あ、暑い。。 あぁあ。。あつい。。
うーむ。うーん。。 あ、汗が… 止まらない。
僕は部屋が暑すぎてなかなか寝付けなかった。
窓を全開にし、扇風機をかけたがクソ暑い。
早くも「クーラーなしでも良い」
などと言った事を後悔していた。。
そんな僕は、かなり早起きしていた。
遅くにふっと寝れたのだが、結局、朝早くに汗だくで起きたのだ。
(まったく… 宿もなぜ?
わざわざこんな クーラー無しの、
くっそ暑い部屋を作ったんだ?!)
と勝手に憤慨した僕は、
(キャンセル料払っても良いから、
今日も 暑くて寝れなかったら、
明日、前倒しして宿から出よう。)
そう真剣に考えていた。
思えば灼熱のアジアに来てからというもの、クーラー無しの部屋で過ごすのは、初めての経験だった。
そんな僕は、エアーコンディション無しの部屋を舐めていたのだ。
まだ誰もいない一階の共用スペースの横の、シャワー室で水を浴びてから、散歩に出た。
今日は西の方へ歩いて行くことにした。
野良犬のいない方の 細い路地を歩いて行く。
すぐ横に公衆電話があった。
前にも話したが、東南アジアで、公衆電話のある国は珍しい。
使えるか試してみたが、メンテンナンスなど、あまりしていないらしく、流石のタイとはいえ、そこは東南アジアらしく、キチンと壊れていた 笑
宿の周りは、他にもバックパッカー宿が多く、ランドリー屋も多い。
値段も、ドミトリーなら かなり安い。
どうやらカオサンから少し離れたここは、静かな宿に泊まりたい貧乏旅行者が集まる場所らしかった。
カオサンロードや、そこから一本入った所にも、安宿はいっぱいあるらしいが、建物が古く、何より夜遅くまで… いや、下手すると朝までカオサンで大騒ぎする旅人達のせいで、よほど図太い神経でないと眠れない。。
そんな話を、知り合った旅人から聞かされていた。
きっとこの日本人宿周辺は、
「カオサンの喧騒は、寝る時には必要ない!」
という、深夜に静寂を求める旅人たちのニーズに応えて 出来たのでは無いだろうか?
新しい宿も多く、外から見える内装も綺麗で、値段の割には清潔感がある宿が多かった。
そんな通りを歩いて行くと、ドアを開け放している、ガレージのようなカフェの様なお店があった。
洋風モーニングをやっているし、美味しそうなグリーンカレーを置いていた。
値段は少し高く感じたが、まぁ、払っても良い範囲内だ。
お店の人は、ヨーロッパ系の白人さんで、気持ちのいい挨拶をしてくれたので、僕はここで朝食を食べることにした。
話を聞くと、向かいにある宿がやっているレストランで、路地を挟んだ向かいの宿も
「Born Free Hostel」という、かっこいい名前の ホステル宿だ。
まるで、野生のメスライオンでも飼ってそうな宿だ。(←相当マニアックな感想である 笑)
ガラスのドア越しに、かなり綺麗な内装が見えた。
店員に オススメを聞くと、やはりカレーを勧めてくれたので、僕はそのままカレーを頼んでいた。
珍しく、カレーは、カレー専用の容器に別盛りにされて来た。
久しぶりに、上品な食事である 笑
天気も良く、日陰にもなっているので、路地にせり出している、テラス感のある丸テーブルで頂くことにする。朝の街の風を感じながらの最高のモーニングだ。
しばらくすると、向かいの宿から背の高い白人女性が出てきて、僕の横の丸テーブルに座り、モーニングを注文した。
店員と気軽に話している所を見ると、どうやら向かいの宿の宿泊者のようだ。きっと部屋代には、ここでのモーニング代も含まれているのだろう。
隣に座った彼女に軽く会釈し、
「ハロー」と挨拶をし、その後英語で、
「向かいの宿に泊まってるんですか?」
と笑顔で話しかけると、彼女は 僕の顔をじっと見ている。。
(な、なに? なんか変なこと言ったかな?)
とドギマギしていると、目を細めて僕を見ていた彼女はいきなり、
「あなた、日本人?」
と急に 綺麗な日本語で聞いてきた。
「え、ええっ? あの。。
日本語。 喋れるんですね??」
「そうよ! わたしは、日本に10年いました。」
日本語を求めて日本人宿に来た僕だが、なんと! 日本語が喋れる外国人にも会えるとは…
さすがタイである!!(なにがだろう? 笑)
「久しぶりに日本語喋れて、嬉しいわ〜。
本当に久しぶりに私、日本語 喋ってる!
