第107話
ついに外国で身体を壊す。。
…………ぅ…ん…。
…う〜ん。。 うううぅ。。 …んっはっ!
僕は ベッドで、かばっと起きた。
…どうやら、悪夢を見ていてうなされていた様だ。 気がつくと、汗をびっしょりかいている。。
だが、悪夢を見ていた記憶はあるのだが、内容はさっぱり思い出せない…
昨日帰ってから、気を失うように寝た僕は、深夜に気がつくと、熱が出て うなされていた。
その後も、何度か目覚めては、眠り、また目覚めては眠る と言う事を繰り返していた。
この旅に出てから、初めて体験する体調不良であった。
うなされながらベッドの中で、異国で一人で高熱を出すと言うのは、本当に心細いものだと改めて思い知らされた。。
(もし このままこのまま治らなかったら…)
と考えると、物凄い不安になる。
万が一の事を考えると、心配している家族にも、本当に申しわけ無い事になる…。
とまで考えてしまう。
そんな事が頭をよぎりながらも、とにかく横になり、無理にでも眠る努力をしていた。
熱に浮かされ…
何度も 寝て起きてを繰り返した。
そして、、どれだけ横になっていても、もう寝れなくなった時、ふと時計を見ると、時刻は もうお昼の2時になっていた。
恐る恐る、起き上がってみると、体はだるいが、だいぶ マシになった気がする。
軽くふらつくが、僕はシャワーを浴びるために廊下に出た。
今日は人がいるらしく、隣の部屋に人の気配がする。それだけでも少しホッとする自分がいる。 体調が良かった時は、
「独り占めだ!ラッキー!天国じゃん。」
と思っていたこのホテルも、体調が悪くて一人だと、地獄である。
そして ぼうっとしていた僕は、うっかり シャンプーをしてしまった。 思わず
「 っキ、キツ… ココ、、コロサレル…」
と呟いてしまった。
体調が万全でない所に「最強のメンソール」はかなり堪えた。
(なんで シャンプーなぞ
してしまったのだろう… )
と後悔し、より心細くなった。
シャワーを浴びて、バスタオルで体を拭き、着替えの下だけ履いて部屋に戻る。
少しさっぱりして部屋に戻ると、身体がだいぶ楽になっている事に気づいた。
どうやら、無理にでも寝ていた事で、大分熱も下がったようだ。
体温計など持ってきていない僕は、正確な体温などわかりようは無いので、全ては感覚だ。
(とにかく何か食べておかないと…)
と思い、外で食事をする事にした。
体調は戻ってきている様に思えるが、油断はできない。
フォーのお店に入り、一番体に優しそうなシンプルな一杯を頼む。
優しい味のスープをすすりながら、僕はふと マレーシアの事を思っていた。
マレー料理は辛いものが多いし、味も強めのものばかりだったけど、体を壊した時はみんな何を食べているのだろう?
