猫好き俳優 東正実の またたび☆

俳優 東正実の東南アジア旅

メコン川 でっかぁーー!!

 

第53話

メコン川 でっかぁーー!!

 

携帯のアラームを久しぶりにかけていた僕は、朝7時におきた。。

寝ぼけ眼で顔を洗う。。

 

起きたら、昨日の "ホームシック?" は、

「マヒィアダー!」事件でアドレナリンが出まくった影響か、全く感じなく無くなっていた。 それが理由だとしたら 不幸中の幸いだ。

改めて考えると、捕まっていたら何をされていたかわからない…。

「本当に気をつけよう。。」

と僕はこの事を心に刻んだ。

 

久しぶりに 宿の怪しいモーニングを食べて、僕は宿を出た。

宿まで迎えに来てくれるツアーだったが、実は徒歩7分くらいの場所にツアー会社があるので、面倒なので、ここで集合する事にしていた。

到着すると、もう1人の日本人の方がいた。

話しかけると、日焼けした健康そうな40くらいの男性で、さわやかな笑顔で「岡林です!」と挨拶してくれた。

(今日は2人きりだから

 いい人そうで良かった!!)

と僕は安心した。

続いて日本語ガイドを紹介されたが、、

日本人では無かった。。

日本語を喋れるという、ベトナムでは珍しい、大柄なベトナム人男性だった。

「なまえはニャンです。ガンバリマス」

と挨拶される。

(猫みたいな名前だ。。)

と僕は笑いを堪えていた

実はベトナム語は、聞いていると、

何か「にゃーにゃー」言ってる様に聞こえる。

 

いや、僕には、そう聞こえていた。

そこに来てこのニャンさんである。

笑うなという方が 無理である。

 

本当の集合場所らしい、バス乗り場まで車で送って貰う。到着すると観光バスが停まっていて、中は 外国の観光客達で、ほぼ満席だった。

(あれ?今日は日本人が

 2人だけだと聞いていたのにな?)

僕は、岡林さんの隣の席に座った。

ニャンさんは 2席前だった。

バスは皆を乗せて、走り出す。

 

ここでも 不思議な事が起こった。

 

ガイドらしい20代後半のテンションの高い女性が、英語で喋り出した。

「はーい!!みなさん!!楽しいバスの旅が始まりましたよー! あらあら、みんな元気が無いですよー!人生は短い、今楽しまないでどうするんでしょう!?」

という感じで喋って、みんなを盛り上げている。

ユニバーサル スタジオ ジャパンのアトラクションのキャストでも通じるほど、盛り上げ上手な女性だった。

 

あれれ?なんで もう1人ガイドがおるの??

と思っていたが、見ている内に理解ができた。

 

このツアーは、もともと英語のガイド付きのツアーで、その中に "別料金" で、日本語ガイドをつけて、英語がわからない日本人向けのツアーにしている様だ。。

 

(そういう事か。。たしかに2人でメコン川ツアーを催行していたらこの値段で行けるはずがないか。。)

と僕は納得していた。

 

Wi-Fi付きのツアーと聞いていたので、Wi-Fiに繋ごうとしたが、何もHITしない。

眠ろうとしているニャンさんに、Wi-Fiどうなってるのか?と聞くと「あ、今電源ツケル」と、ポケットWi-Fiの電源を入れ、パスワードを教えてくれた。彼が眠る前に聞いてよかった。

Wi-Fiがつながり、そのパスワードを隣の岡林さんにも伝えて、その後2人で色々話をした。

岡林さんは、静岡で農業をしていて、

「農業実習生」制度を利用して、自分の農業を手伝ってくれる人を探しに来た、という事だ。

 

昨日は頼んでもいないのに、色々接待されたが、今日このツアーに来たいので、早めに切り上げて帰った 笑

と言っていた。

 

バスは順調に走り、やがて、

白い大きな仏像がいる お寺?の様なところに着いた。

ここを最初に回るらしい。

申し訳ないが、明らかに ご利益がなさそうな像だった。。いかにも観光用に作りました。。と言うのが丸出しだった 笑

他の観光客も、苦笑いをしていたが、とりあえず 回り始めた。

コーヒーショップがあり、みんなここでコーヒーを頼みながら時間を潰している。

僕は 一緒にアジアを周っている "相棒の帽子" を持ってきていたが、岡林さんは、強すぎる日差しの中、「参ったなぁ。。帽子がいるなぁ。」

と言っていたので、一緒に お土産屋に帽子が売ってないか、探す事になった。

店頭に、ベトナム式の、農業をする時に被る、三角錐型の 帽子が売っていた。

値段を聞くと、1ドルだという。

岡林さんも、農家の方だけに、

「これ、良いんじゃないですか?」

と言うと「百円かぁ、、よし、買おう!」

と購入が決定した。

 

被ってすぐに岡林さんは、その性能に驚愕し、

「いいな?これ。涼しいよ!

 いっぱい買ってって、静岡で使おうかな?」

とまで気に入っていた。

 

50分と言う時間は、野良猫と戯れ、カフェで過ごしている内に過ぎた。

最初に、3分だけ説明してくれてどこかに行っていたニャンさんもいつの間にか、戻ってきていた。

本当に猫みたいに自由人だ 笑

 

バスに戻り、いよいよメコンリバーに向かう。

メコン川の船乗り場に着くと、またニャンさんが説明してくれるが、さっきよりやる気が無い。。

棒読みでダラダラと早口で喋る。

(ひょっとしたら、覚えた日本語の文章を

   一生懸命喋ってくれているのかもしれない)

とじっと聞く。

あまり内容はよく分からなかったが、この川は ホーチミンの方の心の故郷だと教えてくれたと記憶している。

 岡林さんに「内容分かりましたか?」 と聞くと 岡林さんは、

「うーん早口でよく分からなかった。」

 と言った後 小声で

「あの人あんまりやる気なさそうだね 笑」

と言った。

(やはりそう感じていたのは

  僕だけじゃなかったんだ…)

と思い「やっぱりそうですよね」と僕も苦笑いした。

 

僕たちはニャンさんに先導されて、船に乗り込む。

メコンリバーを改めて見るとおもわず声が出た。

「で、でっかぁっー!!!」

メコン川雄大で、大き過ぎる程 幅があり、茶色い水が流れて行く。

僕の人生で見た川で 一番大きな川だった!!

 

僕は 岡林さんと大はしゃぎだった。舟はエンジンを吹かしながら、川を横断して行く。

 

まさに「メコンの渡し」だ! 地元の漁師さんに手を振ると手を振り返してくれた。

広大な川とゆったりとした人々。。

(素晴らしい!

  これを感じたかったんだ!!ぼくは。)

とこのツアーにしたことに僕は満足していた。

 

メコン川を渡った向こう側には、奥にレストランがあり、ここで、早めの昼食となった。

 

「象耳魚」という、メコン川で取れる大きな名物魚が、姿揚げで出てきた。

これを米粉の生春巻き的に 包んで食べるのだが、結構なボリュームである。。

他の料理も結構ある。僕達は別途ツアーなので、一番奥で他の同じツアーの人より豪華だった。アルコールは、別で自腹だったが、僕はせっかくなので1缶だけ、タイガービアを飲んだ。

なぜベトナムのビールでないのかは不思議だったが、、 美味しかった!! 笑

 

岡林さんと頑張って食べたが、2人で象耳魚まるまる一匹プラス 焼きそばは かなりキツかった。。なんとか食べたが。

僕は東南アジアに来てから、1日2食の日や、一食 一皿くらいで済ますという、少食になっていたので、よりキツかったが、岡林さんが、頑張って食べてくれた。

楽しみであるはずの食事を "頑張らせる" このツアーは、なかなか侮れない 笑

ここでもニャンさんは、最初説明だけして、いなくなった。

僕は "猫習性" がある、すぐに居なくなるニャンさんを 探す術を見つけ出していた。

ニャンさんからは Wi-Fi電波が出ている。

(本当はWi-Fiを使えるように、常に 周りにいなければいけないはずなのだが…  笑)

僕は日本の友人に写真付きのラインを送る為に、電波がある方に近づいていく事にした。

アンテナが2本立ったところで送信が出来た。

そのままアンテナが3本になる所まで行くと、ニャンさんは、ハンモックでゆったり携帯をいじっていた。

僕はもう面白くなり、黙ってその場を離れた。

 

その後、僕達はジャングルクルーズをする。

2メートルくらいの幅の支流を 5人乗りくらいの手漕ぎ舟で進んでいく。 なかなか楽しい。

片方に括り付けた櫂で、地元の方が上手に漕いでくれる。

 

だいぶ進んだところで、5艘に分かれていたツアー客達は、ここの舟付き場で 皆降りていく。

降りた先は、ココナッツを使った 手作りのキャラメル工場だった。

お茶を頂きながら、天日干ししているキャラメルを見学する。

何故かここには大きいニシキヘビがいて、観光客と一緒に記念撮影出来た。

僕は、マレーシアですでに、可愛いメスの蛇さんと記念撮影していたが、ついまた 撮影してしまった。

蛇さんは、子供の頃よく川で捕まえていたので 平気だし、大人しいので、逆に ヘビさんが苦しくない様に "どう待とうかな?" と気を使ってしまう。

最初は「お、俺はいいや。。」と言っていた岡林さんも、僕が楽しそうに写真を撮って貰っているのを見て、安心したのか

「うーん。やっぱりせっかくだから!」

と結局撮って貰っていた、かわいい人だ。

 

その後の キャラメルの試食で油断していた僕は

「キャラメルも 銀歯泥棒。」

だと言う事を忘れていた…

 

奥歯がカパっと外れたのである。。

「ま、マジで?!」

と僕は思い、すぐに応急処置をした。

持っていた水で 銀歯と奥歯を綺麗に洗い

銀歯を奥歯にキチンと嵌め

持っていたタオルをその奥歯でとにかく強く噛む、、少し休み、またギュウっと、噛む。

お陰で銀歯はぴたりと収まった。

 

" あるものでなんとかする。

   現状の最善を常に選択して実行する "

 

これは僕が旅の中で学んできたことの一つだ。

 人生は工夫で何とかなる。

なんでもある 便利な日本にいると 中々発動しない能力である。

 

ともあれ、しばらくは保つだろうが、また外れるだろうなぁと、僕には分かっていた。

(せっかくマレーシアで

  メントス我慢したのに…)

と僕は結構凹んでいた。。

 

続く

 

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↑ ちょっと観光向けすぎるかな。。


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↑ 戯れていた猫さん(痩せすぎで心配。。)

 

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↑ ついにメコンリバーへ


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↑ はしゃぐ僕

 

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メコン川の漁師さん


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↑ 象耳魚

 

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↑ 楽しい昼食 ボリュームは凄い!!

 

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↑ キャラメル一切関係ないヘビさん☺️

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↑ 銀歯泥棒たち 笑


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ジャングルクルーズ

 

 

次話

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ベトナムで本気の "追いかけっこ"

 

第52話

ベトナムで本気の "追いかけっこ"

 

せっかくなので観光をしなきゃ!

と思いながら…毎日訪れるイベントと、優雅な晩酌で いつの間にか時が経っていた。。

 

今日はモールの中のフードコートで 遅めの朝食を食べていた。

 

腹ごなしに公園を散歩していると、道を挟んで、小さなツーリストオフィスがあり、女性が1人暇そうに座っていた。

そうだ!ツアーについて聞いてみよう。

空いてるから、色々聞くチャンスだ!

と僕はそのドアの無い 小さなオフィスに入っていった。

僕はメコン川で、「蛍の木」と言われるような、日本では見れないような数の蛍を見れると聞いていたので、それを聞きたかった。

話しかけたのは、20歳位の若い おとなしそうな娘さんで、いじっていた携帯を置いて

「何でしょう?」とにこやかに聴いてくれた。

 

ツアーを探しているんです。

 

 どんなツアーをお探しですか?

 

メコンリバーに行きたいのですが。

 

 それなら、こちらのツアーなどがあります。

 

なるほど…え〜と。。ほたる?あれ?

(蛍って英語でなんていうんだっけ?)

あー、ライトニングバグ、

ユーノウ?Lightning!bags。

伝わらない。。ええと、、

ピカピカ、、おしり??ひっぷ?

 

と言うと、

 ええと。。what? なんですか? 笑

と聞かれた。。

 

(うーん。。どう説明したら良いんだろう

 ライトニングバグじゃないのか…そうだ!)

 

と僕はペンを貸して貰い、蛍の絵を描き始めた。

因みに僕は 絵があまり得意では無い。。

一生懸命描くと、やっと理解してくれたのか、

「オオー! firefly!」

とわかってくれた。

そして、絵を見て爆笑し始めた!!

たぶん、必死に「おしり、ピカピカ」とやっていた僕を思い出したのだろう。

僕も釣られて大爆笑だ!!

 

発音がおかしかったのか、蛍についていきなり聞かれる事が無いので頭に無かったのか、なぜ通じなかったかは 全く分からなかったが、

とにかく通じ、お互いに爆笑し、一気に彼女と打ち解けた!! 不幸中の幸いである 笑

 

会話は流れるようになり、色々聞いてみたが、今の時期は 蛍はあまりいないと言われた。

いたとしても少し見れる程度で、僕が見たいと思っていた "蛍の木" と言われるような現象は

「見れません。」 との事だった。

ベトナム戦争時の クチトンネルの見学が人気だと言われたが、僕は人が大勢亡くなった所には、なるべく近寄らないと決めていたので、やんわり断った。

色々話を聞けて、ツアー内容が解ったので、

「一旦また考えます。ありがとう!」

と言うと、笑顔で「是非!」と言ってくれた。

店を出ようとすると「メモを忘れてますよ!」

と、かなり笑いながら、例の蛍の絵が書いてあるメモ書きを渡してくれた。

僕はとても楽しい時間を過ごせた事に満足し、

手を振って別れた。

 

表に出ると、なにやらピンクの女性の集団がいた。その格好は ”阿佐ヶ谷姉妹” を彷彿とさせる。。よく見ると結婚式の見送りだ!

おお!珍しい!ベトナム式?阿佐ヶ谷風なのだろうか??

新郎と新婦を 阿佐ヶ谷風味の女性たちが送り出している。みんな幸せそうだ!

よく見ると、女性達が着ているのは

 "ピンクのアオザイだった"  彼女達に送られながら、新郎と新婦は幸せそうに マイクロバスに乗り込んでいく。 2次会にでも、行くのだろうか?

ともあれ、人の結婚式は、見ているこちらまで幸せな気持ちにしてくれる。

それは国など関係なく、そうなのであろう。

 

今日はバスに乗らず、宿の周りを徘徊していると、他にもツーリスト会社が色々ある。

ふと目を止めると日本語と "JAPAN" と看板に書かれたツアー会社があった。

気になって覗いてみると、なんと!日本人のスタッフさんがいた。

僕は、ベトナムに来てから初めて日本語で話せる事と、日本語で説明してもらえる事に少し興奮し、ここでツアーを決めてしまった。

メコン川のクルーズツアーに参加することにしたのだ。

割高だが、日本語ガイドの付くツアーにした。

催行は "二人から" との事だったが、今日 丁度 日本の方が もう一人申し込んでいたので、問題ないとの事。当日は宿まで迎えに来てくれる!

ベトナムに来たら これだけは観たいと思っていた「水上人形劇」のチケットもここで買えるらしい。ツアーのオプションで送迎付もあると教えてくれたが、歩けない距離ではないので、お金も もったいないので、チケットだけ用意して貰う事になった。

ツアーの終了予定時間から一時間後の、

18:30からの公演のチケットにした。

明日は日本の方にも会えるし、日本人ガイド付きだ!!

 明日は〜。

 いっぱい日本語しゃべっちゃうぞー!

とアホなことを考えながら僕は、明日は早起きなので早めに寝ようと、いつもより早めに そのままパブストリートに 吸い込まれて行った。

 

しかし。。

早めに吸い込まれた割には、僕はダラダラ遅くまで飲んでいた。

悲しいのんべぇである。。今日は何か勢いがついている。何故だか 宿に帰りたく無い。。

日本語を話した事で、少し寂しくなったのかもしれない。

この間の少女が話しかけてきてくれたが、

言われるままに、またガムを買って すぐやりとりは終えてしまったし、たまにいる とてもシャイな女の子が前でモジモジしているだけで、またガムを買ってしまう。。しかも、籠の中の4個全てである。

前の活発な コミニュケーションが上手な女の子と違って、苦手ながら頑張って売っている、この女の子に、なにか 必要以上に感情移入してしまったのだ。。それは全然良いのだが。。

 いったい、、どうしたのだろう??

なにか、、少し自分が弱っているのでは無いか?と、旅に出て 初めて感じていた。

 

そんな思いを振り払うかのように、

僕はさらにお酒を飲み、酔っ払った。。

 

どれくらい酔っていたかというと、明日は

"メコン川 デルタ" なるものに行くので、

 

 「出る出る、デルタ地帯っ!!!」

 

と言いながら コマネチをしたい欲求が湧き上がってきていたが

(だめだよマサミ、それ、絶対スベル!!)

心の中のリトルマサミが、それを必死に止めてくれていた。

 

いつもの この店を出た僕は、やはり、宿にすぐ帰る気にならずに、いつもは通らない、バックパッカーと客引きでごった返すパブストリート沿いに、宿から遠ざかるように歩き出した。

酔っ払いの喧騒と、客引きの声が心地いい。。

「ノーサンキュー」を繰り返しながら歩いていく。

とある店の前で、客引きのギャル風のベトナム

人女性に「オニイサーン!」とシャツを 思いっきり引っ張られた。

僕はお気に入りのTシャツを着ていたのだが、ビローンと、首元が伸びた。

「………。」

カチンときた。

シャツを見ながら 止まっていると、その店の男性が、その女性を気に入ったと思ったのか、馴れ馴れしく肩を抱いてきて、

「ヘイ、ブラザー、最高に可愛い子がいるぜ?