マジで、ウケる〜!」
と大喜びをしながら、グワァーっと、日本語で捲し立てるように、喋りまくる彼女と、お話をすることになった。
意志の強そうな眉をした、顔立ちのハッキリした美人の彼女は、エマという名前で、33歳だという。
かなり一方的に話す 彼女の日本語によると、
彼女はドイツ人なのだが、10年前から 日本で着物の「着付けの仕事」をしていたらしい。
元々 着物が大好きで「着物に関わりたい!」と日本に来て、着付けの学校にも入り、勉強しながらその仕事をずっと続けていたらしい。
話していると、彼女の意思力というか気の強さが伝わってくる。
(かなりはっきりモノを言う人だなぁ。)と。
僕も役者なので、着物での撮影の時がある。
一応、着物は 着方から畳み方まで、老舗劇団の研究所に 通っていたので、一通り出来る。
しかし、撮影レベルで綺麗に着る時は、
「着付け師」の方が来て、流れるように着物を着せてくれる。
着物とは 本来は、着る人に合わせて、オーダーメイドで作られているので、その本人が着るのが、一番綺麗に着れるようになっている。
だが彼らは、知識と、相手の体格に合わせて、オーダーメイドでは無い、局の用意した、ありあわせの着物を綺麗に着せてくれるテクニックの持ち主なのだ。
そして、自分が着るのと違って、人に着物を着せるのは、とても難しい。
そんな、日本人でも難しい技術を、
" 日本で飯の種にしていた " というドイツ人女性が、ここタイにいたのだ。
僕は、俄然興味を持って色々と聞いてみたが、彼女は 迷惑がらずに全部答えてくれる。
久しぶりに日本語が話せて嬉しいようで、マシンガンの様に早い日本語で喋る。
感心する程、凄い語学力である。
エマさんがいうには、当時、着付け界で活躍している外国人は、日本に自分を含めて5人しかいなかったという。
ドイツ人が2人、中国人が1人、オーストラリア人1人、アメリカ人が1人、という感じで、外国人の着付け師には、謎のネットワークがあった様だ。
「私が辞めた理由は ブラック企業だったから!
社長に倒れるまで働かされた。
本当に倒れるまで働かされたのよ!
その後「辞めないで!お願い。。」
とか、急に優しく言われたけど、
こいつもう信用出来ない。そう思って
「クソ社長!フザケンナっ」って、言って!
辞票を叩きつけて辞めたのよ!」
彼女は、ものすごい勢いで 表情豊かに喋る。
あまりに憎々しげ、その社長の事を話すので、何故か同じ日本人として、僕が申し訳ない気持ちになる程だった。
僕は即興演劇もやっている男なので、冗談で、
(こんな感じの人だったの?)と、見たこともないその男社長のモノマネ?をやったところ。
「いや、 ソックリ! やめて!
あいつの事、思い出した。
ホントにヤメロ!あなた!」
とちょっとマジで怒られた。
よほどのトラウマらしい。。
向かいの宿の事も色々と教えてくれた。
向かいのドミトリー宿は、彼女と同じくドイツの人が経営する宿で、綺麗で快適だと言う。
もう2週間泊まっているという。
僕は彼女に気に入られたのか、
「あなた、ここに移ってきたら?
安いし、きっと気にいるわよ?!」
と誘ってくれたが、
せっかく空いた日本人宿に、
まだ数日の予約をしてしまっている
と話すと、鼻で笑われ、
「は! 日本人って何処にいても
本当に日本人だけで、群れるのが好きね。
せっかくタイにいるのに、
本当に気がしれないわ?」
と、かなり辛辣な事を言われた。
だが、ハッキリものを言う彼女に慣れてくると、キツい物言いをされても、不思議とイラっともせず。
「そうかもね… 笑」と聞き流せる様になる。
きっと、正直にモノを言うだけで、嫌味ではなく、悪気は無いというのが、伝わってくる女性だからだろう。
エマさんに今の仕事を聞くと、辞めたのは3ヶ月前で、それからアジアを放浪しているらしい。
再来月、NGOを友人が立ち上げるらしく、そこで働く事が決まっている。
それまでは、まだまだ色々な国を旅すると言っていた。
そんな、僕と同じで、時間が無限にある彼女は、日本語を喋れる話し相手が よっぽど気に入ったのか、4時間以上離してくれなかった…
途中、コーヒーを2杯お代わりした僕だが、終いにはもうビールを呑んでいた 笑
最後にエマさんとLINEを交換した僕は、ようやく本来の目的である、散歩に出れたのだった。
面白い時間だったが、久しぶりにドット疲れた。。
この国に来てから…
いや 量で言うと、日本を出てから、日本語を一番喋った相手が、ドイツ人女性に決定した。
つづく。
↑ バンコクの路地裏
↑ 某撮影にて。
着付け師さんに着せてもらうとこうなる。
次話