざ送ってくれた。

悪いので、一応 断ったのだが、

「いや、僕が送りたいだけなので。」

と笑顔で言ってくれたので、下まで話しながら降りた。

 

玄関の前で、握手をして

「東さん!ぜひまた来てくださいねー!

 と云うか、早く戻って来てね 笑」

というオーナーさんに僕も、

「じゃあ! 出来れば明後日には!」

と冗談を返して別れた。

 

彼は僕が角を曲がるまで、本当に素敵な笑顔でずっと手を振ってくれていた。

それを見た時、僕には、不意に込み上げるものがあった。

それは、カンボジアで、ジェイクとの別れ際に感じた感情だったのかもしれない。。

 

僕は角を曲がる前に、思い切り元気に、力一杯手を振って、「また来まーす!!」と とびきり元気に言って、角を曲がった。

 

角を曲がった僕は、この不思議な感情をしばらく味わい。

メガネをずらして、軽く濡れた目を拭いながら、

「そうさ。。本当にここに、

 また来れば良いだけのことじゃないか。」

と呟いた後、まっすぐ前を向いて駅へと歩き出した。

 

 そう。またいつでも戻ってくれば良いのだ。

 「自由」とは そういう事じゃないのか??

と自分に言い聞かせた。

 

その通りである。 そして、

後ろを振り返っている暇がある程、

僕はまだ「旅」をしていないのだから。

 

 前に進むしか無いのだ。

 そうしなければ いつまでも、

 

 僕の旅は終わらないのだから。

 

 

つづく。

 

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↑ 少し疲れた 子猫さん。


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↑ タイの空

     雨季の東南アジアに来たはずなのに

     旅立ちの日は不思議といつも晴れ渡っている

 

 

次話

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タイの女神と 気持ちのいい男たち

 

第125話

タイの女神と 気持ちのいい男たち

 

LINEを送った後、外国にいる僕から すぐに電話がかかってくるとは思わず、

中条は少し驚いていたようだった。

 

だが、アジアにいる僕からの電話に 喜んでくれた彼女に、僕は、

「ワタクシはこれから、どこに向かえば…

 一体 どうしたら良いのでしょうか?」

と、およそ神父様にしか聞かない様な事を、恥も外聞もなく聞いてみた。

まあ、付き合いの長い親友だから言える事である。

 

ノリのいい中条は、全く動ずる事なく、

「んーむ。。はぁぁあー! はい。

 …見えました。 チェンマイに行きなさい。

 余裕があったら チェンライにも行きなさい」

と 僕に道を示して下さった 笑

 

チェンマイとは、タイ 第二の都市で、タイの北部にある。

チェンライは、そこから更に 北東である。

中条が言うには、バンコクもいいが、

まさに「タイ」を感じたいのなら、ここにいった方がいいと、色々な情報も交えて丁寧に教えてくれた。

 

買い物に行くと、タイ人はよく

「セイムセイム」と言うらしい。

このTシャツ、どっちがLサイズ? と聞いても、

「セイム セイム。」(同じ同じ。)

 

お土産屋などで売っている、ナイキ? や、アディダス? を店員に「本物?」と聞くと、

「 Same Same But Different!

   (同じ同じ!だけどちょっと違う。)」

と今度は 謎のセイムセイムになるらしい。。

 

「どっちやねん?!」とツッコみたくなるが

全てを この言葉と、にこやかなタイスマイルで、そのまま押し切ろうとするらしい。

本当に 素晴らしくいい加減な国である 笑

マイペンライ(気にしない)」

という言葉と同じで、よく使われるとの事だった。

 

僕はまだ見ぬ「セイムセイム」に、胸を躍らせていた。

 一度は言われてみたいと 笑

 

僕はこの、道を示してくれた、タイの女神様に感謝しながら、さらに 少し疑問に思っていた事を聞いてみた。

 

なんかさぁ。。

「コップンカー」って、言って、満面の笑顔で、手を合わせてお礼を返すと、タイの人から、ちょっと不思議と言うか、たまに苦笑いされるんだけど…

何か、発音が変なのかな??

それとも、手を合わせ方が変なのかしら??

 

すると中条は爆笑して、

 それ! 女の子の語尾だからだよ!

と教えてくれた。

 

彼女がいうには、

語尾に「カー」をつけると女の子の言葉で、

男性は「カップ」だそうだ。

さらにいうと、あけっぴろげなレディーボーイの方だと「ハー」という感じらしい。

 

つまり、日本で言うと、AKBの可愛い女の子だと、

「コップンカー」であり、

どんだけ〜?!  と盛り上がってる時のIKKOさんだと、

「コップンハー!」 であると。

 

一般的な男性は、

「コップンカップ」だそうだ。

 

つまり僕は、日本人アクセント丸出しのカタコト英語で男らしく話していたのに、

会話の最後に、急に可愛くタイ語

「いやーん! ありがとう💕」

と手を合わせて挨拶していた事になる。。

 

日本に置き換えてみると、さっきまで英語で話していたゴツい男性外人さんが、会話の最後に日本語で、

「アリガトね💕  モエモエきゅん!」とでも言ってる感じだろうか??