 女の子!好きだろ、ニホンジン!?」

と言って、下卑た笑顔で 指で卑猥な表現をしてきた。

 

何かが、僕の中で、久しぶりに何かが湧き上がった。

「◎⭐︎☆♀“〆⊆★!!」

何を言っているのかわからないが、何か卑猥な言葉を並べているのはわかった。。

僕は 何かが自分の中から湧き上がるのが止められなかった。さっきのコマネチの欲求など、砂のようだ。

 

僕は無意識に「零式 牙突」を繰り出していた。

  「零式 牙突」 とは…?

言わずと知れた、「るろうに剣心」の、

剣心のライバル 新撰組 三番隊組長 斎藤一 の "必殺技" である。

 

実は僕は、19歳の引っ越しのバイトの時、お客様の"ヤ○ザ様" の引っ越しで、そのお方に 顔を 目の前の "1センチ" まで近づけられて

「運んだ熱帯魚が死んだら、

 おまえも殺してやるからな!!」

とこの技を喰らった事があった。

(その後、一匹がクーラーボックスで

 うっかり浮いている事件に続くが。。)

 

それ以来この技を密かに

 「零式! 牙突!!」

と呼んでいたのだが、自然と自分も  

   悪! 即! 斬ッ!!  

とばかりに、発動していた。

そいつの顔の1センチまで顔を近付けて、

「おい…おまえ、やっちまうぞ?」

と思わず言ってしまっていたのだ!?

 

日本語で。。

 

通じたのか??と思っていると、どうやらこの 牙突は、「世界共通の技なのか…」

やがて彼は ブルブルと震え出し、、

「……、、ま、ま、マヒィアダーー!!!」

と叫んだ。

「ママ、マフィアだー!!

 ミンナ来てクレー!!ま、マフィアだー!

 殺される ミンナキテクレーー!!!!」と。

ベトナム人男性の背は低い、170センチ有るかないかの方が多い。。さらに それより背が低い その彼が、180センチある しかもゴツい僕から

牙突」を喰らったのである。

"気が触れる" のも無理もなかった。。が!!

その声を聞いた、刺青だらけのおじさんから、若者までが、その "鬨の声" に反応して、十数人が、「どうしたーー?!!!」と、僕めがけて走ってきた!!

 

 ま、マジでーーー!!!ええーーーー!!!

と僕は酔いが一気に醒めて、反対側に走り出した!!

さすがに酔っていても、一日中歩き続けられる体力を補充した俳優である。

信じられないスピードで、僕は彼らを振り切った。

人生で 一番早かったであろう "追いかけっこ"  をした。

やがてだいぶパブストリートから離れた僕は、

「二度とあそこは通らない。。」

と心に誓い、必要以上に大回りで宿に帰った。。

 

「なにをやっとんるんや、、ワシは。。」

と言いながら、僕はシャワーを浴びて、

死んだように眠りについた。。

(明日は早起きなのに。。)

と思いながら…

 

この事は、今でも本当に反省している

自業自得である。

 

この日以来 僕は「零式」を封印している。。

 

続く。

 

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↑ いただいたメモ(東画伯の蛍付き)

 

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ベトナムの結婚式 お幸せに!

 

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↑ 明日のメコン川ツアーと

     水上人形劇のチケット

 

 

次話

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ベトナムの演劇学校とユンさんの劇団

 

第51話

ベトナムの演劇学校とユンさんの劇団

 

再び走り出したユンさんのバイクは 安全運転で道を走っていた。

だが、バスにもよく乗る僕は 知っていた。

ベトナムの道路は "弱肉強食" である事を。。

 

ベトナム交通じゃんけん では、大きい順に強い。

強さとは大きさに比例し、バスが一番強い。

ラクションを鳴らし、バイクも乗用車も

「どけっ!どけぇーー!!!」と蹴散らしながら進んでいく。

次に強いのは乗用車で

「バイクどきなさい!どかないと

 どうなっても知らんよ?!どくの?

 どかないの?!しぬの??」

という感じで少しの隙間に自分をねじ込んでいく。

次にバイクである。

「馬力あるよ!スピードでるよ!?

 どうなの?!どうなのよ!?」

と原チャリをかき分けていく。

次はやっとこさ原チャリである。

全てのツワモノを避けながら、

少しの隙間に自分をねじ込んでいく。。

 

そして…最後に人間である。

とにかく轢かれないように 移動しなければならない。。油断したら死ぬ。

常に左と右を見ていないとしぬ。

僕はこの国に来て、歩きスマホ!と言うものとは縁を切った。日本の感覚で歩いていると死ぬからである 笑

とはいえ、マレーシアよりはスピードを出さないので、大怪我くらいで済むかもしれない…

事実、ベトナムに来てから、足にギブスをしているバックパッカーを 何人か見かけるようになっていた 笑

マレーシアでは見なかった光景だ。

しかし、足の骨を折っても旅を続ける理由とはなんだろう??

骨折も旅の一部なのだろうか。。

僕にはわからない感覚だった。

 

ユンさんに「どこに行きたいですか?」と聞かれたので 僕は

「演劇のことが分かるところと

     市内観光をしたいです!」

と答えていた。

基本徒歩で移動している僕としては、原チャリで色々な所を移動出来るのは、大きく市内を周れるので "都市 ホーチミン" を捉えるいい機会だ。

点と点であったものが線に繋がるはずだ!

 

そして、ユンさんが最初に連れて行ってくれたのは、専門学校というか、私立の演劇学校だった。立派で綺麗な敷地と建物の、いかにもお金持ちしか通えないと言った風情の学校だ。。

 

入り口の警備員も、強そうな厳しめの方で、ユンさんと 何やらやり取りをして、やっと通っていい事になった。

ユンさんが事務所の受付をしてくれた。

パンフレッットを貰って、最初は学校のスタッフが一緒に周ってくれたが、途中から2人で勝手に周って良い事になった。

この学校は、ピアノや声楽など、個室で個人レッスンしてくれる等 物凄い英才教育だった。

 一体授業料はいくらなんだろう??

と僕は震えた。。

 

最後に、この学校の所有する劇場に行ったが、ミュージカルから、ストレートプレイまで出来そうな 良い劇場だったが、体育館のように、敷地内にポツンとある。なにか 野外劇場のような雰囲気があり、逆に僕は

 燃えるなここは!!

と思うような 面白い立地の劇場だった。

 

最後にユンさんに

「こんなところにコネがあるとは。

 流石ですね!ありがとうございました!」

と言うと

「実は、この学校にはコネはないの。

 あなたが日本人だから

 お金持ちの御子息で

 ベトナムに移住するから、 

 "演劇学校を探している" と言って、

 見学させて貰ってたのよー!」

といたずらっぽく 舌を出しながら言われた。

 

 なんと言う戦略!!凄いぞユンさん!!

 

 (…この人は本当にチャーミングで

    面白い女性だなぁ。。)

 

と改めて尊敬してしまった。

 

その後、ホーチミン市を ユンさんは2人乗りで大回りしてくれ、色々観光案内してくれた。

お陰で街を だいぶ把握できた!!

その後、大満足した僕を 宿まで送ってくれ

「会わせたい人がいるのでまた連絡します。

    あと、稽古に来て下さーい!!」

と言われ、それを約束をして僕達は別れた。

 

稽古というのは、即興劇(インプロ)の稽古であった。

実は、ユンさん自身も お芝居をやっていると聞いていたのだが

それが  "インプロ(即興劇)" だとは しばらく気付かなかった。

彼女とはカタコト同士でやり取りをしていたが、彼女の口から

「インプローブ!インプローブ。」

とよく耳にしていたのだが、

僕はインプロは「インプロビゼイション」の略だと日本で教わっていたので「インプローブ」といわれても、違う意味に捉えていたのだ。

 

 あれ?インプロ(即興劇)の事ですか?

 

と気付いて、そう聞くと、

「ずっとそういってるでしょーー!! 笑」

と怒られた。

詳しく聞くと、ベトナムには "2団体しかない" インプロ劇団の一つに所属していて、

もう一つは 首都ハノイにあるらしい。

お互い人数が少ないので、共同稽古もたまにするらしい。

ハノイに行った際は是非

 彼らとも稽古してほしい」 と言われ

「その為にも まず一緒に稽古をしましょう」

という事になった。

日本でも「インプロ」を専門にしている団体というか劇団は稀である。

僕は当時仲間と 「隔月の奇数月にインプロ公演」 合間に旅公演や 学校でライブなどもしている 本格的なインプロ俳優でもあった。

日本ではインプロは、稽古の一環としてはやる俳優は多いが、お客様を入れて 公演をする劇団は少ない。

ベトナムではさらに稀である。

そんな稀有な俳優同士が たまたま劇場の隣の席に座り、たまたま話をし 意気投合したのである!!

 

 本当に人の縁は不思議だ。。

 

「必ず稽古に行きます!!」

と力強く答え、ユンさんと固く握手をし、別れたのだった。

 

ホーチミンには夕闇が迫っていた。。

僕はいつものようにバックパッカー向けのパブストリートに向かった。

 

いつものように、角にあり 道の両方を眺められるテラス席に陣取ることにした。

座りたい席を指差し「ここでいい?」と店員に聞くと、気持ちよく「どうぞどうぞ」笑顔で言ってくれる。

こういうところも

「こちらのお席でお願いします!!」

と言われてしまう日本とは違う。。

 

最近日本では "ダサい"  と言われているらしい

 「とりえずビール! 笑」

と言ってようやく涼しくなった街の風を感じながら、ストリートと そこを横切る人達を眺める。

僕はここでバックパッカーや、通り過ぎる地元の人たちを眺めながら、一杯50セントの生ビールを飲むのが大好きだった。

 

色々な人が通り過ぎていく。。

 

地元の人、バイク、厳しい顔をした旅人。

陽気に呑み騒ぐ旅人。。

 

喧騒の中に、何か静寂と 風が吹く。

不思議な場所だ。

 

ここの風を感じながら ゆったりと過ごしていると、とても気持ちが落ち着く。

  柔らかな気持ちになるのだ

こんな気持ちを味わえるだけでも、日本を離れて旅をする価値は 大いにあるといつも思う。

 

ここにいるといつも、弁当売りの様に 前に籠を下げた少女たちが来る。

歯磨きガムなど、日用品等と お土産を売りに来るのだ。

 

6、7歳の女の子で、英語を喋れるわけではないが、頑張って挨拶をしてくれる。

少し離れたところに若いお母さんが、ニコニコして見守っている。

 

お店の旅人に話しかけたり、売れたりすると、お母さんに報告に行き、嬉しそうにお母さんにギュッと抱き着いている。

とても仲がよさそうで、見ているだけで優しい気持ちになる。

 

いたいけな少女が「何かいりませんか?」と来ると、さすがに 何か買ってあげたくなる。しかも別に高いものではない5000ドン~10000ドンくらいである。

しかし、僕は一回買ってしまうと また明日もここに来たいのに

「昨日買ってくれた人だ!」と 毎回来られると

(この店自体に来づらくなるからなぁ…)

と思い、笑顔でゆっくり首を振り やんわり断っていた。

 

彼女たちは非常に利発で、商売上手 というかこの仕事に慣れているのだろう。

しつこくはしないで すぐに次のお客さんのところへいく。

だから断る方もストレスは感じない。

 

この日、僕は利発そうな一人の女の子から、歯磨きガムを買ってしまっていた。

「子役」でも出来そうな、活発な 生きる力にあふれた感じの女の子からだった。

 

この日の彼女は 少女たちの中でも 特に商売熱心で いちいち自分の商品を一つづつプレゼンしてくれた。

 

「これいるでしょ?」

と可愛い笑顔で聞いてくる

「いらないよ」と笑顔で首を振ると、

 

「じゃあこれいるでしょ?」

と聞いてくる「いいえ」と答える。

 

「じゃあこれは?涼しいよ」

「ごめんね 扇子はもう持ってるんだ ほら」

「あらら、じゃ、これは美味しいよ」

「お腹はいっぱいだよ 笑」

こういう やり取りを、二人共笑顔で しばらくしていた。

お互い笑顔で 楽しいひと時だった。

まるで彼女は僕の遊び相手をしてくれているようだった。

 

僕は、彼女に 一つのお芝居を見せて貰ったような気になり お礼の気持ちと、素直に

「参りました!」と降参してしまい。

 

「やっぱり最初のガムが必要でした」

 と頭を下げた。

 

彼女は「ほら、だからそう言ったじゃない?」

と誇らしげに僕に5000ドンのガムを売ってくださった 笑

いつの間にか僕は、このお姫様の臣下となり「ははぁ~」とガムを頂いた。

 

姫様は、僕にガム売った後 母上のところに誇らしげに戻り

それを見ていた僕に 母上殿は

「すみませんねぇ。優しく遊んでいただいて」

とでもいうように、ニコニコしながら会釈をしてくれた。

まるで良く出来た インプロのワンシーンだ。

 

”ペナンでの 信号待ちでの おばあさんとのやり取り”  もそうだが、言葉が通じなくても なぜか人と人は会話が出来る。そしてその会話は 言語を使った会話よりも 深く心の琴線に触れ、深く心に残る。

 人と人は 本当に不思議な能力を

 お互いに持っているのだ。

こういう経験は、本当に役者としても、人間としても自分を成長させてくれていると 確かに感じながら、いつものベトナムの風に吹かれ、僕は 本当に満たされた気分でビールをお代わりしていた。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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↑ 私立の演劇学校の劇場
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↑ ユンさんと

 

 

次話

azumamasami.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベトナムの演劇事情に触れる

 

第50話

ベトナムの演劇事情に触れる

 

昨日もパブ・ストリートで呑んでいた僕は、

今日も8時半頃 目を覚ました。。

 

 (あぁ、今日も宿のモーニングには

            間に合わないなぁ。。)

 

と僕は顔を洗い 街に出た。

 

いつも通り、椅子のジョンと少し話し、今日は宿の隣の「挟み鳥 焼き屋さん」へ 行く事にした。

 

今日は お婆さまはお休みなのか、おばさんが顔をしかめて暑そうに焼いている。

眉ひとず動かさず、ひたすら焼いていたあのお婆様は(やはり凄いんだなぁ。。)と 改めて尊敬の念が浮かぶ。

 

ここは、お店の中より、道に席が多い。

道側のテラス席?に座り、隣の人が食べているプレートを見ると 本当に美味しそうだ。 焼いた鳥が切り分けられて、ご飯と野菜も乗ったワンプレートであった。

僕は隣の人のお皿を指差して

「あれを下さい」と言うと

おばさんが「あいよ」っと、

盛り付け係のおじさんに伝え、それは すぐに出て来た。先払いの為、プレートを持ってきた時に会計する。90円くらいだ!安い!

 

早速 スプーンとフォークで食べてみる。

ご飯と鳥を一緒に口に運ぶ!!

 

 う、ゔぅ  ゔメ"ぇぇえええええエエ"!!

 メ"ェえ"えぇぇええ"ええ?!!!

 

恒例の "山羊さん" と化した僕は、あっという間にそのワンプレートを平らげた!!

  お、お代わりしようかしら??

と悩んでいたが… 

「また来ればいいや。」

と思い、僕は喉の渇きを癒すために、久しぶりにコーラが飲みたくなった。

 

おばさんに話しかけると、隣のお店の少年を呼んでくれた。

少年にコーラを頼むと、その少年のショップから よく冷えたペットポトルのコーラを持ってきてくれた、ペプシだった。

彼にお金を払い お腹が落ち着き 人心地ついた僕は、コーラをチビチビやりながら ゆっくり周りを見渡していた。

 

しかし、お店もご近所付き合いのようで良い。

ここは 鳥のご飯専門店で、飲み物は置いていないらしい。

お酒や ジュースなどの飲み物は、頼まれたら 隣のショップが対応するのである。

よく出来たシステムだ、 日本のように

 なんでも一つのお店で完結しなければいけない!!

というサービスは、違うんじゃないだろうか?

と僕は改めて、考えさせられた。

 

素晴らしい店が 宿の隣にあることで またしても

  この宿は当たりだ!!ふふふ。。

と思い、宿を選ぶ力がついてきた事に 満足していた。

 

今日はこの後、先日 劇場で連絡先を交換した「ユンさん」と、劇場前で待ち合わせをしていた。

実は一緒に

” お仕事のインタビューに同席させて貰い、その後 ホーチミン市内を案内してくれる” という ありがたい申し出があり、

僕は一つ返事で「お願いします!」と返信し、会う約束をしていた。

 

約束の時間までいったん宿に戻り、準備をして約束の時間の 20分前に宿を出た。

劇場に到着すると、まだユンさんは来ていなかった。

待ち合わせまであと15分ある。

待ってる間にだんだん不安になってきた。。

(忘れていたが、ここは東南アジアだった…)

そして、家を訪ねることはあっても、ちゃんと待ち合わせをするのは初めてである。

 (時間通りに来ないのではないか…?)

と  ふっと 気付いたのである。

 

日陰とはいえ やはり外は暑い。。だが、待ち合わせ場所から動いたら、連絡手段は 宿に戻るか、カフェの WIFIGmail を打つしかない。

腹を据えて じっと待つことにした。

 しかし…初めての人と待ち合わせとはいえ

 自然と何の疑問も持たずに

 きっちり時間の15分前を

 逆算して到着するとは。。

 (やはり僕は日本人なのだなぁ…)

と改めて思い、少し笑ってしまう。

 

しばらくすると、芝居を見た朝に話しかけた 細身の掃除おじさんが、煙草をくわえて劇場から出て来たので、軽く挨拶をする。

向こうも手をあげてニカっと笑ってくれる。

やはり長期滞在のいい所は、挨拶出来る地元の人が増えていくところだ。

 

おじさんに倣い、僕も階段に腰掛け待つことにする。腕時計を見ると、待ち合わせ時間を過ぎている。。

 

隣を見ると、おじさんは 美味そうに煙草を吸って、上を向き煙をゆったり吐いている。

その なんとも平和な光景を見ていた僕は

 まぁ、来るまで待てば、、来るでしょ!

と、謎の境地に至った 笑

 

やがて10分後にユンさんが謝りながらやってきた。

渋滞が思ったより進まずに遅れたとの事だった。

時間通りに来ようとしてくれてたと言う事が、少し意外で嬉しかった。

 

ユンさんは僕に「行きましょう」と言い、原チャリに案内し、ヘルメットを渡し、後ろに乗るように促した。

 えええ?原チャリ二人乗り??まじで!?

