猫好き俳優 東正実の またたび☆

俳優 東正実の東南アジア旅

明日、旅立つ私

 

昨日のユンさん達とも稽古が終った翌日、僕は前に進もうと思い立ち、ツーリスト会社に向かっていた。

 

「ドント シンク。ノットストップ!!

 進め進め!アドバンス!アドバンス!!」

と稽古で連呼していたせいか、自分が 次の国へ進む気になってしまっていた。

 

ついに僕は、ベトナムを出る事にしたのだ。

当時ベトナムは ビザ無しでは、2週間ほどしか滞在できず、しかも一回出国すると、ビザなしでは、一ヶ月程再入国が出来なかった。

 

その為僕は、ベトナムを 旅の起点にする為に、ベトナムのビザだけは 日本のベトナム大使館で取得していた。

2回入国できるマルチビザだった。

結構高かったが、何かあった時はベトナムに、1ヶ月ずついれるので、このビザがあると安心だった。

 

次に僕は、カンボジアに行くつもりだったが、カンボジアは ビザ無しでは入国出来ない。

ビザは、空港や 国境で取れると聞いていたので、僕は国境で、"アライバルビザ " なるものを取得するつもりだった。

 

 

そう! 僕はついに 夢の一つである

陸路での国境越えに挑む事にしたのである。

 

日本にいる時に 最初に立てた計画では、本当は マレーシアから、マレー鉄道で タイ王国に入ろうと思っていたが、当時タイで起こったテロの影響で、タイとマレーシアの国境付近は、外務省から レベル3 渡航中止勧告が出ていた。

外国初心者の僕は、それに素直に従い、マレーシアの後はベトナムに行く事に変更していた。

 

ベトナムには「シンツーリスト」という有名なツアー会社がある。

これは気をつけないといけないのが、勝手に ”シンツーリスト” を名乗っている偽の会社がいっぱいある事だ。

僕はネットで、本物の「シンツーリスト」の場所を特定していたので、そこに向かった。

 

ちゃんとしたガラスの自動ドアのあるオフィスで、窓口も5つほどある、ちょっとした郵便局のようなところだった。

 

僕はここを勝手に

「真・シンツーリスト」と名付けていた。

 

入ると盛況で、カウンターの向かいの待合の 2列づつあるベンチは、店の奥まで ほぼ埋まっていた。

 

(これはかなり待つなぁ。。)

と思っていると、ツアーコンダクターが大きな声で皆に話しかけると、皆、一斉にその人に付いて行き、急に人がいなくなった。。

 

どうやら、ツアーまでの待合客が多かったようだ。。受付をすまし、順番を待つ。

 

何やらカウンターでは、少し揉めている。

大柄な白人の男性が、若い店員さんにカウンター越しに詰め寄っている。

どうやら、何か 変更を申し出ているみたいだ。彼は、カウンターの先にいる 小柄なベトナム人男性に、カウンターを叩きながら 身振り手振りで 何かを訴えている。

しかし、この頭の良さそうな 小柄な若いベトナム人男性は、一歩も引かず

「だめです。出来ません。」

の一点張り。しまいにはかなり強めに、

「出来ません!はい!もうお帰りください!

 出口はあっちです!!」

と言って、その大きな白人さんに迫力勝ちしてしまった。

これは大変なツワモノだと思って見ていると、そのスタッフさんに「こちらにどうぞ」

と言われた。。僕の番らしい。。

 

(うーん。怖いなぁ…怒られたらどうしよう)

 

と思っていたが、打って変わって にこやかに接客してくれた。

どうやら、さっきは お客さんが無理を言っていたらしい。

 

ほっとしながら、ホーチミンから カンボジアプノンペンまでのバスのツアーを聞いてみると、バス代は結構安かった。

 

また、国境でのカンボジアのアライバルビザ取得の手続きは、添乗員がやってくれ、その手数料も含めて、

ビザ取得代は全部で35ドルだという。

ベトナムドンでも払えます。」

と言われたが、まず ”ドル” での料金説明だったのが不思議だった。

プラス 1200円程のバス料金で、陸路での国境越えが出来る。

 

ツアーのスタッフへの手数料は500円程取られるが、これを惜しんで 国境で自分でビザを取得すると、結構大変で時間がかかる為、バスの同乗者を待たせる事があると聞いていたので、手数料を払い、国境での手続きは 添乗員にお願いする事にした。

手間を考えると 500円は安いし、初めての 陸路国境越えの僕には、500円で安心が買えるなら 安い買い物だ。

 

集合時間は朝8時位で少し早いが、明るい内にカンボジアの首都である、プノンペンに着ける。

 

カンボジア。。一体どんな国なのだろうか??

