猫好き俳優 東正実の またたび☆

俳優 東正実の東南アジア旅

坂を降る時

 

第154話

坂を降る時

 

永遠に続くかと思われた奈落の様な下り坂も、ようやく終わりのようだった。。

 

行きに見たサファリパークのような動物園の入り口が見えてきたからだ。

ここをもう少し降れば、そこは街である。

 

そこから50メートル程緩い坂を降ると、左手にカフェらしきお店があった。

個人経営なのか、かなり古いコンクリートで、看板だけ新しい。

とりあえず僕は水分を求めてそこに滑り込んだ。

 

中は意外とオシャレで、スムージーなども置いてあるカフェで、女性客が多い。

店員さんも若い女性だった。

とにかく水分の欲しい僕は、フルーツジュースを頼んだ。併せてミルクも頼む。

これは僕の、牛乳好きの人生経験から来ていて、実感として

 熱中症予防には牛乳!

という僕なりの牛乳信仰から来ているのだ!

 

まるで、砂漠のオアシスを見つけた旅人のやうに、僕はガブガブとその場でシェイクしてくれるフルーツジュースを飲み、続けて牛乳を一気飲みした。

「ふぅうう。。あぁ、。生き返る。。

 あ、ミルクお代わりお願いします」

なんと! 僕の身体はまだまだ牛乳を欲していたのだ!!

 

店員さんはあまりの僕の勢いと、牛乳をお代わりする客は見たことがないのか?

「あー、えっ?  またミルク?

 ホントに… アイスミルクで良いのよね?」

と怪訝そうに注文を取ってくれた。

 

おかわりの牛乳をチビチビと飲みながら、僕はようやく回り始めた頭で考えた。

(しかし… とんでもない長さの坂だった。。

 もし、次に行くならロードバイクだな。)

だがよく考えたら、ロードバイク型自転車は、クロスバイクよりレンタル料が結構高かった。

それに僕は、日本でもロードバイクにはほとんど乗った事が無い。

それで外国の道路を走る事はちょっと怖かった。

 

 一体、どうしたもんだろう??

 

そんなことを考えながら僕はボーッと店内から外を眺めていた。

身体が落ち着くまで、なんだかんだで30分以上、クーラーで涼んでから僕はお店を出た。

 

再び自転車に乗ると、身体はかなり疲れていたが、平地のためスイスイ進む。

「あぁー♪ 平地♪  ヘイチィー♪ しあわせ〜♪」

と僕は即興の歌を、鼻歌まじりに歌っていた。

はたから見ると、かなりやばい奴だが、まぁ、熱中症で死ななかったので良しとしよう 笑

 

少し走ると、左手に大きな屋台村というか、食のバザールとでもいうべき巨大なフードパークのようなものが出現した。

僕は吸い込まれるように、この素敵なお祭りのような場所へ入っていた。

(ふむふむ。。次は食事で塩分を摂取ナリ。)

そう思った僕は、自転車を例の如く、頑丈そうな道路標識に、グルグル巻きにワイヤーキーでくくりつけ会場へと入る。

 

入り口付近には、しっかりとした作りのお店が数件あり、広い客席も大賑わいだ。

正面の店は一番大きく、バーベキュー屋のようである。

右手にはこれまた大きな、個人経営のハンバーガー屋で、お酒も楽しめる大店である。

 

お店横の通路の両脇にも、小さなお店がいっぱいあり、お土産屋などの露店もあった。

さらに通路を抜けると、また広い空間に出て、正面にはぎっしりと、フードコートのように、美味しそうなお店が並んでいる。

 

僕はそれらのお店を一通り周って見たが、観光客向けの価格設定でもあるのか、意外と安くは無かった。

その大通りにもなっている客席エリアを抜けていくと、その先に、駐車場があり、そこには地元の屋台らしき店がいっぱい出ていた。

 

大きな鉄鍋に油を入れ、揚げ物を出している店や、ガパオライスや、カオマンガイのお店もある。

そして値段を見てみると、地元価格である!

 

自分へのご褒美に、ここでゆったりとビールで、ご飯を食べたかったが、酒に酔って自転車で、夜の大通りを行くのはかなり怖かった。

やはり夜は、圧倒的に自転車だと危険だと思っていた。

日本ほど街灯は無いし、何より歩道も凸凹している所が多いので、もし暗がりで気付かずにそれらに乗り上げたら大怪我に繋がるだろう。

とにかく僕は、まだ夕方の明るいうちに自転車を返したかった。

 

少し寂しい気持ちで、お店を回っていると、ふと日本語のノボリを見つけた。

そこには「たこ焼き」と書いてあった。

お店を見ると陽気なタイのおばさまが、元気にたこ焼きを焼いていた。

ひょいと覗いてみると、おばさんが挨拶してくれた。

試しに日本語で話しかけてみると、片言だが、日本語が通じた。

嬉しくなって話していると彼女も楽しそうだ。

 

聞くと日本にしばらく居たことがあるそうで、少し日本語が喋れるらしい。

たこ焼きを焼いているので、大阪なのかと思ったが、なぜか名古屋にいたらしい…

だが、名古屋でたこ焼きに出会い

「これだ!!」と思い、チェンマイに戻った後、屋台を始めたそうだ。

そんな不思議なたこ焼き屋さんだが、見た目は美味しそうである。

 

実は僕は、たこ焼きにはけっこううるさい。

何故なら子供の頃から、夏休みにいつも行く、タコ焼きの本場大阪で、おやつ代わりにたこ焼きを食べていたからだ。

 

 よし、試しに買って見よう!

 

僕はそう思い、陽気なおばさんに日本語で

「ヒトツ クダサイナ!」と、何故か僕もカタコトでお願いし、とりあえず、一舟買って見ることにした。

美味しそうなたこ焼きを見て涎が出てきたからだ。

慣れたピック捌きでおばさまは、すぐにたこ焼きを一舟用意してくれた。

値段も200円しない。

マヨネーズや、青のりをかけて、綺麗に盛り付けてくれたたこ焼きを、僕はベンチで早速頂く事にした。

(そういえば日本食を食べるのも久しぶりだ)

そんな事に気づきながら僕はさっそくそれにパクついた!

 

 う、う、ウマァ。。 の前に

 あふあふ、、アッつぅううう!! 

 

ハフハフと僕は、口の中のたこ焼きを、冷やしながら味わった。

 美味い! マジでうまい!!

さすがにタイ人の作るたこ焼きであるので、本場の大阪とまではいかないが。。

(というか、名古屋発のたこ焼きだが… 笑)

大満足出来る美味しさである!!

 

タイでこんなレベルのたこ焼きを食べれた事に、僕は大喜びして、

「おばさん美味しいです! コップンカップ!」

と感想を伝えると、おばさんは大喜びしてくれた。

 

そして、せっかく出会ったたこ焼きを、まだまだ食べたくなった僕は、持ち帰りでもう一舟頼み、おばさんと握手をして、この巨大フードテーマパークを後にした。

 

自転車に戻ると、周りはすっかり夕暮れになっていた。ちょっと焦って自転車を漕いでいくと、暗くなる前になんとか旧市街へと戻って来れた。

 

自転車を返してから、コンビニに寄りビールを買い、宿に帰る。

帰り道、行きつけのグランマの店の前を通ったが、声をかけられない様に身を縮めて通る。

僕は温かいうちに、たこ焼きをビールで呑りたかったのだ。

 

宿に戻り、いつものように一杯やっていると、同部屋のベンと、アランがやってきた。

彼らは僕のたこ焼きを見ると、興味津々だった。

「一つ食べる?」と聞くと彼らは喜び、

食べた彼らは「オーマイガー!」と大喜びして、売ってる場所を聞いてきた。

Googleマップで場所を教えてやると彼らは、

「絶対明日行く!!」と親指を立ててきた。

 

そして、彼らは僕を誘ってきた。

「ヘイ マサミ、一緒に新市街の、

 女性のお店にいかないか?」

元気いっぱいの彼らに、今日すでに、一度死にかけた僕はそんな元気はなく、、

「アイム ベリベリータイヤード。

 たこ焼きを食べたらすぐ寝ます。。」

と断ると、彼らは肩をすくめ、

「オーマイガ  グッナイ マサミ。」

と肩をすくめて、僕を残し宿を出て行った。

「全くアメリカ人っで奴は元気だぜ…?」

と呟き僕はビールも程々に、シャワーを浴びた後、死んだようにベッドで眠ってしまった。

 

その日僕が見た夢は、永遠に大穴を落ち続ける地獄「奈落地獄」の夢だった事をここに記しておく。

 

つづく。


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↑ 気合充分の僕

 

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↑ テイクアウトしたタコ焼き。

     ビールにぴったり!

 

 

次話

azumamasami.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

いろはにほへとちりぬるを坂

 

第153話

いろはにほへとちりぬるを坂

 

タイ在住の日本人と別れた後、僕は仮眠をしに宿に戻ってきた。

 

自転車を盗まれない様に、玄関近くの、頑丈な柱に括り付け、シャワーを浴びてから、自分のベッドに潜り込んだ。

そして、3時間ほど寝て起きた僕は、だいぶスッキリしていた。

少しだけお酒は残っている気はするが、坂に着く前の平地を走っている間にでも、汗と共に完全に抜けるだろう。

 

そう思った僕は早速、宿から北西方面に自転車を漕ぎ出した。

大通りまで北へと10分程に走り、お堀を越え、さらに北西へと15分程へと走ると、ドイステープ寺院へと続く坂の、入り口らしきところに着いた。

ここにはなぜかサファリパークを彷彿とさせる動物園があり、入り口からは観光客を乗せた大型バスが入って行った。

(結構面白そうだが、今日は寺だな)

と思いながら、坂を登り始めた。

 

えっちらおっちらと、急になったり緩やかになったりする上り坂を、登り始めた。

ここは、クネリクネリと曲がりながらの、

日光の「いろは坂」を巨大にした感じの坂だった。

自転車をママチャリではなく、クロスバイクにしておいて正解であった。

とてもじゃ無いが、車体の重い、変速の付いていないママチャリではすぐにダウンするだろう。

太陽の照りつける中、ひたすら登る。

日陰などはなく、灼熱のアスファルトの上をひたすらに漕いでいく。。

10分登る。。20分登る。。

 30分登る。。さらに登り続ける。。

 

 ぜぇぜえ。。はあっ! はぁ。。はあっ!!

 ハァハァ。。ング。、ハァ〜、はぁ。

 

とんでもない長さの坂である。

漕げども漕げども永遠に坂である。

途中たまにくる車が、すごいスピードで後ろから僕を追い抜かして行く。

 

僕の他にも自転車で坂に挑戦している猛者たちもいたが、皆、競技用のロードバイクであった。

僕の様に、クロスバイク(ちょっと良い自転車)で登ってくる馬鹿者は一人も見当たらなかった。

 

僕は大量の汗が出て、脱水寸前になっていた。

実はドリンクホルダーに入れておいた、500mlのペットボトルの水はすでに飲み切ってしまっていた。

途中にお店くらいあるだろうと思っていたが甘かった。。民家すらない。自販機もどこにも見当たらない。

 

途中で景色を見るためなのか、木のベンチが置いてあり、休憩できる一角があったので、そこに逃げ込んだ。有難いことに屋根があり、日陰がある。

汗だくのTシャツを脱いで絞ると、桜木花道がシュート練習してたのか? と言う程の汗がドボドボと滴り落ちて、水溜りが出来た。。

 

これだけ汗をかいても、まだまだ汗が吹き上がってくる。とてもじゃ無いが、水分補給が出来なければ、熱中症になって倒れること必至である。事実、僕の喉はカラカラだし、体は熱を持って全く落ち着かない。

 

(うーん。。このままいくと死ぬな。

 俺の人生の体感的に。。うへへへ。。)

 

僕の頭は熱中症寸前で、ぼぉ〜っとし、

ありし日の、20代で初体験した熱中症体験の日へと、タイムスリップしていた。。

まだ大学生で、とりあえずお金を稼ごうと派遣のバイトをしていた時の、死にかけた経験を思い出していた。

 

20代前半の僕は、安く人をこき使う

「やばい!」と言われていた派遣会社

(名前は出せないが…)

アルバイト達から「バッドウィル👎」という通称で呼ばれていた、当時CMもしていた、有名な派遣会社に登録した。

 

ここは、激アツの会社で、まず金髪で、ぼろぼろのデニムのハーフパンツを履いた、両耳ピアスの、眉の薄すぎるお兄ちゃんが、面接をしてくれた。

この支店の、営業所の所長だという。

 

彼は一方的に話を聞き、

「アッヅマーさんは、あれっすね?

 パワー系っすね? いかちーすね。

 わぁ〜かりました〜。」

とパソコンに色々と打ち込み、

「あ、これ、着ないと働けないんで、

 どれか必ず買ってくださいね〜」

と社名の入った、信じられないくらいダサいトレーナーか、Tシャツを買う様に勧めてくれた。

(すぐお金が欲しいから派遣登録したのに、

 早速何かを買わされて出費させられるとは…)

と当時ウブな僕は、

(社会とはこう言うものなんだろう…)

と一番安い500円のTシャツを買った。

(トレーナーは700円だった)

「あ〜、ありがとうございます!

 これでアッヅマーさん、

 明日から仲間っすね!!

 あ、うち身だしなみうるさいんで、

 Gパンは禁止なんで、現場行くとき〜

 チノとかでお願いしますね、これマジっす」

と、上記の金髪ピアス、ハーフGパンの、

ツッコミどころ満載の若いニイチャンに言われた僕は、すでに嫌な予感がしていた。。

 

翌日、僕は気がつくと、大黒埠頭に送られていた。。

「6時半、〜駅集合なんでぇ!ヤバいすよ!

 普通の現場だと現地集合が8時なんすけど

 アッヅマーさんには早く行って貰うんで、

 早朝手当つけちゃいますんで!500円も!

 今日はマジ稼いじゃってくださいね。」

と言われて、駅に集合すると、西成のあいりん地区の、日雇い労務者を乗せにきた様なおっちゃん達がいて、

欲しい人数をワゴン車に乗せて、出発していくシステムだった。

 

早朝手当? がついているとはいえ、昼飯代も出ないし、〜駅までは自腹で行くという甘酸っさだった。

朝 6:30集合で、現地で8〜17時まで働いて、早朝手当込みで、新人は日当8500円!

謎の保険料200円が引かれ、昼飯を食って、飲み物を買って、自腹で交通費を出すと、手元には6800円くらいしか残らないと言う。

マルクスが怒り出しそうな「搾取されっ子」っぷりである。

 

それでも仕事はしなければならない。

何もしなければ、何も入ってこないのだ。

幸い、僕の乗っているワゴンに同乗しているおっちゃん達は、良い人そうだったが。。

このワゴンには3人のおっちゃんがいるが、あいにく派遣は僕だけだった。完全にアウェイだ。

着いた先は、おっちゃん達の会社らしく、真面目に派遣会社で買ったTシャツを着ようとした僕に、何故か関西弁のおっちゃんが、

「いやいや、そんなん着んといてや。

 派遣ってバレるやん?」

と僕をたしなめ、変な匂いのする会社のツナギを渡してくれ、ヘルメットを渡してくれた。

「兄ちゃん、それ、鉄板入っとる?」

と僕のスニーカーを指差して聞いてきた。

「いや、入ってないです。。」

「そうかぁ。。派遣会社に言われてへんかぁ…

 まぁ、ホンマは安全靴なんやけど。

 ま、今日はアレやし大丈夫やろ。

 にいちゃん知らん人の靴履くの嫌やろ?

 水虫 感染るかもしれんし。」

と言われた僕は、激しく頷いていた。

 

何が何だかわからないが、とりあえずこのおっちゃんは味方の様なので、とりあえず言うことは全て聞くことにした。

 

やがて連れて行かれた場所は、日本で最大手の1つの、運送会社の小さめの倉庫だった。

おっちゃんは会社から持ってきた麦茶入りの大きなサーバーの様な樽を倉庫の端に置き、仕事の説明をしてくれた。

 

今日は目の前にある大きなコンテナの中から、ひたすら車のタイヤを、大手の運送会社の社員さんが操る、フォークリフトのパレットに積んでいくと言う作業らしい。

真夏の為、コンテナ内は軽く40度越えするらしく、一番キツい奥の作業は自分らがするので、少しでも風のくる、出口付近を担当して欲しいとの事。

熱中症で危ないので、少しでもヤバいと感じたら、すぐに言って休んで欲しい。

麦茶は気にせず、いくらでも飲んでいいから。

と言う事だった。

 

ふと見ると、この倉庫には張り紙があり、

「気をつけて!!熱中症!!」と書かれた下には、

昨年の熱中症死亡者数が、時間帯別に張り出してあり、14時が一番多く、その時間に十数人の方が、去年亡くなっているとの怖い情報が書いてあった。。

 

最後におっちゃんが小声でしてくれた注意がこれまた怖かった。

「あのパレット持ってくる〇〇運輸の

 あのおっさんいるやろ? あいつや。

 あいつ、人がおるのに関係なしにフォーク

 突っ込ませてくるから、気いつけてな。

 油断しとると、ホンマにコロサレルで…

 みんな、アイツ頭おかしいゆうとんのや。」

 

一体僕は、これからどんなところで働くのだろう??

まだ大学生の僕には「社会」はまだ早すぎたのではないだろうか??