 

 …どちらにしても かなりのホラーだ。。

 

 そら、苦笑いするわ😅

 

ここバンコクでは、手を合わせて挨拶をしてくれる人の率が、圧倒的に 女性店員さんに多く、しかも、可愛らしい笑顔の方が多かったので、ついつい嬉しくなってしまう僕には、

「コップンカー」という言い方が、自然と頭に残ってしまっていた。 そのまま、

 「ありがとう」と言うタイ語は、

 「コップンカー」ね、ふむふむ。

と覚えてしまっていたのだ (^_^;)

 

僕はこの語尾に慣れすぎて、もう誤解を生むレベルに 自然 になる前に、このことに気付けた事を、神と彼女に感謝した。

レディーボーイが多いこの国である。このまま「カー、カー」と言っていたら、色々と誤解され、そのうちどこかで、とんでもないトラブルに巻き込まれる可能性だって、ない事も無いだろう。

 …やはり外国にいるのだなぁ。。

と改めて気付かされる。

(どんな気付きだ?  笑)

 

僕は彼女に感謝を述べ、近況を話して電話を切った。久しぶりに、色々と話せてスッキリした。

気の許せる友人の声を聞くと、安心する。

 

 しかし凄いものだ…

と 同時に僕は感心していた。

 

マラッカで、宮下さんと ケルビンさんを繋いだ時も感じた事だが、遠く離れたタイから、日本へ、無料で電話が、気軽に出来る事にだ。

 

まだスマホも、LINEもなかった頃は、海外に旅に行っている友人からは、旅の途中に 彼の寄る、インターネットカフェから、Gmailで 手紙のように、メールが来るだけだったのが、

今は その場で気軽にLINE電話をすると、すぐ日本に繋がる。。しかも音質も かなりクリアだ。

僕は改めて、スマホの万能感と、時代の凄さに驚いていた。

 

その後、駅の周りも色々うろついた僕は、夕方宿に戻った。

共有スペースでは、三上さんは既に一杯やっており、他の二人もまったり過ごしている。

飲み仲間を探していたのか、三上さんは僕を見つけるなり、昨日も行った日本食堂に

「呑みに行きませんか?」

と誘ってくれた。

 

せっかくなので、昨日の詫びもしたいなぁと、宿のオーナーさんも誘ってみる。

オーナーさんも話がしたかったのか、喜んで来てくれた。

 

今日は、昨日と違いゆったりと飲む。

しばらくバカ話をした後、改めて昨日の事を詫びた。

オーナーさんも

「あれは、僕の言い方が悪かったです。」

と言った後、説明してくれた。

 

驚く事に、実はオーナーさんも昔、映画系の学校に通っており、僕のいる業界にいたらしいのだ!

自分にとって「頭がうんぬん」というのは、芸術家に対する、褒め言葉だったと言うのだ。

 

かれの学校では、当時、ヤバい奴だな。。

と思っていた同期の突き詰め方を

「…おかしい」と皆表現していて、そこまで思われる奴が結局、プロになっており、自分と違い、まだ、そうやって突き詰めている僕をみて、素直に「凄いっすねー」と言いたかったのだと。

僕が

「いや、でも絶対誤解されるから、

 その言い方やめた方が…」

と言うと、

「いや、確かにそうなんですよ…

 久しぶりに、そういう業界の人と呑んでて

 嬉しくなっちゃって、酔いすぎたのもあって

 うっかりそういう風に言っちゃったんです…」

としきりに反省していた。

 

「いや、僕も酔いすぎて、

 ちゃんと理由も聞かずに喧嘩ふっかけて

 本当にすみませんでした…

 あれは、僕が悪いです。」

と僕も素直に詫びた。

 

腹を割って話すと、スッキリした。

そして、このオーナーさんの人柄がより解って、僕は彼の事がより大好きになっていた。

 なんか、素直で、本当に素敵な人だなぁ。

と。

 

人と人は結構ぶつかる。

必死だったり、一生懸命だったりすると尚更だ。稽古場でもそういう事が良くある。

最近は皆、ぶつかる事を避ける傾向にあるが、僕の経験では、ぶつかった後、その人と急に分かり合える事があるとも思う。

思い切りぶつかったから、生まれる関係性もあるのだ。

 

まぁ、あまり不用意にやるのは、もちろん良くないが、そんな無骨な昭和の男たちが、ここ、アジアの片隅で邂逅したという事なのだろう。

 

そう格好をつけた結論に至り、僕はその後も彼らと酒を飲んだ。

 

レストランのマスターも、

「お、仲直りしたの? 笑

 お祝いに、一杯奢りますよ。」

と笑いながら、ビールを無料で出してくれた。

 

そして、合流してくれたマスターと4人で、また楽しく酒を呑んだ。

昨日会ったばかりだが、皆、昔からの知り合いのような楽しい酒だった。

 

久しぶりの「日本人漢祭り」は、深夜まで続き。

タイの熱い夜は、穏やかに更けていった。

 

つくづく この出会いに感謝である。

 

つづく

 


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↑ タイでよく売られている

     セイムセイムTシャツ 笑

 

 

 

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