第64話
プノンペンという街
フロントに降りて、オーナーに色々話を聞く。
日本人から得られる情報は貴重である。
日本語で相談できる人がいるのは 本当に心強い。
結構物騒な話をしてもらった。
カンボジアでは、強盗に遭っても決して逆らわない方がいいという事である。何故なら、拳銃が出てくる事が多いからだという。
今までの国とは違い、ついに銃が出てくる可能性がある国に来た。
日本では 警察官の下げている拳銃以外で、本物の銃を見る事はほとんど無い。
僕は ペナン島のモールの前の、平家のガラス張りの銀行の前で、警備員なのだろうが、肩から弾を巻きつけて、目を血走らせ、ライフルを持った男性が少しうろつきながら立っている所に遭遇した事があるが、、ちょっと怖すぎてそこのATMを利用できなかった。。
ペナンの宿で一緒だった「I'm アラウンド」と言って、世界一周している途中の インドネシアの若者は、南米で ショットガンを突きつけられて 強盗されたと言って、笑っていたが。
僕は、一切笑えなかった。。
それくらい本物の銃のもつ迫力はおかしい。。
ここカンボジアは、ほぼ産業もなく、国を支えるべき、教育者や、有識者、思想家は全て、あの残虐な殺戮者の「ポル・ポト」に、全員が皆殺しにされているので、自国での立て直しが難しいらしい。
海外に亡命や、逃げ延びていた知識人達も、
「国を立て直すのに、力を貸してほしい。
私は間違っていた。」と嘘をつかれて騙され
「愛する国の為に」と、帰国した所を拘束され、そのまま空港内で 処刑されたらしい。。
なので、国に戻って 立て直しを出来る人材まで いないというのだ。
信じられない事だが、こんな事が実際に起こっていた国がカンボジアなのだ。
国民の大多数が殺されたので、カンボジアの全国民の平均年齢は、23歳くらいだという。。
あまりに若すぎる。
どうりで、まだ老人を1人も見かけないわけだ。
国民の平均年齢が、あまりに低い事実に、僕は大きな衝撃を受けた…。
その為、今、国を支えるべき年齢の世代は、一切教育を受けられなかった為、余計に国が傾いているという。
そのせいか、買収は日常茶飯事だし、ほとんどの事は 地元の有力者と知り合いになるか、お金で解決できるらしい。
なので 拳銃も、お金を出せばいくらでも手に入るという。
また、原チャリに乗るのに 免許はいらず、誰でも乗れるらしい。
カンボジアのメインの産業は、シェムリアップにある、アンコールワット遺跡群の観光業で、まさに祖先からの贈り物だ。
あれがなければ、カンボジアは、もっと貧しく、本当に 大変な事になっているという事だった。
きっと簡単に取れすぎるビザも、ビザ代が 国家の資金として 大きな収入になる為、わざわざ ビザ無しでは入国出来なくしているのだと思う。
それにしても、実際にカンボジアに来て、その国の話を聞くと、刺激がつよすぎる。。
僕は マスターのアドバイスもあり、パスポートは 宿の鉄のロッカーに入れておいた方が 安全だと判断し、貴重品財布もそこに入れて、必要以上のお金を持ち歩かない事にした。
ここの宿は、一月に1人か、2人しか日本人は泊まりに来ないらしく、案外 プノンペンに来る日本人は少ないらしい。
「だから、日本の方が来ると
つい いっぱい喋っちゃうんだよー 笑」
とマスターは笑顔で言っていた。
だが、貴重な話を聞けて、本当に助かったし、勉強になった。
やはり、日本の方の経営する宿を選んで、本当に良かった。
僕は、いつも恵まれている自分の
「出会いの運」に感謝した。
気を付けなければいけないが、そうは言っても、動かなければ 実際の所は何もわからない。
僕は、宿から出て、早速街を歩く事にした。
宿を出ると、だいぶ日が暮れ始めていた。
まずは、無目的に歩く。とにかく初めて来た街は、本能に任せて「こっちに行ってみよう!」と思った方に行く方がいい。
なぜ、そっちなのか?と聞かれてもわからないが、いつも見知らぬ街を旅をしているうちに、何か嗅覚のようなものが磨かれて、出会いや何かが起こる方向に、なんとなく自分を導いていくようになる。
その方向に、なんとなく何かを感じるのだ。
日が落ちかけて、薄暗くなった広めの路地を歩いていると、野良犬が道の左右にいるので慎重に歩く。涼しくなって活動的だ…
人はまばらだが、さっきあんな話を聞いたばかりなので、どの人を見ても強盗に見える。。
最大限注意しながら、物凄いドキドキしながら歩いていく。
一つ救いなのは、僕が大柄な男性であるという事だ。やはり、ひったくりなどは 卑劣なので、弱い女性などを狙うらしく、180センチの骨太な僕は、カンボジアの男性からみたら、進撃の巨人のはずだ。
わざわざ ごつい男は狙わないだろうし、僕は元々 外人さんくらい顔が濃いところに、バッチリ日焼けをしていて、小綺麗な格好もしていない。
すでに日本人には、見えなくなっていたハズだ 笑
少し歩くと慣れてきた。
治安がどうこういうが、どこに行っても基本は皆98%は 良い人だ。
" 残りの2%に気をつければ良い! "
そう腹を括った。
歩いていると、大きな川に出た。
かなり大きな川だ!!