 

そんな事を考えながら、僕は必死に働いた。

おっちゃんはとても良い人たちで、こまめに休憩を取ってくれ、その度に麦茶を、樽に一つしかないプラスチックのコップで勧めてくれ、僕が熱中症にならならない様に、何杯でも冷たい麦茶を飲ませてくれた。

今日あったばかりのおっちゃん達と、一つの同じコップで「間接キス」だったが、もう命より大事なものが無い僕には、何も気にならなかった 笑

 

昼食は、唯一ある食堂に連れて行ってくれた。

休憩中に仲良くなった、唯一の外国人のパクさんが、隣から、僕のハンバーグ定食(意外と高くて680円^^;)のライスにいきなり、テーブルの食塩を振りかけてきた。

「な、なにするの? パクさん!」

とびっくりした僕が責めると、彼は冷静に

「アノネ。。 アヅマサン、アツいから

 塩舐めナイト、死ぬヨォー!」

と満面の優しい笑顔で言ってくれた。。

 

そんなこんなで、この珍バイトもやがて16:30を迎えていた。

おっちゃんに言われた通りの、大手社員の殺人フォークリフトを躱しながらタイヤを積み続けていた僕だったが、パレットにひと山タイヤを積み上げ終わった時、急に視界が狭くなった。

 

(あ、あれ?? ナンカキモチワルイ…)

 

僕にはハッキリと解った。

このまま無理をすると倒れるか、下手すると死ぬ事が。。

頭の中に、倉庫の張り紙が浮かんできた。。

(あれ? 16時は去年

 何人死んだんだっけ…)

そう思いながら、気力を振り絞り、奥のおっちゃんに「ヤバいかもしれないっす。。」と伝えた。

おっちゃんは、僕の顔を見るなり、休ませてくれ、

「もう終わりやから、もうええよ。

 今日は本当によう頑張ってくれたし、

 帰ってくれてええから、大丈夫やで。」

と僕を帰してくれた。

 

あの時、あの優しいおっちゃんが、サっと僕を休ませてくれ、帰してくれたから、僕は今ここに生きているのだ。。

 

その後、すぐやめたやばい派遣会社よりも、あのおっちゃんの優しさが記憶に一番残っているバイト体験であった。

僕は少しずつ現代に戻ってきていた。

(今、無理してこのまま登って、

 万が一があったら、あの時のおっちゃんにも

 申し訳がない… 撤退も視野に入れるべきだ)

そう思った僕は、Googleマップで、現在位置と寺までの残りの距離を調べてみることにした。

 

ダウンロードしておいたマップで、驚愕の事実が判明した。

僕はまだ2/3程しか登っていなかったのだ。

まだたっぷり1/3以上ある。。僕は心が折れた。

(もう無理だ。

 ここで勇気ある撤退をしなかったら、

 降りる事すら難しくなる。。)

僕は、ありし日のおっちゃんに勇気を貰い、本当に勇気ある撤退をする事に決めた。

 

そして、いざ坂を降り始めるとこれまた長い。。

(本当にこんな距離を登って来たのか??)

と思う程永遠に降る。

風が涼しいので、最高に気持ちいいが、僕は永遠に降っていく様な。。奈落地獄の様な恐怖を感じながら、この恐ろしく長い坂を降っていた。

 

いろは坂」を遥かに超えたスケールのこの坂。「いろは坂」の数倍の距離も鑑みて僕は、勝手に仮名を足して、この坂を

 

「いろはにほへとちりぬるを坂」

 

と名付けることにした。

 

 

つづく。

 

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↑ 宿からドイステープまでの道のり

 (分かりにくいがかなり遠い。。)


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↑ 自転車を装備した

     カンボジアウォーターマン

 

 

次話

azumamasami.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイに住む日本人

 

第152話

タイに住む日本人

 

相変わらずの、高額なデポジット料金は人質に取られるが、自転車自体は一日借りても、ここチェンマイは大した値段ではなかった。

 

ママチャリよりかなり良い、クロスバイクを借りる事にした。

自転車を装備した僕は、街を散策していた。

新市街のほうまで行ってみようと、軽快に漕ぎ出した。

やはりいい自転車は、全然推進力と楽さが違う。

僕は鼻歌交じりでそんなに混んでいない道を気持ちよく走っていた。

 

新市街に着くと、鎌倉の小町通りの様に、左右に小さな商店が並んでいる通りがあった。

自転車から降りて、徒歩で回ってみる。

お土産の衣料品店や、パワーストーンのお店などがひしめき合っている。

 

衣料品店では、雑多に色々と服とサンダルを売っていた。

パワーストーン屋さんでは、色々と話が聞けた。バンコクで出会った、宝石商のインド人が暗躍している様に、ここタイは、宝石や、パワーストーンなどの、天然石の名産地らしいのだ。

この店で扱っているものも、店主自身がタイ各地で集めてきたものだと、占い師の様な雰囲気の、ふくよかな40代の女性店主が、丁寧に説明してくれた。

彼女に僕の腕の守り石を見せると、

「この石には力があるから、

 旅の間、大事にしなさい。」

とアドバイスをしてくれた。

 

そして、この健全な通りに似つかわしく無いお店もある。

ここチェンマイにも、怪しいお店はちゃんとあるらしい。

お店の外のベンチで5人ほどがセクシーな格好をして、目が合うと可愛らしく手を振ってくる。。楽しそうだが、ちと怖い 笑

僕は手をふり返して、笑顔でスルーした。

すると彼女らは、

「アイツ手を振ったのにスルーしたわ!

 日本人(皆スケベ)に見えるのに!」

といわんばかりに爆笑していた。

 

チェンマイは色々とのんびりしていて楽しそうである。さらに歩くと、市場の様な、屋根付きの吹き抜けの大きな一角にでた。

 

覗いてみると、どうやらここは平屋建ての中に、色々な「夜のお店」が密集している場所の様だ。

まだ戦闘態勢に入っていない、化粧をしていないレディーボーイの方々が、開店準備をしている。

チェンマイクオリティなのか… かなり強そうな。。何というか、あまりバンコクでは見なかった迫力のある方達が多かった。

きっとどの国でも、大都会に行くと、皆洗練されていくのだろう。

 

通りにある、こじんりとしたお洒落な服屋に入ると、色々なTシャツを売っていた。

そして、僕はなんと!

「セイムセイムTシャツ」を見つけてしまった。

胸の真ん中に燦然と「SAME SAME」とかいてある。

僕の持っている「カンボジア ウォーター」Tシャツに匹敵するダサさだ!!

バンコクで中条に教えてもらっていた、

マイペンライ」に匹敵する。

いい加減なタイ英語

「セイムセイム」である!!

 

僕が感動してしばらくそのTシャツたちを眺めていると、小さなレジに座っていた若いヒップホップ系の格好をした、タイ人店主が話しかけてきた。

「どうですか?これ? 人気なんですよ」

にこやかに聞いてくる彼に僕は、心が沸き立つのを感じた。

 

そして(今しかない!!)と思い、満を辞して彼に聞いてみた。

「こ、このTシャツですけど…

 これ、Mサイズですか? 

 あ、あっちは Lですか?」

 

「セイムセイム!(おなじ 同じ!)」

 

と言ってもらえるはずだった。。

 

 

だが返ってきたのは、

「ああ、あちらがLLで、こっちはMっすね。」

と言う、全く期待外れな答えだった。

 

 ………話が違うぞ、中条。。

 

僕は急にしゅんとなって、そのTシャツをながめて、

「あぁ、、そうなんですかぁ。。」

と頷いていた。そのあまりの落ち込み様に、彼は気にして、「え… どうしました…?」と聞いてきた。

「あ、いや… せ、セイムセイムって、、

 言わないんですね。。」

と言うと、「ああ!」と言ってから彼は笑いながら説明してくれた。

 

彼に話を聞くと、市場とか、個人経営でTシャツを雑多に平積みしてる様な店舗では、そう言うことも多々あるらしいが、きちんとしたお店では、流石に「セイムセイム」は言わないらしい。

「いや、一応ちゃんとサイズを

 お客様に伝えないと…」

と言われて、当たり前のことを言っているのは彼の方だと深く納得した。

 

そして、せっかくこのTシャツ売るんだったら、このTシャツの事を聞かれた時だけ、

「セイムセイム」を発動したらどうか?

と提案した所、彼は爆笑し「たしかに!」と頷いてくれた。

その後打ち解けた僕らは、少し世間話をした。

 

そして別れ際に、最後に僕が、

「このTシャツ、僕が着るなら

 赤が似合う? それともグレー?」

聞くと彼がすかさず、

「セイムセイム!」

言ってくれたとか、言わなかったとか。

 

そんな僕はさらに新市街を進んでいく。

平家の、色々なお店の入っているマーケットなども冷やかし、色々回る。

バンコクほど賑わってはいないが、チェンマイらしさと言うか、何か味わいがある所ばかりだ。

 

さらにそこを抜けてしばらく何も考えずに走っていくと、小道に出て、そこに日本語のお店を見つけた。

よく見ると小さなオフィスで、日本語でツアーを組んでくれるツアー会社だった。

表には椅子と丸テーブルが置いてあり、日本人らしきおじさん二人がお茶をしていた。

自転車を止めてお店に近付くと、おじさん達が話しかけてきてくれた。

 

一人は、どこかの小さな会社の係長といった感じの気の良さそうな白髪のおじさんで、もう一人は、ちょいワル親父という感じのファッションで、長渕剛さんを好きそうな感じのおっちゃんだった。

話を聞くと、係長ぽい方がこのツアー会社の社長さんで、ヤンチャそうなおっちゃんは近くに住んでいて、よくお茶しに来てる。と言う事だった。

ヤンチャのおっちゃんは、大阪の人で、やっさんといい、関西弁に親近感を感じる僕と、自然と仲良くなった。

彼にご飯を食べに行こうと誘われた。

安くていいお店があるらしい。

 

そこはツアー会社から、三軒となりの地元の安食堂で、やっさんは常連らしく、店主と挨拶していた。メニューはお任せすると言うと、僕の分も注文してくれた。

「骨つきの焼き鳥と、ライスのセットが

 安くて美味しんですわ!

 きっと東さん、びっくりしはりますよ!」

と相変わらずの関西弁であるが、期待大である。大阪人の食に対する感覚の鋭さは、僕も子供の頃からよく知っている 笑

 

運ばれて来た鳥は炭で焼かれた照り焼き風なチキンで、細身だが三本きた。

ライスは餅米で、これまた鳥との相性抜群だ!

 

そしてその前に、僕らはビールで乾杯していた。僕が酒飲みだと言うと、やっさんは大喜びで、

「ほな飲みましょか!」

昼からビールとなった。

お互いのグラスに、瓶ビールでお酌をしながらの日本スタイルだ 笑

 

やっさんは、若く見えるが68歳だと言う。

60で仕事を退職し、今は年金暮らしだという。

そして、ルームシェアをしているらしい。

ここチェンマイは、一軒家でも、1ヶ月の家賃は4万位だが、友達の年上の日本人と一緒に住んでいるので、家賃は折半していて、二万円だそうだ。

年金暮らしになる少し前に、タイに移り住んで、もう7年になると言う。

一緒に住んでいる年上の友人は、一昨年大病を患い、その後回復されたが、何となく、それ以来関係がうまくいかなくなり、喧嘩がふえ、最近は口を聞かないらしい。

 

そんな不思議な関係を、彼は包み隠さず色々と話してくれた。

きっと、同居人と話さなくなり、あまり人と話す機会がない様だ。

まるで熱に浮かされた様に彼は、関西弁で色んなことを矢継ぎ早に話してくれた。

ベトナムハノイで、上田に「聞き上手認定」されていた僕もまた、彼の話を、うんうんと聞いていた。

 

僕は、そんな、色々な事情を陽気に話してくれる彼から、何か一種の寂しさを感じていた。。

「物価の低い外国で 悠々自適の 楽しい生活」

そんな夢の様な謳い文句のすぐ側にある、何か深い悲しみというか、淋しさを何となく感じていたのだ。

 

彼と一通り飲んで会計となったが、彼はキッチリと会計を分けて、ビールも本数で値段を割っていた。

僕は別に人それぞれなので、普段会計の際にどういった形になろうと、相手に合わせるだけなのだが…  

昨日の金井さんの粋な計らいもあったせいだろうか…?

 

僕は彼の行動を少し、意地汚く感じてしまっていた。 そして… そんな自分も嫌だった。

それは別に、彼の行動そのものというよりは、会計の際に急に、別人の様にトーンダウンし、キッチリと1バーツ単位で自分の分を計算して、

「悪いんやけど、

 キッチリ割って会計なんやけど…」

何か悪い事をしている様に、彼が急に歯切れ悪く言って来た事が、大いに関係していた。

 

別に僕は最初から払うつもりだったし、いい店に連れて来てくれた彼に、なんなら多めに払ったって構わないのだが。。

彼の生活の慎ましさというか、働かずに余生をタイで生活することの、大変さというものを、身に沁みて、彼から感じさせられてしまった事による、一種の淋しさだったのかもしれない。。

さっきまでのやっさんとは別人の様な彼をみて、少し悲しくなったのかもしれない。。

 

やがてツアー会社に自転車を取りに行った僕に彼は、

「ええと… もう帰ってまうんか?

 なぁ、もう少しお話せぇへん??

 あ、コーヒー飲もか??

 コーヒーなら一杯おごったるで。」

と、きっと彼に出来る精一杯の親切をしてくれると言ってくれたが、彼にコーヒーを奢らせるのも、既に悪いな。。と思っていたし。

それに僕は、先程の一件で気持ちが落ちていた。

 

そして、今日の元々の予定であった、

「ドイステープ寺院」へ向かう事に決めていた。

自転車は元々そのために借りたのだ。

結構長い坂の上にあるという、チェンマイで一番有名な寺院ということしか知らなかったが、

僕はそこに行く事にした。

 

意図せず酒が入ったので僕は、宿で仮眠し、アルコールを抜いた後、寺に向かう事に決めた。

 

やっさんにお礼を言い、淋しそうな彼をツアー会社に残して僕は、あえて、一度も後ろを振り返らずに走り去った。

 

彼の姿に僕は、この先もずっと旅を続けた先にある…

自分自身の行き着く先を、見てしまった様な気がしていたのだ。。

 

 

つづく

 



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↑ ツアー会社から頂いたツアー内容

 

 

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チェンマイでもムエタイは人気らしい。。

 


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↑ セイムセイムTシャツ

 

 

次話

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グランマのお店

 

第151話

グランマのお店

 

お腹の治療薬を手に入れた僕は早速、食堂を探していた。

「薬は食後に飲め」という事だったので、まずは食事である。

 

安くてうまそうな地元の安食堂が理想だ。

そして何より、ビールも安いに越したことはない 笑

 

宿の近くのこじんまりとした、縦長のレストランが連なる建物群をのぞいてみると、地元のタイ人で混みあっている一つが気になった。メニューを見ようとお店の前に立つと、ちょうど中から白のエプロンを付け、これまた白い帽子を被った、料理人ぽい、50歳くらいの元気な、小さなおばさんが出てきた。

彼女は僕を見るなり

「お兄さん、よっていきなよ。 おいしいよ!」

と最高の笑顔で言ってくれた。

 

メニューを見たところ、確かに安いし、お店の感じも僕好みだ。

少し考えた後、僕はおばさんに、

「ちょっと回ってみて、また来るね。」

といって笑顔でお礼を言ってお店を離れたが、

「はいよ、まってるよ!」と自信満々な笑顔で、奥に戻っていったおばさんの姿がやけに頭に残った。

 

その後やはり、色々とお店を見て廻った僕だが、最初に声をかけてくれた、元気なおばさんの食堂に戻ることにしていた。

実は最初に声をかけてもらったときに

(他も見て、良い店が見つからなかったら、

 あの店に戻って食べよう。キープ キープ。)

少し失礼だが、そんな事を思っていた。

が、まるでそんな事など考え無かったかの様な体で、僕は厚かましくこの店に戻ってきていた。

 

何事も無かったかの様に、元気におばさんに

「戻ってきたよー 笑」と声をかけた。

「ほらね、だから言ったじゃない!」とばかりにおばさんは笑顔で席に案内してくれた。

 

店内は少し薄暗いが、東南アジアにありがちな縦長であり、日陰の為、外より遥かに涼しい。

僕はチェンマイ到着へのお祝いを兼ねて、ビールも飲む事にした(祝いは昨日もしたはずだが 笑)

 

 明るいうちからお酒を飲むのに、

 わざわざ理由をつけないと飲めないのは

 本当に駄目な、吞んべぇあるあるである。

 

僕は150円と安い、ポークステーキなるものと、90円ほどのツマミを1品頼んだ。

 

先に、奥のキッチンの入り口付近にあった透明な、小さなクーラーボックスから、大瓶のチャンビールとグラスがやってきた。よく冷えている。

「ヨシヨシ、当たりですよ〜!」

と冷たいビールとグラスに、勝手にまた先進国認定をした僕は、早速注いで喉を潤した。

 

 うんまぁあ〜〜〜!!

 キンキンに冷えてやがりやがるヨォおお!!

 あ、悪魔的すぎルゥぅう!!!

 

ビールを一気に飲んだ僕は、全然似ていない藤原竜也になりきって、そう唸っていた。

 

やがて、ポークステーキが来た。

それは150円とは思えないほど立派で、三角形の美味しそうなガーリックパンも2つも付いてきた。

豪華なブランチなりそうだとばかりに僕はそれらにかぶりついた。

 

 ポークステーキは柔らかく美味い!

 付け合わせのソースも、抜群だ!!

