第98話
博物館の英語の長文で哲学する。
色々ホーチミンと 比べていたが、歩き周り始めると、僕はこのハノイの街が大好きになっていた 笑
大通りに戻り、さらに北側に向かうと、立派な博物館があった。
普段 博物館には滅多に入らないのだが、外観が気に入ったのと、観光客の集団が大量に出てきたのを見て
(今なら空いてそうだな?)
と想像して、中に入ってみる事にした。
受付の女性にお金を払って 中に入ると、予想通り、お客さんはまばらだ。
建物は近代的な作りで、吹き抜けた広い天井には、何故かシャンデリアがぶら下がっている。
ここでは、ハノイの歴史や、発掘物などが展示されていた。
船の闘いのシーンを再現した、ミニチュアの展示が面白かったりしたが、何の戦いなのかは分からない。
頑張って周ってみたが、説明が英語なので、僕には結構 理解するのが難しかった。
というか無理だった 笑
実は、中学の時 英語アレルギーだった僕は、英語の長文を見ると、目眩がするのだ。。
そう言えば、そんな僕は 高校生の時
(英語は人生に必要ない。いや、
厳密に言うと、俺の人生には必要がない!)
と馬鹿なことを本気で思っていた。
英語の授業中にずっと、当時ハマっていた、角川スニーカー文庫の「フォーチェン・クエスト」を読んでいた。
ようは勝手に授業をボイコットしていたのだ。
この時の英語の先生というのは、頭が大分禿げ上がったおじさん先生で、ある日僕は、彼に職員室に呼び出された。
この先生は頭ごなしには怒らず、
「なぜ授業中に、本を読んでいるのか?」
と丁寧に、理由と話を聞いてくれた。
そこで、いかに自分に英語が必要ないか という事をいちいち説明し、テコでも動かない頑固な僕に、
うーん、わかった。
君の言ってることはある意味正しい。
ただ、そのままと言う訳にはいかないよ。
そこで提案なんだけど、
ノートだけはとって欲しい。
それさえしてくれたら、
別に本を読んでようと構わないから。
と、提案をしてくれ、
僕も「それならばノートだけは取りましょう!」
と生意気ながら、話し合いは無事 落とし所を見つけた。
(当時の僕は何様だったのだろうと、
若気の至りが過ぎる自分を考えると、
今でもお恥ずかしい限りである。
ようは 本当に人間として未熟だったし、
ある意味 純粋だったのだろう。。)
この先生が、頭の良い方であるのは 後で解る。
やはり ノートをちゃんと取っていると、本などを読む時間など無いのである。
男の約束を守る僕は、それだけをキチンと守っていた。そして先生の狙い通り、そのうち、本を読むことを諦め、授業に参加する事になったのだ。
本当に「よく生徒の性格を見ていた先生だなぁ」と、今でも思う。
今でも、この先生には感謝している。
プアーなイングリッシュしか持たない僕だが、それでも、この高校である程度はノートを取っていたから、ほんの多少は 英語が理解できる様になっていたからである。
この先生に出会わなければ、本当に、ナッシング イングリッシュになっていただろうし、大学にも受からなかったと思う。
先生、本当にありがとうございます。
僕が中・高の教職免許を取ったのも、この先生に限らず、転校が多かった割には、この先生の様な、とても良い先生方に恵まれて来たからである。
(その後、大学でお世話になった教授に、
せっかく学校まで紹介して頂いたにも関わらず、
結局断って、俳優になってしまったが…)
そんな事を、思い出しながら僕は
(何やってんだろうなぁ…)と、少し自分を笑いながら、中を周っていた。
展示の内容は分からないながらも、色々思考が広がり、とても良い時間だった。
まさか、ベトナムで、高校時代の恩師の事を思い出すとは想像していなかった 笑
思考とはまさに繋がりであり、人との繋がりで 今の自分があるのだと気付かされる。
この博物館では、結局、ベトナムの原人? の様なパネルに顔だけ出し「ベトナム原人 マサミ」に変身した以外は、あまり理解出来なかった 笑
博物館を出た僕は、また歩く。
バス停が目に入ったので、バス停に書かれた路線図を見てみるが、かすれているし、また大雑把でよくわからない。
ホーチミンでは、職員用のバス路線図を、バス会社の優しい職員さんから頂いていたので、どのバスに乗れば どこら辺に行くかは 大体解っていたが、ハノイでは流石に路線図をくれる人はいないだろう。。
(一般の人用に渡す、配る路線図は無いと
前に、ホーチミンで聞いていたからだ。)
実地で乗って覚えていくしか無いな。。
と腹を括って、早速バスに乗ってみた。
宿の方向に向けて乗ったはずだが、右折して欲しいところを、バスは、早速左折レーンに入り、反対側に走り出した。。
うぉーい!!いきなり逆行っとるがな (^_^;)
と焦ったが、そこはグッと我慢する。
まだ、どうなるかわからないぞ!