川のほとりには、出店も出ている。
Googleマップ先生を開くと「トンレサップ川」となっていて、ほんの数百メートル下流で、なんと!メコン川に合流している!!
(おお! そうかっ!!
僕はメコン川の上流に来ているんだ!
この川はベトナムに繋がっているんだなぁ…)
と島国の僕には なにか感慨深いものがあった。
そばに王宮もあったが、中には入れなかった。
僕は 屋台で売っている缶ビールを買い、ビール片手に川沿いを歩き始めた。
川沿いはキチンと整備されていて、散歩をすると、涼しくて気持ちがいい。
王宮と、川の間のこの道は、大きな歩道に 恋人達や、家族連れも憩っており、のんびりとしている。
王宮の前の広場も人が沢山いる。
しばらくここを満喫した 缶ビール片手の僕は 北上し、宿のオーナーさんからも教えてもらっていた、パブストリートに行く事にした。
バーが多く、ちらほらと他のお店がある。
僕はいつものように、すぐに店は決めずに、この界隈を、メニューをみながら色々回る。
ビールは、ベトナムと一緒で、どこもだいたい 50セントである。
観光客は、ヨーロッパ系か、アメリカ人かの白人の方ばかりだ。
僕はストリートの奥に少しに入った、角にあるパブに入った。
テラス席に陣取り、いつも頼むフレンチフライ(フライドポテトである)と、ビールを頼む。
フレンチフライは、どの国もハズレがないからだ。
次に、メニューをみて決めていた、ステーキを頼んだ。少し値は張るが、人生初の陸路での 国境越えのお祝いである。
プノンペンのパブストリートは、少し客層が悪い。。というか、だいぶ スレている感じの観光客が多い。
ホーチミンの明るい感じのパブストリートとは違い、何か陰鬱な印象を受けた。
僕が、テラス席でステーキをぱくついてると、ふと、向かいの ビリヤード台を置いてあるバーにいる、大柄な白人女性が目に入った。
多分北欧系だろう。フラフラしながら、それでもビリヤードをやっている…というか、やろうと頑張っている。それも、1人でだ。。
尻餅をつく、それでもビリヤード台にキューを構えようとする。
後ろにひっくり返る、それでもビリヤードをやろうとする。
ビリヤード台に捕まり、、這い上がり、ビリヤードをやる。。いや、やろうとする。
とりあえず椅子に座る。
キューは持ちっぱなしである。
酔っ払いではない。確実にヤバいお薬か、葉っぱで、酩酊されているようだ。目が飛んでる。
こんな分かりやすくラリっているバックパッカーを 初めて見た。。
カンボジアは、色々緩い国なのだと改めて実感する。
僕は関わりたくないので、最後の2切れをかっこんで、ビールで流し込み、店を出た。
せっかくのお祝いを 邪魔された僕は、もう一軒探そうと、プノンペンの夜の街を 再び歩き出した。
カンボジアは、やはり侮れない。。
続く
↑ 王宮前の広場と歩道で 憩う人々
↑ 缶ビール片手に散歩する僕
次話