第165話
夕陽よ今夜もありがとう
食事は質素ながら美味しく、みんなあっという間に平らげていた。僕もお代わりしたが、大男のベンはご飯を3回もお代わりしていて、さすがだった 笑
食後は皆、思い思いに休憩し始めた。僕はまだ日があるうちに、散歩に出る事にする。
プイさんから再度、街灯などはないので日が落ちる前に必ず帰ってくるよう言われ、念の為に懐中電灯も持参する事にした。皆は宿でひと休みするらしいが、僕は迷わず出かける。
ここでもやはり、夕日を見たかったのだ。
小屋の玄関を出た横には、大きなクーラーボックスがある。そしてその中には、たっぷりの氷で冷やされた、キンキンの飲み物が沢山入っている。きっと自家発電で電気を作れる家があるのだろう。なので少しは電気が使えるのだと思う。
道の途中の売店といい、この村では氷を作る事はそんなに難しくないように感じた。
僕は缶ビールをひとつ中から取り出し、プイさんにアピールした。ここでは、クーラーボックスの中の飲み物は、後精算で良いようだったからだ。
食事の時、ベン達も僕も瓶ビールを頼んだ時、お金は後で良いとプイさんに言われていた。彼女は僕をみて、伝票のかわりにノートに「ビール1缶」と書き込んだようだった。
僕はそれを持って、そそくさと竹の階段を降り、小道を上がってこの村のメインストリート? らしき尾根の小道に出た。
実は小屋にくる途中の、村の中を通ってきた時に、良さげな場所を見つけておいたのだ。
その、木が倒れて天然のベンチになっている開けた場所へと向かう。
途中犬達が何かに吠えていて、ちょっと怖かった。なので慎重に、そろりそろりと気配を消して歩いていく。いたる所で犬の吠え声がする。
怖かったので、かなり気を使った。日本にいる、のほほんとした飼い犬さん達と違い、ここの犬達には野生味をかなり感じる。
昔読んだ浦沢直樹氏の漫画「マスターキートン」では、軍の教官まで務めた事のある主人公の平賀・キートンが
「訓練された犬には、人は素手では絶対に勝てない。」
と言っていた。
浦沢氏が言うのだからそうなのだろう。本当に気をつけなければ。。訓練されて無くても勝てる気がしない。
そんな事を考えながら目的地に着くと、そこは最高のロケーションになっていた。
周りには誰もいない。独り占めの空間である。色々とあった今日だが、夕陽好きの僕には、全てが報われるほどの最高のひと時になりそうだ。
僕は倒木に腰掛け、山の向こうに見える夕陽を見ながら、ゆっくりと缶ビールを飲っていた。
その時ふと、最初の国マレーシアで旅の始めに見た、ランカウイ島の夕陽を思い出した。
あの時は、海に沈んでいく夕陽だった。
夕陽はどこの国に行ってもやはり夕陽だ。
紅く頰を染められながら僕はひとり
「思えば遠くへ来たもんだ…」
そう呟いていていた。
(一体、ここは何処なんだろうか?)
ふとそんな疑問が湧き、おもわず笑ってしまう。
タイのチェンマイの国境付近の山だと言う事は、頭では勿論わかっている。
だが、それが何だと言うのだろう?
それは地名に過ぎない。唯の知識に過ぎない。
そんなものを抜かして考えた時に僕は、ただ山に車で連れて来られ、ただ言われるままに山を歩き、国境付近らしい山の上にいる。
それも、今まで縁もゆかりも無かった国の、来たばかりの街の、さらに奥地の山だという。
連れてこられただけの僕は、知らずに国境など越えていても気づかないだろう。本当にタイかどうかも本当の所はわからない。
「こんなに予防注射打って…
一体何処に行かれるんですか? 笑」
出発前に大量のワクチンを打ってくれた、女医さんの言葉もふと浮かんできた。
「確かに。本当にどこに居るんだろう。」
僕は夕陽を見ながら苦笑していた。
ふと気配を感じ右手を見ると、いつの間にか一匹の犬がぼくの座る倒木の横に寝そべっている。かなりビックリしたが、彼は僕と一瞬目が合うと、同じように前を向き、一緒に夕陽を見ている。どうやら僕の晩酌に付き合ってくれる気らしい。
犬が苦手な僕も、流石に大人しい犬を見ると安心するし、可愛くも感じる。
この「犬」という生物の、怖さと可愛さの
ギャップはなんなのだろう…?
