第159話
グランマのお店のポテンシャル
コーヒーを飲み終えると、ベンも「仮眠する」と二階へと上がっていった。どうやらここ数日の夜遊びが祟って、彼らは相当な寝不足のようだった。
しかし、寝る前にカフェイン摂取とは、全くよく分からない行動である。
普通は目覚ましに飲むものであるが、ベンほどの大男だと、余程の量を摂取しなければ、コーヒーは眠気覚ましにすらならないのかもしれない。
やがて珍しく店主のマイクが宿にやって来た。
そして僕を見つけると、何やらビニール袋を持って近づいて来た。
「あなたのだよ」と渡されたそれを確認すると、僕の服だった。
今日、隣のランドリー屋に預けた洗濯物を、女性店主が、僕の宿にわざわざ届けてくれた様なのだ。早く出来上がったので、気を遣ってくれたらしい。
僕は意外な心遣いと、予想外に早く洗濯物が返ってきたことに喜んでいた。
実は今日、(夕方には出来上がるだろう)と、いつものノリで、昼ごろに洗濯物を預けたのだが、
「出来上がりは明日になります。」
とびっくりする事を言われたのである。
理由を聞くと、それも驚きで
「今日は一日曇りだから、
夕方迄に洗濯物が乾かない…」
という理由だった。それを聞いて僕は、改めて自分の浅はかさに気付かされた。
「ランドリー屋」と言えば、洗濯機と乾燥機があるのが当たり前だと勝手に思っていたのだ。
だがそれは " 日本人的な感覚 " なのだ。
客商売でやっているとは言え、洗濯機で洗った後は、普通に干して自然乾燥なのが、タイでは一般的な個人経営の「ランドリー屋」なのだろうと、僕は悟ったのだ。
確かに昼頃洗濯したものが、曇り空では完全に乾くはずはない。当たり前の事である。
勝手に全てが機械化されていると、当たり前に思い込んでいるのは、効率や機械化が当たり前の日本的感覚なのである。
チェンマイに来て、一番自分の目から鱗が落ちたのは、意外にこの「ランドリー屋」の一件であった。
そして今日は、晴れ間の時間帯もあったので洗濯物は上手いこと乾き、それを明日取りに来るはずの僕に気を使って、わざわざ届けてくれたのである。
本当にありがたいし、嬉しい心遣いである。
僕は一旦部屋に戻り、それを枕元にそっと置き、また一階へ降りてきた。
ゆっくりと外を見ていると、やがて日本人らしい男性がやってきた。ガラス越しに見えるその男は間違いなく平松くんであった。
玄関の施錠を開けて、中に招き入れる。
服を着替えて来たのか、特に濡れていないがなぜか汗だくであった。
「いやあ、バイク返してきて、雨止んだんで、
走ってきましたよー 笑」
とさわやかな顔で彼は笑っていた。
どうやら僕と遊びに行くのをよほど楽しみにしてくれていたみたいだ。
店は僕に任せるとのことだったので、グランマのお店に連れて行く事にした。
いつものママは奥にいて、今日は息子さんが迎えてくれた。僕の顔を見ると笑顔で挨拶してくれ、わざわざグランマが奥から出て来て声をかけてくれた。
キッチンからわざわざ出てきて僕に挨拶してくれるのが嬉しい。相変わらずの、気っ風のいい笑顔で迎えてくれたグランマは、
「今日は友達連れかい? 珍しいね。」
と不思議そうな顔をしている。
「バンコクの宿で一緒だだったんだ。
せっかくだからチェンマイで、
一番美味しいお店に連れてきたよ。」
と僕がいうと、グランマは胸をそびやかして
「そうかい! そりゃ良かった!」と笑っていた。
日本人のようにすぐに謙遜しないところが素敵だ。それにここの美味しい料理に誇りを持っているのがよくわかった。
席について早速チャンビアーの大瓶を頼む。
間違いのないツマミ、ポークステーキも2人前頼む。2人前でも280円である。
早速チャンビアーで改めて再会に乾杯をする。
平松くんの宿は15分程離れている所にあるらしい。
また雨が降る前に「今だ!」と走って来てくれたので、汗だくだったらしい。
一緒に飲むのを相当楽しみにしてくれていたらしい。ありがたいことである。
彼はすでに50カ国以上行った事のある猛者であるらしい。50カ国も旅しただけあって、独特の人懐っこさと柔らかさを持っている不思議な若者であった。
こういう若者の例に漏れず、旅の資金が尽きそうになると、ワーキングホリデーで働いていたらしい。 例のオーストラリアの農園でお金を稼いで、貯まったお金で、また旅を続けるのだ。
今、日本には2年半程帰っていないらしい。
(オーストラリアでは物価が高いのと、
寮付き食事付きの仕事の為、
二ヶ月で70万以上貯まるらしい。)
そんな彼には意外な弱点があった。それは、
「お店選びが下手だ」という事だった。
やって来たポークステーキを食べた彼は、
「えええ? 美味っ!! えええ??
