第34話
僕の見た 二つの島
マレーシアの北側にある2つのリゾートアイランド ペナン島とランカウイ島
ペナン島は本当に 世界的に認められた観光地という印象だった。
何というか、洗練された観光都市だった。
中華系のマレーシア人が多いらしい。
バスでどこでも移動できるし、本数も多い。
また大きいインド人街があったり、ジョージタウンは観光客も多い。日本人もちらほら観光に来ていた。
島は結構大きくて、全ては周りきれなかった。
レッドガーデンで 日本語の歌(kiroro や谷村新司さんなど)が歌われていたのも、ここもかつては日本人であふれていだからだと思う。
屋台村の一つは、かなり間違ったお寿司と、珍しく日本酒を置いていたり、他の屋台にも「豆腐のぬいぐるみ」とか 「ペナンで有名なさてこんにちは」という 一応和訳 のメニューの看板もあった 笑
また、市が芸術家を優遇しているので、移住してきて 作品を創作している日本人のアーティストにも たまたまお会いした。
ジョージタウンの古ぼけた家の壁には様々な絵が書いてあり、それもまた良い味になっている
そして昔ながらの古い建物をそのままホテルにしているところもあり、古い街並みと、芸術と、都市が融合している稀有な街という感じがした。
料理も美味しかった。
宿の近くの、マレー系の 地元の人が朝ごはんを食べている 屋根だけある食堂は、長細い店で、珍しくカウンターオンリーのお店だった。
安くて美味しい ロッティチャナイ付きのチキンカレープレートだけを出していて、後は チャイを付けるか付けないか くらいしか選択肢はなく、まるで 昔の吉野家だった。
座った途端に注文を取られ
向かってくる従業員が もう料理を持って来ている!! 嘘だろ?! 笑
はやい(過ぎる) やすい うまい の三拍子が揃っている。
こんなに早くご飯が出てくる料理屋は マレーシアでは初めてだったので、逆に戸惑った。
(ロッティ チャナイとは小麦粉をこねて焼いたマレーシア版のナンとも言うべきもので、ナンより小さいが、安くてカレーにも非常に合うし、オヤツとしてチョコなどかけても美味しい。僕はナンよりこっちの方が好きである)
料理はシーフード屋さんが一番高い。
僕は海鮮は 刺身以外あまり好きでは無いので、
わざわざ高い値段をかけて食べに行かなかった。日本で言うとちょっと良い焼肉を食べに行く感覚に近いと思う。
印僑の町ではタンドリーチキンの美味しい店。
華僑の人の店では、パッタイの様な焼そばの「チャークイッティアオ」や餃子などの点心が美味しい。
つまり、様々な民族の方のお陰で、色々な食事の選択肢がある。
そしてそれらはどれも美味しいのだ。
勿論 マクドナルドなどのチェーン店もある。
食に選択肢があるのも、旅行では重要だ。
これもマレーシアが旅しやすい理由の一つだと思う。
ランカウイは、ペナンより、田舎というか、 のんびりとした自然の島 という感じがした。野良牛もいるし、庭には二羽鶏が 駆け回っている。空港近くには最強のバッファローも生息している。
僕のいた リゾートビーチ付近や、フェリー乗り場のイーグルスクエアなど、局地的に栄えていて、後は自然のままである。
ジオパークが有るのも 本当に豊かな自然に囲まれているからだろう。
なので、地元の人は基本 車かバイクで移動するし、そんなに遠出しなくても住んでいるところで色々事足りる。
バスなど必要無いのだ。
観光客用に、タクシーとレンタルバイクで十分事足りる。
なのでランカウイは、原チャリに慣れている人におすすめである。
まぁ、タクシーでも、実は日本に比べれば遥かに安いのだが、僕の様に節約旅をしたい方は 是非レンタルバイクでの移動をお勧めする。
(ただ事故とバッファローには要注意)
そして何より お酒が安い。
酒飲みの僕は、マレーシアに来てから 1番お金がかかったのが ビール代だった。
それでも飲みたいので
日本でもこれくらいするぜ?ビール。
と自分に言い聞かせながら、ランチ代の倍、下手するとホテル代より高くつく量のビールを ガブガブ飲んでいた 笑
ランカウイで生活費が激減したのも、宿が安いのもあるが、それよりもビールが安くなったお陰であった。
なかなか宿代込みで 一日 千円弱で、遊んで好き勝手飲み食い出来るリゾート地も無いだろうと思う。
そして、ランカウイのタクシーの運転手さんが
日本の津波は大丈夫か?
と心配してくれたのには驚いた。
聞くと、2005年にランカウイ島も津波に見舞われたとの事だった。
多くの犠牲の出たスマトラ島沖地震で起きた津波が ここ ランカウイ島にも来たらしい。
幸いというべきか。。死者は一名だけだったそうだが、被害はそれなりにあったそうだ。
あの橋の上に逃げたんだ。
と、彼は川を越えるための結構なアーチになっている頑丈そうな立派な橋を指さした。
津波の時に川の真上に逃げるのもどうかと思ったが、、なるほど。
大きな建物などない平地、家も平家ばかりで、橋の上が1番頑丈で高い所だ。近所の住民がここに逃げたというのも頷ける。
そして、規模は違えど同じ災害を被った、遠くの日本に想いを寄せ 心配してくれていた事に 暖かい気持ちにさせて貰った。
やっぱり国籍とかでなく 人と人なんだなぁ。
としみじみ思ったりした。
何より後々思い出すのは やはりブルハムの事である。
彼とは不思議と馬が合い、仲良くしていた。
こういう旅では、これからこういう出逢いが一杯あるんだろうな。
と僕は勘違いしていた。
どんなに長く旅をしていても、心が通じるというか、波長が合う 子供の時にいた親友の様な人に出会える事は 世界中を回っても そうはないという事に気付かされていく。
とにかく日本を出なかったら 一生出逢えていなかった人達と、人生の一瞬でも 袖振り合う。
僕は本当に日本から出てみて良かったと、この二つの島で思わされた。
この二つの島にはゆったりさせて貰ったし
本当にいい出会いや経験をさせて貰った。
人生で初めて 本当に 魂が震える様な感動をさせて貰ったランカウイ島は 僕には一生忘れられない島となった。
2つの島と そこで出逢った人々に ただ感謝したい。
昼のペナンと夕陽のペナン
レッドガーデン
バトゥフェリンギビーチ バス停
↑ 吉野家的な食堂
ペナンヒル
マンチャン山
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