第153話
いろはにほへとちりぬるを坂
タイ在住の日本人と別れた後、僕は仮眠をしに宿に戻ってきた。
自転車を盗まれない様に、玄関近くの、頑丈な柱に括り付け、シャワーを浴びてから、自分のベッドに潜り込んだ。
そして、3時間ほど寝て起きた僕は、だいぶスッキリしていた。
少しだけお酒は残っている気はするが、坂に着く前の平地を走っている間にでも、汗と共に完全に抜けるだろう。
そう思った僕は早速、宿から北西方面に自転車を漕ぎ出した。
大通りまで北へと10分程に走り、お堀を越え、さらに北西へと15分程へと走ると、ドイステープ寺院へと続く坂の、入り口らしきところに着いた。
ここにはなぜかサファリパークを彷彿とさせる動物園があり、入り口からは観光客を乗せた大型バスが入って行った。
(結構面白そうだが、今日は寺だな)
と思いながら、坂を登り始めた。
えっちらおっちらと、急になったり緩やかになったりする上り坂を、登り始めた。
ここは、クネリクネリと曲がりながらの、
日光の「いろは坂」を巨大にした感じの坂だった。
自転車をママチャリではなく、クロスバイクにしておいて正解であった。
とてもじゃ無いが、車体の重い、変速の付いていないママチャリではすぐにダウンするだろう。
太陽の照りつける中、ひたすら登る。
日陰などはなく、灼熱のアスファルトの上をひたすらに漕いでいく。。
10分登る。。20分登る。。
30分登る。。さらに登り続ける。。
ぜぇぜえ。。はあっ! はぁ。。はあっ!!
ハァハァ。。ング。、ハァ〜、はぁ。
とんでもない長さの坂である。
漕げども漕げども永遠に坂である。
途中たまにくる車が、すごいスピードで後ろから僕を追い抜かして行く。
僕の他にも自転車で坂に挑戦している猛者たちもいたが、皆、競技用のロードバイクであった。
僕の様に、クロスバイク(ちょっと良い自転車)で登ってくる馬鹿者は一人も見当たらなかった。
僕は大量の汗が出て、脱水寸前になっていた。
実はドリンクホルダーに入れておいた、500mlのペットボトルの水はすでに飲み切ってしまっていた。
途中にお店くらいあるだろうと思っていたが甘かった。。民家すらない。自販機もどこにも見当たらない。
途中で景色を見るためなのか、木のベンチが置いてあり、休憩できる一角があったので、そこに逃げ込んだ。有難いことに屋根があり、日陰がある。
汗だくのTシャツを脱いで絞ると、桜木花道がシュート練習してたのか? と言う程の汗がドボドボと滴り落ちて、水溜りが出来た。。
これだけ汗をかいても、まだまだ汗が吹き上がってくる。とてもじゃ無いが、水分補給が出来なければ、熱中症になって倒れること必至である。事実、僕の喉はカラカラだし、体は熱を持って全く落ち着かない。
(うーん。。このままいくと死ぬな。
俺の人生の体感的に。。うへへへ。。)
僕の頭は熱中症寸前で、ぼぉ〜っとし、
ありし日の、20代で初体験した熱中症体験の日へと、タイムスリップしていた。。
まだ大学生で、とりあえずお金を稼ごうと派遣のバイトをしていた時の、死にかけた経験を思い出していた。
20代前半の僕は、安く人をこき使う
「やばい!」と言われていた派遣会社
(名前は出せないが…)
アルバイト達から「バッドウィル👎」という通称で呼ばれていた、当時CMもしていた、有名な派遣会社に登録した。
ここは、激アツの会社で、まず金髪で、ぼろぼろのデニムのハーフパンツを履いた、両耳ピアスの、眉の薄すぎるお兄ちゃんが、面接をしてくれた。
この支店の、営業所の所長だという。
彼は一方的に話を聞き、
「アッヅマーさんは、あれっすね?