と思ったが、ホーチミンで生活している人の提案だ。

大丈夫だろうと、そこは「えいやっ!」と飛び込むことにした。

 

生まれて初めて女性の運転するバイクの後ろに乗った。

ユンさんはかなりの安全運転だった。。助かる。

ユンさんも バイクの海をかき分けていく。

ラクションがひっきりなしに鳴る。。

ユンさんに「この音が苦手です!」と言うと、彼女も笑いながら、「私も!」と言っていた。

やがて20分程走った所で バイクは止まり、ユンさんと降りた。

「このお店で インタビューします」

と言って喫茶店に入った。

大きな綺麗な喫茶店で、2階の席に陣取った。

ユンさんは朝食を兼ねて、モーニングセットを頼んでいた。

今日は お世話になるので「僕が出しますよ」と言ったが「大丈夫よー」と遠慮されてしまった。そして どうやら、インタビュー相手はまだ来ないらしい。

僕はカフェラテを頼み、しばらくおしゃべりをしていた。

 

この機会に疑問に思っていることを聞いてみた。

 「水色の 警察官の夏服のような制服を着ている人たち」が、ホーチミンのそこら中にいて、椅子に座っている。

食事も近くの食堂でテイクアウトし、その椅子で食べて 持ち場を離れない。近所の人と、笑いながらおしゃべりをしたり、スマホを見たり、仕事と言えば 駐車された原チャリを整理して停めなおすというくらいだ。

 

僕は  共産国家の為、国が公務員を何人も雇っているのか?  と思っていたので

 彼らは警官ですか?国家公務員なんですか?

と聞いたところ、

「彼らは警備員です。ホーチミンでは一つのお店に一人警備員がいます」

という事情を教えてくれ、警官は茶色い制服を着てる人達だという。

 

そういえばちらほらと、茶色い制服の人は 数少ないが目撃していた。

彼らが警官で、あの大量の制服の人達(水色)は民間?の職員だったのだ。

 

さらに、先日の劇に、マイクを使っていた理由についても聞いてみたが

ベトナムの俳優は大きな声が出せない」という、本当かどうかわからない 身も蓋もない事を言われた。。

冗談だと思って聞くと、プロでも 劇場でマイクを使っているところは多いそうだ。

逆に「日本ではどうか?」と聞かれ

 

日本ではミュージカルでは口元のマイクを使うが、ストレートプレイではマイクは使わない事。

大きな劇場では、人ではなく、舞台にフォローでマイクを入れることはあるが、基本は生声である事を伝えると

 

「素晴らしいわ。日本は!」と感心していた。

 

さらに「この原因は何だと思います?」と聞かれた。

僕は数日だが、ベトナムで感じた事から

 

「まず腹筋と言うか、腹式呼吸の訓練が

 出来ていない可能性がある事。

 そして、これは僕が街にいて、

 人を観察していて感じた事だが、

 あまりベトナムの人は普段

 大きな声でしゃべらないし、皆笑顔で、

 声を荒げているのを見たことが無い。

 このように日常で

 あまり大きな声を出さない文化

 これが「大きな声」を出すことに関しては

 弊害になっているのではないか?」

 

と僕なりの推察を述べ、同時に ベトナムの人の そういう国民性のようなものに

非常に好感を持っていることも伝えた。

 

彼女は「サンキュー!」

と言ってくれ ”大きな声 問題” を

「プロとしてどうなのか」と、自分は非常に憂いているとも教えてくれた。

とにかく、ユンさんのおかげで いくつか謎が解けた。

 

ユンさんがモーニングを食べ終わり、10分ほどして、インタビューの相手が来た。

顔を見て驚いた!その方は、先日のお芝居の演出家だったからだ。

ロビーで 挨拶していて、僕にも笑顔で挨拶をしてくれていた。

ひょろっとした、50代の目が綺麗な男性である。

 

彼は僕を覚えていてくれて、嬉しそうに握手をしてくれた。

 

彼らは、僕という いきなりの闖入者がいても何も気にしない。

おおらかと言うか、人間愛と懐の深さを感じた。

 

 インタビューはベトナム語で進んでいくが、いちいちユンさんが翻訳してくれる。

「彼はこう言っています」と。

演出の方も、ニコニコして、翻訳する時間をゆったりと待っていてくれる。

僕をインタビューに参加させてくれているのだ。

途中、演出の方は、僕にも意見も聞いてくれる。

ぼくは失礼のないように真摯に答えた。

 

それにしても彼らの態度はどうだろう? 一応 俳優という同じ職籍とはいえ、昨日 今日会ったばかりの僕を、古くからの演劇仲間のように迎えてくれる。。

 

「あぁ…演劇とは本来こうあるべきなのだ」

僕はこの「コミュニケーションの芸術」と言われている仕事の真理に、少しだけ近付けたような気がした。 

 

やがてインタビューは終了し、お互い握手をして別れた。

ユンさんは「このインタビューは数日後の新聞に載る」と教えてくれた。

 

しかし、芝居を見ただけでなく、その演出家の話を プロのインタビュアーと一緒に聞けるとは、日本でもした事の無い経験だった。

一人の俳優としても非常に勉強になった。

 

ユンさんは、仕事を終え 一緒に喫茶店を出たところで

「さあ、ホーチミンを案内するので後ろに乗って」

といって僕にヘルメットを渡してくれた。

 

ユンさんと僕は、再びバイクの海へと漕ぎ出していった。

 

続く

 

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ホーチミンの他の劇場

 

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↑ インタビュー場所のカフェ

     電柱の電線どうなってるの?!

 

 

次話

azumamasami.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

バスタブから バスストップへ

 

第49話

バスタブから バスストップへ

 

宿周辺でも事件は色々起きる、その合間を縫って歩いていた僕だが、

二日もすると、そろそろ遠出がしたくなっていた。

 

実はホーチミン市の北側には 面白い場所が多そうなので、僕は 市バスで移動をする様になっていた。

ホーチミンさんの像のある、人民委員会庁舎にも夜に行った。前の広場では恋人達が 愛を囁きあっていた)

わかりづらいバス停の路線図と "睨めっこ" をし、大体の勘で乗るバスを決め、

ダウンロードしておいた Googleマップ先生を使って、現在地である GPSマークが行きたい方向から外れたら降りる。

 

乗る時は 進みたい方向に向かう側の車線で待つ。

最初は右車線だという事をよく忘れ、進行方向と逆のバス停に来てしまった事が何度かあったが、徐々に慣れてきた。

 

ここホーチミンのバス停にある路線図は、非常にわかりにくい。

非常に多くの路線があるのもそうだが、路線図自体が 劣化してかすれていたり、

地図とは ほぼリンクしていないので、

今いるバス停から、行き先の「通り」(ストリート)に一番近い所を、Googleマップで探して、なんとなく頭の中でリンクさせて向かう。

なので行きたい方向には大体行けるが、目的地からだいぶずれて、10分、15分歩く事もザラである。

だが、大体25円か、30円で移動できるので、大きく間違えたら、また違うバスに乗ればいい。ひっきりなしにバスは来る。

 

ここベトナムは、すべての通りに名前がついており「そのストリートの何番地」 という形で住所にもなっている。

 例えば、「フォレスト・ガンプ」を見た ホーチミン シティ ドラマ シアターの住所は、

 

30 Đ. Trần Hưng Đạo, Phường Phạm Ngũ Lão, Quận 1, Thành phố Hồ Chí Minh

 

であり、細部の番地は、30 Đ. Trần Hưng Đạoである。

Đ.Trần Hưng Đạo とは、僕が

「宿の近くの大通り」と呼んでいる道の名前である。

つまり劇場は、

「Trần Hưng Đạo ストリートの 30番地」にある事になる。

この番地に手紙が届き、タクシーもぴったり止まる。

 

なので、行きたい場所の近くの大通りを探して、そこを通るバス路線を探す。

だがストリート名が、Googleマップも路線図もベトナム語表記の為、探すのにも一苦労だ。

僕は実地で乗ったバスの路線で通った場所や、僕の宿へ近いバス停を通る路線番号を、いちいちメモしていた。

一度 携帯を片手に、バス停の かすれた路線図と ”睨めっこ” をしていた時、

気のいい大学生の若者が

「行きたい場所への 路線が一緒だから」と 乗るバスを教えてくれ、一緒に乗って行ってくれた。

その時に、バス路線図のPDFを ダウンロードできるサイトを教えてくれたが、やはりiPhone7の画面だと、小さくてイメージがわかない。。

結局は ”くすり” とも笑わない。。

バス停との ”睨めっこ” に逆戻りだ。

 

  何とかこの状況を打破したい!!

  我打破状況今?(適当) である。

 

奮起した僕は、そんなに遠くない場所に、いつもの公園から 終点の ”バスセンター行き”  のバスが出ているのを知ったので、それに乗り

「路線図」という名の宝の地図を求め

”バスターミナル” という宝島を目指した。

バスは公園のバス停から、8分程で終点のバスターミナルに到着した。

色々な路線のバスが、ここへ吸い込まれて行き、出発していく。

 

僕はバスを降り、窓口を探した。

コンクリート製の平屋の建物があり、そこがオフィス兼、運転手さんの休憩所になっているようだ。

窓口に行くと、制服を着た30歳くらいの男性職員さんがいた。

 

 バスマップを頂けませんか?

 

話しかけると「ありません」と言われた。

 

 ??? 路線図ですよ? バスのです。。

と僕は間抜けなセリフを吐いた。

 

職員さんに詳しく聞いた所、ホーチミンでは、利用客に渡すような路線図は存在しないそうだ。。

僕が「わかりました。ありがとう。」と帰ろうとした所

「ちょっと待って!」

と言って彼は、机の引き出しから 職員用であろう 路線地図を取り出してきて、僕の前に置いた。 

「これをあげるよ」

 ええ?! いいんですか?

 これお仕事に必要なのでは…?

と聞くと「僕はもう覚えてるから、大丈夫。」と笑顔で渡してくれた。

 

僕は感動してしまった!まさか わざわざ自分のマップをくれるとは思わなかった。

 (なにかお礼は出来ないか…?)

僕は考えた末、近くの小さな商店でポカリスエットを買い、窓口に戻った。

彼は ”まだ何かあるのかい?” というふうに僕を見た。

 先ほどは 本当にありがとうござます!

 これは大事に使わせて貰います。

 お礼をさせて下さい。これを飲んで下さい。

と飲み物を渡すと彼は

「いや、大丈夫、気を使わないで」

と笑って断っていたが、

 本当に僕は嬉しかったので 是非!

 今日は暑いのでどうぞ。

と勧めると、ニコッとしてから

「サンキュー!」と笑顔で受け取ってくれた。

 (なんて気持ちのいい人だろう!!)

僕は路線図を手に入れた事より、職員さんの親切と、暖かい笑顔に触れたことに感動していた。

ふいに 人の優しさに触れ、本当に嬉しかった。

 

近くのベンチで、早速路線図を開いてみると

  お、大きい!!

ちょっとしたデスクくらいの大きさである。

 

だが、地図ともリンクしていてとにかく見やすい!!折り畳めば、カバンにも入る優れものだ!!

たぶん ホーチミン市のバス路線図を持っている観光客は、世界中で僕くらいだろう!

 

僕は大満足し、せっかくなので、バスで遠出をする事にした。

北側の日本人エリアに行く事にしたのだ。

東南アジアでは、日本人が住んでいるエリアは 結構栄えていたり、日本のお店があったりしてなかなか楽しい。

僕の行くエリアには、出張で単身、人によっては家族ごと移り住んでいる日本人マンションまであるらしい。

 

早速Googleマップと、路線図を照らし合わせてバスに乗った。

バスの中で高島屋を発見し、テンションが上がりながら、そこを過ぎてしばらく行くと、

路線図のお陰か、初めて "降りたい場所に" ぴたりと降りれた!!

 すごいぞ!職員さんの路線図!!

と改めて感動する。

 

そして、さすが日本人エリアだ。

ラーメン屋さん、焼き鳥屋の懐かしい赤提灯の居酒屋や、お鮨屋さんなど 色々なお店がある。

ラーメン一杯は、700円くらいだった

思わず「高い!」と思ってしまったが、

ベトナムで、日本のラーメンを 日本とほぼ同じ価格で楽しめるのなら、安いのだろうか?

 

 これが日本人マンションかな?

 

というマンションの一階には、

なんと "ファミリーマートがあった!

東南アジアでは、セブンイレブンは良くあるが、ファミマはレアである!!

 

店に入ってみるといつもの音楽

 テトテトテト♪  ナウシカカ♫

が聞こえ、ベトナム人の店員さんの

「いらっしゃいマセー!」

が聞こえる。  日本語だ!

 

店内を見てみると、お茶を買うと お弁当が安くなるキャンペーンをやっているらしい。

  5000ドン引きである!

「どん引き〜〜!!♪」という

まさかのIKKOさんシステムである 笑

 

 マジで、ウケる〜!!🤣

と笑っていたが、、よく見ると!

 

   ドソ引きに見える!!

 

 ふぁ、ファミマ! 面白すぎる!!

僕は腹を抱えて笑っていた。

 

久しぶりに笑って 気持ちがデトックス出来た!

  

  ありがとうファミマ!! 笑

 

店内には日本の方が多く、日本語が飛び交っていたが、たぶんここの住人だろう。話しかけられても迷惑だろうと思って、店を出た。

 

その後 路地などに入って探検していると、

日本語の本が読める、喫茶店を見つけた。

店員さんは ベトナムの方だったが、オーナーさんは日本人らしい。

僕はカフェオレを頼み、優雅な読書タイムを満喫した。ベトナムのガイドブックも豊富にあり、僕はここで知識を蓄えた。

 

暗くなってからカフェを出て、さらに歩いていると、豪華な歌劇場があり、その先でなんと!

 地下鉄の工事 をしていた。

ここホーチミンは、道の渋滞を緩和するために、なんと!地下鉄を建設していたのだ!

しかも、日本とベトナムの合弁で作っているらしい!!

僕は、日本にいたら 決して知らなかったであろう工事を見て感動していた。。

日本の底力を改めて感じたのだった!!

 

そういえば、マレーシアのパサール・セニ駅でも、地下鉄の工事をしていた。。

あれにも関わっているのだろうか?

と、遠く離れた日本を思いながら

僕は この場所を周れたことに大満足し、改めて

僕に路線図をくれた職員さんに感謝した。

 

宿に帰る為に、僕は街灯の下で 再び路線図を広げていた。

 

続く

 

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ホーチミンさんと逆の手を挙げて

     何故か満足気な私..


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↑ ファミマの「どそ引き〜!!♪」 笑

 

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ホーチミン市の地下鉄工事

     ベトナムと日本の架け橋!!

 

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↑ 職員さんに頂いたホーチミン市の路線図と

     バスチケット5000ドンor 6000ドン 安い!!

 

 

次話

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恐るべき! 進撃のベトナム演劇! まさかの…⚪︎本立て

 

第48話

恐るべき! 進撃のベトナム演劇! まさかの…⚪︎本立て

 

携帯のアラームが鳴り響く。。

ふっと目を開ける見慣れない天井…ここはどこだろう…?

 

日本で いつもかけていた携帯のアラームで目覚めた僕は、ベトナムにいることを 一瞬忘れてしまっていた…。

  ああ 今ベトナムにいるんだった…

と気付き、気だるいままベッドから這い出してきた。時計を見ると18:15だった。

洗面所で顔を洗い、外出用の小さなカバンを、防犯の為に いつものように前に斜めがけにし、僕は部屋を出た。

フロントの横の 椅子のジョンに挨拶して、劇場へ向かう。

開演は19時なので、開場は日本と同じで大体30分前だろう。

道を渡るとすぐに劇場に着く。

入り口の周りには もう結構人がいた。

チケットオフィスが開いていたので

「今日のお芝居を観たいのですが」

と声をかけると、受付の女性が

 

 無料公演になりますので

 開場しましたら そのまま御入場ください。

 フォレスト・ガンプ」の後

 「ブロークバック・マウンテン

 の公演になります。

 

とにこやかに教えてくれた。

 (えぇっ?! 二本やるの?   む、無料??)

一度にびっくりする情報が多すぎて、僕は混乱した。

なんと!アカデミー賞 受賞作品の豪華二本立て

らしい。

僕の記憶が確かならば、映画なら

一本2時間半近い "大作" なはずである。

 一体 何時に終わるんだろう…?

 そして なぜ無料なのだろうか…?

疑問は尽きなかったが、劇場のドアが開いたので、僕はとにかく劇場内に入る事にした。

フォレスト・ガンプが終わったら帰ろう…)

 と密かに決意しながら。。

 

劇場内は昔の風情がある、僕が好きな感じの劇場だった。その昔 中野にあった「光座」ほど古くはないが、やはり「元映画館」といった作りの劇場だった。

僕は、一本観たら帰れるようにと、

申し訳ないが "無料" と聞いて 少し怖くなったので、最悪いつでも出られるように、後ろ寄りの通路側の席に座った。僕の席の右隣には 髪を後ろに束ねている、上品そうな女性が座っていた。

座ってから 周りを見渡してみると、前の席は何列か「VIP」と書かれた布が被せてある。

無料公演なのにVIP席があるとは。。

 まさか 国営? それで無料なのかしら。。?

ますます混乱するが、気にしたら負けだと、腹を据えて待つ事にした。

 

日本の劇場だと僕は、席を確保した後は 一度外に出る事が多い。お芝居の時間以外で あまりすし詰めの席にいたくないのと、同じ空間に長くいるのが苦手な為だ。

だが、日本ではカバンやコートを席に置いておけば大丈夫なのだが、ここは外国である。

カバンを置いて席を離れるという行為は かなり危ないし、そもそも日本のように「席を取っておく」と言う行為自体が 文化的に許されるのかもわからない。

僕は開演時間まで、じっと席で待つ事にした。

 

少しして、ふと視線を感じ 隣を見ると、先程の上品な女性が僕を見ていた。軽く会釈をするとニコッとしてから話しかけてきた。

 

 すいません。。

 少しお話しさせて頂いても良いですか

 

あ、はい、どうぞ。

 

 どこの国の方ですか?