そう異国で一人、人類の相棒と呼ばれる「犬」について、酒を片手に考えていた。
大人しくしているイッヌは、困ったようなタレ目顔で、ただ隣にいてくれる。不思議な愛おしさを感じるが、幼少期に指を噛まれたことがある僕は、やはりどこか心は許せない。だけど不思議と愛嬌が愛おしい。。
イッヌ… こいつは難しい問題だ。。
僕は苦笑いをしながら、ビールをちびちびと飲んでいた。
日本にいたらこんなに身近に放し飼いの犬もいないし、こんなに犬に対しても対処を考えたり、この生物と触れ合い、考える機会もなかったであろう。。僕はこの犬という生物についても、少し心を許せるようになってきている自分に気付いていた。
きっとタイがそんな気持ちにさせてくれるのだろう。本当に不思議な国である。日本とは明らかに違う。
" 寛容 " と言う大事な言葉を いつしか
日本は失ってしまったのではないだろうか?
僕はこの国に来て、改めてそう考えていた。
タイに限らず、タイがマイペンライすぎるだけで、ここ東南アジア各国では人を許し、特に
「受け入れる。笑って済ませる」
という空気感がある。
明らかに日本とは違う空気を感じる。確かに、いい加減な事やモノがいっぱいあるが、それゆえに、人やモノに寛容で優しい。
逆に言えば、日本がいかにきっちりし過ぎているかが思い知らされる。
" 固くて 堅く 頑なに 硬い国 "
旅の途中、日本について、思わずそんな印象を持ってしまう時もある。いつから日本は、そんな固茹で卵になってしまったのだろうか?
(逆に一皮剥けば、日本人は皆柔らかいのに…)
もちろん日本に生まれて良かったと思っているし、僕は日本が大好きである。だからそれゆえに、日本について色々と考える事が多くなっていた。
江戸時代にあった聞く、柔らかな気性は
一体どこに行ってしまったのだろうか?
そう思ってしまう。
現在の日本の「寛容の無さ」がいかに異常かを考えさせられる。
(きっと、社会の中で一人一人に
求められる能力が高過ぎて、そのせいで、
一日にやる事が… やらなければいけない事が
多過ぎるのだろう。。忙し過ぎるのだろう)
ひとつ、そういう結論に辿り着いていた。
携帯やネットが発達した事で、より一日にこなせる仕事や、作業が増え、それをこなせるのが当たり前という空気があるように思う。そのせいで、物理的にも、心にも、より余裕を無くさせているのだと思う。
便利になった事で、より一日の作業量が増えて、逆に忙しくなっているのが、今の日本をより余裕の無い社会にしている気がする。
日本では、コンビニのバイトをしている外国の方ですら、恐ろしい仕事量と、覚える事、接客などの高い能力を求められる。それらを完璧に出来ないと「なんで出来ないの?」と思われる。
これを今では「異常な事」であると感じる。
だって 彼はただのアルバイトですよ。。
と言いたくなる。
色々とアジアを周りながら、人と触れ合いながら僕は、
「毎日、時間通りに仕事に来る事だけで、
充分すごい事で、キチンと仕事出来ている」
という考えになっていた。
この考えが自分にどう作用するのかは、きっと日本に帰った時に分かるのだろう。この考えが僕を成長させ、日本での暮らしを楽にさせるのか?
それとも日本の社会に「舐めるな!」とばかりに、痛いしっぺ返しを喰らうのか?
楽しみではあるが、東南アジアに染まってきている自分が気に入ってきている僕は、
(駄目だったら、アジアで暮らせばいいや…)
といういい加減な不思議な結論に至っていた。
隣にいた犬は、そんな事を考えている僕を不思議そうに見つめている。そんな彼に
「マイペンライだよね。
帰ってから考えれば良い事だよねぇ。」
そう話しかけると彼は、 そのとおり と言わんばかりに頭を垂れた。その後彼はゆっくり立ち上がり、村へと歩き出した。
僕も彼に習い、宿に帰る為に夕闇が迫る道を歩き出した。
僕が夕陽を好きなのは、落ち着いて色々な事を、夕陽の美しさを感じながらポジティブに考えられるからである。
夕陽よ 今夜も有難う。イッヌにも。
続く
↑ 電気はなくとも 楽しい我が家 (^^)
↑ 周りに電灯が無いので本当に綺麗な夕日だ
↑ 夕陽と僕。通りかかった村の人が親切に写真を撮ってくれた。
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