パワー系っすね? いかちーすね。
わぁ〜かりました〜。」
とパソコンに色々と打ち込み、
「あ、これ、着ないと働けないんで、
どれか必ず買ってくださいね〜」
と社名の入った、信じられないくらいダサいトレーナーか、Tシャツを買う様に勧めてくれた。
(すぐお金が欲しいから派遣登録したのに、
早速何かを買わされて出費させられるとは…)
と当時ウブな僕は、
(社会とはこう言うものなんだろう…)
と一番安い500円のTシャツを買った。
(トレーナーは700円だった)
「あ〜、ありがとうございます!
これでアッヅマーさん、
明日から仲間っすね!!
あ、うち身だしなみうるさいんで、
Gパンは禁止なんで、現場行くとき〜
チノとかでお願いしますね、これマジっす」
と、上記の金髪ピアス、ハーフGパンの、
ツッコミどころ満載の若いニイチャンに言われた僕は、すでに嫌な予感がしていた。。
翌日、僕は気がつくと、大黒埠頭に送られていた。。
「6時半、〜駅集合なんでぇ!ヤバいすよ!
普通の現場だと現地集合が8時なんすけど
アッヅマーさんには早く行って貰うんで、
早朝手当つけちゃいますんで!500円も!
今日はマジ稼いじゃってくださいね。」
と言われて、駅に集合すると、西成のあいりん地区の、日雇い労務者を乗せにきた様なおっちゃん達がいて、
欲しい人数をワゴン車に乗せて、出発していくシステムだった。
早朝手当? がついているとはいえ、昼飯代も出ないし、〜駅までは自腹で行くという甘酸っさだった。
朝 6:30集合で、現地で8〜17時まで働いて、早朝手当込みで、新人は日当8500円!
謎の保険料200円が引かれ、昼飯を食って、飲み物を買って、自腹で交通費を出すと、手元には6800円くらいしか残らないと言う。
マルクスが怒り出しそうな「搾取されっ子」っぷりである。
それでも仕事はしなければならない。
何もしなければ、何も入ってこないのだ。
幸い、僕の乗っているワゴンに同乗しているおっちゃん達は、良い人そうだったが。。
このワゴンには3人のおっちゃんがいるが、あいにく派遣は僕だけだった。完全にアウェイだ。
着いた先は、おっちゃん達の会社らしく、真面目に派遣会社で買ったTシャツを着ようとした僕に、何故か関西弁のおっちゃんが、
「いやいや、そんなん着んといてや。
派遣ってバレるやん?」
と僕をたしなめ、変な匂いのする会社のツナギを渡してくれ、ヘルメットを渡してくれた。
「兄ちゃん、それ、鉄板入っとる?」
と僕のスニーカーを指差して聞いてきた。
「いや、入ってないです。。」
「そうかぁ。。派遣会社に言われてへんかぁ…
まぁ、ホンマは安全靴なんやけど。
ま、今日はアレやし大丈夫やろ。
にいちゃん知らん人の靴履くの嫌やろ?
水虫 感染るかもしれんし。」
と言われた僕は、激しく頷いていた。
何が何だかわからないが、とりあえずこのおっちゃんは味方の様なので、とりあえず言うことは全て聞くことにした。
やがて連れて行かれた場所は、日本で最大手の1つの、運送会社の小さめの倉庫だった。
おっちゃんは会社から持ってきた麦茶入りの大きなサーバーの様な樽を倉庫の端に置き、仕事の説明をしてくれた。
今日は目の前にある大きなコンテナの中から、ひたすら車のタイヤを、大手の運送会社の社員さんが操る、フォークリフトのパレットに積んでいくと言う作業らしい。
真夏の為、コンテナ内は軽く40度越えするらしく、一番キツい奥の作業は自分らがするので、少しでも風のくる、出口付近を担当して欲しいとの事。
熱中症で危ないので、少しでもヤバいと感じたら、すぐに言って休んで欲しい。
麦茶は気にせず、いくらでも飲んでいいから。
と言う事だった。
ふと見ると、この倉庫には張り紙があり、
「気をつけて!!熱中症!!」と書かれた下には、
昨年の熱中症死亡者数が、時間帯別に張り出してあり、14時が一番多く、その時間に十数人の方が、去年亡くなっているとの怖い情報が書いてあった。。
最後におっちゃんが小声でしてくれた注意がこれまた怖かった。
「あのパレット持ってくる〇〇運輸の
あのおっさんいるやろ? あいつや。
あいつ、人がおるのに関係なしにフォーク
突っ込ませてくるから、気いつけてな。
油断しとると、ホンマにコロサレルで…
みんな、アイツ頭おかしいゆうとんのや。」
一体僕は、これからどんなところで働くのだろう??