 

合間に頂くガーリックパンも、ソースと相性抜群で、美味すぎて僕は、心の中で海原雄山の様に、山岡士郎を怒鳴りつけていた。

「士郎ぉお!! お前のタイに対する考えなど

 赤子の戯れ言ぉぉおお!! 片腹痛いわ!!」

「コラー!! やぁまぁおかぁあ!!」

富井ブチョーも大騒ぎだ!!

とにかく、この一皿から、タイ版の美味しんぼが始まってもおかしくないクオリティであった!!

 

僕はそれらをチャンビアーと共に胃に流し込む。。最高のひとときである。

きっと抗生物質は、思った以上に効くに違いない。

 

お腹の完治を予感しながら僕は、このお店の天才料理人のママを、勝手に「グランマ」と名付けていた。

お孫さんがいるかどうかなど知らないが、僕は彼女に尊敬の念を込めて、「クッキングパパ」にも対抗し、勝手にそう呼ぶ事にしていた。

渾名をつけるのが実は昔から得意な僕は、彼女を勝手に「クック グランマ」と認定していた。

失礼かもしれないので、本人に言う事は一生無いだろうが  笑

 

とにかくこのお店は大当たりである。

グランマの人柄がそのまま出た様なイイお店、美味しさである。

僕は腰を落ち着ける事にし、2杯目のチャンビアーを、ウェイターの29歳くらいの筋肉質な男性に頼む事にした。

 

すると、ウェイターをやっていたグランマの息子らしいその男性が、何やらキッチンのグランマと話している。戻ってきた彼に、

「ちょっと待ってもらえますか?

 今買ってきますので待てますか?」

と言われた。。意外な申し出に、

(ええ?どこに、。)

と思いながら、

「あ、は、はい。待てます」

と言うと彼は、バーツ札を握り締めて店の外へ飛び出して行った。 その時である…

 

「彼は近くのコンビニに、

 ビールを買いに行ったんだよ。」

 

いきなり後ろから日本語が聞こえてきて、僕はびっくりした。

振り返ると、後ろの席に60歳くらいの日本人男性がいた。

「に、日本の方ですか?」と聞くと

「はい、そうですよ。」とにこやかに答えてくれた。

よく見てみると、僕より先にお店にいた人で、彼もビールを飲んでいた。

 

彼は、金井さんという男性で、会社を定年退職した後、ゴルフ三昧で暮らしているという。

ゴルフ焼けで、松崎しげるさんくらい黒かったので、全く日本人に見えなかったので、自然と地元の人だと思い込み、僕はスルーしていたらしい。。

 

金井さんに聞く所によると、ここチェンマイは意外と沢山のゴルフ場があるのだと言う。良いコースも多いので、ゴルフをやりにタイに年に数回来ているらしい。

チェンマイに、海外にも人気のゴルフ場があると聞いて、僕は目から鱗だった。

 

ゆったりと話す人で、彼もビールを呑んでいる。彼が教えてくれた所によると、この店はそんなにお酒を飲む人は来ないらしい。

なので、ビールのストックは数本しか無く、売り切れると今の様に息子が一走り、コンビニでビールを仕入れ?に行くらしい。

 

「今日は僕も二本飲んでるし、

 まぁ、こうなるよね 笑」

と笑いながら、教えてくれた。

 

この店は安くて美味しい、素晴らしいお店で、彼はチェンマイに来ると、必ずここに寄るらしいが、この店で日本人を見たのは僕が初めてらしい。

「この店は当たりですよ。

 貴方はイイ嗅覚を持ってますね。」

と、一度店から離れて戻ってきた僕の一部始終を見ていた彼は、僕の食に対する、犬並みの嗅覚を褒めてくれた。

 

金井さんに、今一人旅をして近くのドミトリーに泊まっていると話すと、やはり年配の方にはドミトリーはキツいらしい。

「一回僕も、ドミトリーに挑戦してみたけど、

 やっぱりこの歳だと居場所がなくてね 笑」

とそれ以来、シングルルームの宿にしか泊まっていないと言う。

 

まぁ、お金に余裕があるのであれば、年齢的にも、ホテルはゆったりとした良い宿に泊まった方が良いとは、僕でも思う。

だが60歳を過ぎて、一度はドミトリーに挑戦するという金井さんの開拓精神に、僕は非常に好感が持てた。

 

しばらくお話をしてから、金井さんは友人に会う約束があると言って、食堂を出て行った。

僕もその後少ししてから食堂を出た。

 

会計を頼むと、びっくりする事が起きていた。

「もう貰っている」とウェイターの息子さんに言われたのだ。

金井さんが、貧乏旅行者の僕の分まで、いつの間にか払っていてくれていたのだ。

僕は、たまたま会った日本人の久しぶりの優しさに触れ、心と身体が暖かくなるのを感じた。。

 

きっと抗生物質は、より効いてくれるに違いない。

 

僕はそう思い、温かい気持ちでコンビニに、薬を飲む為の水を買いに歩き出していた。

 

つづく。

 

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↑ 地元のチェンマイっ子で賑わうグランマの店

     そして、美味すぎるポークステーキ!

 

 

次話

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チェンマイでの生活が始まる。

 

第150話

チェンマイでの生活が始まる。

 

クーラーの効いている宿はやはり快適だ。

その事は寝台車でも感じていた。

 

バンコクでクーラーの無い部屋にいた僕は、夜は涼しく寝れる様になっていたとはいえ、日中に部屋でのんびりしたくても、暑くていられないという少し悲しい事実に直面していた。

 

ここはドミトリーとは言え、休憩で宿に帰ってきても、涼しい部屋で仮眠もできるし、ゴロゴロも出来る。

そういう意味では、クーラーは大切である。

僕は二度と、エアーコンディション無しの宿に泊まるのをやめようと決心した。

 

昨日は、なんだかんだで寝台列車の疲れからか、僕は早めに寝てしまっていた。

その為、早く起きたので、早速街を散策することにした。

 

ベッドから這い出た僕が、一階へと降りていくと、何人かがモーニング用に用意された、パンやらカップラーメンをコーヒー片手に食べていた。

950円で軽食の朝食付きとは、本当にかなりお得な宿である!

 

ドミトリーのあるホステル宿には、こういった軽食サービスをやっている宿は実は結構ある。

長期旅行のバックパッカーには、一食浮くことが非常に重要なことなので、宿を選ぶ時の決め手の一つになるからだ。

 

だが僕は、旅とは「食事」でもあると思っているので、なるべくそういったモーニングは食べない様にしていた。

節約旅だが、せっかく色々な食を現地で楽しめるのに、日本でも食べられる様なパンで、朝からお腹を満たすのは、何か勿体ないと思っていた。

なのでこの旅の間は、普段から近くの安い食堂を探して、そこで朝食や、ブランチを食べる事にしていた。

地元の人しかいない様な安食堂を見つければ、百円程度で食べれる事も多いからである。

 

朝食は散歩の途中に取ることにして、宿の路地から通りへと、歩き出そうとした。

すると昨日から気になっていた、宿の隣のランドリー屋さんが目についた。丁度表に、30歳位の気の良さそうなタイ人女性が出てきた。

何気なく値段を聞いてみると、ここはこじんまりとしたお店ならではで、40バーツ(130円位)と格安だった!

今まで自分で、シャワールームで洗濯をしていた僕だが、この宿には物干場が無かったので、皆、自分のベッドに洗濯物を吊るしていた。

 

だが、洗濯物を吊るしたベッドで寝るのはあんまり気持ちの良いものではない。。

(130円なら全然アリだな。)

僕は昨日までに溜まっていた洗濯物を、お願いしてみることにした。

 

宿に戻り、せっかくなのでシャワーを浴び、今履いていたパンツやらTシャツ、今日まで使おうと決めていたタオルなども、ビニール袋に入れて、まとめてお願いした。

「何時ごろできますか?」と聞くと、笑顔で

「夕方には出来てます。」と言ってくれた。

何時までに取りにくればいいのかを聞くと、夜7時頃には店を閉めるので、それまでには取りに来て欲しい。との事だった。

 

僕は洗濯物をお願いし、そのまま散歩に出た。

郵便局の目の前の個人経営の文房具屋に入る。

日本から持ってきていた三色ボールペンの黒色が切れていて、替え芯がないか聞いてみようと思ったからだ。

丸眼鏡をかけた、細身の60歳くらいの短髪の店主は、観光客はあまり来ないのか、ジロリと僕に視線を送る。

子供の頃、家の近くにあった、地元の怖い文房具屋の店主を、ふと思い出した。

「サワディーカァップ」とタイ語で挨拶をすると、急にニコニコして、挨拶を返してくれた。

 

やはり、その国の挨拶は、その国の言語で、笑顔でするに限る。そうすると結構心を開いてくれる人が多いからである。

僕は早速日本のパイロットのボールペンを見せて、替え芯がないか聞いてみた。

彼はメガネに手を当てて、じっとみた後、ゆっくりと首を振った。

どうやら替え芯はない様だ。

しょうがないので僕は、気に入ったボールペンを一つ手に取り、それを買うことにした。

店主に渡すとニコニコして、紙に包んでくれた。

彼は多少英語が話せ、どこからきたのかを聞いてくれた。日本からだと言うと、喜んでいた。

ここチェンマイには、日本人は結構多いとも教えてくれた。

少し世間話をして、タイ語でお礼を言って、僕はお店を後にした。

地元の人と話して仲良くなると、一つ知っている人や店が増え、その街はひとつ自分の街になる。昨日まで全く縁のなかったチェンマイが、こうやって少しずつ、知っている自分の街になっていくのが、僕にはたまらなく楽しかった。

 

ただボールペンを買うだけの行為が、また一つ、旅の楽しさを教えてくれるから不思議だ。

 

さてと。。である。

今日僕は、角にある薬局に行く事にしていた。

ハノイでゆるりとやられていた腸の治療に行く事にしていたのである。

 

調子が悪ければ、本当は病院に行けばいいのだが。。

実は、高いお金を払って日本で契約した、旅行保険の指定の病院に行けば、無料で治療が受けられる。

どうせ時間は無限にあり「今日は病院に行く日」と決めて行動すればいいだけなのに、僕は何故か病院を避けていた。。

なにか病院に行くときは、ニッチモサッチモ行かなくなった時の最終手段の様に感じていたのだ。

 

今考えると、一体何のために高い保険に入ったのか? という話だし、別にこまめに病院に行ったって、先払いの保険から全て賄えるのにである。

今考えても、本当に不思議であるが、僕には、病院に行くという選択肢はなかった。

 

お腹の状態と「海外 腹痛」で色々調べた結果によると、どうやら僕の腹痛は、細菌性のものらしかった。

たぶんハノイで、腹痛が始まる前日の、ちょっと大丈夫かな? という衛生状態の怪しい安食堂で感染したのだと思う。

治療法は、放っておいても治らず、抗生物質を呑めば、数日で簡単に治ると書いてあった。

 

タイは売薬で病気を治す人が多いと書いてあったので、薬剤師のレベルも高いだろうと推理し、昨日見かけた薬局に行く事にした。

その薬局は、Googleマップ先生で、口コミの星を見ても、中々の評判の良さだった。

 

薬局には白衣を着た、色黒の男性と、色白の若い女性がいた。

僕は自分の「腹いたの症状が細菌性である」という英語の翻訳画面と

抗生物質」という英語を見せた。

苦笑いする彼らに、一応どんな症状だと聞かれ、彼らに自分の腹痛の説明をした。

 

ジェスチャーとテキトーな英語で、伝わると信じて話す。

少し込み入ったやりとりにはなるが、会話は気合である。

「ノーマルタイム アイム オーケー

 アイム ファイン ノットトラブル。

 バット、アイ イート フーズ

 リトル アフタータイム ノットグッド

 アイ ニード トイレット。

 ディス ペイン スターティッド、

 ビフォアー テンデイズ。」

と知ってる英単語を並べ、ジェスチャーで一生懸命説明すると、僕のテキトーな英語に若い女性は笑い出し、30歳位の男性薬剤師は苦笑いをしていた。

特に「下痢」の説明の時に、単語がわからず、あってるのかどうかわからないが、

「マイ シット イズ ウォーター。

 ライク ア ニアーウォーター」

などと言った時には、自分で言っていて

(テキトー過ぎるだろ? 俺の英語…)

と自分でも笑ってしまった。

 

彼は一つだけ

「ユー フィーヴァー??」

と熱があるかだけ聞いてきた。

「ノット ヒィーバー。ペイン オンリィ 。

 アフター イートタイム オンリィ。」

そう答えると、しばらく待つ様に言ってくれ、奥から「抗生物質」らしい薬を持ってきてくれた。

抗生物質」と言う英語だけは発音できる様に、ちゃんと調べていたので、聞いてみると、

「そうだ」と教えてくれた。

 

一日に飲む回数と、時間を教えてくれ

「食後に飲んでください」と会計をしてくれた。

薬代は、そんなに高くなかった。助かる。

 

僕は手を合わせ、例の如くタイ語でお礼を言うと、このふざけた患者が余程面白かったのか?

2人とも満面の笑顔で笑いながら、手を合わせてお礼を返してくれ、女の子は最後は笑顔で手を振ってくれた。

 

さてである。

早速この薬を飲むために、朝食を取る事にした。

 

 " 早く飲めば、それだけ早く治るはずだ ! "

 

単純な僕はそう考え、近くの安そうな食堂を物色し始めた。

 

 

つづく

 

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↑ 清潔なベッド下は鍵付きのロッカー

 

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↑ モーニング用食材達

  (実際はいつ食べても良い)

    カップラーメンが美味しい。

 

 

次話

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ついに宿のスタッフになる。

 

第149話

ついに宿のスタッフになる。

 

この宿は大当たりである。

 

宿の主人マイクにはあまりやる気を感じないが、モーニングの時間でなくても、モーニング専用に常備されてるパンや、お菓子、カップラーメン等の食べ物を食べようが、気にしないし、融通が効く。

ベッドもしっかりしていて、まったく軋まない。そしてカーテンでしっかりプライベートは守れる。

何より清潔であった。トイレも、シャワーも綺麗で気持ちが良かった。

 

宿の主人のマイクは、基本宿にはいないが、昼前に来る、気の良い掃除のおばさん達が宿を綺麗に保ってくれる。

そして何度も言うが、モーニング用の食糧も、夜に酒のつまみに食べて大丈夫だ 笑

僕のお気に入りは、昔の「ケンちゃんラーメン」の様な、タイ版の優しい味の、小さめのカップラーメンだった。

 

これで、タイの今までの宿と比べても最安値の、950円である!!

まさにこの宿は、アルカディア(理想郷)言って良かった。

 

ただ一つの難点は、やる気のないマイクは、ほかの商売もしているらしく(やる気が本当はあるのか?)、昼以外ほとんど宿にいないことである。

ならばほかのスタッフを雇えばいいのだが、誰も宿には常駐していない。。

とりわけ、一番旅人が来る時間帯の夕方以降にも、彼は平然と宿にいないのだ。その為、ここはスタッフが存在しない宿になる。

今までの宿ではありえなかったことである。

 

これは隣の宿も同じだが、隣はさらにそれが顕著であった。

なんと玄関には、英語の張り紙で、

「宿に泊まりにきた 〜様へ」

という様な、不思議な手書きの張り紙があるだけであり、宿の玄関はスモークが貼ってあり、中もフロントもあまり良く見えない。

そしてどんなに呼びかけようが、誰も出てこないのである。

 

僕は役者特有の好奇心から、

(なんだろ? この宿のシステム…??)

