猫好き俳優 東正実の またたび☆

俳優 東正実の東南アジア旅

究極の焼き飯とトリスープ

 

第82話

究極の焼き飯とトリスープ

 

それはある日、遅めの朝食を摂ろうと宿を出て、大通りに着いた時のことだった。

 

宿から2回左折をすると1分かからず大通りに出る。その角に、いつも繁盛している店があった。

ぼくはこの旅に出て、数々のお店に行き、それにより "ある理論" を構築しようとしていた。そして、それを証明する為にこの店に入る事にした。

"入る事に" と言っても、この店はフルオープンテラスの様な、店の前の広い歩道に テーブルと椅子が大量にある作りで、雨除けのシェードが 調理場の建物に長めについているだけなので "入る" とはまた違うのだろうが。。まぁ、話を戻すとその理論とは

 「角にある繁盛店は美味しい!!」

というものである。

 

美味しい店、というか僕好みというか、そういう店は大概、道の角にあり、お客がよく入っている。

私はこれを「角っこ理論」と名づける事にし、早速ここでも実践する事にしたのだ。

 

ここは、テラス席のみで60席くらいの結構な大店だ。

だが、メニューはシンプルに焼き飯と、焼き麺ぐらいしかないらしい。

サイズを決め、焼き飯を頼む。

注文してすぐに皿が運ばれてくるのは、繁盛店ならではである。ひっきりなしに厨房が作っている証拠である。

美味しそうなチャーハンが来た。

鶏ガラでとってそうなスープも付いてくる。

これで100円しないのは安い!

早速 東南アジア特有のプラスチックスプーンを、これまた東南アジア特有の、卓上にある うっすい紙ナプキンで、気休めに拭いてから、チャーハンにスプーンを入れた。

 

一口、口に運ぶ。。

 

 …う、うまぁぁい。しみじみとうまい。

 

口の中にじわじわと旨味と塩気の宇宙が広がる。

スープを一口飲む。

 

 …ふわぁぁあ。ふわふわ ふわぁあ。

 

旨味の波がザッパーンと来た。

 

 やばいぜ!うまいぜ!角っこだぜ!!

 

と僕は夢中になってそれを掻き込み、その合間に、スープをすする。

 

久しぶりに夢中でご飯を食べた。

 

あっという間にそれを平らげた僕は、お代わりをしようかと悩み始めた。。

 

(こ、、これは今までのチャーハンで…

 いや、、 人生で一番かもしれない。)

 

だが、この感動を

(お腹が膨れた状態で食べることにより

 少しでも薄めたくはない)

と思った僕は お代わりはやめ、その代わり ここシェムリアップにいられる間は、毎日ここで この焼き飯を食べることにした。

 

そして「角っこ理論」も証明され、大満足した僕は、ひと心地ついて周りを見渡した。

地元の人が多いが 観光客もちらほらいる。

ふと気が付くと、客席の向こうで、上品そうなおばあさんが 各テーブルを回っている。

 (何をしてるのだろう?)

と思ってみていると、テーブルの前に行くと手を合わせている。

テーブルの人はゆっくりと首を振る。するとおばあさんは、また次のテーブルへ行く。

また首を振られる。物売りで無いのは 何も持っていないことから判るが。。

 

しばらく見ていて僕は理解した、彼女は物乞いをしているのだと。

 

おばあさんは、質素ながら清潔感のある服を着ていて、物腰も非常に穏やかというか、柔らかく、一番は こういう人たちにありがちな「卑屈さ」や「悲壮感」というものと無縁だった為、 理解するまで 時間がかかったのである。

 

僕は少し驚いていた。

それは彼女が、僕の持っている ”物乞い” のイメージとは全然違ったからである。

やがて彼女は僕の二つ隣りのテーブルあたりまで来た。 

 まいったなぁ。。

と僕は苦笑していた。顔を見ると、本当にやさしい 穏やかな顔をしている。

断られても、本当に綺麗な笑顔で頭を下げて 次へ行く。

そう、、彼女はきれいなのだ。。

それは顔がとか服装がというのではなく、彼女の人格からにじみ出ているような。。

柔らかい優しい美しさとでもいえばいいのだろうか?