まだ大学生の僕には「社会」はまだ早すぎたのではないだろうか??
そんな事を考えながら、僕は必死に働いた。
おっちゃんはとても良い人たちで、こまめに休憩を取ってくれ、その度に麦茶を、樽に一つしかないプラスチックのコップで勧めてくれ、僕が熱中症にならならない様に、何杯でも冷たい麦茶を飲ませてくれた。
今日あったばかりのおっちゃん達と、一つの同じコップで「間接キス」だったが、もう命より大事なものが無い僕には、何も気にならなかった 笑
昼食は、唯一ある食堂に連れて行ってくれた。
休憩中に仲良くなった、唯一の外国人のパクさんが、隣から、僕のハンバーグ定食(意外と高くて680円^^;)のライスにいきなり、テーブルの食塩を振りかけてきた。
「な、なにするの? パクさん!」
とびっくりした僕が責めると、彼は冷静に
「アノネ。。 アヅマサン、アツいから
塩舐めナイト、死ぬヨォー!」
と満面の優しい笑顔で言ってくれた。。
そんなこんなで、この珍バイトもやがて16:30を迎えていた。
おっちゃんに言われた通りの、大手社員の殺人フォークリフトを躱しながらタイヤを積み続けていた僕だったが、パレットにひと山タイヤを積み上げ終わった時、急に視界が狭くなった。
(あ、あれ?? ナンカキモチワルイ…)
僕にはハッキリと解った。
このまま無理をすると倒れるか、下手すると死ぬ事が。。
頭の中に、倉庫の張り紙が浮かんできた。。
(あれ? 16時は去年
何人死んだんだっけ…)
そう思いながら、気力を振り絞り、奥のおっちゃんに「ヤバいかもしれないっす。。」と伝えた。
おっちゃんは、僕の顔を見るなり、休ませてくれ、
「もう終わりやから、もうええよ。
今日は本当によう頑張ってくれたし、
帰ってくれてええから、大丈夫やで。」
と僕を帰してくれた。
あの時、あの優しいおっちゃんが、サっと僕を休ませてくれ、帰してくれたから、僕は今ここに生きているのだ。。
その後、すぐやめたやばい派遣会社よりも、あのおっちゃんの優しさが記憶に一番残っているバイト体験であった。
僕は少しずつ現代に戻ってきていた。
(今、無理してこのまま登って、
万が一があったら、あの時のおっちゃんにも
申し訳がない… 撤退も視野に入れるべきだ)
そう思った僕は、Googleマップで、現在位置と寺までの残りの距離を調べてみることにした。
ダウンロードしておいたマップで、驚愕の事実が判明した。
僕はまだ2/3程しか登っていなかったのだ。
まだたっぷり1/3以上ある。。僕は心が折れた。
(もう無理だ。
ここで勇気ある撤退をしなかったら、
降りる事すら難しくなる。。)
僕は、ありし日のおっちゃんに勇気を貰い、本当に勇気ある撤退をする事に決めた。
そして、いざ坂を降り始めるとこれまた長い。。
(本当にこんな距離を登って来たのか??)
と思う程永遠に降る。
風が涼しいので、最高に気持ちいいが、僕は永遠に降っていく様な。。奈落地獄の様な恐怖を感じながら、この恐ろしく長い坂を降っていた。
「いろは坂」を遥かに超えたスケールのこの坂。「いろは坂」の数倍の距離も鑑みて僕は、勝手に仮名を足して、この坂を
「いろはにほへとちりぬるを坂」
と名付けることにした。
つづく。
↑ 宿からドイステープまでの道のり
(分かりにくいがかなり遠い。。)
↑ 自転車を装備した
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