と興味を持ち、理解するまでじっと見ていたので、いつの間にかこの隣の宿のシステムを理解していた。

 

宿の外玄関に6個ある、Box型のポストのダイヤル開錠ナンバーが、予約した人へメールで送られており、(右に7、左に6、右に8など)それ通りにダイヤルを回し、ポストを開ける。

するとその中には、玄関開錠用のキーカードと、自分が泊まれる部屋番号と、ベッド番号が手書きで書かれたメモが出てくるらしいのだが、、

初めて来ると、なんの事かわからないのだろう。(当たり前だ。。)

皆、玄関を見つめてフリーズしていた。

 

というか、こんなシステムは、2ヶ月旅をしている僕すら見たことが無い。

 とにかく宿にたどり着けば、

 フロントに人がおり、何とでもなる。 

というのが、旅人の常識であり、

こんな無人くんシステム」が珍し過ぎるのである。

なので、旅人たちはいつも混乱して、僕が泊まっている宿のベルを必死に鳴らす。

こっちには人(お客さんだが)はいるからだ。

 

隣のヘンテコな宿は、一階に共有スペースがない為、本当に人気が無く無人の為、自然と頼る場所は、隣の人のいる僕の宿となる。

(まったく信じられない事だし、僕は宿泊中、

 隣の宿のスタッフを一人も見たことが無い 笑)

 

共有スペースで、夜はいつもビール片手に寛いでいる僕は、隣の宿泊難民の彼らが来る度に、僕の宿の玄関の鍵を開け、話を聞き、システムをキチンと把握している宿泊者ではない僕が、システムを説明してあげて、隣の宿の玄関から彼らが入れる様に、旅人達を手伝ってあげていた。

 

だがそれは、隣だけに留まらない。

僕の宿にも夕方前からスタッフがいない。

ほんのたまに、マイクの嫁さん?という女性スタッフが困った顔で、たまに1時間ほどいるだけで、ほぼセルフ宿である。

他の宿泊者も一階にはいるが、ドアを開けてあげるだけで、色々と世話を焼いているのは、日本人の僕だけだった。

 

これは僕の性格もあるのだろうが、困っている人を放っておけない、日本人特有の性質の様な気もしていた。

海外で色々な国の人のスタンスを見ていると、

(自分が日本人だからなのかなぁ。。)

と改めて「日本人 東正実」を意識する事が多い。

 

ある日の夜、でっかい熊の様な大男と、イタリアサッカー界の至宝、デルピエロによく似た綺麗な顔の白人男性二人組が宿のベルを鳴らした。

僕はいつものように、ほろ酔いで玄関のドアを開け、彼らと話をする。

 

どうやら彼らは、僕の宿に泊まるドミトリー仲間のようだった。

20代後半であろう彼らを、フロントに案内して宿のWIFIのパスワードも教える。

彼らも、僕と同じでシム契約などせず、無料のWIFIで旅をする、旅行者だったからだ。

 

彼らはWIFIを繋ぎ、フロントにある、マイクの連絡先のメモにLINE電話をしたが、繋がらないらしい。二人は顔を見合わせ困っていた。

僕は、いいかげんなマイクに代わって仕事をすることにした。

 

この宿は、男性専用ドミトリーは、2階に一部屋しかない。

女性専用ドミトリーは3階で、シングルルームは4階だ。

つまり彼らは僕の部屋の、空いているベットのどこかに泊まるはずだ。

 

ふざけた経営者のマイクに、義憤すら感じていた僕は、彼らを部屋まで勝手に案内することにした。携帯の予約の画面をちゃんと確認した後、彼らに「付いてこい」と言って、階段へと歩き出した。

その際にヒゲモジャの、熊の様なアメリカ人のベンに、

「君はこの宿のスッタフなの?」と聞かれたが、僕は

「俺はただの宿泊者だ。

 ただ、君たちが困っているから。」

と伝えると。

「オー、、サンキュー」と言っていた。

 

「2階が男性ドミトリーだから、二人とも、

 とりあえず荷物を預けちゃいなよ。」

と僕は二段ベットに案内した。

 

部屋に入り、空いてるベッドを教えてあげると、友達であろう二人は、同じベッドの上下に陣取った。

「サンキュー。ワッチュアネーム?」

「マサミ。 アイム ジャパニーズ。

 ハヴァ リラックスタイム」

と会話を交わして、僕は一階へと戻って行った。

 

一階で、残っていたビールを腹に片付けていると、先程の2人が軽装で部屋から降りてきた。

 

やがて宿の正スッタフのマイクが、どこからかフロントに来て、彼らの手続きと支払いを終わらせた。

僕が中二階の共有スペースから降りていくと、彼ら2人はマイクにしきりと、

「彼が色々としてくれたんだ。」

と伝えていた。

 

僕も流石に酷いと思っていたので、

「ヘイ、マイク!

 君がいないから彼らは困っていたよ。

 しょうがないから、俺が彼らを

 部屋まで案内したけど、流石に酷くないか?」

と少しきつめに問い詰めたところ、彼は例の不思議な笑みを浮かべ、事もあろうに、

「サンキュー、マサミ。

 ユーアー グッドスタッフ。」

と嬉しそうに、僕にそう言い放った。

 

それを聞いて僕は、呆れるのを通り越して笑ってしまった。

(こいつ。。マジでスゲェーな。)

と逆に感心してしまったのである。

 

自分がいなければ、宿にいる誰かが世話をするだろう。。と何か究極に人を信じている様に感じたのだ。

 

「結局呼び出されたら行くので、

 それまでは誰かがなんとかするだろう。」

そんな覚悟と信頼が、宿泊客と、宿の経営哲学として彼には確立している気がしたのだ。

僕は彼の不思議な笑みの謎が解けた様な気がしていた。

 

(そんな馬鹿な経営方法があるんだなぁ。。)

僕はこの旅に出てから、一番感心していたかもしれない。

 

そんな僕に、お腹が空いていたベンと美男子のアメリカ人達は、

「近くに開いてるレストランは無いか?」

と聞いてきた。もう宿の主人をすっ飛ばして聞いてきた。

 

時間は11時を過ぎていたので、おすすめの店は閉まっている。僕はまだやっているが、美味しいかはわからない、宿のすぐ近くのレストランへと彼らを連れて行った。

 

デルピエロ似の美男子の彼の名前は、アランというらしい。

ヒゲモジャ大男のベンと、身長は僕より低い、170センチ位の美男子アランの凸凹コンビだった。

 

彼らを連れて行ったレストランは、深夜までやっている以外は、あまり印象のない店だったが、メニューは見たことがあり、そんなに高くはない。

ドミトリーに泊まる同じ貧乏旅行者であろう彼らに気を遣って、最悪不味くても安い店を紹介していた。

 

「一緒に入ろう」と誘われたので、暇な僕は頷いた。

席に着くと、「ビールは呑むのかい?」と聞いてきたアランに僕は「もちろん!」と答え、瓶ビールを頼み、3人で乾杯をした。

意外と食事も美味しくて、僕は夕飯は済ましていたので、軽いツマミだけシェアして、ビールを飲んでいた。

ベンは明るく豪快な男で、楽しそうにガハハハと笑っているし、アランもベンほど豪快でないが、楽しそうに笑う。一緒にいて楽しいし、居心地の良い2人であった。いいコンビである。

 

会計の時に、ベンが伝票を持っていき払いを済ませてしまった。

「僕も払うよ」と言うと(とんでもない!)と言わんばかりに彼は首を振った。

「マサミ、これは当たり前のことだから。

 君には本当に親切にしてもらったからね。」

そうアランが真っ直ぐ目を見て、僕にそう言ってくれた。

 

どうやら最初から、お礼も兼ねて食事に誘ってくれていたらしい。

 

全く本当に気持ちのいい連中である。

僕は心から嬉しかった。

そして僕の宿の同部屋には、2人の友人が出来た様である。

 

グッドスタッフになって良かった 笑

 

つづく。

 

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↑ いつも寛いでいた中二階

 

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↑ レオビアーで乾杯。

     天ぷらの様なものも美味しかった。

 

 

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なにか落ち着く 古都チェンマイ。

 

第148話

なにか落ち着く 古都チェンマイ

 

汗だくになりながら、途中、タクシーに乗らなかった事を何度も後悔しながらも、街並みを眺めながら僕は、チェンマイを歩いていた。

 

かなり歩く事になったが、初めての街は歩いていると楽しくはある。

25分程歩いて、やっとこさお堀で囲まれた、旧市街への入り口の門まで着いた。

 

お堀だけでなく、城壁と言ったほうがいい壁があり、この城壁の門から中に入れる造りであった。きっと江戸城下のように、城下町を守る為にお堀と城壁で中を守っていたのだろう。

 

きっとここにはその昔王朝があり、その昔城下町だったのだと思う。

まるで、江戸城下を囲んでいたお堀の中の町だ。

 

江戸城や、江戸のつくりに関しては、実はかなり僕は詳しい。

何故なら「江戸がどうやってできたか?」という事を書いている、門井慶喜氏の名著

「家康江戸を建てる」をAmazonオーディブルで、僕が、10時間の朗読をしているからだ。

これは、作品・僕のナレーションともに、かなり評判がいいらしい。

 

無駄に宣伝をしてしまったが…  江戸城といい、アンコールワットといい、ここ旧市街といい、皆、敵に攻められ無いように、お堀を掘るというのは、世界共通のようだ。

 

ただ、ここにきて終わりではない。

ここの城下町はなかり広い。。宿まではまだまだ歩かねばならない。

途中でふと気になったお寺さんがあったので僕は、日陰での休憩と、この城下町へのご挨拶も兼ねて、中に入っていった。

黄金の仏像さんの前には綺麗な絨毯が引かれ、なんとそこには可愛らしい猫さんがお昼寝をしていた。

ここは風も通って日陰で涼しい。さすが猫さんは、いい場所を知っているものだ。

バッグを下ろし、キジトラさんに挨拶する。

「ちょっとお詣りさせてもらえる?」と話しかけると、頭のいい彼は、ちょっとズレてくれ、「ドウゾ ドウゾ」とばかりに、正面の場所を開けてくれた。

どうやら彼は住職でもあるようだ 笑

 

お礼を言って、彼の隣に正座する。

気を落ち着かせて、目を瞑ると微かな風を感じる。

隣の猫さんと同じ風を感じながら、ゆったりとした気持ちになっていく。

汗が緩やかに頬を流れ、身体も落ち着いてくる。

「ふぅ。。 スゥうう…  ふうぅぅ。」

と呼吸も落ち着いてくると、寺の周りの虫の音も染み渡ってくる。意識は広がり、ここの建物の天井や壁の大きさも感じる。

僕は静かに目を開けて、仏像のお顔を見る。

柔らかなお顔をしている。

 

僕はゆっくり二礼してから、目を瞑り、日本式であるがご挨拶と、旅の助けをお願いして、最後に一礼して、顔を上げた。

 

心が落ち着き、ここまでの道中に溜まった澱のようなものも、何か取れたような気がする。

右にいるキジトラさんと目を合わすと、

「よいぞ、よいぞ。」とばかりに優しく瞬きをしてくれた。

僕は彼にも手を合わせて「コップンカァップ」とお礼を言って、撫でさせてもらった。

さらに気が優しく、落ち着いて行く。

 

(このお寺に呼んで頂いたなぁ。。

 うーん。。 ありがたい。)

信心深い僕は、早速チェンマイに迎え入れてもらった気がして、深く感謝していた。

 

お寺を出てスッキリした顔の僕は、宿へ向けて再び歩き出した。

旧市街というので、古い建物ばかりだと思っていたが、そうではなく綺麗な建物も多い。

普通に、今市街である 笑

 

だが、あまり高い建物は見かけないので、田舎の風情があり、何か落ち着く。

僕はこの街を、早速大好きになっていた。

 

旧市街には、お寺さんが結構ある。

そして、綺麗で高級そうなタイマッサージ屋さんが多い。何気なく値段を見てみると、900バーツ(3000円)以上するお店もザラだ。。僕のような貧乏旅行者にはまったく縁のないお店である。

コンビニがあったので、涼むついでに寄ってみた。

商品を見ていると、毒々しい、ピンク色の怪しい液体が入った、香水のスプレーのような、小さな透明な容器を見つけた。

そして、僕はこの怪しい液体をすぐに購入した。

(ああ、やっと見つけた。

 これかぁ。。最強のアレは。)

 

 

実はこれは、タイの達人である中条から聞いていた、蚊除けスプレーなのだ。

 

実は旅立ちの前に日本の友人から貰い、日本から持ってきた

「まったく人体に無害だが蚊に効く!」という

蚊除け ヨモギスプレー」は、日本では抜群に効くのだが、やはり東南アジアのモスキート達には効果が弱かった。

やはり、日本よりエネルギッシュな東南アジア、それは蚊の生命力にも現れているのだろう。

 

中条は夏になると常に、タイの

「ピンク色の蚊除けスプレー」最強説 を唱えており、僕は話半分に

(ホントかいな?)と聞いていたが、自分がこの土地に来てみると、日本の蚊除けスプレーでは対抗できない事実により、ついに彼女の言い分に白旗をあげたのだ。

 

早速、シュッシュとして、身体に塗ってみるとかなりヒリヒリする。メンソールという感じなどではない。かっと熱くなるようなヒリヒリ感である。

(これは確かに最強に違いない。。)

僕はこのヒリヒリ感で、深く納得できた。

 

さらに歩くと、縦長のレストランが並んでいる通りや、珍しく文房具店もあり、小さなツアー会社もチラホラある。

 

そして目印の郵便局を見つけた。

この裏に僕の宿があるはずである。

 

裏手に回ると、路地にランドリー屋さんがあり、その隣に2件宿が並んでいる。

色々と覗いてみると、どうやら僕の宿は手前の宿の様だ。

ガラス越しにみる内部は、広い共有スペースもあり、とても綺麗で、とても950円の宿とは思えない。

カウンターには誰もいない。

チャイムを鳴らすと、階段から中華系の少し太った20代後半の、大きなメガネをかけた、オタク風のTシャツ短パンの男性が降りてきた。

鍵を中から開けてくれ、僕は宿に入った。

サイトで見た通りの綺麗なロビーは、とてもいい印象である。

寝起きの様な寝癖がついた彼は、ニコニコしながら宿の説明をしてくれた。

 

一階には、カウンターのフロントがあり、天井が高い。フロントのすぐ奥には、椅子と机の共有スペースで、さらに中2階にロフトがあり、ここは寝っ転がったり出来る共有スペースになっている。

なかなか贅沢な作りである。

 

部屋のカードキーを貰い、案内された寝室は、しっかりとした木の2段ベッドで、それが四つあり、8人用のドミトリーであった。

ここも清潔で、下の段が空いていたので、そこが今日の僕のベットとなった。

しっかりとした、木の作りのベッドは安心感が違う。

シャワーや、トイレの説明を受けて、僕は自由の身になった。

 

よく考えたら、2時チェックインのはずだが、まだ午前中なのに、まったく気にせずに部屋に入れてくれた宿の主人マイクにとても好感が持てた。

彼はとにかくおおらかというかというか、のんびりとしている。常に不思議な笑みを浮かべている。細かいことは気にしないタイプに見えた。

 

彼の不思議な存在感も含めて、この宿は居心地が良さそうだ。

とにかく僕は荷を解いてから、まだまだ明るいチェンマイの街へと歩き出した。

 

なんとなくこの街に来てから僕は、初めて来た気がしていなかった。訪れた事などないはずのこの地は、何か母の実家の田舎の居心地の良さを感じさせる。

別に田んぼや、畦道があるわけでも無いのだが、とにかくそう感じるから不思議だ。

夏休みの一ヶ月をいつも過ごしていた、大阪の泉佐野の田舎を再び訪れた様な。。

 

僕の心は、不思議と小学生の時の自分へとタイムスリップしていた。。

 

続く

 


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チェンマイのお寺にいらっしゃる

     徳のあるキジトラ住職様。ナーム。

 

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↑ 友人からもらった沖縄産さぁ。

 最強のヨモギスプレ〜「サラバ〜ス」

 

次話 

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チェンマイの朝

 

第147話

チェンマイの朝

 

色々とあったが、無事ベッドで就寝出来た僕は、ホッとして眠りについていた。

 

車掌さんが言った通り、午後8時を過ぎるとポロシャツの制服を着た、ベッドメイキングスタッフがやってきた。

 

車両後部から入ってきた彼は早速、一番後ろのボックス席の前に立ち、作業を開始した。椅子の足元をいじったかと思うと、その椅子を「カキキキキ」と音を立てて滑らせた。

椅子を倒すのではなく、斜めに滑らせたのである。

そして背もたれをバタンと完全に後ろに倒しながら、お尻を置いていた部分は前にスライドする。

そうする事で、さっきまで足を置いていたスペースが埋まる。

同じことを向かいの椅子にもすると、摩訶不思議、そこにはフラットなベッドが出来上がっていた。

 

そして一番驚いたのが、ボックス席の上部の壁が、カパリと開いたことだ。

実は窓の上の壁には、何やら丸みを帯びたでっぱりがあり

(なんだろう? 

 ずいぶん不思議なつくりだな。。)

と思っていた部分だ。

 

飛行機の荷物入れの様になっているその部分は、横幅も広く、開けると横開きのカプセルになっていた。その中には白いシーツやベッドマットが入っていた。

どうやらこのスペースが、2段ベッドの2段目であり、ベットメイキング用の寝具もここに収納されているらしい。

 

彼はそこからベッドマットを取り出し、さっきまで椅子であったが、今は簡易ベッドになっている所へと敷いた。

そして手際良くシーツを張り、枕を置き、布団を置いた。

あとは上のカプセルベッドをキチンとメイキングして、見事に2段ベッドを完成させてしまった。

 

車両の後ろから、一つづつ、この作業をしてまわってくれるらしく。

彼は今度は向かいの席を、同じくベッドメイキングし始めた。

やがて僕の場所まで来た彼は、僕のベッドも作ってくれた。

正に、タイ国鉄版の「トランスフォーマー」である。

 

カーテンまでつけてくれたお陰で、プライバシーまで守れる。

お礼を言って、早速中に入ってみると、ベッドは意外と広い。

一人用の椅子の割には幅が広かったので、ずらしてベッドとなった今、横幅も結構あるのでありがたい。

 

カーテン越しに車内を覗いてみると、すべての座席がベッドとなり、カーテンで仕切られたこの車両は間違いなく寝台車となっていた。

先程までの風景とは全く違う車両を見て、僕は思わずため息をついていた。

(すごすぎるトランスフォームだ。。)と。

照明さえも落とされた車室は、まさに寝るための車両である。(本当に助かる 笑)

そして、僕は窓から暗闇を見ている間に、いつの間にか寝てしまっていた。

 

盗まれない様に、バックパックをベッド内に置いていたので、流石に狭くなり、寝返りはうてなかった。。

そのせいで、途中で何度か目を覚ましたが、その度にバッグをずらして無理矢理寝返りを打ち、僕は翌朝、意外とスッキリと起きれていた。

 

窓のカーテンから漏れる、タイの朝日で目覚めた僕は、伸びを一つし、バッグの無事を確かめた。

そこから缶コーヒーを出して、それを飲みながら、窓から見えるタイの田園風景を眺めていた。

そう、一夜にしてあの大都会バンコクから、列車は田舎に移動していたのだ。

 

車内が騒がしいので、カーテンの隙間から廊下を覗くと、皆カーテンを開けて活動的になっている。

早朝だというのに、車内はかなりざわざわしている。

ベットから廊下に腰掛けて、寛いでいる人もいれば、僕の様に個室のままゆったりする人もいる。車内は活気に満ちていた。

 

朝食を食べている人も多い。僕も何か食べようと思い、昨日買っておいたサンドイッチを取り出して頬張った。

缶コーヒーと、サンドイッチ片手に見る田園風景は、最高のモーニングタイムだ。

本当にゆったりとした朝食を取れた。

昨日、頑張ってコンビニに行っておいて良かった。

車窓を見ていると、バンコクでの色々な事が思い出される。

内容が濃過ぎて、1ヶ月程いる様な気になっていたが、よく考えたら、タイに来てまだ一週間程しかたっていなかった。

そして、これから行くまだ見ぬチェンマイ

一体どんな場所なのだろう??