彼女にそんな徳を感じてしまった僕は、思わずお坊様の ”托鉢” を連想していた。

僕は基本はこういう食事の場などでは 断ることにしている。なぜなら、またこの店にきた時に、きっと期待されてしまうからだ。

だが、心が大いに揺れ始めた。

(一体渡すにしても 幾らくらいがいいのだろうか。。?)

とまで考えていた。

そんなことを考えているうちに、彼女は隣のテーブルまで来ていた。

僕はもうお金を渡そうと思って準備をしていた。

隣は、くたびれた制服らしきものを着ている タクシー運転手のような、よく日焼けした 地元の怖そうな顔のおじさんだから、今までのように断られて、すぐに、僕のテーブルに来るはずである。

実は、隣の身体がガッチリとしたおじさんは、きた時から態度が悪く、ドカッと椅子に座って、無愛想に注文し、タバコを吸い。食事もクチャクチャクチャ音を立てて食べ、びっくりするほど、大きな声で咳きを発する、典型的な無神経なおっさんだったからだ。

僕は正直、このおじさんに気分を害していた。

 よりによって俺の隣に座んないでよー。。

と、そして、

 もう少し周りの人の事を考えたら良いのになぁ。

と思っていたのだ。

 

そして、怖そうなおじさんのテーブルに おばあさんが立ったとき

予想通り、おじさんは おばあさんを一瞥もしない。。

 

 

そしてポケットからお金を出して、ごく自然に1ドル札を渡した。

 

 ほらね。 やっぱ…り?

 

 え?! わ、渡した??

 

と僕は、2度見してしまっていた

正直このおじさんからしたら、その1ドルがあれば、ここでもう一食たべれるし、失礼だが、そんなに懐に余裕があるとは思えない。

勝手な決めつけだが、僕からしたら、最もお金を渡す人から 遠い人に見えていたのです。

おじさんは 手を合わせてお辞儀をするおばさんに「気にしないで」とでも言うように 片手をあげて残りのお金をポケットにしまった。

僕はというと、情けないことにビックリしたこともあり、彼女が来た時、少しフリーズしてしまった。観光客は まずお金を渡さないことが分かっているのか、おばあさんはそれを見てすぐに手を合わせて笑顔を見せて次のテーブルへ行ってしまった。

ハッとしたが、いまさら呼び戻してお金を渡すわけにもいかない…

 あれれ? んん?  …えーと、、何が起きた??

と僕はキョロキョロしていた。

 

視線をおじさんに戻すと、また何事もなかったかのように、ご飯を食べている。

 

僕はそれを見て、おじさんを見直してしまった。

自分勝手なおじさんだと決めつけていた人が、当たり前のように、お金を渡す。

それも僕のような余裕のある観光客ではなく、生活に必要なお金の中からである。

仏教文化も影響しているだろうが、そのギャップと行為に、素直に僕は感動してしまった。

何やらおじさんがカッコ良くさえ見えていた。

 

向こうからしたら なんのこっちゃ分からないだろうが、僕の評価は勝手に一変したのである。

僕たちは外見や印象から、その人を判断しがちだ。第一印象は確かに大事だが、その人の「パーソナルな部分」と言うか、「その人の事」なんか何も知らないのである。

それをしてないつもりでも、やはり僕らは自然と知らない内に、自分の経験や 世界で勝手に決めつけている事が、大いにあるのだと。

 

この出来事は、自戒を含め 今でも僕の心に深く刻まれている。

 

こんなにきれいな物乞いをする人を見たのは初めてだったのもあるが、何より自分の物差しや、外見で、まだまだ人に嫌悪感を持ったり、決めつけたりと、自分がとんでもない未熟者だと、自分の世界だけで 物事を見すぎている「若僧」なんだと、おじさんに気付かせてもらったからである。

僕はこの出来事に、素直に感動させて貰い、勉強もさせて貰った。

旅の中で、人から学ぶことは本当に多い

それだけ本当に色々な人たちと 今世で袖すり合うからだと思う。

 

続く

 

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↑ お店にいた猫さん

     勿論、猫さん達から学ぶ事も多い😌

 

 

次話

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