 

日本から来ました。

 

 やっぱり!

 なぜこのお芝居を見ようと思ったのですか?

 

ええと、ベトナムの演劇に興味がありまして…

後、日本で少しお芝居をしているので。

 

 あぁ〜、俳優さんでしたか!

 そうだと思いました。

 どんなお芝居やられてるんですか?

 

やはり演劇と、声優と、たまにドラマにも出てます。あ、あとインプロ(即興劇)もやってます。

 

 おお!!そうですか!!

 とても興味があります!

 

そ、そうですか。。

 

彼女は30代半ばの笑顔の元気な人で、名前を「ユン」さんと言うらしい。開演まで 色々話をした。

聞くところによると、新聞で劇評を書く仕事をしていて、自身もある団体でお芝居をしているらしい。

お互い あまり英語は得意ではないが、相性が良いのか 話すのに苦労はない。

伝わりにくい所は筆談を交えて会話した。

とにかく人当たりの良い女性だ。

ライターや、インタビューを仕事にしてるだけあって非常に聞き上手だった。

話し込んでいるうちに、いつの間にか 開演時間の19時をとっくに過ぎていたが、ベトナム時間なのか、お芝居は一向に始まらない 笑

ようやく始まったのは、19:20だった。

 まずいなぁ…芝居が終わる頃は

 本当に明日になっているかも知れない。。

ユンさんから、連絡先を交換しないか?と提案され、Gmailを教えようとした時、丁度 芝居の幕が開いた。「公演後に交換しましょう」と、早口で言って二人ともステージに集中したが、僕は

(これで途中で帰れなくなってしまった。。)

と少し後悔していた。

 

舞台は暗転から明かりが入ると、かの有名なシーン。バス停のベンチで、ガンプがバスを待っている所から始まった。

始まってすぐ、何か色々違和感を感じた。

よく見ると、俳優全てが 小型マイクを口元につけている。

 ??? ミュージカルなの??

と思って見ていると、歌う様子は全くない。

まずミュージカルなら、最初に一発歌うはずである。 そして…

 んん?セリフがスピーカーから

 聞こえる気がする。。

気がするのではなく、セリフが全てスピーカーから出ている。150席くらいの小劇場だが、どうやら生声で演らないらしい。。ストレートプレイでマイク付きとは。。 あ、新しい…

しかも、役者同士が近づきすぎるとハウリングして、セリフが潰れたり、離れていても、「ガガガピー」となったりする。

そして、なぜか僕にはセリフが聞き取れ、理解ができた?

確かに内容は映画で見て知っている、それを脳内で補完しているのだろうか?

(それとも知らぬうちに

  ベトナム語を理解していた?)

何故だろう??と不思議に思って耳を澄ますと。。

「I'm リメンバー」だの、「シーユー」だの言っていることが分かった。

それはまさかの  "英語劇"  だったのだ!!

まさかベトナムの人が、わざわざ英語で 芝居をやるはずがない と言う先入観と、マイクなど、ツッコミどころが多すぎて、気付くのに時間がかかったのだ 笑

僕は俄然興味が湧いて前のめりに見始めた!

 どゆことーー??!!

と、謎解きに似た鑑賞法に変わった為である!

 

話は順調に進んでいく。

映画だと「カット割り」が出来るが、舞台だとそうはいかない。そこの場面転換などは、よく作られている。演出の人がうまいらしい。

そして、どうやら 若い子しか出てこないところを見ると学生の演劇みたいだ。

英語劇をやっている所を見ると、たぶん大学生だろう。

そういえば、散歩で見つけた大学には、よく演劇学科のポスターが貼ってあり、ホーチミンでは、演劇が盛んなのだろうと、勝手に理解していた。

見ているうちに、申し訳ないが、、

「やはり、日本の演劇はレベルが高いんだなぁ」

と改めて気付かされた、それは英語劇だからと言う事をさっ引いても、そう感じた。

 

主役のガンプ役の子はよく頑張っていて 稽古量が見えて、とても好感が持てた。

 

そして、驚愕したのは、

あの大作「フォレスト・ガンプ」が、

1時間弱で終わったことである!!

なのにストーリーはちゃんとできていた。

 

 もの凄い演出、脚本力だ!!

 

その事に僕は驚き! そして 今日中に帰れそうな事に、心底ホッとしていた 笑

 

休憩中に、席にタオルを置き、ユンさんに見てもらって、僕はトイレに行った。

 

戻ってきて、またユンさんと喋っていると、

今度はすぐに「ブロークバック・マウンテン」の幕が開いた。

 

実は僕はこの作品は見たことがない。

なんとなく内容はチラシで見たことがある。

なので、初見の上、英語なので、まぁまぁの内容しかわからなかった。

男性と男性の許されざる恋模様が牧場で起きている。

どこの世界でも学生はそうだが、同級生の男性同士が抱き合う所など、観にきた学生が「きゃー!」とか、「ヒュー!」と冷やかしたり 盛り上がっていて、僕も大学の頃を思い出した。

微笑ましい光景だ。

やがてこの大作も1時間弱という 奇跡的な時間で終わり、僕は客席に残り、ユンさんとGmailを交換して、「是非後日会いましょう」 と約束をして 劇場を出た。

 

 凄い体験をしてしまった 笑

 

とシニカルに笑いをたたえていると、

後ろから声をかけられた。

 

 んん? 誰だろう?

 ベトナムに知り合いなどいないはずだが。。

と思いながら振り返ると、可愛らしい娘さんがいた。

 あれ? どこかで見たことが。。

と思っていたが、ハッと気付いた!!

マッサージ屋さんの受付の あの娘さんだ!!

 私服の彼女も可愛い。

どうやら、彼女の大学の公演だったみたいだ。

まさかこんなところで再会するとは!?

 「運命かも知れない。。」

僕らはしばらく話をしていたが、、彼女が少しソワソワしている。

話しかけたはいいが、こんなに食い付かれるとは思わなかった。。と言う感じである。

僕は違和感を感じて、この後はどうするの?

と少し期待をかけて聞いた所

「友人が待っているので もう行かないと。。」

と断られた。

 

あぁ、それは申し訳ない事をしたと思い…

 そうなんだ? じゃあまた。

 話しかけてくれてありがとう!

とサヨナラをした。

伊達に役者をやっているわけではない。

相手を観察する事は仕事であるし、空気を感じる能力は、あるはずだ。

 

後から、劇場から出てきた ユンさんが帰り際に挨拶してくれ「連絡待ってます」と言ってから 歩き出すと、バイク置き場に、先程の彼女と、若い大学生らしい男の子が一緒にいた。

 

 あぁ、彼氏を待たせていたのかぁ..

 

と、僕は全てを理解し、何故か勝手に失恋したような気持ちになっていた 笑

 

 はやくいってよぉおお。。

 

とアホな私は ベトナムの夜空を見上げながら、何かスッキリした気持ちで、奥のパブストリートに吸い込まれっていった。。

 

 今夜のお酒は ほろ苦そうだ。。ふふふ…と。

 

続く

 

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↑ 開演前の劇場前


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↑ 劇場内(終演後)

 

 

次話

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お風呂と来たら 次はマッサージ!!

 

第47話

お風呂と来たら 次はマッサージ!!

 

お風呂に浸かる快感に目覚めた僕は、例の三角錐の風呂の栓に、宿の掃除おばさまが、紐をつけてくれた事により 安心してお風呂に入れるようになっていた。

 

傘に引っ掛けてある紐を引っ張ると、栓が抜ける、奇跡のおばさまシステムである。

もう 足拭きの吸盤を剥がす事もない。

 

僕はお風呂に入る様になってから、やはり身体がだいぶ疲れている事に気付いた。

 

マレーシアの疲れを取る為に、クーラーの効いた部屋で、ゆったりしながら、マッサージ屋をネットで探した。

そして見つけた、日本人にも有名な 評判のいいマッサージ屋に行く事にした。

そこは、地図で見ると、パブストリートをさらに抜けた先にある、公園を抜けた所にあるらしい。

 

今日は朝食を 宿の「0階」の、フロント横の レストラン兼カフェで食べていた。

パンか、ご飯か選べる 洋風のモーニングセットや、フォー、カレー等選べて

注文をとってくる 宿の人(たぶん ジョンのお父さんかおじさん)が、一人でそのままキッチンに入っていき 作ってくれる。

正に家庭にお邪魔している感覚だ

 

僕は洋風のモーニングセットを パンとスクランブルエッグでお願いしたが、うまく伝わらなかったのか、目玉焼きが二枚出て来た。。

 「細かいことは気にしない。。」

と思いながらも、やはり好物のスクランブルエッグが食べたかった 笑

 

僕は目玉焼きが 実はあまり好きではない。さすがに二枚は堪えた。。

次に注文するときは、マジでしっかり伝えよう と心に決めた。

 

味は…なんというか 家庭的?だった。

宿泊者は無料の為 文句は言えない。また 8時半まで食べに行かなければいけない事もあり、結構夜遅くまで起きている僕は、9時までは寝ていたい。。

なのでこの朝食は、前日にお金を使いすぎた時だけ 利用することに決めた。

 

早速街に出る。

今日も右隣りでは、おばあさまが美味しそうな鳥を七輪で挟み焼いている。

明日はここで朝食を食べることにした。

 

すぐ先の大通りを渡ろうと 信号を待っている間に、ふっと見ると 向かいの左手に劇場があった。古い映画館を劇場に改装した様な趣のある劇場だ。

 

興味を待って見に行ってみると、立派な看板がかかっている。

日本でもあまり見たことが無い程 立派なポスターである。

アカデミー賞 受賞作品の「フォレストガンプ」をやるらしい。ガンプ役の俳優が大きく写っている かっこいいポスターである。

 ベトナムの演劇かぁ。。ぜひ見てみたい!!

と思った僕は、建物からちょうど出て来て うまそうにタバコを吸い始めた やせ型のおじさんに話しかけた。

英語が通じないが、ジェスチャーで何とかコミュニケーションをとってみる。

彼に 「この劇場の公演はいつやるのか?いくらなのか?」 等聞いてみたところ、おじさんは、日焼けした笑顔で「ちょっと待ってね」と言って、奥からまた違う、少し太めのおじさんを連れてきた。

太いおじさんに話しかけると、色々教えてくれた。さっきの細いおじさんは掃除のおじさんだそうで、太いおじさんはこの劇場のスタッフさんだそうだ。

お芝居は、今日やるそうで、細かいことは分からなかったが19時開演 料金は良く分からなかったが、とにかく夜来れば入れるそうだ。

僕は外国の方の芝居は

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー

「夏の夜の夢」か、

韓国の劇団のブラックコメディを新宿タイニィアリスで、あとは京劇くらいしか見た事が無い。

ベトナムの演劇!本当に楽しみだ!!

僕はテンションがあがり、ホクホク顔で、パブストリートを横切って、マッサージ屋に向かった。

周りから見たら、朝からパブで呑んで上機嫌な人に見えた事だろう 笑

間にモールがあり、中を抜けると綺麗なフードコートがあった。どの店も美味しそうだ!

そのフードコートを、囲むように、周りのお店はバザールのような個人経営の衣料品などの小さいお店ばかりである。

 

モールの隣は公園になっていて、公園内には 長めのテント型の布の屋根を張った、布製のアーケードがあって、雨が降っても大丈夫な作りで 中では、露天が食べ物や、サンダルなどを売っている。 そして…なんと!

アジアで人気のお寿司が、40℃ 近い中、作り置きで常温で売っている!?

好きなお寿司を選んで、一個から買えるシステムだ。一個15円〜25円である 安い! 

流石に 腐りにくい食材を乗っけているのだろうが、日本ではあり得ない事だ 笑

 

公園では、上半身裸の筋肉質なおじさんと、若い女性が、足でやる インディアカとでもいうようなものを楽しそうにやっている。

(インディアカとは、バドミントンの羽を大きくして、先端に弾力のある丸い布をつけてやるバレーボールである)

後日来た時も、彼らは、メンバーを変えながらも一日中やっていたし、他の人も何組かいた。

通天閣あたりの、路上将棋みたいなものかもしれない。

他には、観光客や、留学生?に見えるヨーロッパ系の人など、皆 思い思いに、過ごしている。

なにか、落ち着ける良い場所だ。

 

その公園を渡ると、お目当てのマッサージ屋さんである。

ドアを開けると、黄色いアオザイを来た、可愛らしい娘さんが受付にいた。

マッサージを受けたいというと、コースと値段の表の見せて説明してくれた。

時間によって値段が違う他には、オイルマッサージなどもあり、女性には人気だと言う事だった。僕は昔から、乳液などベタベタするものが苦手なので、普通のマッサージをお願いすることにした。

彼女に「早い時間だから今はスタッフに 男性しかいないのですがそれでもいいですか?」

と言われ、初めて来た店で、別に誰でもいいので「YES」と答え、1500円くらいの60分コースにして2階へ案内される。

2階はお香の香りがし、布でベッドが仕切られている。

一番奥のベッドに案内される。マッサージ用の服に着替えて待っていると、20代前半の若者が来て、体をほぐしてくれる。

タイマッサージに近い気がする。僕はプロレス技の「ロメロスペシャル」の様な技巧は 腰を痛めそうで嫌なので、万が一を考え

「ノーアクロバティック  ソフトプリーズ

 プリーズ ノー アクロバティック… OK?」

と 通じてるのか分からない 怪しい英語でお願いしていた。

彼はなかなか上手だった!!

流石に日本人にも評判のお店だ!

スッキリした僕は、心持ちシュッとしていた。

 

受付に戻り、暖かいお茶を出してもらって、受付の娘さんとお話しした。

改めて見ると、本当に黄色が、、アオザイがよく似合う、可愛らしい娘さんである。

僕はニコニコしながら会話していた。

聞くところによると、ベトナムの人ではないとの事。カンボジアから、留学で来たのだという

。アルバイトで、この店の受付をやっているらしい。

こんな可愛いらしい人にマッサージをしてもらいたかった。。と、先程の男性に失礼な事を思ったが、彼女は施術はしないらしい 笑

 

少し長くなったなぁと、思った所で

(仕事もあるだろうし)と思い 切り上げた。

僕には時間がたっぷりあっても、相手はどうかはわからないからだ。

 

心も身体もほぐされた僕は、お昼を道の向かいのモールで摂る事にした。先程の綺麗なフードコートは 実は案外安い。 実は通りがけにメニューを目視しておいた。

フードコートには、アジアらしい辛そうなラーメンから、あんかけ麺、フォーと生春巻きのセットや、バインミー、ピザなど、様々なお店があり、見ているだけで楽しい!!

久しぶりの文明だ!! 笑

 

冗談はさておき、たまにはピザでも食べようと、僕はピザ屋で、1/6のピザが 3切れ選べるセットを食べる事にした。

バジルと、テリヤキ的なものと、もう一つはなんだったか?

とにかく美味しかった!

思わず生ビールも追加で買ってしまった。

ビールが50円なのは相変わらずで、ピザも3つで200円しなかった。

大満足した僕は、フードコートの周りのバザールを冷やかし、公園のアーケードに戻り、ビール片手に 屋台の食べ物を買って、屋台のイートインでゆったり一杯やっていた。

昼から飲むビールもまた美味いものだ。

日本では 時差でもう16時くらいなので

 まぁ、早く仕事が終わったら

 日本ではもう呑んでるしね? 笑

と、する相手もいない言い訳をわざわざしながら、ゆったり過ごしていた。

ここの公園は、アーケードもそうだが、何か お祭りのようで飽きない。

暇な時はいつもこの公園に来る事にした。

 さて、お芝居まではまだ時間がある。。が…。

 

やはり、、マレーシア程ではないが、ベトナム ” かなり暑い… ”  途中でコンビニなどで涼みながら歩いているとはいえ、やはり消耗は激しい。

 

僕は夜の芝居に備えて、宿で休むことにした。

 

部屋に戻ると、ドアの前に 朝出しておいた洗濯物が、かごに入れられて置いてあった。キチンと畳まれているそれは、ベトナムの柔軟剤のいい匂いがする。

これまで、シャワー室で日本から持ってきた牛乳石鹸で、手洗いで洗濯をしていた僕には、人に洗濯してもらうことは、本当に楽で助かる事なのだと改めてこの外国で実感し、何故か、

 母親って やはりありがたいものだなぁ。。

と日本の母を思いだしていた。

 

「少し眠ろう…」と

ベッドで僕は しばしの眠りに着いた。。

 

続く

 

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↑公園のテントアーケード

 こういう場所はお祭りみたいで楽しい!!


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↑ アーケード内のお寿司屋さん 笑

 日陰とはいえ35℃くらいなはずだ。。


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↑ 立派なポスター!帝劇みたい。。

 

 

次話

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西へ東へ

 

第46話

西へ東へ

 

ホテルにいるだけで 何故か大冒険をした僕は、風呂上がりの一杯をやる為に街に出た。

 

ここは、大通りから道を一本入った 角に立っているホテルで、すぐ右手に地元の人の小さなローカル食堂があった。

店先の道路で、火力が強すぎる七輪のようなもので、鉄網で挟んだ鶏肉を焼いている。

今日の気温は40度近いはずだ。

そんな中 おばあさんがひたすら焼いている

なんてお元気なんだろう。。頭が下がる。

タレに漬けてから焼いているそれは とても美味しそうな匂いがする

 

だが、焼き鳥の気分ではない僕は、ホテルの逆の、左手の方の 奥行きのある食堂に入る事にした。

利発そうな可愛らしい少年が、店先で声をかけて来たからだ。

 ビールはある?

と聞くと 小学校高学年くらいの彼は、 ニコニコして ガラスの冷蔵庫に入っているビールを指さした。

僕は、無事ベトナムに着いた事を、初体験のベトナムビールで祝おうとしていたのだ。

そして、風呂上がりにはやっぱりビールだ!!

日本を出てから、初めての風呂上がりビールである!!