情報と言えば、店長さんから聞いたチェンマイのイメージだけだ。「行けばわかるさ」と、僕は全くチェンマイについて調べていない。

結構、ワクワクと少しのドキドキが止まらない。今、遠足に行く前日の小学生の様な高揚感が、僕の体を支配している。

この歳では、なかなか味わえない感覚である。

 

そして列車はそんな僕を乗せて順調に走り、ほぼ定刻の8時半過ぎに、終点のチェンマイ駅に到着した。

 

駅のホームに電車が止まると僕は

「よし!  行こう!!」とわざわざ声を出し、バックパックを肩に背負い、気合充分で列車から降りた。

ホームに降りてみると、この列車には、タイの方とバックパッカーが半々くらいいた。

大きな駅は、何本もホームがあり、僕は人の流れについて、改札を目指した。

 

やがて駅から無事に出た僕は、駅舎を振り返って見た。なにか味わいのある、貫禄を感じさせる立派な駅舎だった。

 

バックパッカー達は、チェンマイに来慣れているのか、迷いなく駅から離れて行く。。

見たことのない、霊柩車?の様な形の車に乗って去って行く旅人もいれば、歩いて離れる人も何組かいた。

彼らが歩いて行くところを見ると、どうやら徒歩でも安宿のある街まで行ける様だ。

僕は「登山に行くのかな?」という程の大きなリュックを背負った白人のカップルに、バレない様について行く事にした。

 

ある程度距離をとり、怪しまれない様について行く。

もはや尾行であるが、土地勘のない僕はとりあえずこうするしか方法がない。

何しろ今回は、行き当たりばったりで、珍しく宿さえとっていない。

きっとタイの風に吹かれている間に、僕の父方に流れるらしい沖縄の血が騒ぎ出し「マイペンライ」ならぬ「なんくるないさぁ〜」が発動していたのだろう。

 

ところがである。。

ここで予想外のことが起きた。

 僕の尾行に感付いたのか?

 それともお腹が空いたのか?

彼らは通りにあるカフェに入ってしまった。

 

…僕を一瞥もしなかったところを見ると、どうやら朝食をとりに入っただけの様だった。

店内の彼らは笑顔で店員に挨拶をしている。

どうやら、常連なのか、知り合いの様だ。

 

さすがにこの店の中まで尾行を続けたら、ちょっと異常者だな。。という不思議な気持ちになり、僕はこの大通りをまっすぐ行けば、何かがあるさ! とばかりに歩き出した。

 

しかし、しばらく歩いた後、僕は暑さに負けたのと、気になる素敵なカフェを見つけてしまい、モーニングついでにカフェに入ってしまった。

空色の外観で、爽やかな水色と白の綺麗な外観である。

Wi-Fiがないと何も出来ない情報弱者の僕は、モーニングとアイスコーヒーを頼み、早速Wi-Fiを接続させて貰った。

(ワンプレートの色々乗った美味しそうな一皿と

アイスコーヒーのセットで350円程だった)

 

ここの女性主人は、30歳くらいの親切な人で、色々と話をしてくれた。

宿を探さなきゃいけないと言うと、

「自分の知り合いのとても良いホテルがあるわ」

と紹介してくれた。確かに綺麗な、良さそうなホテルだったが、値段が2000円以上したので、

「もう少し自分で探してみます。」と断った。

さてである。宿探しサイトでいつものように探してみると、綺麗な良さそうな宿が見つかった。セルフでパンなどを朝食に食べて良く、ドミトリーだが、ベッドも木製のしっかりしたカーテン付きだ。

何より950円と言う値段が魅力的だった。

 

僕はさらにしばらくチェンマイのことを調べ、女性店主にお礼を言ってから、カフェを出た。

見つけた宿は、地図ではお堀のような囲いの中にある。さっき調べたところによると「旧市街」と呼ばれる場所らしい。

Googleマップ先生によると、歩くと40分程かかるらしい。

 

カフェの店長さんに

「結構歩くから、タクシーに乗った方がいい」

と言われたが、初めてのチェンマイである。

街並みを眺めながら歩きたかった僕は、ゆったりと進む事にした。

 

僕はリュックを、きちんと背負い直し、まだ見ぬチェンマイの街へと歩き出した。

 

続く

 

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↑ 風情のあるチェンマイ

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↑ ホームで気合を入れる僕


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寝台列車のトイレ。

    穴は大地に繋がっている。

 そう。。全てはそのまま大地に還るのだ。

 

 

次話

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僕が見た タイ バンコク

 

 

第146話

僕が見た タイ バンコク

 

2017年に訪れた、初めてのタイ バンコクは優しく刺激的な町だった。

 

仏教国のタイは、バンコクという大都会でも皆穏やかで、柔らかさを保って生きているように感じた。

バンコクは都会なので、もっと殺伐としているのかと思っていたが、そうではなかった。

テロの影響で、高架鉄道の各駅に警察官が立っているモノモノしさはあったが、そんな事はすぐに忘れてしまうくらい、人々は柔らかくエネルギッシュだ。

 

タイの人は、大きな声で怒鳴ったりとか、人前で怒って恥をかかせるという様な事は禁忌であるらしい。

交通事故を起こしてもニコニコしている人が多いという、本当かどうかわからない話も聞いた。

 

そして仏教が下地にある国民性は心地が良い。

その為、来世を信じている方が多くいると聞いた。

今世で施したり損をしても人を助けることで、徳を積んでおくと、来世でいい事がある。

そういう考え方をしている人が多い。

と、そんな話を聞いたことがあるが、確かにそういう事を信じられるような、人々の気の良さである。

 

街で買い物をしても、最後に手を合わせてくれ

「コップンカー(ありがとう)」と笑顔で言われると、とても暖かい気持ちになる。

正にタイの魅力の一つであり、日本人も手を合わせて「ありがとう」って言えば、少しは殺伐としたものが和らぐのに… とも思ってしまう 笑

実際日本に戻った僕は、しばらく手を合わせてお礼を言ってしまう事があった (^^;)

 

物価は、今までの三か国が安すぎたため、結構高く感じた。タイに来てから加速度的にお金が無くなり始めた事は、気のせいではないはずだ。。

(たぶんガブ飲みしているビールが原因なのだが…)

 

だが、日本に比べれば生活費はかなり安い。

ビールは、発泡酒くらいの値段で缶ビールのロング缶が180円程、ドミトリーは1500円くらい。一食も安食堂に行かなければ、300円~500円程かかる。

日本の物価の 3/4 くらいのイメージだ。

昔はもっと物価が安く、ここ十年で物価はかなり上がったと聞いた。

 

今まで、ドミトリーが600円だの、シングルルームでも1000円〜1500円、50セントで生ビールが飲める国にいたので、割高に感じるが、居心地はこれまでの国の中で一番だった。

その為、そこまで高い!とは感じないから不思議である。

 

とにかく、バンコクが暮らしやすいと感じる具体的な理由は、

鉄道網がしっかりしていて、移動に困らない。

カオサンに行けばツアー会社がツアーをすぐ組んでくれる。

ご飯の選択肢が多く(和、洋、中あり)美味しい。(特にタイ屋台のメシが安くて美味しい。)

マッサージが安くて上手いので、気軽に毎日行けるので、身体が楽なまま歩き回れる。

大きなモール型スーパーがあるので、なんでも揃う。

などなどである。

そしてなによりも「微笑みの国」と言われるだけあって、皆ニコニコしていて、ゆったりしているので、余計なストレスが殆どない。

そしてとても大事なことだが「治安」がこれまでの国で、一番良い事だ。

(女性も夜中に普通に出歩いている)

とにかく海外初心者向けの国であることは、間違い無いだろう。

 

そんなタイでは本当に色々な人に出会った。思い切って、この旅で初めて日本人宿に泊まったのも一因だが、バックパッカーの街、カオサンロードの近くでいた事も、その事に拍車をかけたのだと思う。

そして人々と距離が近いのに合わせてか、とにかく野良犬や、特に放し飼いの犬が多い。 そこらへんの店先や路地が犬だらけである。

前の3カ国と比べると、明らかに犬が近くにいる。

前の国々では、明らかに野良犬が多く、こちらから近付かなければ、どうにか犬たちを、やり過ごせたのだが、ここバンコクでは犬がそこいらに不意打ちでいるので、特に路地では気をつけないと、彼らに狂犬病を打ち込まれる可能性が高い。

なかなかスリリングな場所でもある。

 

意外だったのは、タイといえば「トゥクトゥク」と思っていたのだが、走っているのはほとんどタクシーであった事だ。

トゥクトゥクの走る、風情のある風景を想像していた僕には、少し残念な光景だった。だが実際はスコールもあるので、クーラーも効いているタクシーの方が快適だ。

それによく考えると、トゥクトゥクにはカンボジアでさんざん乗れていた。

 

トゥクトゥクは今は、日本で言うと観光用の人力車的な立ち位置のように見えた。

また、あまり良い噂は聞かなかった。

一部のドライバーは副業で、客引きも兼ねているらしい。油断すると、べトナムのおっさんのバイクタクシーばりに、ボッタクられたり、怪しいお店に連れていかれるらしい。

(実際に夜のカオサンロードでは、

 何人ものトゥクトゥクドライバーに

 「そういうお店に行かないか?」

 と声をかけられた。)

 

そして、バックパッカーの聖地であるカオサンロードは、とにかく時間帯によって全く見せる顔が違う。

 

朝はシャッターがしまった閑静な通り。

昼は、屋台のお土産屋や、屋台飯屋、マッサージ屋など、穏やかだ。

この時間帯で驚いたのは、旅費を稼ぐ為か、自作のアクセサリーを道端に並べて売っている、ヒッピー風のバックパッカーカップルがいた事だ。

 

夕方から混み始め、路上も少しずつ賑やかになってくる。皆バーや、クラブに入って飲み出す。

そして、とにかく夜中が本番で、通りの左右にあるクラブやバーから、道に飛び出したタトゥーだらけのおっきい白人さんや、お酒じゃない何かを摂取したであろう… ハイテンションの人達が通りに溢れ、ワールドカップが始まったかの様な大騒ぎが始まる。

人々でギュウギュウな通りで、瓶ビール片手に皆が大騒ぎしているこの通りは、流石にタイ初心者の僕には怖かった。。

いや、初心者じゃなくても怖いはずだ。

 

なので深夜に飲む時は、一本外れた通りで、屋台のバーで静かに飲んでいた。

(ここはツマミは、タイ家庭料理だが、

 ちょっとしたカクテルも出している 笑)

 

そして、タイに全く知識のない僕は、最後の方に気付いたのだが、不思議な事にコンビニでお酒の買えない時間帯があった。

理由を聞いてびっくりしたのだが、実は前年に、タイ国民全てが敬愛する国王である、

プミポン国王が亡くなった為、国民は喪に服していたのだ。。

その為、お酒を買える時間が決まっているとの事だった。

 

モニュメントのある通りの高校に、黒と白のリボンが外壁の上に張られていたのに違和感を覚えていた僕だが、実は今タイは国王の死を悼み、ここ数十年で、一番国民が悲しんでいる時期であったのだ。

 

タイバーツに描かれているプミポン国王は、何か、ただの旅人の僕にも親近感が生まれる。

それは、国王の肖像画などが普通に売られている事や、支払いのたびに目にする、この人相の良い人物が、いかに国民に愛されていたかを実感させられるからである。

 

外国でこんな感覚になるのは初めてであった。

僕もタイにいる間に、自然とこの国王の事を好きになり、敬愛してしまっていたから不思議なものである。

それほどタイは、一旅人をそういう感覚にさせる程、激動の東南アジア時代を生き抜いた国王への、愛情が凄いのだろう。。

 

 

そんなこんなで、とにかくバンコクは、ゆったりと沈没して良し、色々とアクティブに歩き回って良しの、何でもある、遊園地の様な、色々な楽しみ方が出来る夢の国である。

 

アジア国のディズニーランド とでも言っても過言では無い都市なのである。

 

旅人が癒しを求めてタイに帰ってくるというのは、たぶん本当だろう。。

それほどタイは、旅人に優しいのだ。

 

皆様がもし、初めて海外旅行を考えているのなら、難易度の高すぎるインドより、確実にタイがおすすめと言い切れる僕であった。

 

旅は続く。

 


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↑ タイは皆を笑顔にする 笑

 


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↑ 王宮前と僕



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↑ 目印になるモニュメント



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↑ 不思議な光が射すカオサンロード

 こんな光景に出逢えるのも 外国ならではである

 

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↑ 国民に愛された プミポン国王

     僕もなぜかいまだに敬愛している。

 

 

次話

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世にも奇妙な寝台車

 

第145話

世にも奇妙な寝台車

 

フアランポーン駅に早めに着いた僕は、時間を潰す為に、駅近くの小さな飲み屋に入っていた。

 

チェンマイ行きの寝台列車の出発までは、あと一時間以上ある。

駅にすぐ戻れる小さなお店で、僕は寝つきを良くする為に、アルコールを体内に入れる事にしていた。

正にこれから僕は「深夜特急」に乗るわけだ。

小説の本来の意味とは違うのだが、勝手に興奮してしまい、それを鎮める意味でもビールが飲みたかった。

 

店先のテラスに陣取り、ビールを飲んでいると、隣の白人の若者3人組がやけに盛り上がっていた。座る時に「ハロー。」と挨拶しておいたのが良かったのか、

彼らは「一緒に飲まないか?」と誘ってきた。

彼らはアメリカから来た旅人で、

デイブ、ディラン、ネイトとこれまたアメリカ人だなぁという名前であった。

彼らは頼んだツマミを、僕にも分けてくれたので、僕も2品頼んで、シェアする事にした。

デイブは熊の様な大男だが、彼の目は優しい。

ディランは陽気な男で、瓶ビール片手によく笑う。

そしてキャップを被り、顎鬚を生やしたネイトはクールで無口だ。

彼らはとても仲が良く、楽しそうだ。

この3人で、しばらく旅をしているらしい。

 

そして話の流れで、

「これからどこに行くのか?」とディランに聞かれたので、

チェンマイに寝台で行く」と言うと、

なんと彼らも寝台でチェンマイに行くという。

あまりの奇遇さにデイブが喜び

「それは良いな!席を変更して、

 俺たちの近くに来なよ!」

と言ってくれたので、

(それは良いアイデアだ。)と思った。

なにせ外国での初めての寝台旅である。車内には盗人もいると聞くし、知り合いといた方が心強い。

そこで僕らは、自分たちの席を確認する為に、お互いチケットを見せ合った。

 

だがそこにあったのは、悲しい事実であった。実はチェンマイ行きの寝台列車は、一晩に3台程が出るのだ。

僕の乗る列車のかなり後の、22時発の寝台に彼らは乗ると言う。。流石に僕は、19時あたりに出る、自分の電車に乗りたかった。

話していて、やけに気のあった大男のデイブが

「列車も変えれば良いじゃないか?

 なぁマサミ、急ぐ旅でもないんだろ?」

と旅人には、真っ当な正論を言ってくれたが、彼には悪いが、やはり22時まで飲んで列車を待つのは億劫だった。なので、残念だがその申し出を断った。

 

実はバンコクからのチェンマイ行きは、寝台列車と言うよりは、

「" 寝台車付きの電車 " が、昼から走っている」

というほうが、イメージに合う。

何故なら、普通座席の2等や、3等席も一緒に連結して走っているからである。  

(これはベトナム統一鉄道も

 同じシステムである。)

 

そんな僕は発車時間のギリギリの、10分前まで粘って飲んだ。彼らがとても良い奴らで楽しかったからである。

最後に支払いをしようとしたところ、それまで無口だったネイトが口を開いた。

「マサミ、いい、ここは俺らが出すよ。

 せっかく会えたんだし、楽しかったからね」

と言ってくれたが、

「流石にそれは悪いよ、俺も楽しかったから

 割り勘にしよう。」

と断ろうとすると、今度はディランが

「いや、俺たちは同じチェンマイにいくだろ?

 またチェンマイで会うだろうから、

 その時にはマサミが出してくれたら良いさ」

と、こともなげに言ってきた。

僕は彼らの気遣いに、心の底から温かい気持ちになった。

最後に大男のデイブが

「だからマサミも一緒の電車で行くんだ〜!」

と笑いながら冗談で羽交締めにしてきた事も、最高に嬉しかった。

 

僕は笑顔でお礼を言って、もう一度彼らの顔を見た。バンコクの最後に、最高の出会いであった。そして、

(この気持ちのいいアメリカ人達の顔を

 俺は決して忘れまい!)