 

シェムリアップの 遺跡群に行く事は決めていたが、各駅停車では無いが、途中のプノンペンにも立ち寄り、カンボジアをゆっくり感じながら周る事にしていた。

 

何より バスに長時間乗りたくなかったのだ。

プノンペンまでは、6時間ほどで着くらしい。

しかし、シェムリアップまでだと 12時間もかかる。

僕は、日本の 乗り心地の良いバスでも、6時間以上はバスに乗りたく無い人間なので、

(ひょっとしたら、僕は

 アジアの旅に向いてないのでは無いか?)

と思う事がある 笑

深夜特急に憧れて来たのは良いが、沢木さんのように、長時間のバスでは 移動できない男なのである。

 

僕は、高くても千円か二千円位なら、断然飛行機に乗る男になっていた。

飛行機は、国内移動なら、抜群に安いからだ。

3000円程あれば移動ができる。

 

明日、乗るバスを決めて帰ったので、宿に明日のチェックアウトの旨を伝えなくてはならない。

 

いつもの公園をふと歩いていると、本当に小さな、5人入れば満席 というコーヒー屋さんに、

ジョンがいた。

声をかけると嬉しそうに「こっちこっち!」

と招き入れてくれて、僕を座らせると

「コーヒーでいい?」と聞いてきて、

一杯ご馳走してくれた。

僕は素直にお礼を言い、ご馳走になる事にした。プライベートのジョンに会うのは、これが初めてかもしれない。

改めてジョンを見ると、やっぱり岡崎慎司さんにそっくりだ 笑

 

このカフェは、店主が一人でやっていて、まだ15、6歳の若い店主で、Tシャツと、ハーフパンツから覗く腕と足にはびっしり刺青が入れてあった。

ジョンは彼と友達で、休みの日はいつもここでコーヒーを飲むと教えてくれた。

 

ベトナムあるあるだが、ベトナムでは、手足に刺青を入れている人が多い。

日本の感覚でいると ギョッとする事が多々あるが、ベトナムの感覚だと、普通のファッションであるようだ。

逆にマレーシアでは、バックパッカー以外はほとんど刺青は見かけなかった。

 

ジョンは店の前に止めてある、白いカッコいいスクーターを指差して「僕のスクーターだ」と、教えてくれた。

白に赤が少し入ったカウル付きのバイクで、お気に入りの様子だった。

話をしていると、彼はお酒を飲まないので、基本ここでコーヒーを飲んで、行き交う人々を眺めながら、店主と話をするのが楽しみらしい。

 

2人でゆったり話していると、いきなり事件が起こった。

目の前で、ジョンの隣に バイクを止めていた おっさんが自分のバイクを出そうとして

「おっと。。」と言って、ジョンのバイクにぶつかり、ジョンの自慢のバイクが転倒したのである。

持ち主の目の前で、その人のバイクをゆったりと倒す。。というのは、およそ日本でもなかなか見ない光景である。

 ジョンはバイクに駆け寄り、傷を確認している。

その横でおじさんは頭を掻きながら

「うー、ごめんね。。うーん、大丈夫かな?うんうん」 

と言いながら自分のカブのエンジンをかけ、ブァアーー。と走り去ってしまった。

 

ジョンは悲しそうに、少し出来た傷を確認している。

日本だったら、結構 保険だなんだとか、倒しただろ?と落とし所を見つけるところだが、ベトナムには、ベトナムのやり方があるのだろうと思って、僕は わざとやりとりに参加しなかった。

やがて戻ってきたジョンに

「大丈夫?」と声をかけると、

「たいした事ない。大丈夫。」

ともう切り替えていた。

バイク社会のベトナムでは よくある事なのだろう。

 

明日宿を出る旨を伝えると、少し寂しそうにしてくれていたが

「僕から宿に伝えておくから、そのまま

 明日チェックアウトして大丈夫だよ。」

と言ってくれた。

 

非番なのに、そう言ってくれる彼に、

これまでのことも含めて、何か恩返しがしたくなった。

どうしようかと考えていると、同じ通りに、前に行った「マッサージの店」があるのを思い出した。

 

「ジョンはマッサージは好き?」と聞くと

「好きだけど、給料が少ないから行けない」

と言われたので、今までのお礼を込めて、マッサージをプレゼントする事にした。

 

僕も明日は旅立つ身だ。体の疲れを少しでも取っておくに越したことはない。

 

一緒にマッサージに行かないか?