 

ここは中華っぽいお店で、他にも地元のおじさん2人が すでにビールで一杯やっていた。

ザーサイみたいなモノでビールを飲っている

 

ホールには、さっきの利発そうな少年がいる。

 メニューをくれる?

というと、英語のメニューをわざわざ選んで持って来てくれた。

美味しそうな炒め物や、焼き物が並んでいる。

 

彼に「ベトナムのビールは?」 と聞き

教えてもらった「333」という名前のベトナムビールと、野菜炒め そして鳥の唐揚げらしきものを指差して、頼んだ。

僕は一応 ベトナムの数字は覚えていた。

「3」は ”バー” なので、バーバーバー読むはずだ。

彼は英語はあまり話せないみたいだが、全てを察し、頷いてオーダーを通してくれた。

 

よく冷えた缶ビールと グラスが運ばれてくる。

ビールをグラスに注いで呑むと、スッキリしていて、いくらでも飲めそうだ! 美味い!!

 

改めてメニューを見た僕は、国を跨いだという事を実感していた。

マレーシアでは200円以上していたビールが、ベトナムではなんと!50円 と安くなっていたからである。

ビールは 10000ドンだ

僕はベトナムドンの簡単な計算式を空港で見つけていた。

(当時レートは 1ドンが0.0049円 だった)

 

1万ドンなら、まずは100で割って、100円にし

さらに二分の一にして、値段は 大体50円という事だ。

 

要は、200で割ればいいのだが、上記のやり方の方が簡単に暗算できる

 

だが「1万」と聞くと、やはり大金に勘違いしてしまう 笑

実は、空港ATMで2万円分のVDN(ベトナムドン)を下ろしていたのだが、

”400万ドン” という とんでもない数字のお金が出てきて 正直僕は引いた…

物価は別として、僕は人生で 400万 というお金を持ったのは初めての経験である。

たぶんインフレのせいだと思うが、初めてベトナムに来た人は 皆ビックリする、

" ベトナムあるある "  だと思う。

だが、50万ドン札や 10万ドン札という高額紙幣がある為、財布がパンパンになる事はない。

 

話は戻るが 

 ”ビールが安い国 = 俳優 東正実の天国” 

である!! 

あっという間に、ビールを飲み終わった所に、頼んだ野菜炒めが来た。

ビールのお代わりを頼みながら、野菜炒めをパクつく!

 最高だ!! 最高の時間だ!!!

 

またしても僕は、心の中で

ベトナム最高!!」 と叫んでいた!!

 

僕は飲食店には 昔から鼻が利く。

日本にいた時から「孤独のグルメ」よろしく、食べ歩きや、新しく行った街でラーメン屋、立ち食いソバ歩き、ランチの店、居酒屋探訪を、勝手にやっていたせいか、そういう能力が身に付いていた。

そしてその能力は、外国でも通用する。

 

その為、お客の雰囲気や 店先に漂う匂いで、

マレーシアでも いつも当たりの店を見つけていた。

美味しくて安い店には 国籍を問わず

何か ”オーラ” があるからだ。

 

アジアは 日本と違い、ドアで密閉されている店は少なく、道路から直通の、あけっぴろげな お店ばかりである。

メニューを見てから、帰るも、食事をするのも自由である。

 

僕は初めての街では、散歩ついでに 7、8軒くらい物色して、お店の人とも少し話して、ゆっくりお店を決める

そういう 時間は楽しいし、僕には時間もある。

旅では、やはり 食事が大きな楽しみのひとつなので、軽い朝食付きの安宿でも、僕は外で遅めの朝食を摂ることも多かった。

 

やがて唐揚げと さらにお代わりのビールで心地よくなった僕は、缶ビールを3本飲んでも、マレーシアでの1本分にもならない値段に満足し

 なぜもっと早くベトナムに来なかったんだ!?

と自分を呪っていた 笑

 

唐揚げも美味しかった!!

風呂上がりの一杯(正確には三杯だが)を終えた僕が会計をお願いすると、

少年が、ぱっぱと暗算してくれ 会計してくれた。

その際に、「ビー ケアフル」といい、可愛らしい笑顔で、一枚の紙を渡してくれた

そこには 英語とイラストがプリントされた紙で ひったくりや 置き引きの手口など、色々なベトナムでの犯罪の手口が描かれていた

 利発な彼には 僕が来たばかりの観光客だと分かったのだろう。。

 

不意に触れた少年の親切に僕は胸が熱くなった。

「サンキュー!気を付けるよ。また来るね!」

と握手をして別れた。

 

 それにしても、ベトナムである!

 

ホーチミンに着いてから、色々な人が親切にしてくれたり助けてくれている

この国に来て、やはり正解だった!!と僕は思っていた。

すがすがしい気持ちで、少し回った 心地よい体内のアルコールに身を任せ、僕は宿の周りをパトロールすることにした。

まずは大通りに出ることにする。

 

ここは大通りから一本入った生活道路とはいえ、車は結構通る。

右車線の為うっかり日本の感覚でいると危ない。

対向車が、自分から見て 右側に寄せて走る日本の感覚で避けようと、左側に寄って歩くと、

右車線の為、一緒に 自分の方に車が寄って来る。

 え、ええ? あっ、危ない!

早く慣れないと事故にあうだろう。

 

大通りに出て信号を渡る。

交差点渡り、そのまま進むと、大通りの隣は、観光客向けのパブ・ストリートになっていた。

まだ明るい中、色々な国の人がお酒を片手に盛り上がっている。

宿からここまで 徒歩3分ほどである。

素晴らしい立地だ!

 

僕は暗くなってからまた来ようと決め、一旦 Googleマップ先生を開いた。

僕がいる場所から、宿の方向にそこそこ大きな川が流れている。

川好きな僕は、宿の方向にUターンし、その川を目指すことにした。

 

やがて宿を過ぎ、宿から5分ほど歩くと川に出た。。

 だが…何かイメージと違う。。

飛行機から見た、美しい河川とは違い、色は濁り 汚れている。。ごみも所々に浮いている。

ここは大都会よろしく、昔の日本のように川が汚れている。さすがに下水は流していないのか、悪臭はあまりしない。

うすうす感じていたことだが、ここベトナムは中国のすぐ南で 中華支配の時代も長かったせいか、中国の影響を強く受けているのだろうか。

皆、ゴミは道端に捨てている。そしてそれを、オレンジ色のツナギの清掃員がひたすら拾っている。どうやら、捨てても拾ってくれるので、道は巨大なゴミ箱 という感覚らしい。。

 

 

言い忘れていたが、ベトナム社会主義国家であり、共産国家である。

なので ひたすらゴミを拾う人たちも、国家公務員なのではないかと思う。

オレンジの人たちは大通りに多数生息しているので、大通りは綺麗だが、一本生活道路に入るとやはりごみがそこらに落ちている。

 

僕は水溜まりに足を突っ込まないように注意することにした。水溜りは、ゴミの汁をたっぷりと含んでいるからだ。

サンダルを履いているので、下手するとその水から感染症にかからないとも限らない。

皮膚病になっている暇は僕にはない。

 

新しい国に来ると、色々新鮮に感じたり、考えたりする。

僕にはすでに日本との比較だけではなく、先に訪れた国 マレーシアとも比べることが出来るようになっている。

その事は自分の視野が広がっている事を意味していた。

 

ベトナムに 新しい刺激を貰い 僕は、海外に初めて来たばかりの時のように わくわくしていた。

 

続く

 

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↑ 近くの川と縦長すぎる建物

 

 

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ベトナムドン

 

 

次話

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ベトナムの洗礼

 

第45話

ベトナムの洗礼

 

ぬるくなったお湯の中で 僕は目覚めた。。

 

風呂から出て、備え付けのバスタオルで体を拭く。

うっかり寝てしまったため、体はだるいが 心地よい疲れがある。

 

 お風呂は最高だ!!

 

そういえば ランカウイ島で仲良くなった、

トルコ人で、薬剤師のブルハムに、

「どうして日本人は長寿なの?

 君の意見を知りたい」

と僕なりの理由を聞かれた事があった。

 

その時僕は、

食生活とか、四季があって 身体を休める春や秋がある事など、色々言っていたが、

ふっと思いついて

 

「お風呂に入る事で

 副交感神経が優位になり

 ストレスが緩和されるからだよ。

 1日の終わりに、風呂に入って、

 「あ"ぁ〜」 と声を出して

 心も身体もリラックスするから

 だから 長生きなんだ」

 

という "新説" を唱えていた。

(副交感神経という単語は

 Google翻訳で調べて、画面を見せた)

 

このホテルで、およそ2週間ぶりに 風呂に浸かって僕は、改めてこの説に信憑性を感じていた。

 

だが…、風呂から出てお湯を抜こうとした所、困った事になった。。

お風呂の栓が、水圧で抜けなくなったのだ。

 

ここの風呂の栓は、日本のゴム製のトルクとは全く違った。

金属製の「落下傘」のような、上が三角錐で、下に棒がついていて、

大きめの「きのこの山」と言った感じのものだ。

どうやっても、とっかかりもないし、紐もついていないので、水圧で栓が取れない。。

 

僕は観念して、フロントに電話をかけた。

先程のフロントの女性が出る。

電話越しに、英語で物事を伝えるのは、

ジェスチャーが使えないので、色々と僕には難しい。

 

「アー、、マイバスルーム

 ホットウォーター ノットスルー。

 アイ キャンとスルー ホットウォーター

 イン バスルーム…a BOX?」

 

僕は頑張って説明したが、

 「…What?」

と言われてしまい。。

仕方なしに 一階のフロントまで降りる事にした。

 

しかし、1階へエレベーターを降りだはずが、

何故か見慣れない 客室しかない廊下に出た。

 

 ええ? ここどこ? フロントは?

 

間違えたと思い、再びエレベーターにのり、扉を閉めながら 「1階」のボタンを押す。

すると、ドアが開く。。

何回「1階のボタン」を押しても ドアが開く。

 

 こ、怖わぁ、。壊れてるよ。

 このエレベーター。。

 

しかし、ここで僕は気が付いた!!

 

 そうだ!!

 階段を上がって フロントだったから、

 フロントは "2階" なのだ!

と。

 

自分の間抜けさに ひとり「ふふふ…。」と笑いながらも、エレベーターに乗り、2階を押す。

エレベーターは、上に上がる。

2階に出ると

何故か ここにもフロントは無い!?

 

 客室しかない廊下に出た。。

 

もはやパニックである!!

 

 えええ?怖すぎる。。

 どうなってるんだ??

 フロント、、どこ。。?

 

僕がパニックになっていると、ちょうど客室を掃除しているおばさんが顔を出した。

人の良さそうな明るいおばさんだ。

 

彼女に、フロントはどこなの?

と聞いた所、あまり英語は通じなかったが、

「フロント」と言う単語は通じたらしい。

彼女は会話をすぐに諦め、一緒にエレベーターにのり、「0」というボタンを押した。。

 

 ゼロ? 0ってなんだ?

 

と思っていると、ゼロのボタンで着いた先に、

なんと!

フロントはあった。。

ニコニコして彼女はエレベーターで二階に戻って行った。

 

ここでやっと僕は理解した。

どうやらここは、一階を0階と呼ぶらしい。

つまり、日本での一階がゼロ階、ニ階は 1階なのだ。

後でネットで調べてみると、ベトナムは 全てそうらしい。

一階は 0階であり「GF(グランド フロア)」と表記されることもある

 

いきなりのカルチャーショックであったが、

なんとかフロントにたどり着けた。

しかし、右車線といい 0階といい、いきなり色々ベトナムはやってくれる!

 

フロントで、例の女性に事情を話すと、これまた入り口に座っていたジョンが、一緒に部屋まで行ってくれる事になった。

ジョンは一緒に部屋に来てくれ、バスタブに手を突っ込む。

そして爪を引っ掛けてなんとか外そうとする。。さっき僕がやって諦めた方法だ。

 

 …ジョン、、ノープランなのね。。

 

彼は何回かチャレンジしていたが、ついに諦めたのか「ちょっと待っていてくれ」

と部屋を出て行った。

 

その間、僕もやはり手を突っ込み栓を取ろうとしたが、やはり無理だった

僕は諦めて、ベッドに腰掛け待つ事にした

マレーシアの旅で「ダメな時は 頑張らない」

上手くいかない時は「ただ待つ」という事を多少なりとも学んでいたからだ。

 

やがて5分ほどして、ジョンが戻ってきた。

傍には さっきフロントに連れてってくれたおばさんがいる。

おばさんはお風呂を見て、すぐに足拭きのタオルをのけた。

そこには、足拭きがずれないように、平たいゴムがあり、そのゴムの裏側は "動かないように" と、

何故か吸盤になっている。

 

どうするのだろう? と見ていると、彼女はその吸盤つきの平たいゴムを床から ペリペリペリ と剥がし始めた。

そしてそのゴムをバスタブにおもむろに突っ込んで、例の鉄製の栓に吸盤をくっつけた!

そして、、、、

吸盤にくっついた落下傘型の栓が、水の中から姿を表し、僕のエキスがたっぷり入ったぬるま湯は、下水に流れて行った。。

 

  き、、奇跡だ。。。

 

僕はサイババに会ってしまったかのような衝撃を受けて、目を見開いていた。

やがておばさんは、ウインクを一つして、部屋から出て行った!!

 

凄いぞおばさん!!

ここに来て、すでに2回も僕を救ってくれている!!

 

それにしても、ジョンの頼りなさが面白い

実は部屋を案内された時も、クローゼットがわりの 大きな木のタンスの内部に、貴重品を入れる ダイヤル式のセーフティBOXがあった。

ジョンが解錠番号を教えてくれて

「パスポートなど入れるのに 使って下さい」と言われた。

 

そこで、自分のオリジナル番号を設定するにはどうしたらいいのか聞いた所

「……この番号で空きますので」

 

 いやいや、みんな知ってる番号じゃ

 ダメなんじゃない??

と言うと

「やり方がわかないから、お客さん、

 心配なら使わないほうが良いですよ〜」

と、素晴らしい笑顔で言われた。

 

 「そうだね。。」

と思わず僕は笑ってしまった。

何か 彼とは上手くやれそうだ 笑

この件と、お風呂の件で打ち解けた僕達は、宿に出入りするたびに、挨拶や軽い話をするようになった。

 

ジョンは24歳で、この宿は家族経営でやっていて、代表は彼の父親だという。

フロントの女性はジョンのお姉さんだった。

なんにせよ、アットホームな素晴らしい宿だ!

 

僕のベトナム旅は、この奇妙な 家族ホテルを拠点に 動き出して行くこととなった。

 

続く

 

 

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↑ 宿の近くのおしゃれマンション

 

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↑ 僕の部屋から見える

    向かいの2階の屋根の風景

 

 

次話

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いざベトナムへ

 

第44話

いざベトナム

 

ベトナム行きの飛行機内で僕は考えていた。

マレーシアに人生でもう一度来る事はあるのだろうかと。。

 

初めてきた外国、しかし、この国に来るのは最後になるかも知れない。

そう思うと、マレーシアがとても愛おしい国に思えた。

飛び立った飛行機の中で、心の中で

「ありがとうございました」と、この国に感謝した。

飛行機は明るい空を飛んでいく。

僕の席は窓側で、フライト時間は 2時間程だ。

 

窓から見える雲を見ていると、マレーシアであった色々な出来事が 頭の中に浮かんでは消えていく。。

2時間のフライトなのに、機内食が出た。

マレーシア航空だからか、赤々しい弁当で

大好きな「ナシレマ」だ!

最後にマレーシア料理を食べられるとは嬉しい限りである。

 

マレーシアと、ベトナムには時差がある。

ベトナムはマレーシアより1時間早い。

 

ベトナムは、、日本が10時の時、8時

マレーシアは、日本が10時の時、9時

 

不思議な事だが、マレーシアより 日本に近く、日付変更線にも近い、より東側にある ベトナムの方が、1時間多く時差がある。

 

フライト時間は2時間だが、

9:05発で到着は 10:05 であり、1時間 時間を得する計算だ。

 

やがて1時間半ほど経ち、雲間から海が見え始め、しばらくするとまた雲間から陸地が見えた

 

その時僕は思わず声を漏らした

 

  うわぁ。。これが…ベトナム。。

 

そこにはベトナムの陸地があり、本当に綺麗な川と緑の美しい大地が広がっていた。

 

マレーシアは、南国特有の植物のプラントと、

茶褐色の川、開発途中の茶色の大地など、茶色いイメージだったのに対し、

ベトナムは、綺麗な水に、広大な川、そして肥沃な大地に恵まれた、素晴らしい景色だった。

マレーシアの後に、空からベトナムを見ると より美しく神秘的に感じた。

僕は、日本の風景を思い出していた。

 あぁ ベトナムは稲作が盛んなんだろうなぁ

と改めて実感し、日本に近い国だと感じた。

 

やがて飛行機はタンソンニャット国際空港に無事着陸した。

人生2回目の入国審査も、拍子抜けするくらい 無事に終わった。

やはり日本人はあまり警戒されないのかな?

と思うくらいすっと通れた。

 

そして空港の出口に出て 驚いた!!

大量の人が出迎え出口にいる

宿からの迎えもあるのか、プラカードを掲げている人もいる。

 

Googleマップで見た、タンソンニャット国際空港は、ホーチミンシティからは結構離れている。

なので、皆、バイクか 車で迎えに来ているのだろうが、とにかく

 「ヨン様が来るんです!!」

と言われても不思議ではない熱量である。

 

そう思いついた 少しお調子者の僕は、手をクロスさせ、ニコニコしながら、通り過ぎてみた…

しかし、誰も僕には見向きもしない。。

僕は1人、自分をアホかと笑ってしまった。

しょうもない事だが、誰にも評価されない 一人旅の特権でもある。

初めて来た国で いきなり盛大にスベっても 誰にも怒られる事は無い 笑

空港から、初めての国のバスだとよくわからないので、

さすがにタクシーに乗ることにしていたが、

 

僕もうっかりその熱量に充てられてしまっていたらしい。。

 

客引きのおじさんが

「乗り合いタクシーだから 安いよ

   ホーチミンシティに行くよ!」

と言ってくれたので、乗り合いなら安かろうと、ついうっかり付いて行ってしまった。

 

白いワゴンに案内された。

中には運転手と、スタッフが2人いた。

「さぁ、乗って!出発しよう」と言われたが、ほかの客もいないし、何故か仲間が2人乗ってるだけのシロタクである。。

 他に客は乗せないのか?