僕は心に焼きつけた。

 

急ぎながらも、駅には3分ほどで着く。

ギリギリな時間なのに、勝負師の僕はすぐに駅には向かわずに、コンビニに入った。

そして全速力でビールと、ツマミを買った。

走って駅にたどり着き、時計を見るとまだ5分前である。

(さすが俺! 間に合う男だね。)と先程の飲み会もあり、僕はいい気持ちなっていた。

 

出発ホームは、バンコク駅についてすぐ、前もって確かめておいたので、車両を見つけ、駅員をがいたので、僕の乗る車両を聞いてみた。

駅員さんはチケットを確認し、僕が外国人なのをみて、わざわざ席まで案内してくれた。

(やはりタイの人は優しいなぁ。。)とニコニコしていると、車内で指定された場所は、向かい合った2人掛けのボックスシートだった。。

訳がわからなかったが、彼に促されてとりあえず座ってみた。席の前に、向かい合ってもう1席ある。ボックスシートだ。

明らかにベッドではない。。

「え? えと、寝台。。寝台ってナンだっけ?

 えーと、アイ バイ ザ スリーピングシート。

 あ、あ〜、アイ ニード ベッド。オーケー?」

と焦って聞くと、彼は全く動じずに、

「ここです。間違い無いので大丈夫ですよ。

 あなたはここで眠れます。安心して。」

と笑顔で言い残し、ホームに戻って行ってしまった。

 

 ……。 え? ええ? いや、、席。。

 あ、ああれ?  ぼくのベッド… どこ?

 

「狐につままれる」とは正にこの事である。

この諺の意味を、僕は初めて身体で理解した。

そして、キョトンとして、アホの子の様に泣きそうな顔で呆けていた。

 

だが、いつまでも「つままれている」訳にはいかない。僕は意識を取り戻し、考えた。

 

つままれたと言うことは、つまんだ悪い狐がいるはずだ。だが、さすがにツアー会社の店長さんがそんな事をするはずはないし。。だとすると、単純に席を間違えて取った??

いや、、? そんな単純なミスをするだろうか?

それに彼とは、

「2段ベッドなので、ベッドは絶対に、

 下のベッドにした方がいいですよ。

 そんなに値段も違わないので。」

と言うやりとりもしてたはずだ!

まちがえるはずが無い!!

と言う事は、案内された席が間違えている??

だが、壁に書いてある席の番号は、僕のチケットの番号と一緒である。。

そして拙いとはいえ、さっきの僕の

「寝台に乗りたいんだ!」という英語は、駅員さんにとちゃんと伝わったはずだ。

 

(一体どういう手違いなのだろう??)

 

僕は周りを見回してキョロキョロしていたが、斜め後ろの若い女性は、外国人が苦手なのか、僕と目が合うと怖そうに目を逸らすので、理由を聞く事も出来そうになかった。

 

しばらくすると、車掌さんが来た。

天の助け!とばかりに今度は彼に聞いてみた。

改めて「寝台席」のチケットをもっている事を一から話した。そして、

「僕はベッドタイプだと思っていたんですが、

 このボックス席は足を伸ばして寝るタイプの、

 そういう… " 3等寝台?" なんですか。」と聞いてみた。

すると彼は笑いながら、丁寧に説明してくれた。

 そしてそれは、衝撃の事実だった!

20時を過ぎたあたりで、ベットメイキングをするので、それまではボックスシートだと言うのだ。

僕は理解が追いつかず、

「え、ええ? あの、、これがベッドになるの?

 本当に?  どう言う事? なのですか。。」

と聞くと、

「ここは寝台車で間違いなく、

 とにかくベッドで寝れるので、

 安心して待ちなさい。」

と優しく諭された。

 

僕はまだ半信半疑だったが、彼の笑顔と言葉を信じる事にし、とにかく席に座り待つ事にした。

ウキウキしていた気分は無くなり。僕は神妙に席に座って待っていた。

やがて列車は出発時刻通りに動き出し、夜のバンコクへと滑り出していった。

 

僕は自分を落ち着ける為に、とりあえずチャンビールを開け、車窓を眺めながら暗闇の中に、まだ見ぬベッドを想像していた。

 

 

つづく

 

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↑ 僕が乗った「深夜特急


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↑ 後ろの席と同じで、僕の席も

     2席のボックスシートだ😅

 

次話

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ボーイ ミーツ ガール

 

第144話

ボーイ ミーツ ガール

 

陽気なインド人による「世界運び屋育成計画」から解放された僕は、いったん宿に戻っていた。

 

意外とドキドキしていた僕は、宿に戻って一刻も早く日本人に会って安心し、あわよくば今の話を聞いてもらい、心を落ち着けたかった。

しかし皆出かけてしまったのか、クーラー付きの涼しい部屋にいるのか、共用スペースには人はいなかった。

 

僕が土足厳禁の一段上がった共用スペースの上で寛いでいると、初日のゴーゴーボーイガール(勝手に僕が名付けた)が、顔を出した。

彼女は一緒にいた二人が先に日本に帰ってしまったので、なんと無く手持ち無沙汰なようだった。

大箱の日本人宿にはありがちなのか、なんとなくマウントの取り合いがあるように思う。

明るくハキハキしている美人の彼女は、ゴーゴーボーイに来なかった、他の女子グループに馴染め無かったのか、ここ2日、一人でいることが多く、僕は少し気にかけていた。

「サワディーカァップ。お疲れ〜」

と少しおどけてタイ語で挨拶してみた。

「いや、私日本人だし。。サワディーカー!」

とノリツッコミの要領で挨拶を返してくれた彼女と話す。

 

僕は早速、先刻あった「運び屋の一件」を話してみた。すると彼女は目を輝かせて、

「ええ? いいじゃん! 凄くいい話だね!

 え? 断ったの〜? もったいなく無い?」

と、とてもウブな反応をしてきた。

 

それを見た僕は、

(この娘、何回もタイに来てるのに、

 全然擦れてないなぁ。。高校生みたい 笑)

ととても好感を持ってしまった。

 

僕は今後の彼女の為に「運び屋」になる事のリスクを、まるで海外旅行マイスターのように、一から十まで、その可能性を含めて色々と、まるで授業の様に、彼女に話した。

 

彼女は本当に感心した。という様な顔で、

「えー、そうなんだぁ。。

 あっぶなぁ。私だったら引っ掛かってるかも〜

 すぐそこの宿にいるんだよね。。

 ありがとう。気をつけるぅ。」

ととても素直である。

初日に少し話した時から思っていたのだが、彼女は「ゴーゴーボーイで、男の裸が見たい!!」と豪快なことを発案する割には、

(何か繊細なところがありそうだなぁ。)と勝手にこっちが思っていたのだが、、落ち着いて話してみた彼女は、やはり気のいい、可愛らしい普通の女の子であった。

きっと、仕事が大手でキツイので、タイに来た時くらいはハメを外したいだけなのだろう。。

 

話は盛り上がって、僕のこれまでの旅の話をすると、彼女は目を輝かせて聞いてくれた。

特にベトナムジャイアンこと、ティン君との件や、「零式 牙突」を発動した所為で、十数人のベトナム人に追いかけられたくだりは、涙を流して笑っていた。

「やばい! アヅマ君、るろうに 過ぎるわ〜!」

と大爆笑だ。

「俺の酒場刀(さかばとう)は、

 切れ味が違うからね。」

と言うと、腹を抱えて「もうやめて〜 笑」と悶絶していた。

 

そんな彼女と楽しい時間を過ごしていると、いつのまにか1時間以上たっていた。

「はぁ〜、マジで笑った〜。

 デトックスになりました〜 笑」

と言う彼女に僕も、実は、運び屋の件でドキドキしてたから、話せて気が楽になったよー。

と素直に言うと、彼女も喜んでくれていた。

 

ここで、「海外一人旅がなんで良いか?」という話を挟みたい。

心労や、心に澱が溜まると、海外に行きたくなる。それは、海外に行ってストレス解消!という事だけでは無い。

バックパッカーをしていると思うのだが、高級宿でリゾートしたり、パックツアーで安心安全。。と言うのではなく、身体一つで人にまみれて旅をしていると、自分の肩書きというか、日本にいる、仮面を被った自分から離れて、ただの、いち旅人になる。

それは、ただのひとりの日本人であったり、ただの東正実に過ぎない。

そうすると、不思議なもので、本来の生の自分になっていくのだ。

(ああ、俺ってこう言う人間だったんだなぁ。)

と、イライラや時間や仕事に追われなくなった自分が、(本来 こう感じるんだ。。)

とか、本来はこんなにのんびり待てるんだなぁ。。とか、「自分は人間が好きなのか?」と魂のレベルの感性の、自分自身を感じることができて、その原始に戻っていくのだ。

これは不思議なもので、身ひとつで旅に出た事のある人は、皆わかる事だと思う。

そうすると、自分本来の人間性と価値、そして譲れない価値観、どうでもいい許せる事というものがハッキリとする。

よく、海外旅を「自分探しの旅」と言うのは、そういう事だと思う。

 人を知り、己を知る。

それは昔から日本国内に限らず、一人旅の醍醐味なのだろう。

 

そんな僕は、海外で素直な自分になっている彼女と話していて、とても癒された。

彼女も僕と話すのが楽しかったのか、

「これからどうするの?」と聞いてくれた。

だが残念なことに、僕は今夜寝台列車で、バンコクを離れるのだ。。

なんか、田舎から夜行で、東京に出る人はこんな気持ちだったのかな?

と後ろ髪を引かれ、不思議な気持ちになった。

 

彼女はとても残念な顔をしてくれていたが、本来前向きな性格なのだろう。

「そっかぁ、気をつけてねー!!

 また遊びに行こうね!」

と明るく激励してくれ、散歩に出掛けて行った。

 

僕は昔から竹を割ったような真っ直ぐな男なので、僕の周りも、気持ちの良い男友達や、気のいい女友達ばかりなので、あまりマウントしてくるというような女性達には出会ったことが無い。

こんないい娘さんをハブっている(僕からみるとそう見えた)マウント女共が、もの凄く下らなく思えてきた。

 

悶々として、単純な僕は、

「彼女の味方でいる為に、

 チェンマイ行きを延期しようか?!」

とまで、謎の正義感を発揮していた。

 

やがて、ナンちゃんが自分の部屋から降りてきたのか、僕を見つけて話しかけてきた。

ギター片手のナンチャンは、餞別に、

「ズマさんの為に、なんでも歌いますよー。」

と相変わらず柔らかく優しい。

 

色々と考え過ぎた為か、センチメンタルな気分の僕は、ナンちゃんについ「尾崎豊」をリクエストした。

「なんでも良いっすかー?」という彼に、

「なんでも良いから尾崎を。。」

と、謎の尾崎好きの二人の会話を終えて、ナンちゃんは、弾き語りをしてくれた。

 

てっきり「15の夜」だの、「17歳の地図」を歌ってくれると思っていた僕にナンちゃんは、何故か「I LOVE YOU」を歌い出した。

 

(何故に選曲、 I  LOVE YOU?

 さっきの僕らの会話きいていたのかな?)

と不思議に思っていると、彼は本意気で歌い出す。

「あぃらぁーぶ、ゆー、いまだぁけは、、

 かなぁしいぃうたぁあ、ききぃたくないよぉ」

と目を瞑って歌い出した。

ちょっと…  尾崎なら歌は好きだが、尾崎本人は「劇団ひとり」ばりに、少し笑えるだけの余裕を持って好きな僕は、彼には悪いが笑いそうになっていた。

逆に、尾崎好きには本人が好き過ぎて「神格化」し、一切笑いが通じないファンもいる。

これは、尾崎好きの七不思議のひとつで、

「尾崎が好きか? 楽曲が好きか?」というのは、

「卵が先か、鶏が先か…」論争に似ている。。

彼の「永遠の胸」という楽曲ばりの、尾崎好きの永遠のテーマでもある。

 

2番が始まると、「アイラービュー♪」の下りからナンちゃんは何故か、僕の目をまっすぐ見ながら歌い出した。。

よく尾崎好きがカラオケで、本命女子を口説く時に、「アイラブユー」のくだりを、その娘の目を見ながら歌うとは、都市伝説的に聴いていたが、まさか自分が男性から、こんなに真っ直ぐに目を見られて歌われるとは思ってもいなかった。。

 

最初は、笑わせようとしてるのかな?と思っていた僕だが、彼は真剣に歌っている。。

え? 彼ってそっち系なの??と思ったり、

(いや、「あの子まじ可愛いっすよねー!」

 とか話してたし、女の子が好きなハズだ!)

と頭の中を、彼との思い出が走馬燈のようにグルグル回っていた。

 

その割には僕はどうかしているのか

(うーん、ナンちゃんだったら、

 まぁ、、良いかな?)

という感情もある。

 

ここタイにいると、何が正しいのかわからなくなる。

「受け入れる」という事が自然すぎる優しいタイランド。ここで過ごしていると、自然と性の垣根はなくなっていく。。

何しろ、レディーボーイ達も美しく、可愛らしいので、色々な事が曖昧になるのだ。

僕が出会った長期旅行者も、タイで最初に付き合った恋人は、レディーボーイだと言っていた。

(この娘、、タイプすぎる。。)

と、女性だと思って口説き落として、デートを重ね恋人となり、良い雰囲気になったある日、2人は自然と愛を確かめ合う事になった。

そして、いざホテルで事に及ぼうとしたところ、

ベットで彼女は、彼の顔を手で覆い隠し、

「ストップ!」

と謎のおあずけをしてきたらしい。

(え、えええ? ここまで来て。。?)

と彼が呆然としていると、彼女は申し訳なさそうに言ったらしい。

「ソゥ ソウリィ。。アイム レディボーィ。」と。

 

彼女が女性だと信じ込んでいた彼は、ビックリして一瞬たじろいだ。

だが目の前の彼は… というか、彼女は女性でもある。。

 

彼は少し間を置いてから、心のこもった最高の棒読みで、

「ノォ… ぷろぶれむ!」 と、

僕が人生で聞いた中でも、

史上最高の「ノー プロブレム」を発動したらしい。

 

彼が後に言っていて、僕が感銘を受けたのは、

「人と、人ですやん。関係ないですよ。

 相手が愛おしいかどうか。それだけです。」

という、人間愛に溢れた言葉であった。

彼は、優しい悟り切った様な顔で、遠くを見つめながら、綺麗な瞳でそう語っていた。

(その後別れてしまい、今の恋人は女性らしいが)

 

それは、妙に納得させられるエピソードであった。 だが僕は、そっちのけは全く無い。

(どう傷つけない様に断ろうか…。。?)などと思いながら、こんなに真っ直ぐに歌われて、僕は顔が真っ赤になっていた。

 

やがて歌い終わったナンちゃんは、悪戯っぽく笑いながら「心を込めて歌いましたよ。」言った後に、ニヤつきながら、ギターのチューニングを始めた。

 

(なんだよ!? ビックリしたなぁ。。

 冗談かよー! もう。。)

と思っている僕には目もくれずに、彼はギターを調整している。

 

そんな彼を見ながら、からかわれたのが分かったが、何処か一つ引っかかっていた僕は、

(本当は、どっちなんだろうか?)

という疑問が頭の片隅から消えなかった。

 

まぁ、ナンちゃんはええ男やし、まぁええか。

と、人間として大好きなナンちゃんから、人間として好きだと言われたのだ思い、僕は「うんうん。」と頷きながら、旅立つ準備を始める事にした。

 

その後、宿のスタッフとして残るナンちゃんに、少しカッコつけて、

「先程の、ゴーゴーの彼女が心配だから、

 ちょっと気にかけてやってくれないか?」

とお願いしたところ、ナンちゃんにサラッと

「いや、彼女、明日帰りますよ。」

と言われ、僕は盛大にズッコケた。

 

つづく。

 

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↑ 近所の屋台でコーヒーを買い、歩く僕。

 

 

次話

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「君、〇〇屋にならないか?」

 

第143話

「君、〇〇屋にならないか?」

 

夜は意外と涼しいのか。。それとも身体が慣れたのか?

昨日もクーラーなしの部屋で、僕はぐっすり眠れていた。

 

朝早く起きた僕は、シャワーを浴び、朝の散歩に出かけた。

いつもの犬の少ない通りを通っていると、インド人らしい二人が、ホステル宿の前の道にせり出したテーブル席で、通る人皆に声をかけている。

最初は女性に声を掛けていたので、

(ナンパかな?)くらいに思って、その前を通ろうとすると、僕にも声を掛けてきた。

 

にこやかな笑顔だが、何か胡散臭い雰囲気を感じる。

一瞬、無視して通り過ぎようとも思ったが、前に通り過ぎた白人女性も挨拶くらいは返していたので、さすがに無視して通り過ぎることは失礼に感じた。

 

「ヘロー。なんですか?」と聞いてみると、

「ヘイ!元気か!? 

 どこに行くんだ? ナニ人だい?」

とテンション高く聞いてきた。

(ずいぶんと、一辺に色々聞いてくるな。)と苦笑いしながら、

「日本人で、散歩してるところだ。」

と言うと、彼らはいきなり笑い始めた。

 

(うん? なんじゃこいつら??)と僕がカチンとしていると、うち一人が笑いながら

「ユー ライアー! ノー! 

 ユー アーインドネイジアン!」

といきなり失礼なことを言ってきたので、

「誰がインドネシア人なんじゃい?!

