第71話
僕が見たプノンペン
言わずと知れたカンボジアの首都。
それがプノンペンである。
ここは、カンボジアが誇る大都会だ。
川沿いは綺麗にプロムナードに整備されているし、川沿いの道路も広くて綺麗で気持ちいい。
大きなカジノ、AEON、セントラルマーケットや、大きなパブストリート街。
ちらっとしか見れなかったが、鉄道も通り、電車も通っている。
路地に入っても、ちゃんとアスファルトの道路になっている。
マレーシアも、ベトナムも、基本はちゃんと道路が整備されているが、カンボジアはプノンペンに着くまで、まだまだ、一つ入ると土の道路である。
また、田舎道は、建物がまばらで、地平線が見えそうな場所もある。
そんな道を通ってくると、カンボジアが、まだまだベトナムや、マレーシアには程遠い途上国なのがよく分かる。
だからこそ、プノンペンだけは、他の国に遜色の無い都会で、街が完全に整備されているのに驚く。
暮らしている人々は素朴だ。顔も明るい。
あの悲惨なクメールルージュがあったとは思えないくらい人々が生き生きとしている。
前にも話したが、国民の平均年齢が低く、やはり、ほとんど老人を見かけなかった。
大変な時期を乗り越えてきた国なのだ。
カンボジアの人たちは、日本人だと分かると、よくしてくれる方が多かった。
驚いたのは、カンボジア紙幣の500リエル札には「日本の国旗」が描かれていた事だ。
カンボジアの紙幣には、日本国旗が、日本が架けた橋の絵と共に、カンボジア国旗の左隣に描かれている。
これはその昔、日本が協力して初めてメコン川に架かった橋に「日本橋」という橋があるのだが、ポル・ポトに破壊されてそのままになっていた、それを国王の要請もあり、ODAで日本が直し、さらに他にも「ツバサ橋」「キズナ橋」と無償で架け、それからも継続的に無償でインフラの援助し続けた、そんな日本に感謝し、お礼の気持ちで 日本国旗が描かれていると言う事だった。
中々 他国の紙幣に、他の国の国旗が描かれているという事は、世界的に見ても例が無いのではないかと思う。僕はそれを見た時に本当に驚いた。
お札には、日本の国旗とカンボジア国旗が描かれ、その紙幣の真ん中には「キズナ橋」が
両国の懸け橋のように描かれている。
長い内戦で荒廃した土地を整備して、道路を通し、インフラを整備したのは、日本が初めて自衛隊を海外に派遣した、PKOの時の自衛隊も一役買っている。
当時、日本でも大議論になっていた、初めての自衛隊の海外派遣である。これは、国連平和維持活動で派遣されたのだが、日本は昔から、ひとつOKとなると、なし崩し的にじゃあ、次は、兵士として戦闘地帯に後方支援。じゃあ、次は兵士として、戦闘に。。
などと、なし崩しになる恐れがあると思っていたので、当時、子供心に僕は反対だった。
(今、本当に少しずつそうなろうとしているが…)
だが、自衛隊の方達がやってくれた事は、カンボジアの人々の中に生きている。
自衛隊は、内戦で落ちていた橋をかけ、壊れた道を整備して道路を通した。
よく紙幣については
「PKOの時の自衛隊に感謝して、国旗が描かれている」と、政治家が ”美談” として政治利用するが、間違いなく感謝の一役は買っているだろうが、
本当のところは、歴史的にカンボジアに資金やインフラ整備の手助けを無償でしてきた、ODA等の援助に対する感謝の方が大きいようだ。
(なぜなら、描かれているキズナ橋も、他の大きな橋もODA等で架けられているからで、自衛隊が架けたわけではないからだ。)
酷暑の中、実際に作業された自衛隊員の方の事を想像すると、本当に頭が下がるが、、
それを政治的思惑で ”美談として” 我が事のように語る事は、自衛隊の方にも逆に失礼だと、現地で500リエルに 実際に出会った僕は思う。
これも、その土地に実際に行ってみたからこそ、自分なりの実感を持って語れることだ。
そういう意味でも、現地に行き、自分の肌で感じると言う事の大切さを改めて感じた。
PKOでは、自衛隊の方達だけではなく、他の国も 同じようにも多くの援助をしていたし。多くのボランティアも、地雷を命がけで撤去していたはずだ。
だからこそ、何かカンボジアの人たちは
あのとんでもない破壊の後に、自分たちの為に、
世界中の人達が、助けに来てくれたことを決して忘れていないと 僕は感じた。
そういう感謝を忘れていないと。
世界中の人が助けに来てくれて、ある人は道を通し、ある人は橋を架け、ある人は学校を立て、ある人は病院を作る。そしてある人は命がけで地雷を撤去し、そこに人が住み、農業が再開をしていく。。
それを思う時 僕は、なぜか少し涙してしまう。。
結局、人を助けられるのは、現地に足を運び、地道に活動をしてくれる 人でしかないのだ。
もちろん資金も大事だが、結局最後は人なのだ。
地雷の事など、もう何も心配いらないプノンペンを見て、僕は そんなことを思っていた。
そして、また、そういう先人達のおかげで、自分が良くしてもらえる事に、改めて先人たちに感謝する。
助け合う事、助ける事が最強の外交であり、後に長く続く財産なのだと、ここでも改めて強く思った。
また、カンボジアの人々は、家族を、特に子供達を非常に大事にしていると感じた。
そして、それに答えて 子供たちも、すくすくと本当に まっすぐ無邪気に育っていて、見た事もないくらい綺麗な目をしている。
親御さんと一緒にスクーターに乗る子供たちは、並走していると 屈託のない笑顔で、手を振ってくる。
僕は、この国に来て、なんて子供達が可愛らしくて、美しいんだろう。。と人生で初めて強く思った。
日本にいる時も、子供を可愛いと思う事はあるし、僕は子供が好きな方だが、、まるで別の感覚だった。
実際に、御家族を殺された方も多くいらっしゃるので、平和になった今、皆 本当に家族を大事にしているのだろうと、深く感じる。
大変な時期を 皆 乗り越え、平和と家族を大事にする国。 それが今のカンボジアだ。
だからこそ、より魅力的な国に僕の目には映った。
プノンペンは、今まで回った二つの国とまるで違う顔を僕に見せてくれた。
僕はこの国に来て
「やはりカンボジアに来てよかった。
いや、来るべくしてきたのだな。。」
というような、運命めいたものを感じて始めていた。
そして旅は続く。
↑ トンレサップ川にて
↑ 500リエル札の裏の右下にある
日本とカンボジアの国旗
↑ カンボジア紙幣
(100リエル札の人物は 僕の大好きな
古今亭 志ん朝さんに見える 笑)
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