と聞くと「特別に君だけの貸切だ」

と言われる。

 

乗ってしまったら、完全に3対1である

 (危ない!危ない!!)

と思い僕はすぐにその場を離れた。

客引きの男がしつこく追ってきたが、

 ノーサンキュー!!ノー!ノーサンキュー!

と繰り返し、歩いていく途中で 腹式呼吸全開でさらに大きな声で繰り返した。周りの人も見ている。。すると男はやっと諦めてくれた。

 

危ないところだった。旅に慣れてきているとはいえ、ベトナムは初体験だ。もう一度気を引き締めなくてはならない。

うっかり乗っていたら、どこに連れて行かれるか分からない! 下手すると、強盗されていても不思議では無い。

 

ちゃんとした所で相談しようと、空港内に戻り タクシーを手配してくれるブースに行き、予約した宿までの値段を聞いた所

 "何か高いなぁ。。そんな気がする。。"

と思ってしまった。

初めての国に来ると、相場がよく分からない

1日、2日過ごしてみないと、交通や食事は値段がわからない。

僕は本能が「高い」と訴えて来たので、

空港の周りをうろついて、ほかの手段を考える事にした。

 

道を渡った立体駐車場付きの建物の中にカウンターがあり、市内まで「空港のタクシーカウンター」より安く行けそうだった。

カウンターの若い女性に聞いてみた。

しかし、ここはバイクタクシー専門の配車をするカウンターらしい。 彼女に

 バイクタクシー初めてなのだが、

 安全ですか??

と聞くと、良い人で、

 うーん、危ないっちゃ危ないですよ。

 お金があるなら、タクシーで行った方が…

と、困った笑顔で答えてくれた。

 

 うーん。。無理に勧めずに

 正直に答えてくれた。

 

僕はこのベトナム人女性とのやり取りで、ベトナムに非常に好感を持てた。

 

さっきのシロタクの様に、ヤバいやつはどの国でもいるし、気にしたら負けだ。

 

僕は彼女のアドバイス通りにタクシーで行くことにした。

値段を比較すると、バイクタクシーとタクシーの差額はそこまで無かったからだ。

 

空港内の配車してくれるカウンターで、タクシーを手配して貰う事にする。

一応何件かカウンターをまわったが、値段は一緒だった。

先に行き先をつげ、値段を確定しカウンターで先払いの定額のタクシーなので、安心だ。

「何かトラブルがあったとしても

 KLのタクシーに比べたらマシだろう」

と腹を括り、ベトナムに来たばかりで 右も左も分からない僕はタクシーに乗り込んだ。

 

走り出してから、すぐに違和感を感じた。

何故かはすぐ解った。

ベトナムは、アメリカと一緒で右車線の交通ルールなのである。

マレーシアは、左車線で日本と変わらず違和感無かったが、いざ、逆の右車線になると、本当に感覚がおかしくなる。。

 

道は途中の市街地から混み始め、渋滞し始めた。 原チャリだらけになる。。

バイク バイク バイク、バイクの海だ!

その海をかき分けるように、車が進んでいく。

 

皆 道を走ってるのではなく、隙間を目指して進んでいる言った方がいい。


空いてるスペースに 車やバイクで走り込んでいく、スルーパスシステムだ。

 

絶えず車はクラクションを鳴らし

「どけっ、どけどけー!!」

とモーターバイクの波を掻き分けていく

 

その波を見ながら僕は "東京マラソン" が その昔、まだ品川駅の陸橋で折り返しだった時の、

その陸橋の上から見た、人間たちを思い出した。。

縁日のスーパーボールすくいのボールのように人、人、人が国道を満杯で流れていく。。

折り返し地点なので、まさにスーパーボールすくいのように ゆっくり色々な頭(ボール)が流れていく。。

 

文学座研究所の卒業公演の初日に、大阪から観に来てくれた従姉妹と飲み過ぎ、そのまま品川プリンスホテルのツインルームに泊めてもらい、そこから 2日目の公演に向かう僕からは自然と

「ミロ!ひとがごみのやうだっ!」

ムスカのセリフが自然と出た 笑

 

それくらい少し気持ちが悪いくらいの人間の数だった。。

その時と同じ感覚が蘇ったのである。

 

僕の乗るタクシーも、クラクションを鳴らしながら、少しでも「前へ 前へ」と進んでいく。

 

"面白いな" と思ったのは、赤信号でも、バイクはどんどん右折(日本だと左折)していく事である。

確かに渋滞でそんなに車は、スピードを出さない。

なので交差点で、目の前の信号が赤でも、横から青信号で来る 車やバイクに気をつければ、信号無視して右折できる 笑

大都会ゆえ、道はそれなりに広いからだ。

 

普通に走れば、20分かからないのでは無いだろうか?という道のりを、40分以上かかったが、タクシーは 宿の前にぴったり着けてくれた。

 

お礼を言って降りる。

 

さぁ!!いよいよベトナム旅の始まりだ!

 

宿にチェックインする。かなり早く着いた。

エクスペディアで 初めて宿を取っていた。

何事もチャレンジなので、booking.com以外のサイトで予約をしてみた。

サイトのメッセージで、到着が早くなる旨を伝え、早めにチェックイン出来るか確認していた。この宿はアーリーチェックインは、無料でOKしてくれていた。

 

カウンターには愛想のない、中華系らしい中年のベトナム人女性がいた。片目が少し斜視で、雰囲気もちょっと怖かった。。

 

パスポートを出す様に言われたので、例のカラーコピーのパスポート出すと

「これじゃ駄目です。

 パスポートをだして」

と冷たく言われる。

 

少しカチンときたので

 これじゃなぜ駄目なんですか?

 今までこれで大丈夫だと言われましたが?

と言って粘ってみた。

 

 それはどこで?

 

 ええと、、マレーシアですが。。

 

 ここはベトナムです。

 パスポートを。

 

と、パシッと言われて、流石に引き下がった。。

相手の言う事は確かに正論だ。

ここはベトナムなのだ。

ベトナムでは、パスポートもどきでは泊まれないらしい 笑

まぁ、今までの人達が優しかったのだろう。。

 

宿の中には、パスポートをチェックアウトの時まで、返してくれない所があると 噂で聞いていたが、ここは返してくれた。

 

この宿は、階段を上った2階に入り口がある。ガラス戸のドアから入ると、右手奥がカウンターであった。

また、ドアの正面はエレベーターであり、そこに20代半ば位の男性スタッフが椅子に座っていて、挨拶をしてくれていた。

彼が、椅子の隣にあるエレベーターを呼び、部屋まで案内してくれた。

顔は サッカー日本代表岡崎慎司にそっくりだ

(アジアには岡崎慎司さんが

 いっぱいいる、これから僕は

 何人もの岡崎さんに会うことになる 笑)

 

彼に名前を聞くと「ジョン」だと言う。

(ジョンにもこの旅で、

  4、5人に会う事になる)

人の良さそうな笑顔の、中々いい男である。

 

僕がこの宿に決めたわけは、旅の始めは やはり、シングルルームに泊まって、余計なストレスを軽減しようと思っていたことと、値段が

2100円で、風呂トイレ付き、朝食付きで、ランドリーサービスも無料との事で、さらに!!

なんとこの宿にはバスタブがあるのだ!!!

 

僕は旅に出てから、一度もお風呂に浸かったことがなかった。。

 

  全てシャワーである。

 

何か、なにかが。。何故か 疲れがイマイチ取れない。。

と思っていた僕は、この宿を見つけた時に、

 「これだーーー!!!!」

と叫んでいた。

 

日本人の僕が、疲れが 何故か取れない理由が解ったのである!!

 

それはズバリ!!

 " お風呂に浸かっていないからだ!!!" 

と確信したのだ!!!

 

僕は、早速昼間から風呂に浸かることにした!

バスタブにお湯を溜め、ゆっくり浸かる。。

 

あぁ。。何と贅沢な時間だろう。。

 

朝の早かった僕は、そのままうっかり寝てしまった。。

 

久しぶりのお風呂に僕は身も心も蕩けていた…

 

 ベトナム最高。。

 

続く

 

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↑ 空からの景色 

 

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↑ マレーシアより日本に近いベトナム

 だけど時差は多い?


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↑ 嬉しいナシレマの機内食! 最高!!


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ヨン様を待つ人達 笑

 

 

次話

azumamasami.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が見たマラッカそしてマレーシア

 

第43話

僕が見たマラッカそしてマレーシア

 

マラッカは不思議な魅力のある都市である

 

観光地なのに、下町というか地元感が凄い。

昔から住んでる方達の 生活の中にお邪魔させて貰うと言った感じの、ゆったりとした場所である。

観光地というより、アットホームな ホームステイに近いかも知れない。

少なくとも僕のマラッカ旅はそうだった。

人と関わることを怖がらなければ、スッと受け入れてくれる 街と人。

素朴で、人の良い方達が多い街だと思う、マレーシアの下町だ。

すぐ南にジョホールバルがあり、そこを過ぎるともうそこは、国境 そしてシンガポール

 マラッカ海峡 の名前が付く程 有名な街。

街並みは川沿いに整備され、美しい。

 

やはり、夕陽が一番印象に残っている。

真っ赤な、真っ赤な夕陽、燃える様だった

 

ジョンとストリートライブをしたレッドハウス前の広場は、僕のマラッカのハイライトの一つだ。

ケルビンさんを探して、見つけ出したのもいい思い出だ。

 

実は2019年に、僕はもう一度マラッカを訪れている。

再びケルビンさんを訪ねて、二日間一緒にマラッカを周った。一緒にご飯を食べたり、お家の奥にも 初めて入れてもらえた。

ケルビンさんはとても素敵な人で、宿までわざわざ迎えにきてくれて、地元のレストランに連れて行ってくれた。

この町で生まれ育って、あまり、マラッカから出てない人のようだった。

 

ある時食事に誘われ「お店は任せます」

と伝えると、

「美味しいハンバーガーの

 お店があるから一緒に行こう」

と連れて行って貰った先は

  "まさかのマクドナルドだった。"

最初 どんどんマクドナルドに近づいて行く ケルビンさんを見て

「まさか。。マックじゃないよね。。」

と思っていたが、「ここだよ」とマックを指差し 優しく言われた時は、正直 ズッコケそうになった。

 

ケルビンさんは、マレーシア限定であろう、美味しい スパイシーなハンバーガーセットをご馳走してくれた。縦長のバンズのバーガーだった。

値段はかなり高かった。 そのセットは650円くらいだ。 高いので遠慮したのだが、ケルビンさんは、嬉しそうにご馳走してくれた。

普段は等身大に、質素に静かに暮らしている

足るを知る 身の丈を知る」という事が出来ている人である。

 

普段こんなに外食にお金はかけていないはずなのに、僕には嬉しそうに、躊躇いなくお金を使ってくれる。

その心持ちが、その気持ちが、僕の心を柔らかく暖めてくれた。

 

ここで 僕は考えさせられた。

僕達は 日本では、住んでいる所 隣の駅 行った先で、マクドナルドがあることを知っているし、珍しくもない。

当たり前のマックとして 何も意識していないし、「マックかぁ。。」と安物扱いすらしている。

さらにいえば、モスバーガーや、ロッテリアバーガーキングフレッシュネスバーガー、個人経営のお高めのハンバーガーショップなど、多くの選択肢がある中の マックであるし、それらが街に溢れている生活なのだ。

 

マレーシアにいると、いかに日本が チェーン店ばかりの国か がよく分かる。基本的にマレーシアでは、個人経営のお店がほとんどである。

なのでチェーン店は逆に特別感がある。

どちらかと言えば観光客向けにある気がする

 

だから、地元からほぼ出ないで 素朴に生活している人達から見たマクドナルドは、新鮮なお店なのだと思う。

彼らの近くには、マクドナルドがそこらに溢れては居ないし、たぶん マラッカ店以外の店舗はどこにあるか?と聞いてもあまり知らないだろう。

身近にある、場所がわかるマクドナルドは、マラッカ店 一店舗なのである。

 

この感覚は、僕にとって、とても貴重な経験だった。

 

よく考えて欲しい。

周りに 行くことの出来る 知ってるマクドナルドが、他の駅には存在せず 自分の住んでいる駅に1店舗だけしかないとしたら?

マックに対する感覚が変わるはずである。

 

これはマクドナルドに関わらず 新たに知る感覚で、旅の中で 考えさせられたり 自分の凝り固まった価値観や、考え方を 柔らかく再構築するチャンスであった。

 

また、お土産に貰った ケルビンさんの会社のカレー粉は、ちょっと入れるだけで、旨味と辛さが足される素晴らしいものだった!

 

2019年もジョンは健在で、また ふたりでストリートライブをした。今度はお客さんも多く、最高のライブだった。ジョンは二年ぶりにあった僕を温かく迎えてくれた。

 

今回は、前日に一回挨拶して、

「明日一緒に歌おう」と約束して、翌日にライブをした。

2017年の「船場吉兆 女将事件」の反省から、今回はジョンに囁かれないように、歌謡曲の歌詞を 宿で調べてスクリーンショットで撮り、携帯で歌詞を見ながら安心して歌った 笑

 

実は2017年の旅では「また来るから!」と言いながら、次の日は疲れて寝てしまい、その次の日はベトナムに旅立たねばならずに、

約束を守れなかった事が心残りだった。

その約束を果たせたことが嬉しかったし、二年ぶりなのに、ストリートライブでは 息がぴったりと合った。改めて 人は不思議な相性と縁があるのだと感じた。

 

ペナンにも行き、レッドガーデンの妖精さんや、マグパイレジデンスの宿の主人達にも再会できた。

丁度、ヒンドゥー教の "秘祭" タイプーサムの二日目にも参加できた。

 

KLの国立モスクに再び訪れたり、ペトロナスツインタワー、懐かしのブキビンタンのパビリオンや、アロー通りにも再び通った。

 

その時は、現地でたまたま知り合った 日本人の大学生と一緒だったが 笑

 

二度目に行ったマレーシアは、初めての土地ではなく、本当に懐かしく、新たに魅力を発見できた。

外国を懐かしいと思う様になるとは、この二度目の旅まで予想してなかった。

 

そして、友人に会いにいくのも、一度行った土地への旅の 醍醐味であり

旅とは出逢いであり、人との出逢いこそが旅なのだと知った。

 

宿の主 サムにわざわざ会いに行ったが、本人は僕を覚えていなかった。

だが、僕は彼が元気で相変わらず優しく、それだけで嬉しくなり、戸惑う彼とハグをして帰ってきた。

 

 

2017年のマレーシアは、人生で初めて外国の人達と、そして 外国で出会った日本人と、濃いコミニュケーションを取った 人生で特別な場所となった。

たまたま "マレーシアで会おう" と言ってくれた従姉妹には感謝である。

 

またいつか、この暑い熱い国に、友人や 景色に会いに訪れたい。

確実に僕の世界(人生)の一部だからである。

 


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https://m.youtube.com/watch?v=pKzL4_TbhFs

上を向いて歩こう

https://m.youtube.com/watch?v=ESjt24TKF40

「昴」

https://m.youtube.com/watch?v=uE7MBkJXOKA

長崎は今日も雨だった

 

↑ 2019年 ジョンと再会

 そしてストリートライブ 動画

 



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ケルビンさんと再会

 (ご自宅にもお邪魔させて頂いた)

 (地元のレストランとマック)



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↑ サムとの再会


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↑ マラッカ ジョンカーストリート


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春節のパビリオン

 

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↑ 再びペナンへ

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↑ レッドガーデン

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ヒンドゥーの秘祭「タイプーサム」

 

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↑ 旅は続く

 

 

次話

azumamasami.hatenablog.com

 

 

 

 

 

ベトナムから お呼びが掛かかる

 

第42話

ベトナムから お呼びが掛かかる

 

僕は日本で 「マレーシア行き」と、

「タイのバンコクからの帰国用」 

そして「KLIA~ベトナムホーチミン」の三つのフライトチケットをオープン・ジョーで買っていた。

 

出発前に、旅の指南書も読み漁っていた僕は、ある本に書かれていた

「大まかな予定は 立てておいた方がええよ?」

と言うアドバイスに感銘を受け。

この 3つのチケットの日付だけは決めていた!

 

子供の頃から、何故か

 人生で 一度は絶対に行きたい!

と思っていた ベトナムと、旅の達人である友人達から聞いていた タイ王国に行く事だけは決めていた。

なので この3つのチケットだけは、先に日本で買っておいた。

帰国用のチケットは、入国時に無いとダメだと言われる事があると聞いていたので、入国用に捨てチケットとして、一応買っていた。

その日に日本に帰るつもりなど、最初から無かったのだ。

 

誰にでも一つは「一度は行ってみたい国」があると思うが、僕は何故か それがベトナムだった。

 

何故か考えてみると、子供心に「ベトナム」と言う単語をよく聞いていたからだと思う。

 

ベトナム戦争  ベトちゃんドクちゃん。

歴史を調べる授業で知った、アメリカに唯一勝った国。

そして ミュージカル「ミス・サイゴン

映画「グッモーニングベトナム」など…

水が豊かで稲作がメインという、日本と共通点がある、人が良さそうな国。

 

僕はベトナムに惹かれていた。

 

その出発日が 明日に迫っていた。

出発前に買ったので、あんまり何も考えず 一番安いチケットを買ったのだが、、いざ移動を考えると、色々考えて準備しなければならない事に 今更気付いた。

 

国際便なのに僕は、朝の9時発 という、とんでもない早い便を予約してしまっていた…

 

しかも、人生初の外国〜外国の移動である。

出国手続きもあるはずだ。。出国まで、どれだけ時間がかかるかもわからない。

 

間違いなく言える事は、当日マラッカから出ても間に合わない と言う事である。

僕は空港近くで宿を探し、空港まで送迎サービスもある宿を見つけ出した。

(実はクアラルンプール国際空内に、

 泊まれるカプセルホテルのようなところも

 あるのだが、当時は見つけられなかった。)

 

僕が取ったのは、珍しく4000円以上の宿だった。

バストイレは共同とはいえ、シングルルームで 空港までの無料送迎付きである。

(送迎のタクシー代を考えると

 宿代も高すぎる事はない!)