 日本人だって言ってるだろう!」

と強めに言うと、

「オー? リアリー?!」とびっくりしている。

 

話を聞いてみると、どうやら悪気はなかったらしい。 彼らは僕のことを、

”「アイム ジャパニーズ」と

 ギャグを飛ばしてきた インドネシア人  ” 

だと思ったらしい。。

 

そういえば前にも、インドネシアの人に間違えられたことがあった。そんなにインドネシア人に見えるのだろうか??

僕は自分が本当に日本人なのか、自分でも自信がなくなってきた…。

それにしても、インドネシア人に間違えられた僕よりビックリするのは止めて欲しい…  ホントに (^_^;)

 

彼らはお詫びもかねて、

「コーヒーをごちそうするから、一緒にどうだい?」

と誘ってきた。ちょっと怪しい二人組だが、まあ、こちらも暇だし、何より無料でコーヒーが飲めるのはありがたい。

彼らのテーブルに座り、コーヒーをすすりながらいろいろと話をする。

やはり彼らはインド人であり、商売でタイに来ているという。そのうち一人はシヴァという名前で、ヒンドゥー教最高神と同じ名前である。

 

彼らと意外に話は弾み、向こうは僕を相当気に入ったようで、事あるごとに爆笑している。そして、事あるごとに、こう言ってくる。

「マサミは本当に面白いな!最高だ。

 オレ達はもう友達だ!いや、親友だ!」

今あったばかりなのに、僕は勝手に親友認定されていた。

商売についてよく聞いてみると、実は宝石商をしているという。インド人にはそういう商売で各国を飛び回っている人間がいるというのは、風の噂には聞いていたが、実物を見るのは初めてだった。

その後、話はさらに盛り上がり、一緒にやろうと誘われた僕は、ロビー横のスペースでビリヤードまでした。(このゲーム代も彼らの支払いだ。)

2ゲームした後、また路上テラス席へ戻ったが、僕はのどが渇いていた。

「何か飲むか?」と聞かれたので、さすがに悪いと思い、

「ビールを飲みたいので自分で払う。」

とシヴァに伝えると、彼は笑いながら、

「なんだ、マサミ。ビールが飲みたかったのか?」

と勝手にフロントのスタッフ言って、ビールをご馳走してくれた。

 

それから僕が、横浜から来たというと、横浜にも商売相手がいると喜んでいた。

ここで彼らは急にトーンを落として、僕に

「是非、商売に参加しないか? 」と不思議な提案をしてきた。

それは、宝石を預けるので、帰国する時に一緒に持っていってくれないか?

というものだった。預かった宝石を運ぶだけで2000ドル(22万円)のギャラまでくれるという。

 

僕は、(ははあ、なるほどな…)と思っていた。

そして同時に、彼らが道行く人に、だれかれ構わず声をかけていた理由にも合点がいった。

彼らは宝石を運んでくれる人間を探していたのだ。

 

前に読んだ本に、宝石やら、楽器や、タバコさえも量が多いと、関税がかかって、結構なお金がかかると書いてあった。

それらを関税がかからない様に、又は安く済ませる為に、小分けして運びたいのだ。

その為に、帰国するついでに宝石を運んでくれる人間を探していたのだ。

それは何人いても困らないのだろう。

要は「運び屋」をしてくれる人間を探していたのだ。そして僕はまんまと引っかかった人間と言うことだ 笑

 

まぁ、今聞いた限りでは、合法な品物ではある。。が盗品かも知れないし、直前でヤバいものを運ばされないとも限らない。

色々と奢ってもらったが、そんなことは気にせず、僕はサクッと断った。

 

あまりにパシッと「やりません」と断ったので、彼らはびっくりしていた。

「ええと。。マサミ。これはいい話なんだ。

 友達だから、このいい仕事を紹介したんだよ。

 なんで断るんだい? どうして。。

 それに君には、色々ご馳走してあげたし、 

 色々と良くしてあげたじゃないか?」

そうシヴァが優しく説得してきたが、がんとして僕は断った。

 

「世の中には、うまい話などない」と言う事は、子供の頃から僕はよく理解している。

なので、意外とそういうビジネス?(詐欺?)には、疑り深く慎重である。

幼少期に、父が会社を畳み、急にフリーで山師のような商売を始めた関係で、色々と世の中の与太話を聞く機会が多かった。

たまに急に大きな事を言う父の話では、我が家はとっくに億万長者になっていなければおかしかった。 そして億万長者どころか、なぜか未だに貧乏旅行者の僕には、

 金儲けとはそんなに甘いものではない。

ということは、身に染みて、DNAレヴェルで刷り込まれている事なのであった。

 

そんな僕は、色々奢って貰った事など、まるで無かったかのように平然としている。

彼らは、こんなに奢ってやったのに、こんなに恩知らずで、後ろめたさを感じない人間に初めて会ったのだろう、、顔を見合わせてびっくりしていた。

だが彼らも商売だ…  びっくりしながらも、

「いや。。 でもさ、マサミ。

 流石に少しは考えるべきじゃないか?」

と彼らは当然、恩を着せてくる。

 

確かにちょっと悪いなと思っている僕は、それもあり、少し考えてからこう言った。

「いや、ご馳走のなったのは僕も感謝しているよ。

 でも、君たちは友人として、

 好意でご馳走してくれたんだろ?

 ずっと君たちは僕の事を、

 親友だって言ってくれてたじゃないか?!

 それとも、そんなつもりじゃ無くて、

 口だけでそう言ってたのかい?

 だったら、今までの払いは、全部払うから

 そうなら、そう言ってくれ!」

 

すると彼らは動揺し「そうじゃないよ。。」と口ごもった。

 

さらに僕は畳みかけた。

「君たちは僕を友人だと言ってくれた。。いや!

 親友だとさえ言ってくれた。俺は嬉しかった!

 おれは友情を大事にするから、友人とは

 トラブルになりたく無いから、日本でも

 友人とはビジネスをしないと決めている。

 君たちは、ビジネスパートナーじゃなくて、

 おれとは友達なんだよね?

 ねえ? どっちなんだい?!」

と捲し立てた。

 

この場から逃れる為に、適当な事を、これまた適当な英語で言っていたので、嫌な顔をされてバイバイを覚悟していたのだが、何故か僕の演説は、彼らの心を打ったらしい。

彼らはキョトンとし、再び顔を見合わせた後、お互いにうなずいたかと思うと、シヴァが真面目な顔でこう言ってきた。

「マサミ、君の言うとうりだ。その通り。

 君は友達だ。だから君の言う事を尊重したい。

 そう、俺たちはビジネスじゃなくて、

 友情で繋がっている。

 君の言ってることは正しい。

 その通りだ、許してほしい。 そうだ!

 お詫びにもう一杯ビールはどうだい?」

 

まさか百戦錬磨のインド人に、ここまで僕の口八丁が通じるとは思わず、僕は思わず動揺してしまった。そんな僕の心はつゆ知らず、彼らは真剣な顔で僕に向き合ってくれている。

なぜか僕が思ってる以上に彼らは、僕の事を気に入ってくれていたようだ。

 

それから彼らは全く、ビジネス?の話はしなくなり、また話は続く。

勿論、彼らは僕の事を諦めた分、僕と話している間もどちらかが必ず、目の前を通る人達に声を掛ける事は怠らなかったが 笑

 

シヴァは陽気で女性の話しかしない。
最近珍しいガラケーの彼は、若いタイ人らしい女性の写メを数枚見せてくれ、
「全部タイの俺の彼女だ。 俺はもてるんだよ。」 と嬉しそうだ。
たしかにこれだけ人に声をかける彼だ。陽気だし、ナンパなど朝飯前であろう。
それに宝石商だといえば、たしかにそれはモテるだろう。

 

話の流れで、僕が今日チェンマイに行くつもりだと言うと、もう一人が
「おお、そうだ。

 そろそろ移動しようと思ってたところだから、

 俺たちもマサミと一緒にチェンマイに行こうか。

 なぁ、シヴァどうだい?」
と言い出したので、丁重にお断りをした。

 

わざわざ何時の汽車に乗るのかも聞かれたので、
(マジで付いてくるつもりなんか…) とちょっと怖くなった僕は、

「うーん。。 何時だったかなぁ…?」 とすっとぼけてみせた。

 

話をしていると、陽気ないい奴らなのだが、なんせ胡散臭さがかなり匂い立つ。。

(行ったことはないが、インドってこんな感じなんだろうな…)
と、僕はまだ見ぬインドを勝手に想像しながら、お礼を言って握手をし、
「どうしても連絡先を交換したい!」

と言われ、さすがに断るのも悪いなと思い、念のため、あまり使っていない方のパソコンのメールアドレスを教え、彼らと握手をして別れた。

 

うーむ。。 朝からなかなかのインド疑似体験であった。

 


つづく

 

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バンコクの路地


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↑ ビジネスを持ちかけてくれた親友?

 いい奴だが、どこか胡散臭い。。 笑

 左は、日本産のインドネシア人。

 

 

 

次話

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入国拒否のリリーさん。

 

第142話

入国拒否のリリーさん。

 

アーバスはまだ日の残る、夕方のカオサンロードに戻ってきた。

僕らは挨拶を交わして、それぞれに散っていった。

 

僕はその足で、例の日本人ツアー会社に向かっていた。もちろん文句を言う為にだ!!

…というのは冗談で、実はこれからの予定を、車中で、景色を見ながら決めていたのだ。

 

都会のハイウェイを走りながら僕は、そろそろ田舎にいく事に決めていた。その事を相談する為に店長さんの元へと急いでいたのだ。

カオサンからしばらく歩き、今日のスタート地点であった、ツアー会社に戻って来た。

窓口には、例の日本人店長さんがいて、僕をみるなり立ち上がって、謝って来た。

 

「もっ! 申し訳ございませんっ!!」

という、高島政伸さんのドラマ「ホテル」の様な謝罪スタイルではなく、

明るく「東さん、ごめんなさいね〜🙏」

という感じで、そんなに怒っていない僕も、

「も〜、勘弁してくださいよ〜。」と半笑いだ。

タイでは、何事も深刻にならない。

これは、人間関係を上手くいかせる、そんなほんわかとした気遣いでもあるのだろう。

そんなゆるい2人が、これからについて話し合う。

 

僕は、チェンマイに行きたい旨を伝えた。

店長さんが最初に勧めてくれた、

「ザ・タイを感じたいならここです!」と言っていた、タイ 第二の都市だ。

すると、店長さんは「是非行きましょう!」と相変わらず、強く勧めてくれた。

 

彼がいうには、タイもここ数年で物価や、いろいろなものが変化して来ていて、チェンマイを感じるなら、今を逃したら、もう次に行く時には、違うものになってしまっている可能性が高いとの事。

 今が、本来のチェンマイを旅する

 ラストチャンスですよ!!

と強く言われた。

 

そんな僕は、もうこの場で、明日の寝台列車のチケットを手配してもらう事にした。

この日本人ツアー会社の便利なところは、ここでチケットを手配してもらって、支払いまで出来る事だ。

わざわざ駅まで買いに行かなくてもいいし、日本語で細かく確認も出来る。

本当に素晴らしい場所である。非常に助かる!

乗車駅は、以前「行き先が分からないバス」で偶然到着した、フアランポーン駅ことバンコク駅だ。

(出発駅が、行ったことのある場所なのは、

 旅人にとっては、非常に安心感がある。)

 

手続きをして貰いながら、色々と話をした。

彼が言うには、やはりタイに住む日本人同士は仲が良いらしい。

僕が以前泊まっていた、オンヌットの宿のオーナーさんともたまに呑む仲らしく、僕と彼との言い争いエピソードを話すと、店長さんは大笑いしていた。

「2人とも、ちょっと似てますもんね 笑」

とも言っていた。

 

何にせよ、オンヌットの宿のオーナーさんも、この店長さんも、人柄が素晴らしく、心からの柔らかい笑顔の持ち主だ。

なんだかんだいっても、異国での生活と仕事だ。色々と大変な事もあるだろうが、彼らはとても自然体で幸せそうで、少し羨ましかった。

そして、そんな彼らにつられて僕も、つい笑顔になり、幸せのお裾分けを貰っているような気がしていた。

 

色々とおしゃべりしだすととキリがないので、切り上げる事にし、僕はお礼を言って、握手をして別れた。

 

夕闇のカオサンロードを歩きながら、カオサンの喧騒も今日までか、、と名残惜しかったので色々と歩き回ってから日本人宿に戻った。

 

宿では相変わらず、共有スペースに人が集まり、わいわいやっていたり、他にもベンチでゆったり酒を飲む人など、皆思い思いにやっている。

そこで僕はまずキッチンに行き、ビールを貰い、皆が集まる所へとビール片手に参戦する。

丁度、話が盛り上がっている所で、隣にいた若者が僕に経緯を説明してくれた。

 

今、話題の中心になっている「リリーさん」という渾名のひょろっとした中年男性は、イギリスで行われる、世界最大の音楽の祭典であるという、

グラストンベリー・フェスティバル」に行くはずだったというが、空港で入国審査で引っ掛かり、そのまま入国拒否に遭い。仕方が無いので、憂さ晴らしに 急遽タイに来たという。

 

日本で、入手困難なチケットを取る為に、わざわざバイトを10人ほど雇い、チケットを取れた人には10万円ボーナス! という事までやって、やっとこさチケットが取れたらしい。

(フェス好きの人には、この音楽フェスは、

 いくらお金をかけてもいいフェスらしい。)

 

チケットには転売を禁止する為に、住所や顔写真を登録して初めてチケットが買える。

2枚取れても、使えるのは本人一枚であるが、そんな事お構いなしに、バイトさんに、必死にチケット申し込みをして貰ったらしい。

その甲斐あって、無事チケットは取れ、彼はそれが楽しみで、先月からワクワクが止まらず、夜も眠れなかったという。

 

ところがである。いざイギリスの空港に着いたところで、入国拒否されたという。

チケットの不備で会場に入れない。。と言うのはよく聞くが、そう言うレベルでは無く、まず、イギリスの国土に入れなかったのだ。

 

なぜか…? 答えは簡単だった。それは、彼が前科持ちだったからだ。

同時多発テロ以来、イギリスは入国がかなり厳しくなっているらしい。

永住権に関しても本当に厳しく、イギリスに住む僕の友人も、十数年前に、最後のチャンスでギリギリ取れたと言う。

そして今は、本当に審査が厳しく、まず永住権は取れないらしい。

 

そんなイギリスには、もう服役を終え、自由な身となっていても、前科があると入国拒否されるらしいのだ。

皆さんも気になっていると思う、彼の罪状であるが、詐欺罪との事だった。

投資詐欺で、お金を集めて結局警察沙汰になり、実刑を食らったらしい。

 

しかも資産隠しをしておいたので、服役後、ロクに賠償もせずに、その金で債権者から逃げ回って、旅をしているという、ロクでも無い人間であった。。

 

若い子らが「やばく無いっすか?」

「つーか、リリーさん、

 マジ クズじゃ無いですか?!」

と盛り上がっており、本人も苦笑いをして、ヘラヘラしている。

「マジでFacebookにとか写真あげないでね?

 ここにいるとかバレたらヤバいから。」

と本人は反省の色は全く無い。

 

僕は呆れ返り、この歯並びの悪い男を眺めていたが、別にもう服役したわけだし、今犯罪者が逃げ回っているわけでも無いので、もう関わらない事にした。 時間の無駄である。

 

それに僕も色々な人間に出会ってきた経験があるので、何が真実かなどと解らないことを知っている。

世の中には平然と嘘をつく人間もいるので、胡散臭い彼が言っている事も、

(わざわざ自分が元犯罪者だなんて言うかね?

 まぁ、話を聞くところ本当みたいだが。。)

と思いながらも、話半分に聞いていたからだ。

 

しかし、いろんな人間がいるものだ。

そして東南アジアにいる理由も、皆様々だな…

と改めて思わされた夜であった。

 

その後グループから離れた僕は、ギター片手にベンチに座っていたナンちゃんと飲みながら話し、明日チェンマイに発つ旨を伝えた。

ナンちゃんは残念がっていたが、

「ズマさん、また戻ってきて下さいね。」

と明るく言ってきた。

 

どうやらこのまま彼は、ここに長逗留するらしい。聞くところによると、台湾で知り合い、一緒に路上ライブしていた友人が、一週間後にここに来るので、それを待っているとの事だった。

 

そして、さらに面白い事を言っていた。

「実はオーナーさんに、バイトしないかって、

 誘われてんですよねー。。せっかくだから、

 スタッフの仕事を引き受けようかと思って。

 昼は暇ですしね 。」

と明るく言っていた。

 

たしかに彼の人当たりの柔らかさは、ここのスタッフにはうってつけだろう。

もう、先払いで1ヶ月分の宿代は払っているというが、それを割引して、ある程度返して貰えると言っていた。

スタッフと言っても、大した事はしないので、宿に安く泊まれる、気軽なお手伝いくらいのものなのだろう。

何にせよ、人柄が良ければ、一か月もいてくれる客というのは、スタッフ不足の宿には願ったりかなったりの人材なのだろう。

 

ギター片手のナンちゃんと、途中から合流した木下さんとで僕は、彼の伴奏で色々と歌を歌いながら、最後のバンコクの夜を心から楽しんでいた。

 

何故か僕たちは、酔いも手伝い

日本昔ばなしの「にんげんていいな」を大声で歌っていて、歌い終わった後に、大爆笑していた。

 

バンコクの最後の夜は、ナンちゃんのお陰で、最高の夜となった。

 

つづく

 


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↑ 酔っ払った僕と宿のシャワールーム

 


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↑ 近所の飼い猫 寅さん 🥰

 

 

次話

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乗り乗りツアー 最後はお墓参り?