と自分を励まし、少しの希望に縋ったが、バスはドンドン宿から離れていく。。
流石に諦め、3駅目でバスを降りた。
道の向かいのバス停に向かい、そこから今来た方向に向かう右車線から、来たバスに乗った。
先程のバス停の近くに来たところで、バスを降りた。
僕は 冷や汗をかきながら、
(やはり、、行き先も分からないバスに乗るのは
かなり無茶だな。。汗 )
と今更実感していた。
ここで改めて考えてみた。
(うーん、マレーシアでは、高いし、
運転手がヤバめだったから乗らなかった。
しかし、ここはベトナムだし、
そろそろタクシーを使っても
良いのでは無いだろうか?)
昨日、宿にぴたりと着けてくれた事も考えると、ハノイのドライバーさんは、かなり優秀なはずだし、市内を移動するのなら、そんなに高くは無いだろうと、僕は今更だが この旅でタクシー利用を解禁することにした。
そういえば、不思議な事に、あまりベトナムでは、ボッタクリの話も聞かなかったからである。
帰りはタクシーに乗ってみようと決めて、僕はさらに歩いた。
左手に劇場があった。がぜん興味が湧き、中を覗いてみると、下がジャージでTシャツを肩まで腕まくりした、若者がベンチで休憩していた。
ここの俳優さんだろうと思い、話しかけると、やはりそうで、これから稽古だという。
「夜に公演はあるが、
自分はまだ修行中なので、出ない」
と教えてくれた。
僕も劇団の研究所時代を思い出し、彼と少し話をした。聞くと、芝居を始めてまだ間がないとのことだった。
今は身体訓練や、シーンスタディをやっているらしい。
僕も俳優だと伝えると
「是非見に来てください」と言ってくれたが、
「君は出ないんだよね?」と聞くと、
「僕はまだお芝居には出れないんです」
とはにかんでいた。
その初々しさは、もう僕は、とうの昔に捨て去ってしまったものだ。
僕は 初心を思い出させてくれた彼に、
「時間があったら見に来るね、
あと、あなたが早く舞台に出れる事を
楽しみにしてますね」
と言うと、嬉しそうに
「ありがとうございます」
と言ってくれ、別れ際にチラシをくれ、握手をして別れた。
彼の力強く握られた手から、よく鍛えられている事、この若者の前向きな力強さとエネルギーを感じた。
何かパワーを分けてもらったかの様に、力が湧いてきた僕は、ついに道でタクシーを捕まえて乗る事にした。
結構ドキドキする。
外国に1ヶ月以上いるが、流しのタクシーに乗るのほぼ初めてである。
たかがタクシーに乗るだけで、こんなにも、思考し、エネルギーを使い、本当にドキドキする事があるのが、やはり初海外ならではである。
やはり旅は面白い。
つづく
↑ 作りが素敵な 博物館
↑ 何かの戦いらしいが…
↑ 発掘された マサミ原人
↑ 亀さんと 船さん
↑ 何度見ても難しいバス路線図…
↑ ハノイの劇場
↑ 街歩きで見かけた綺麗な建物たち
次話