と、不思議な事を考えていた。
流石に風邪の時に、いつもの料理は油も味も辛さも、身体が受け付けないはずだと思ったのだ。
自分が弱っている事も手伝ってか。
マレーシアからだいぶ離れたこのベトナムで、マレーシア人を勝手に心配している自分に、思わず笑ってしまった。
(きっと大きなお世話だろうな…)と。
僕はそのまま宿に帰り、そのままその日は、大人しく部屋で過ごしていた。
僕の旅は、本来ゆったりと周る旅である。
海外で体調を崩す人が結構いると聞くが、
無理して観光や 予定を詰めすぎて、免疫が下がってしまうと、体調を崩しやすいと、聞いていた。
せっかく お金がある限り、いつまでも続けられる旅をしている僕は、とにかく無理をせずに 国々を周ろうと決めていた。
何より僕は、旅先で 体調不良になる事程 嫌な事は無いと思っていた。
なので病気には、必要以上にビビっていた。
前日に無理をしたら、次の日は空調の良い所でゆったり過ごしたり、昼前まで寝る事にしていた。
実は、僕は若い頃、自分の体力を過信したあまりに経験した、苦い思い出があるからだ。
それは19歳の時、一浪した後に受かった大学に「危うく 通えないかも…」という事件から始まった。
「いや〜、受かると思ってなかったから
入学金 用意してなかったわ〜 笑」
父に、そんな冗談の様な事を 入学手続き直前に、笑って言われた僕は、本当に 目が点になった。
さすがに、冗談だと思ってよく聞いてみると、事業の仕事の都合で金が必要だったので、そっちに使った。 との事だった。。
もう親父は当てにならんと感じ、このまま、二浪したくない僕は、色々当てを探した。
そして急遽、入学金を母方の祖母に借りれる事になった。
(流石に その後の授業料は 父が払ってくれたが… )
そして、無事 大学に入学できた僕は、そのお金を返す為や、遊びにも全力だった。
20歳頃に自分の体力を過信していた僕は、
毎日「2時間しか寝ない生活」をしていた。
授業→演劇部→地元で深夜2、3時まで、友人と遊ぶ。
2時間寝て引越しのバイト。
で、休みは月に1日あれば良い方。。
という様な、無茶苦茶な生活を一年程続けて、80万近い入学金は完済できたが、2年次の健康診断にひっかかった。
自分の大学の 附属病院に呼び出された僕は、
「肺に影があります。
レントゲンが真っ白です」と言われ、
「最悪 肺癌かもしれませんよ…」と脅されて、歯学部もある 自分の大学の敷地内の病院で、すぐにCTスキャンを取られた。
(在学生なので、診療代に、
謎の学割がきいて、安かった 笑)
僕は「癌? そんな訳あるかいな 笑」
と笑っていたが、よく考えると、労咳病みの様にずっと咳をしていた自分がいた。。
僕は当時麻雀が好きで、咳が止まらない中、
「ゴホゴホ、ゴホゴホ」言いながら、よく徹マンをしていた。
「ゴホゴホ…あ、ごほっ。。ロン!!」
「エッホ! エホっ!!
ごほ。。コ、コホ…、あ、ツモ。」
まるで「麻雀放浪記」の登場人物である。
その後、専門の呼吸器科に、強制的に通院させられた僕は、肺を肺カメラなるもので撮る事になった。胃カメラの肺版である。
えづきながら、カメラを肺に入れられた後の診察で言われたのは、
「癌ではないが、見た事ないほど、
信じられないほど、肺が真っ赤っかです。」
「もう、何が起きてもおかしくない。
菌が入ったら、すぐ感染して
結核にもかかります。」
とお医者様に言われ、事態はどんどん大ごとになっていった。
そして僕は、ちゃんと治療する事にし、バイトも辞め、睡眠時間を 1日8時間に戻し、処方された薬が肝臓に負担をかけるので、お酒は禁止され、禁酒を守りながら、大学生活を過ごし。。
「結局、治るまでに 一年を要する」という事があった。
それまでの僕は、元々丈夫だったので、
(絶対身体など壊さないはずだ!!)
と大きな勘違いをしていたのだ。
そして今でも無理をすると、咳は出る。
「肺は 再生しない臓器です。」
という、医者の重い言葉を 今も僕は覚えている。
その経験により、早いうちに身体に無理をさせないクセが付いていた。
舞台がある時は ある程度無理をするが、睡眠時間を削りすぎる様な事はせずに やっていた。
そのはずの僕が、旅先で身体を壊したのである。
いつか、旅先で 何かキツい思いをするとは覚悟していたが、まさか、
" 友人と再会して、
はしゃぎすぎて身体を壊す "
という小学生みたいな事になるとは思わなかった。
このまま笑い事ですむように、明日には完治していますように。。
そう願いながら僕は、夕飯もフォーをとり、早めに布団に潜り込んだ。
2時まで寝ていたので、眠れないかと思っていたが、しばらくゴロゴロしているうちに、いつの間にか僕は眠りについていた。。
つづく
↑ 部屋で大人しく…
↑ 一人旅は 孤独でもある。。
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