 

第141話

乗り乗りツアー 最後はお墓参り?

 

象へのライドを満喫した僕らツアーメンバーは皆、心なしか童心に戻った様な良い顔をしていた。

 

象から帰ってきた僕たちは、お互いに撮り合っていた写真を交換する事にしていた。

象に乗ってる最中に僕は、写真を撮って交換し合わないか?  と大きなジェスチャーで、その事を伝え、お互い示し合わせていたのだ。

サイヨックさんは僕と同じiPhoneなので、Air ドロップでやり取りができたが、ご夫婦の持っていた携帯は(一体どこのメーカー??)というスマートフォンだった。

ご夫婦は、どうしたらいいの?? と結構テンパっていたが、どうしても写真が欲しい様で、

「どうしたらいい? どうしたらいいの??」

と激しく動揺している。。

彼らは、LINEもGmailもやっていないとのことで、僕からは後から送る事も厳しかった。

 

ここで大活躍したのがサイヨックさんだった。

彼はご夫婦とやりとりをし、交換方法を聞き出してくれた。そして、

「大丈夫だ。 一旦私に送ってくれれば

 なんとかするから、安心しなさい。」

と2人ををなだめてくれた。

確かに象に乗っている写真は欲しいだろうが、あまりの夫婦の熱量に、僕はビックリしていた。

 

その昔の日本人観光客が、みんなNikonやら、 Canonのカメラを首からぶら下げて情熱的に写真を撮りまくっていた様に、海外の方の写真に対する情熱は、時にものすごい事がある。

そういえば、マレーシアのランカウイ島で出会ったトルコ人のブルハムも、僕との自撮り棒ツーショットを撮るのに、気に入ったものを撮る為に、一箇所で10枚ずつくらい撮っていた。。

その写真好きぶりには僕も苦笑していた。

 

写真問題が解決した僕たちは、次の場所へと向かっていた。

着いた場所は、線路沿いの小さなお店が並んでいる国道沿い通りで、広めの駐車場が道の左右にあり、観光バスも止まっていた。

そこから階段を登っていくと、黄緑色の不思議な岩場に出た。

それは巨大な岩の壁だった。そこをチョロチョロと水が流れている。

足場に気を付けて、岩場に上がってみる。

改めてみると、それは美しい自然の造形だった。

今度はお互いの携帯を渡しあい、ご夫婦と写真を取り合う。

(後から調べると、ここは

 「ノイの滝」という滝だったが、

 行ったときは、水が枯れていて、

 岩場にしか見えなかった。。)

 

どうやらここは公園になっているようで、遊歩道も整備されていた。

そこをしばらく行くと、今度は、新橋のSL広場のように、機関車がドンと置いてある。

ここでもご夫婦と写真を撮り合う。

どうやら彼女たちは、僕をマイカメラマンとして、同行させている様子だ 笑

「ここで撮って欲しい。

 ここからが良い、ここから撮ってね。」

と携帯を渡され、注文も多い。

 

だが、せっかくの旅行であるし、役に立てて、喜んでくれるなら、こちらもそれで良い。

SLの運転席にも乗れるので、僕も乗りながら写真を撮ってもらう。

 

ここでも、動かないとはいえ、又乗り物である。

さぁここで、今日の乗り物ツアーを整理してみよう。

 

原チャリ(2人乗り)→  空飛ぶワゴン

→  列車(泰緬鉄道)→  空飛ぶワゴン

→  いかだ  →  象さん →  空飛ぶワゴン

→  SL(蒸気機関車)→  空飛ぶワゴン(帰り)

という、乗り物乗り放題のツアーであった 笑

 

しかもよく考えると、戦争博物館前には ヘリとセスナまであった… 😅

ものすごい乗り物ツアーだ。。運転手が機嫌よく車をぶっ飛ばす所も含めて僕はこのツアーを

 「激しいノリのノリノリのツアー」

と名付ける事にした。

 

そんなツアーは最後の地、セメタリーに到着した。そう、現地ガイドに「最後の場所だ」と連れて行かれたのは、何故か綺麗な墓地だった。

アメリカ映画で見るような、白い十字架のお墓が、大量に、綺麗に区画分けされて並んでいる。

ツアーの最後が " まさかのお墓参り " という、このツアーに、僕はもうズッコケてしまっていた。

「墓地の中に入って、じっくり見て下さい。」

と言われるが、縁もゆかりもない人のお墓に行くのは、眠っている方々に失礼だろう。。

それに、説明によると、ここに眠る彼らが命を落とした原因は、戦争博物館で見た、僕たち日本人の上の世代がした、酷い仕打ちによってである😅

(絶対に眠っている方達に怒られる。。)

もし逆の立場なら、日本人が入ってきたなら、僕ならポルターガイストを発動し、そいつらを追い出すだろう。

 

そんな僕は「お墓はいいです。大丈夫です。」とガイドに言って、その周りを散歩する事にした。

しばらく散歩していると、急にお腹が痛くなってきた。。

早速 お怒りに触れてしまったのだろうか…?  などと考えながら、車まで頑張って戻り、ガイドに、

「トイレは無いか?」と聞くと、これまた、民家なのか、商店なのか? という、本当に小さな駄菓子屋の様なお店を、彼に示された。

そして、かなり限界が迫ってきていた僕は、そのお店に滑り込んだ。

店に入ってみると、よく日焼けした、50前後の細身のおじさんが座っていた。

「トイレを貸してくれませんか?」と言うと、彼は、ニカっと歯のない笑顔で、

「30バーツ(100円)だよ。」と言ってきた。

 えええ? 金取んの?!

と驚いたが、背に腹は変えられない。。

すでに、お腹の状態は風雲急を告げている。

 

だが、僕はここで驚異の粘りを見せた!!

缶コーヒーを手に取り、これを買うから、タダにしてよ。と交渉したのだ。

おじさんは一瞬ポカンとしていたが、意味が通じたのか「OK」と言った後、こう言った。

「なら値引きして、トイレ代は

 10バーツ(33円)でいいよ」

相変わらずニカっと、歯無しであるが愛嬌は凄い!!

(マジか?!  商売上手過ぎるだろ?!)

彼の顔も相まって、僕は笑ってしまい、思わず漏らす所だった。

 

何とかお金を払おうと焦る僕に彼は、

「とりあえずトイレに行っておいで。」と 優しく言ってくれた。

 

後払いでいいシステムに乗っかり、とりあえずトイレに向かった。

トイレはお店の外の細い路地を入った所に、竹で作ったドアがある。

渡してもらったカギで、扉の南京錠を開けて入る。そしてその先にトイレのドアがある。

まるでRPGゲームのノリだ。村人から貰ったカギで、扉を開けて進んでいく。

開けた先には、なんと!

素晴らしく汚いトイレがあった。

色々と前の利用者の思い出が存在する。。

その思い出を踏まない様に、僕は上手いこと足場を決めて、ポディショニングを決めた。

まぁ、言うまでもないが、昔の和式便所である。

 

とにかく、背に腹は変えられない。

何とか上手いこと用を足す。

ティッシュは自分で用意してはいたが、ちゃんとトイレットペーパーがあった。

さすが有料なだけの事はある!

10バーツのトイレットペーパーだと思い、盛大に使ってみた 笑

 

まぁ、何はともあれ僕は、お腹の叛乱を鎮圧し、お店に戻った。

歯のないおじさんは「間に合ったか?」と、またニコついている。

お金は取るが、後払いにしてくれたりと、とても良い人だった。

僕はお礼も兼ねて、コーヒーだけでなくお菓子も持っておじさんに会計を頼むと、

「コップンカァップ」と笑顔で会計してくれた。

 

暑いので車に戻ると、運転手だけがおり、

「もう良いのかい?」と聞いてくるので、僕は

「イエス、イナフ。(もう十分)」と言いながら、涼しい車内で、缶コーヒーとお菓子を嗜んで、みんなを待つ。

しばらく待っていると、やはり縁もゆかりもないお墓は退屈なのか、みんなすぐに戻ってきた。 そしてツアーは終了した。

ガイドを、近場の彼の家の近くに下ろして、車はまた 飛び立とうとしていた。

僕はその時、もう急ぐ必要のないドライバーに、測ったかの様に、

「プリーズ、スローリードライビング。

 メニメニィ セーフティ!!リターン!」

と言うと、他のメンバーも口々に、

「セーフティドライブ! ノット アーリー!」

「モア スローリィードライビング!!」

と同調してくれ、ドライバーも予定がある訳でもなかったのか??

帰り道は、普通に 最速100キロ以内の運転で帰ってくれた。 なんでも言ってみるものである。

この旅に出ていつも思う事は、

人生はいつも交渉であり、人と人がやり取りする以上は、落とし所なのだと言う事だ。

 

そして僕は、ようやく安心してカオサン通りに帰ってきた。

 

そんな僕が到着するやいなや、例の日本人ツアーの店長さんに 色々文句を言いに、真っ先にツアー会社に行った事は、言うまでもないだろう 笑

 

つづく。

 

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↑ ノイの滝(水枯れバージョン)


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↑ 当時走ってたであろう SL機関車

 

 

次話

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象に乗った壮年と少年

 

第140話

象に乗った壮年と少年

 

まさか象さんに乗れるなどとは思っていなかった僕は、本当にこれが現実なのか?とさえ思っていた。

 

タイにあまり詳しくない僕は、ゾウといえばインドかアフリカ、という風に、全く象に対する知識がなかった。

なので、タイで象に乗れるなどという事は、全く予想していなかった。

そもそもタイに象がいるという知識が無かった。。

そういえば読んだ事はないが「星になった少年」の舞台はタイだったっけ?…あれ??

などと、頭がフル回転しながら僕は、象へと近づいていった。

 

象使いの少年に操られ、象はゆっくりと歩いている。少年は、鐙のような鎖のついている象の首の所に跨り、お客は背中に固定された、客席の低いカゴにしっかりと掴まっている。

象使いの少年は、遠目にまだ小学生くらいに見えた。その幼さに僕は驚いていた。

 

ガイドに連れて行かれた「象乗り場」らしい二階建ての建物は、木組みの吹き抜けた簡単なものだが、ちゃんと屋根も付いている。

階段を登り、二階の踊り場から象さんに乗る様だ。

 

丁度今、象ライドから帰ってきた3組が、二階から降りてくる。

僕は早速彼らの表情に注目していた。

実は僕は「顧客満足度」を、店から出て来たお客の表情で見極めている事が多い。日本でも良く、その表情を見極めて食べ歩きをする。

ラーメン屋等でも、出て来たお客の表情から、味が何となく想像できるからだ。

 

そして、階段を降りてくる彼らは皆、満足げな表情で、キラキラと 子供に戻ったかの様な綺麗な目をしていた。それを見た僕は

(これはとてつもなく、

 良い経験になりそうだ。。

 人生観が、変わるレベルの

 体験になるかも知れない…)

と、頭の中がお花畑になる程興奮していた。

 

やがて入れ替わりに階段を登った僕らを、象の背中が待ち構えていた。

この建物は、さすが象乗り場という高さに設定されていて、丁度象の背中のかごと同じ高さになっている。

だが、ぴたりとつけられる訳ではないので、隙間に気をつけて、スタッフにエスコートされながら乗り移る。

象さんがおとなしく言うことを聞いてくれているので、不思議と恐怖感は無かった。

籠は前方が椅子になっていて、座りやすい。

 

象さん達は、とても優しい顔と眼差しをしていて おとなしい。 僕にはそれが意外だった。

以前に見た「世界の果ての通学路」という映画では、アフリカ象は凶暴で、サバンナで一番恐れられていた。

サバンナを通り 学校に通う子供達は、アフリカ象に遭遇すると、息を殺して隠れ、時に見つからない様に迂回して学校へと向かう。

その緊迫感から、いかに象が恐れられているかが伝わって来たものだ。

だが、タイにいるここの象さん達からは、そんな凶暴さは微塵も感じない。

これはやはり、タイのおおらかさが 象にも影響しているのではないだろうか?

そして、それとは逆にアフリカ象には、殺伐としているサバンナの影響が出ているのだろうか? 

そんな事を目まぐるしく考えていた。

 

そして、僕の象の運転手さんは、9歳くらいの利発そうな、可愛らしい少年で、ニコニコしているし、象さんとも とても仲が良さそうだ。

(象使いたちは、20歳くらいの若者や、

 中学生くらいの少年など 他にも数人いた。)

 

やがて象はゆったりと歩き出した。

背中に乗っているので、流石に 籠の手すりに掴まっていないと危ないが、思ったよりは揺れない。そして想像していたより、象の背中はかなり高かった。景色はよく見渡せるが、落下などしたら、大怪我をするだろう。

 

そんな中、後ろを振り返ると、例のクールだったインド人男性のサイヨックさんが、意外とはしゃいでいた。

どうやら象には、クールな人まで無邪気にさせる魔力がある様だ。

 

しばらくゆったりと、象さんは広場を大回りで散歩する。

そして、ちょっとした丘の前にきた時、少年が僕を振り返り、ニコッと笑って

「ケアフル!(気をつけてね!)」と言ったかと思うと、象に合図すると、象は急に駆け足になった。

この、パオーンとばかりに丘を駆け上がるアトラクションは、かなりの迫力で、揺れる客席で、僕は思わず笑ってしまっていた。

「おおっと!  す、すげ〜〜! お、おっ、

 おお! 何だこれ?! ウケる!! 笑」

と爆笑する。

 

丘を登りきって少し歩くと、象は立ち止まり、少年が再び振り返り、可愛らしい声で、僕に話しかけて来た。

彼はほとんど英語は話せない様で、観光客向けに覚えたであろう、単語だけで話してくれるのだが、最初は何を言ってるのか分からなかった。

だが、よく聞いてみると「フォト、フォト!」と言っている様だ。

どうやら「写真を撮らないか?」と誘っている様だ。

僕が「プリーズ」と言うと、彼はすかさず、

「200バーツ(660円)」と言ってきた。

そしてなぜか、「シー」と、口に人差し指を当てて「内緒だよ」とばかりに、ウインクをして来た。どうやら、写真撮影は、彼の小遣い稼ぎでもある様だ。

この可愛らしい象使いさんを、僕は気に入っていたので、お小遣いをあげる事に 別段嫌な気はしなかった。 だが、200は高すぎる。

僕は「エクスペンシブ(高いよ)」と言いながら首を振った。すると彼はちょっと考えて、

「100バーツ」と言ってくる。

いきなり半額になった事に、僕は笑ってしまったが、妥協せずに、さらに交渉してみる。

彼の可愛らしい顔を見ていると、思わず「OK」と言ってしまいそうになったが、さすがに写真を撮ってもらうだけで100はまだ高い。

「60バーツ(200円)」と値切ってみる。

彼はこっちから数字を言ってくるとは思わなかったのか、一瞬キョトンとしていたが、

(しょうがないなぁ)という顔をしてから、「オーケー」といいながら、手を差し出して来た。 僕は自分の携帯電話とお金を渡した。

 

よく考えたら、自分のカメラで写真を撮ってもらうだけで 60バーツは十分高いのだが、

 まぁ、ご祝儀、ご祝儀。

と僕はよく分からないお祝い金のつもりで、彼にお金を渡していた。

きっと、象さんの優しい眼差しと ゆったりとした時間が、僕の心までゆったりとさせていて、細かい事は気にならなくなっていたのだろう。

(その割にはしっかり値切っていたが…  笑)

 

彼がどうやって降りるのかを、興味深く見ていると、首にかけてある鐙(あぶみ)の鎖をたどり、スルスルと降りて行く。

すぐに気付いたのだが、運転手のいない象の背中に、僕は今一人だ。

象さんが、万が一暴走したら終わりであるが、

(まぁ、大丈夫だろう。。)と腹を括り、

彼に写真を撮って貰った。

途中で、彼の座っていた鐙のある首の部分に移動しろと言われる。

少し怖かったが、ゆっくりと移動してみると、象はおとなしくしてくれたままだ。

太腿に、象の体温を感じる。。なかなか貴重な体験である。

 

そして、彼はどんどんシャッターを押し、なんと40枚ほど撮ってくれた。

写真を撮り終わった彼が、象の背中に戻る時、どうするのかと再び見ていると、彼は象の鼻に近寄り、鼻を撫でたかと思うと、象は鼻に掴まった彼を、首まで持ち上げてやり、彼は再び運転席に戻ってきた。

その鮮やかな連携プレーに、僕は心から感心していた。

「人馬一体」と言う言葉があるが、ここではまさに「人象一体」と言った感じだった。

 

再び象は動き出し、しばらくして、元の場所に戻ってきた。

二階部分へ乗り移り、振り返って少年を見ると、ニコニコして、手を振ってくれていた。

ここは、ご家族や親戚で経営されている象園の様で、乗り降りをエスコートしてくれた父親らしきスタッフも、象使いの少年たちも、象達も、皆幸せそうだった。

 

またしても、タイの素晴らしさに触れた僕は、同じくニコニコしながら、迎えに来てくれていた車に乗り込み、再び、どこに行くのかも分からないツアーに戻って行った。

 

つづく

 

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↑ 象乗り場


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https://m.youtube.com/shorts/bmT3on5IB8I

↑ 動画 象使いの少年と僕


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↑ ツアーメンバー達


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↑ おとなしい象さんと記念撮影。

 少年が上手に撮ってくれた。

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↑ 乗り場に帰還

 

次話

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