僕はそう自分に言い聞かせた。

 

予約すると、ブッキング.comのメッセージに、宿のLINEアドレスが送られてきた。

僕はそれを登録する前に、自分のLINE登録名を、「東正実」から、宿の人が分かりやすいように「MASAMI」に変更した。

iPhoneでの処理は、全て、公共や 宿のWi-Fiでまかなっている僕は、電話は使えない。

だがこれで、空港まで行けば空港のWi-Fiで、宿の送迎の人とLINEでやりとりができる。

送迎での、詐欺や トラブルが結構あると 色々な旅人が言っていたので、これで安心だ。

 

いよいよ サムと このハーレム宿ともお別れだ。

結局 最後まで男は僕だけだった。

 

 「こんな事は珍しいよ。。 マサミ。」

 

とサムは言ってくれていたが、僕は 当時日本で、女性ばかりのカフェで働いていたので、そういう環境には丁度慣れていた。なので逆に居心地は良かった。

 

前日に、宿の皆に 明日出る旨を伝えてあった。

皆「良い旅を!」と明るく挨拶してくれた。

その時、クリスティーンは少し寂しそうにしてくれたが、最後は笑顔でハグしてくれた。

 

そして サムには、本当に良くしてもらった!

本当に 優しさが服を着て歩いているような男であった。

彼ともハグをしてからバス停に向かった。

 

バスは「黄金マッチョ」の先の、ケルビンさんの家の近くの、何の変哲もないバス停から出ているとのことだった。

時刻表などもなく、景色と同化している為、

"調べないと"  ここから出ている事は、永遠に分からないだろう。。

 

僕も、最初にケルビンさんの家に行く時に、

(こんな所に バス停 "みたいな物" がある)

くらいにしか思わなかった 笑

 

  本当にバスは来るのかしら?

 

暑いので、バス停の向かいにある小さなストアで、缶コーヒーを買い 飲んで待つ事にする。不安なまま待っていると、20分後にちゃんとバスが来た。

 

実はこの日、バスの時間まで最後の散歩をしていた。

僕は、ボブ・マーリーのお店に再度行ってみたり、

(奥にライブができる小スペースがあり、

 そんなにいかがわしい店では無かった 笑

 店主もレゲエ感はあったが良い人だった)

そして「5D  夢幻立体画世」と書かれている、3Dをはるかに超えたことを強調した!怪しい真っ赤な お店を発見したりした。

さらに、レッドハウスから少し行ったところの綺麗な教会が、いつも行くと ドアが閉まっていたが、今日は礼拝の日で入れたので、礼拝に参加させてもらった。

 

僕は子供の頃、小さな プロテスタント系の教会の隣に住んでいたことがあり、教会の人に誘われて 日曜礼拝や、ギター教室などに参加していた。

 キリスト教徒にならなくてもいいから

 遊びにおいで。

ということで、そこの牧師さんや、そこのコミュニティのおじさんや、お姉さん、よく遊んだ 石渡君など、本当にみんな優しい人たちで よくして貰っていた。聖書の勉強もした。

僕が人生で初めて飲んだコーヒーは、教会が休みの平日に遊びに行った時、迷惑がらずに遊んでくれた牧師さんから頂いたものであった。

(牧師さんは僕にも飲めるように

 「クリープ」をいっぱい入れてくれた)

 

あの くそ生意気だった僕に 優しくしてくれた皆さんには、今でも僕は 本当に感謝している。

 

僕は "讃美歌" を歌うのが好きだった。

知らない歌でも、歌詞だけもらって、周りの人の 歌の音程に合せて歌ったり、その内 このメロディだと 次は音程が上がるのか 下がるのか? ということが何となくわかるようになった。

 

なので僕はカラオケで

 ”知らない曲が入っても歌える”

という特殊能力を 神様から授かった 笑

 

僕はマラッカの教会で、25年ぶりに讃美歌を歌った。 とても気持ちのいい体験だ。

教会に流れる静謐で敬虔な空気がとても心地が良かった。気持ちが洗われていくのがわかる

 

日本のお寺でもそうだし、教会も、モスクも、ヒンドゥー寺院も 皆 来るもの拒まずである。

神様は人間という不完全なものに寛容だ。来るものを拒んだりしない。

伺うのに大事なのは 敬意だけだと僕は思っている。

 

 人を拒むのは、いつでも人間なのだ。

 

僕は 気になっていた教会に 最後の日に

「なんか呼んで貰えたなぁ。。」

と感じ、心おきなくマラッカを後にすることができた。

 

話を戻そう。

無事バスに乗れ、マラッカ セントラル バスターミナルに着いた僕は 早速、KLIA 行きのバスを探した。

大きな円を描くように窓口が20以上あり、チケット販売会社がその窓口の分だけある。値段や時刻表もマチマチで、一社しかなかった 空港の窓口とは大違いだ。

 

読者の皆様、思い出してほしい!

僕が行きのバスで魔界に堕ちた事を。。

 

僕はその行きのチケットを大事に持っていた。

「帰りは絶対に!! 

  別のバス会社にする!!!」

僕はそう決心していたからだ! 

魔界から遠そうな名前のバス会社にする。

 

面白いと思ったのは、

出発間際になると 席の埋まっていないバスは 値段が変わる事だ。 少し安くなる。

空席で走らせるより、値下げした方が、少しでもお金が入って来るから、確かに理にかなっているやり方である。

 

僕は Wi-Fiが付いているとか、バスが三列シートだとかそんな事はどうでも良かった。

とにかく静かに過ごせるバスは無いかと思い、色々値段とグレードが違うバスの中で、一番早く乗れて、前より数百円高い、一番高級なバスにした。

 

バスが出発レーンにやってきた。

恐る恐るバスに乗り込む。

「荷物を預かるよ」と言うスタッフに

「ノーサンキュー」と言って断り、車内に進む。

うっかり 隣に人が乗ってきたので、なんとか上の荷物スペースにバッグパックを押し込んだ。

 

さて、、である。。

どんな運転手が来るのだろう?

 

乗ってきたのは、いたって普通の感じのする 若いほっそりとしたドライバーだった。

 

 だが、まだ油断は出来ない!

 バスはまだ出発していないのだ。

 

やがてバスはゆっくりと走り出した。

 さらばマラッカ!!

と言う気持ちと、

 ど、ドライバー大丈夫かしら??

と言う気持ちが交錯する

 

そんな気持ちでバスに乗っているのは僕ぐらいだろう 笑

 

市街地を走っている間、運転手はBGMはかけない。

例のカラオケセットが無い仕様のバスだからかもしれない…

  ”油断は禁物である” 

マレーシアの高速バスは、一台一台 仕様が違う。

おそらく諸外国から 中古で買い取った観光バスなのだと思う。

なので内装や、座席も皆違う。

明らかに、椅子を後から動かして 広めの座席にリフォームしているバスもある、なぜなら 前の座席があった場所にそのままネジ跡があるからだ。

(その際の工事がいい加減なのか

   一部 ネジが外れかけた

     ガタガタの椅子もある)

 

やがてバスは高速道路に乗った

     さぁ、くるか?!

と身構えていたが、運転手は運転に集中し、おとなしくしている。。

 

しばらく見ていたが、、やはりおとなしくしている。。

 

 … どうやらこのバスは

          魔界とは無関係なようだ。

 

僕は心底ほっとし、ようやく自分の思考に集中できた。

しかし、こんなに気を張らなければいけないとは      

     " 物凄いトラウマである 笑 "

 

改めて窓から景色を眺めていると、色々な事が思い出される。

建設中の超高層マンションが、車窓から後ろに流れていく。

いよいよ、一つの外国の旅が終わろうとしている。

まったくの旅素人から、旅人にして貰ったマレーシア。よく考えてみたら、一人旅というものも初めてだった。

本当に濃い二週間だった。

物凄い経験値を レベル2くらいで手に入れたので、一気にレベルが15くらいUPした気がする。

ルーラとベホイミくらいは使えるようになっているはずだ 笑

 

やがてバスは無事に、KLIAに着いた。

とても静かな移動であった。少し睡眠も取れた。  …奇跡だ!! 

 

KLIA内に入り、空港のWi-Fiに繋ぐと、宿からLINEが来ていた。

大体の到着時間は セントラルターミナルのWi-Fiで出発前に伝えてあった。

迎えのドライバーに 僕が分かる様に 今の格好を自撮りして、送って欲しいとの事だった。

英語の文章なので、頑張って読んだ。

会話は何とかなるが、文章はまた別の作業だ。 結構翻訳に疲れる。。

 

僕は、LINEで写真を送り、返信を待った。

すぐ返信が来て

「すいません、15分ほど遅れるので、

 涼しい空港でお待ちください」

との事だった。

 

10分程して「着きました」LINEが来た。

車寄せに来てくれというので、車寄せに向かう。僕がキョロキョロしていると、LINE電話がかかってきた。

電話の主を探してみると、黒いセダンの横で向こうから手を振っている30代後半の女性がいる。

どうやら彼女が運転手のようだ。

話しかけてみると、その通りで、ほかのお客さんをピックアップしていたら、遅れたとの事だった。

話によると、どうやら彼女は夫婦で宿を経営している主人だった。

宿に着くと何故かでっかいアヒルが 庭にガーガーいた。。

「飼っているのか?」と聞くと、野良アヒルだという。

彼女と旦那さんで、複数 宿を経営しているらしい。

僕は ご夫婦が住んでいる宿の一室に泊まるとの事だった 笑

何かご縁があるのだろう。

 

自由に食べて良いお菓子と、朝食べて良い コーンフレーク、自由に飲んで良い牛乳。

牛乳好きの僕には嬉しいサービスだ!

お菓子入れに、メントスを発見したが、

メントスはっ!銀歯っ泥棒!!♪」

と知っているので、、好きだが我慢した。

 

この日、僕は久しぶりに、シングルルームの

ダブルベッドでゆっくり眠った。

まるで疲れが ベッドに溶けて出ていくように…

明日には きっとベトナムにいるはずである

 

続く

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↑ 最後の散歩と出会った白猫さん 黒猫さん



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↑ 5D 途轍も無く凄い小屋らしい

 

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↑ 再びマラッカセントラルターミナル


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↑ 宿に送ったKLIAの自撮り写真(完全装備)


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↑ 銀歯泥棒こと メントス

(旅の序盤で 歯をやるわけにはいかない)

 

 

次話

azumamasami.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マラッカの夕陽とストリートライブ

 

第41話

マラッカの夕陽とストリートライブ

 

マラッカタワーから降りて

久しぶりにマクドナルドで 夕飯を食べた。

 

たまに 日本で親しんだ味が恋しくなる。

どの国でも安定のマクドナルドだ!

だが、地元のローカル食堂より割高だ。。

 

地元の コスパ抜群の食堂で、いつもご飯を食べていると、マックはちょっとしたご馳走に感じる。 " 日本とは逆の感覚だ "

 

一旦宿に戻り、宿屋のサムに 夕陽ポイントを聞いたが、あまり要領をえなかった僕は

  「教えて!Googleマップ先生!」

と言いながら、iPhoneを開いた。

 

今日は夕陽を絶対に見ると決めていた僕は、Googleマップ先生で見て、マラッカの 海側に一番飛び出している 南側の一番何もない場所 に向かった。

この間の、恐怖の野良犬ストリートより「マコタ・パレード モール」寄りの東側に、海に沈む夕日が見えそうなポイントがあった。

マップを頼りに川沿いを南下し海に向かうと、日本と違い、川には ほとんど橋は掛かっていないことに気付く。 なかなか向こうに渡れない。。

レッドハウス前以外 橋は、海側には 海のすぐそばの 国道の橋りょうの道路しかない。

やっと着いたその橋の頂点から 夕陽が見えた。

綺麗な夕陽だ!!小説で紹介されていた程大きく無いが、、真っ赤な 本当に美しい夕陽だった

 

しばらくそこから夕陽を眺めていたが、僕はさらに海側に向かうことにした。

橋を東側に渡り終えて、少し進むと、マップ上で 一番海側に飛び出している場所にあったのは、2階建ての ショッピングモールだった。

 

海に向かって縦長に伸びているそれは…ゴーストモール化していた。。お店が ナッシングモールである。

一番手前の二軒だけが、周りのホテル客用に、地元のコンビニと カフェになっていたが、奥は全てシャッターが閉まり、廃墟と化していた。

僕はさらに奥の海側に行く為に、2階に上り、奥へと進む。2階は廃墟とシャッターが迎えてくれる。

奥が長いために、人を乗せて移動する用に用意したのだろう。ムカデのように繋がった10人乗りのカートが5台程あった。だが 全てほこりをかぶっている。。

もはや ゾンビでも出てきそうな雰囲気だ

 

長い。。 さらに奥に進む

 

コンクリートもだいぶ汚れて煤けている。

100メートル以上は進み、一番奥に行くと、右手に夕陽が見える。

 海に沈み行く夕陽だ!!

ついにマラッカで、素晴らしいサンセットポイントにたどり着いた!!

ミッションコンプリート!!僕は歓喜していた!!

 

そしてその一番奥には、、何故か一軒だけ

カラオケボックス」があった。。

 

 うーん。。謎だ?!

 

何故 ゴースト シャッター モールの一番奥にだけ、カラオケボックスが "一軒だけ" 生き残っているのだろうか。。?

 

僕は一瞬、夕陽を楽しむため、ビールだけ売って貰えないか交渉しようと、ガラス戸から中を覗いてみたが、、人の気配はなかった。。

電気と電飾はついていて、綺麗なままなので、営業はしているはずである。

 

…何か犯罪の匂いがする。。

 

恐ろしくなった僕は

「何が起きても変じゃない?! 」と耳を澄ませながら、夕陽を見ていた…だが、

 

 …なんか。。夕陽に集中出来ない。。

 ちょっと怖いな…やっぱり ここ。

 

僕の危険センサーが作動し始めたのと

気が休まらないので、宿に帰ることにした。。

 

帰りは暗くなりつつあり、廃墟がさらに恐ろしいものに見えた。。今ゾンビに襲われたら 一巻の終わりである。

 

 日が暮れる前に戻って良かった 泣

 

とモールを出た時に心からそう思った。

 

マラッカの海側は、高級そうなホテルも何軒か建っているのだが、、野良犬ストリートやら、ゾンビモールやら、なかなか闇も深い。。

 

何事も自分の足で行って見ないとわからない。

僕はマラッカという街を少し捉えた気がした。

 

その後 一旦宿に帰り一眠りしたが、やっぱりお酒が飲みたくなった僕は、10時過ぎに、夜のマラッカに繰り出した。

宿のすぐそばの バーのマスターが呼びかけてきたので、メニューを見せてもらった。

そんなに高く無い。お客は1人もいない。僕が悩んでいると、ハッピーアワーだから、生ビール一杯の値段で2杯出してくれると言う。

お客がいないので、勝手にハッピーアワーを始めてくれたようだ 笑

ようは、サービスするから、寄ってね。

という事である。

マスターと話しながら呑んで、いい気持ちになってそこを出た。

そして その二つ隣の安宿の玄関の、ガラスの引戸を開け、小さなカウンターにいる主人に話しかけた。

ここの宿は、カウンター横に冷蔵庫があり、深夜にビールを買う時はここで買っていた。

泊まってなくても売ってくれるように、2日目の深夜に徘徊している時に 交渉しておいたのだ。

言い忘れていたが、ここマラッカのレッドハウス付近はコンビニが存在しない。

なので、夜遅くにビールを買おうと思ったら、このように売ってくれるお店を探し出しておかなければならないのだ。

 

ビールを片手にハードロックカフェを通る。

いつものように、中からは爆音を響かせている。興味はあるが、値段が高いので、中には一度も入った事はない 笑

 

橋を渡ると今度はリキシャの爆音BGMが聞こえてくる。。

 

レッドハウス前の広場にもストリートミューシャンがライヴをしている。

 

音源から離れて、新たな音源に近づくと新しい音楽が聞こえてくる。

 

広場のミュージシャンに近づいたときに、 オヤッ?っと思った。

日本語の歌だ!   しかも曲名は

長崎は今日も雨だった」である!!

 

ミュージシャンを見ると、40代後半で痩せていて、ジーパンに 白の半袖シャツをし そこにGジャンのベストを着ている。

椅子に腰掛け、マイクをスピーカーに繋ぎ、ギターと、ハーモニカで曲を紡ぎ出す。

顔を見ると、忌野清志郎さんに似ている。

僕は衝撃を受けた!

 

 ”こんな異国で、日本人が

       ストリートライブをしている”

 

しかも選曲が渋すぎる!! そしてその曲はマラッカの街と河に染み渡る。

 マラッカには歌謡曲が良く似合う。。

僕はそう確信した。

 

ビール片手に、川面を見ながら彼の歌を聴いていると、行ったことはない長崎にいる気がしてくるから不思議だ。。

 

 日本から遠いこの地で、日本人が

 日本の歌でストリートライブをしている!

 

僕は感動してしまい、彼に何か差し入れをしようと思い、北側にお店を探しに歩きだした。

 

しばらく行くと、何故か ”ボブ・マーリー” のTシャツばかり店頭に並べている店があった。

僕の記憶が確かなら、レゲエの神様でジャマイカ人のはずである。

ここならビールとか置いてありそうである。

中に入ってみると、ボブ ボブ ボブ、、マーリー マーリー マーリー。。

ボブ・マーリーグッズのオンパレードである。

帽子もタオルも指輪もショップの商品すべてがボブ・マーリーである。

ほんとに疑問だが、こんな所に何故か 深夜営業しているボブ・マーリー専門店がある。。

 

失礼かもしれないが。。本当に主観だが

 ここには ちょっとヤバ目のお薬しか

 置いていない気がする。。

勝手にそう思った僕は、店員が見当たらず 人の気配が無い内に そのショップをそうっと出た

 

店の周りを、改めて探してみると、個人経営の小さなストアーがあった。

インド系のおじさんが店番をしている。

店内をみると、やはり! ビールを置いている。

僕はビールと水と、差し入れ用に マレーシアの炭酸ポカリこと、ソフトドリンクの「100」を買い、広場に戻った。

 

チップ入れの箱に、威勢よく、5リンギット札を入れ、

「差し入れです」と「100」を、勢いよく、パシっと 箱の横に置き

「日本の方ですよね?!」

と聞いた。

 

 "決まった!"   完璧なコンボである!