140円? 安っ!!! 美味ぁあああ!」
と驚愕していた。そして、
「こんな良い店どうやって見つけるんですか?」と聞いてきた。
50カ国以上旅している猛者の平松くんだが、なんでも彼は「レストラン選びを外す」という、特殊能力の持ち主だというのだ 笑
僕は食べ物屋をほとんど外さないという特殊な能力がある。そんな真逆の能力者の二人が、ここチェンマイでついに相まみまえたのである。
平松くんは、僕がほとんどお店を外さないということを知り、僕に畏敬の念を持ったようだった。
彼はバンコクで知り合った宿から、僕に何かを感じていたのか、是非話したかったという事である。
聞き上手の彼に、僕の旅の話をすると、本当に興味深そうに聞いてくれる。 さらに感心してくれるので、うっかり僕の方が旅の先輩のような気がしてくるから不思議だ 笑
そんな勘違いも相まってか、宿の話になった。
「あそこ良い宿でしたね!」と言われた僕は、得意げになって、
「まぁね! あれで千円ちょっとだから、
掘り出し宿だね。 安いのよ〜!」
といった後、彼にも宿の値段を聞いた所。
「まぁ、僕はあんまりな宿ですが安いです。
ドミトリーだけど、僕だけなんで、
貸し切り状態なんで居心地いいですよ。
100バーツです。」
そうサラリと言われて、僕は止まった。
(ひゃ、100バーツ? …330円じゃん!)
なんという事であろうか、偉そうに1000円の宿を自慢げに話していた事が非常に恥ずかしい。。
やはり50カ国の旅の達人に、調子に乗って色々と話すものでは無い。。と僕は反省していた。
というか恥ずかしくて顔が赤くなっていた。
すぐ調子に乗る僕の悪い癖である。
初めての海外で色々経験したとはいえ、駆け出しの旅行俳優である。。本当に気をつけねば なるまい。。😅
なかなかチェンマイとはいえ300円の宿に嬉々として泊まる事など、まだまだ僕には出来ない事である。
その一事で、改めてこの青年を僕は尊敬してしまっていた。
(ひ、平松。。やっぱりすごい猛者だ。)
ジャパンアクターにすぎない僕は、役者でも無いのに、平然とハリウッド感を出してくるミスター平松に、既に脱帽していたのだ。
ここからは平松くんの話を中心に聞く事にした。彼の旅の話はとにかく面白い!!
色々と興味深く聞いた話の一つで、一番面白かったのは、中東に住んでいた時の「ラマダン」の経験記だった。
中東のイスラム教国家の、ある国で、英語が堪能の平松くんは、臨時でちょっとした日本語教師をしていたらしい。
ラマダンと言えば、断食。。というイメージしかない僕らだが、これはイスラムの厳格な時期だ。
朝から夜まで、決められた時間になるまで水さえ取れないという、昔の日本の野球部すら凌駕するストイックさである。
だが、決められた時間さえ過ぎれば、飲み食いしていいらしいのだ。
当時学校の先生をしていた平松くんは、18時の食事の解禁が始まると、借りていた家に帰るまで、途中の全ての家に歓待された。
「先生!センセイ!うちで食べていってくれよ!」
(それを断るのは失礼に当たるらしい。)
それにより、家に帰るまで、道中全ての家で、たらふく食わされた平松くん。
そのせいで、ラマダンの時期は、人生のMAXで太ってしまったらしい 笑
断食の時期に一番太る事がある。。
全く! 知識でしかラマダンを知らない我々からすると、信じられない爆笑コントであるが、実際現地で経験した人から受ける印象は全く違う! 面白い。
僕はますます彼が好きになり、宴はひたすら続いた。僕らが飲むチャンビアーを、グランマの息子のウエイターさんが、何度コンビニに買い出しに行った事だろう。。? 笑
やがて12時近くに閉店になった店で僕らは、お互い固い握手をして、
「また逢おう!!」とハグまでしていた。
グランマの息子さんが、
「閉店だから送っていくよ。ブラザー!」
と僕たちを友達認定してくれており、平松くんは、息子さんにスクーターに2人乗りで送ってもらう事になった。
全てが優しく最高の夜であった。
まさかの送迎サービス付きの、グランマのレストランであった。
僕は最高の気分で宿へと歩いてかえったのであった。
出会いに乾杯!!
再会するだけあって、やはり縁があるひとがいるのだな!と思い知った夜である。。
つづく
↑ 個人情報保護の為、サングラスに加工された平松くん😌
↑ 相変わらずのポークステーキ
次話