と言うと「嬉しいな」と乗ってきた。

 

2人で、前に行った日本人にも人気のマッサージ屋に行く。

同じ通りなのですぐ着いた。

夕方なので、この間の女性とは違う受付の女性がいる。

 

受付をし、ジョンと2階に上がる。

カーテンで仕切られていて、相変わらずお香の匂いが立ち込めている。

 

今回は、女性の施術だった。

力が強い男性とは違い、逆に強さが丁度いい。

 

気持ち良すぎて僕は途中で寝てしまった。。

 

肩を叩かれ起きると、ニコニコした女性に、

「お時間です」と言われた。

 

起き上がると身体が 信じられないくらい軽くなっていた。

下の階に行くと、ジョンがお茶を飲みながら、待ってくれていた。

 

「ごめんね、結構待った?」と聞くと、

「全然気にしないで」と笑っていた。

 

ゆったりとした空間で、しばし話をする。

 

 ジョンは、よく言っていた。給料が安いと。

 だが家族経営で、それでもしょうがない。

 仕事があるだけ、恵まれていると。

 ホーチミンベトナムで1番いい街だと。

 

いつも思っていた事がある。

 

彼は今、24歳である。

僕は同い年の時に何をしていただろう?

 

一浪した大学を出て、一度文学座に落ちて、1年間 居酒屋のアルバイト店長をやりながら、フリーターとしてふらついた後、最後だと思って もう一度文学座を受けた。

幸いに受かって、毎日アルバイトと稽古しかしない生活に明け暮れていた。

 

まだ何者でもなく、何物かになろうと 必死にもがいていた。

もがくだけの余裕があった。若かった。

 絶対に、有名になってやる!

 いや、俺がなれないはずがない!!

と言う根拠不明の自信と強すぎる自我を持て余していた。

 

 日本には

  なりたいものを目指せる 自由がある。

 

大学を出て、そこで教職免許まで取ったのに、役者の学校に入り直してわざわざ役者を目指す。

 

この国ではきっと

「大学出てまで何やってるんだろう?

 この人はお金持ちの道楽者なんだろうなぁ」

と思われるに違いない。

 

ジョンを見ていると不思議だ。

彼は決して、この生活や仕事が本当に満足と言うわけではないだろうが、十分だと言う。

 

自分には、ここに生まれて、この生活で このまま歳を取り、結婚や子育てを経験して、そしてそのまま生活していく。

と言うような、覚悟というか、達観を感じる。

 

 ぼくはここでこの生活で充分だ。

 これ以上は別に望まない。

 

という風に、自分の人生を受け入れている。

24歳の若さで。

 

何か、逆に 彼の方が幸せなのではないか?

 

とぼくは感じていた。

 

人は制約の中で生きる。

制約の中での自由もあり "受け入れる" ことさえ出来れば、その中で生きる事の方が幸せなのかも知れない。

 

 "みんな!夢を持とう!"

と日本ではよく言うが

僕はみんなが全員 夢を見ていたら、この日本は滅びるだろうと思っていた。

この国を支えているのは、地に足をつけて、暮らしている人達だ。

生活の中にこそ幸せがあり、普通に生活する事が1番素晴らしい事だと僕は思っていた。

(そして僕には 多分それは出来ない…)

 

その 受け入れる という事を、この若さで、息をするように自然に ジョンはやっている。

 

" 幸せとは、生きるとは何か"  という一端を、

ジョンに少し教えて貰った気がした。

 

宿までバイクで送ってくれているジョンとの、下らないやりとりが、いつもより楽しく、心に沁みた。

明日旅立つと言うのに僕は、バイクの後ろで 

ジョンの事を 何故か弟のように思っていた。

 

続く

 

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↑ いつもの公園

 

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↑ 当時マレーシアとタイの国境付近は、

 レベル3の渡航中止勧告の地域だった。


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ホーチミン~プノンペン~シェムリアップ