 

すると!!

 

「ハーイ ワタシはジョンです

 マレーシアの人です!」

と返され、僕はずっこけた!!

 

 なんで、マラッカで マレーシア人が

 マニアックな歌謡曲 謡っとんねん?!

 

僕は コケながら話を聞いてみると、

少しアクセントは変だが、日本語で教えてくれた。

おばあさんが日本人で、日本の歌と日本語は、おばあさんに習ったとの事。

 

ここでいつもストリートライブをしているらしい。

持ち歌を聞いてみたところ、どうやらおばあさんは、前川清さんと、坂本九さん、谷村新司さんが大好きだったようだ。

 

話しているうちに、意気投合し、一緒に歌おうと言う事になった。

ジョンが伴奏をしてくれる。

最初は坂本九さんの「上を向いて歩こう」からである。

前奏をギターで弾いてくれ、僕に歌わせてくれる。間奏はハーモニカである。サビはハモッてくれる。

この深夜のストリートライブのお客様は、いったい 何を仕事にしているのかわからない 不思議なオッサンが2人である。

後は周りにちらほらと、人が広場に腰掛けている。

僕の ストリートライブデビューは、海外のマラッカで、オッサン2人の前であった。

僕は俳優で、声優としても「声がいい」とのことで、使われていた。

歌もそこらの人よりは上手いはずである 笑

何より舞台出身なので、発声がしっかりしている!

 

一曲歌った後、ジョンは、大いに僕を気に入り、続けて3曲歌わせてくれた。

二曲目は、谷村新司さんの「昴」だった。

歌詞をうろ覚えな時は、"船場吉兆の女将" のように 歌詞を先に囁いて教えてくれる。

なので安心して歌える。

ジョンは

「キミはダイスキネー!!

 シンでぃー!たにむらサァーン!!」

とご機嫌だ。

その、シンディーさんの「昴」を歌う前に 差し入れた「100」をジョンに進めたところ、

彼はストローをさしてある 自分のジュースの缶を持ち上げ、

「ワタシにはコレありますネ。

 コレ(100)はアナタ飲むねー!!」

と言った後で

「そうだ!コレ呑んでミルネー!」

と、何故かそのストローのささった 自分のジュースを勧めてきた。。

僕は

(何が悲しくて、初めて会ったオッサンと

 間接キスをしなけりゃならんの?)

と思ったが、歌わせてくれた人の好意である…

もう、一曲歌ってしまった手前 無下にも断れない。。

僕は俳優だ! ストローを手でうまく隠しながら、呑んだふりをして、

「うん、、うまいね!ありがとう。」

と返すと、

「キミは飲んデ無いネー!」

と何故かバレた。。

しょうがない!と腹を括って 一口飲む!!

その瞬間、口の中が カッと 熱くなる!

とんでもなく濃いアルコールが混ぜてある…

 

僕が 「ぐはぁっ!!」とむせると

ジョンは大喜びで大笑いしている!

確かに飲んだふりは、すぐにバレる濃度だ!

僕も大笑いだ!!

 

その瞬間、俺たちは親友になった!

気がした… 笑

続けて

「逢わずに愛して」「長崎は今日も雨だった

を歌った。

「逢わずに愛して」に至っては、あまり聞いた事もなく、歌ったことが無いので、なんとなく一番だけ歌い切った。

ジョンは日本語の歌をいっしょに歌えて、大喜びだ。

その後、ジョンの歌も聴き、帰ろうとした所、一緒に家で飲まないか? と誘われた。

 車で来てるカラ 送ルから!

と言われたが、、あんな強い酒を呑んでる人の運転は怖い。。断り続けると、彼はしまいには駄々っ子のように僕の手を両手で引っ張り

「マサミ〜!イコ!行きまショー!」

と誘ってくる。

僕は「また来るから!!」

と約束をしてやっとこさ離してもらえた。

彼も久しぶりに日本語で話せて嬉しかったのだろう。彼が、気のいい おばあちゃん子 だったであろう事が 何となく分かった。

 

僕は宿に帰り、ベッドで、人生初のストリートライブの興奮を噛みしめていたが、

疲れからか いつのまにか深い眠りについていた

 

続く

 

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https://m.youtube.com/watch?v=1YZIvnR7-ag

↑ ジョンとのストーリートライブ 動画

 「昴」(歌詞うろ覚えで船場吉兆状態 笑)

 2017年 レッドハウス前広場にて。

 

https://m.youtube.com/watch?v=43YPnN8U9w0

↑ 2年後ジョンと再会した時のライブ

 2019年 ちゃんと歌詞見ながら 笑

上を向いて歩こう」レッドハウス前

 

 

https://m.youtube.com/watch?v=95clnLdX86o

↑ マラッカにはよく合う ジョンの

 「長崎は今日も雨だった」動画 2017

 


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↑レッドハウス前の風車

 

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↑ ボブボブボブ・マーリーマーリーマーリー

 の謎の店

 

 

次話

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マラッカを平和に過ごす。

 

第40話

マラッカを平和に過ごす。

 

昨日は夜遅くまで、色々出歩いていたので、昼前に宿を出た

 

昨日、宿の近くで、安くて美味しい 小さなお店を見つけていた。

そのお店にブランチを摂りに出た。

一つ路地を入ったここは、ひらたい麺の焼きそばがメインの店なのだが、とっても美味しい!

それでいて、一皿130円程だ。

(後で調べるとチャークイッティアオという

 マレーシア版のパッタイとでも言うべき

 焼きそばが メインの店である)

 

他のメニューも美味しそうで、時間が許すなら 全メニュー制覇したくなっていた

若い主人が一人で切り盛りしていて、珍しくオシャレというか、洋風な格好をしている

チノパンにシャツで、黒色の綺麗なキャップをかぶり 長めのサロンを締めている

ここは、地元の常連さんばかりで、新聞を読みながらゆったりしている人もいる

 

観光客は 昨日も今日も僕だけだ

今日は餡かけ焼きそばにする事にした

席に座って焼きそばが来るまで缶ビールを一本頂く。 良い朝だ 笑

 

僕は飲食のバイトも長く、調理師免許も持っているのだが、その僕が見ても 惚れ惚れするような手捌きである。あっという間に中華鍋から魔法のように美味しそうな一皿が出来てきた!

早速食べてみると、口の中で餡の旨みが爆発する。

 ウンめェえええ!! メ"ェェエエエエエ!!

美味しすぎて またしてもヤギと化した僕は、一気にそれをかっこんだ。

 

「その料理の為だけに

 旅をする価値のある 卓越した料理」

 

と勝手に「ミシュラン三つ星」をあげ、僕は川沿いを目指して、散歩に向かった。

 

僕の部屋には現在も女性が4人泊まっている。

メンバーは、毎日1人づつ変わっていったが、僕以外は全員女性の日が続いている。

 

宿の主人のサムは 毎日

「マサミ…  ソウリィ...

 今日も女性だけなんだけど。。」

と言い。

 

僕が

「ノープロブレム! アイ ライク ガール!

 サム グッジョブ  笑」

と言う会話は もはやネタと化していた

 

同部屋の皆は、とても素敵な良い人ばかりだった。

夜に、それぞれのベッドに腰掛け、楽しく話をすることも 多々あった。

一度など、15歳の女の子が、学校見学の為にマラッカに来たとの事で、1人でこの宿に泊まりに来たことがあったが、皆、親切にしていた。夜はみんなで 彼女の「プチ人生相談」を始めていた。みんな 百戦錬磨の旅人であり、人生の 達人たちだ 笑

一回だけ、僕が 疲れ切っているところに、お酒を飲み過ぎて 物凄いイビキをかいていたらしく。。同部屋のブラジル人のエレナさんから

「ヘイ!マサミ!!ベリーノイズぃ!」

と揺り起こされた以外は 平和そのものであった。

 

散歩の話に戻ろう。

宿の隣の道である ジョンカー・ストリートに出た辺りで、同部屋のスウェーデン人の、クリスティーンに会った。

クリスティーンは、20代前半で、身長は僕より少し低いくらいの結構大柄な、少しふくよかな女性だった。大人しい 穏やかな優しい声の、雰囲気の柔らかな上品な女性だ。

 せっかくなので一緒に周らない?

と言うと 「はい、そうしましょう」

と言ってくれた。

彼女は自分へのお土産を探していると言う。

なんでも、旅した国の "国旗のピンバッジ" を集めていると言う。バッグに着けている これまで旅した国のピンバッジを僕に見せてくれた。

 

 あれ?日本にもきたことあるの?

 

 はい、行きました。

 とても素敵な国でした〜

 

何かほんわかとした、いい娘さんである。

 

一緒にピンバッジを探していると、2軒目で見つかった。クリスティーンは、他のお土産にも興味を示し、本当に楽しそうだ。

僕は あまりお土産には興味は無い人なのだが、クリスティーンを見習って 一緒に周っていると楽しい。また一つ 旅の楽しみを 旅仲間に教えて貰った。

 

ご飯の話になり「美味しいお店見つけたよー」

と言うと「教えてほしい!」と言われたので、さっきのお店に連れて行き

「ここがミシュラン三つ星店です 笑」

と言うと

 オォー 本当に?凄いわね〜!

と冗談を真に受けてしまったので、冗談だと。ちゃんと説明した

(本当に素直な いい娘さんである。。)

 

ブルハムの時もそうだが、何となくお国柄を感じる 気持ちの良い人に出会うと、その人の国に行ってみたくなるものである。

スウェーデンかぁ。。いつか行こう)

と僕は密かに決意した。

 

一緒に川沿いに出たところで、綺麗な景色を描いている画家さんの画廊に出た。色遣いが好きだったので、中に入ってみた。

画廊の主らしき人を見つけて話しかけると、その人が作者で、色々説明してくれた。

「2階にも絵があるから見に行ってみてね」 と言われて2人で2階にも上がってみた。

巨大な絵画もあり、見応え抜群だった!

 

僕は演劇の先生からその昔、「役者は美術館に行きなさい」と言われた。僕の尊敬する俳優 山崎努さんの「俳優のノート」でも、山崎さんは、絵画からシーンイメージを作っていた

なので、僕はたまに美術館に行く。

一番好きな画家は、ゴッホ岡本太郎だ。

ルノアールの柔らかい絵画も好きだ。

 

そんな時、僕は感覚で絵を見る様にしている。絵の説明よりも、ビビッときた絵の前に、30分か、一時間くらい 離れたり、近づいたりしながら、その絵を堪能する。

 

2階で 気に入った景色の絵を 僕は見つけた。

柔らかいグリーンと 淡いブルーを使った 湖と森の絵だった。

 

その絵の前にしばらく立っていたが、クリスティーンは文句も言わず、一緒にいてくれる。

少し悪いなと思って

「ごめんね、時間かかっちゃって。。」 と言うと

 全然待ってないわ。もっと見なくていいの?

と逆に心配してくれた。

(こんなのんびりとした優しい人に この国で初めて会ったなぁ)

と僕はだいぶ旅の疲れを癒された。

 

さらに川沿いを散歩し。

また 日本に来た時の話になった

夏に来てお祭りにも行ったそうだ

 

 浴衣は着たの?

 

 わたしは見ての通りだから。。

 サイズが無いだろうし…

 

僕は きっと似合うだろうなぁ と勝手に思っていたし、最近は日本女性も背が高いと説明して

浴衣姿の彼女を見てみたいと思ったので

 

 そんなことないよ !

 ぴったりのサイズの浴衣もあるよ。

 きっと似合うから次は着てごらん。

 

と少し強く言うと、彼女は少し恥ずかしそうに

 

 じゃあ、今度日本に行ったときに

 トライしてみるわ。。

 

と嬉しそうにはにかんだ。それを見て僕も少し照れてはにかんだ 笑

 

(なんか妙な雰囲気になってしまった 苦笑)

 

なに微妙に口説いてんだ俺は??

いや 口説いてはいないか 笑

と思わず苦笑する。。 なんか平和な一日である。

 

マラッカに到着してから  怒涛のミッションだったので、なんだかんだで気を張っていた。

なので、本当に気が休まる。

クリスティーンとの散歩で だいぶ癒された。

 

それから、さらに 2人でぶらぶら歩いてから、彼女は 「疲れたので宿で少し休むね」

と言って宿に帰って行った。

 

僕はその後、街全体を見渡せるマラッカタワーに昇ることにした。

マラッカタワーとは、エレベーターで上に上がるのではなく。

巨大な窓付きの円盤に乗り、その円盤が頂上まで昇っていくという、遊園地にでもありそうな乗り物である。

回転しながらゆっくり昇っていくので、360度マラッカを見渡せる。

円盤がゆっくり昇っていくと もの凄いパノラマが眼下に拡がる。

海や 綺麗に整備された街並みや、美しく並んだ家々も見える

上から見ると、

いかにマラッカが 本当に美しい街であるかが 良く分かる。

 

前から思っていたのだが、ここマラッカは 一日あればひと回りできる割には楽しめる。

観光地がギュッと固まっている 周りやすい街。。僕は旅公演で訪れた 大好きな博多を思い出していた。 何か近いものがある。

 

そんなことを考えているうちに円盤は地上に戻って来ていた。

 

下に降りると、例のリキシャが 縦列駐車で大量に待機している。

夜は電飾で美しく輝く、キティちゃんや ピカチュウ達である。

 

マラッカは、このマラッカタワーの下と レッドハウス前広場が、勝手に車寄せになっていて、いつも彼らはそこで待機している。

不思議なのは、あまり商売熱心では無い事だ。ほぼ客引きをせずに 遊んでいるように見える。たまに客引きしても、あっさり引き下がる。こんな淡白な運転手達は 初めてだったので、、これはもしかしたらマラッカっ子の特徴なのかもしれない。。

そんなことを考えながら、広場にいる野良猫を撫で、僕は次のミッション。

 サンセットポイントをゲットせよ!

の準備に入っていった。

 

続く


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↑ マラッカタワーから

 

https://m.youtube.com/watch?v=EjBbq3Am-1w

↑ マラッカタワーこれから乗車(動画)

https://m.youtube.com/watch?v=kqbm0CoG4ys

↑ マラッカタワーから見た街並み(動画)

 

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↑ マラッカの三つ星レストラン

 

 

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↑ マラッカタワーのすぐ下の広場の

     エレクトリカルパレード(色々無許可)

 

 

次話

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17時のマレーシアと 18時の日本を繋ぐ

 

第39話

17時のマレーシアと 18時の日本を繋ぐ

 

今日は17時に ケルビンさんをピックアップする以外は 自由である。

 

遅めの朝ごはんを食べ、昼前から散歩に出ていた。

レッドハウスの上の丘に登り、川沿いに海側へ抜け、「マコタ パレード」という巨大なショッピングモールにも行った、ここは周りは超高級ホテルばかりだ。

街をだいぶ大回りで一周りしているうちに、やがてケルビン邸のある 通りに出た。。

僕は予感というか、直感が結構当たるのだが、旅に出てから それがさらに研ぎ澄まされているのを 日々感じていた。

そう、ふっと その予感がしたのだ。

 あれ?これって油断してたら

 ケルビンさんに会っちゃうんじゃない?

 もし、あっちゃったら気まずいなぁ。

 17時までまだ大分あるし。。

と思っていたら、僕のビンビンのセンサー通りに、向こうからケルビンさんが歩いてきた。。

一瞬 知らんぷりをしようかと思ったが、車一台通れるのがやっとの狭さの通りである

 

僕は空き地になっている土地を眺めてやり過ごそうとしてみたが、明らかに無理であった

普通に話しかけられた 笑

 

マサミ、何してるんだい?

もう迎えにきたのかい?

 

 いえ。。たまたま散歩しているだけです。

 

そうか、迎えにきたのか?

とりあえずお茶をしよう。

 

 ええと、まだ時間じゃ無いんですが。。

 

まぁ、あそこに良いお店があるからあそこに行こう。

 

(うーん。話がうまく噛み合わない。。)

 

とりあえず、話もじっくりしてみたかったので ケルビンさんと お店に入る事にした。

 

お店はカフェというより 高級感の漂う綺麗な、小さなホテルに併設されているような感じの喫茶店だった。

天井の高い 贅沢な空間のゆったりとした席に座る。天井にはファンがゆったりと回っている。

 

何を飲むんだい?

 

 ええと、ではコーヒーを。

 

わかった。

きみ、コーヒーと紅茶を一つづつくれないか?

 

ケルビンさんは、店員に注文してくれ、僕はメニューをちょっと見てみたが、やはり普通のカフェより高い。

一杯300円くらい。

マレーシアでは、「コッピー」と言う、一番安い、砂糖の塊のような 地元の濃すぎるコーヒーは ローカル食堂で 一杯30円しない。

普通の味のコーヒーは何故かNestlé(ネスレ)である。こちらはcopy より10円ほど高い。

 

だから、大分高級なカフェだということがわかる。

 

じっくり話をしてみると、ケルビンさんはだいぶ早口だ。中華系のマレーシア人で、どちらかと言えばシンガポール人によく言われる 早口の独特な発音の英語「シングリッシュ」に近いのでは無いかと思った。

だが、解るまで丁寧に話してくれるのと、早口だが、本人がゆったりとしているので、無理せず会話が出来る。

ケルビンさんは 社長さんだが、服装は質素だ。昨日はハーフパンツにポロシャツだったし、今日はチノパンにTシャツだ。

 

飲み物が届いてすぐ、ケルビンさんは

「さぁ ミヤシタさんに電話しよう」

と言ってきた。

 

ガーン!やっぱり伝わってなかった〜。

 

ええと…ですね。、

昨日お話しした通り、彼女は仕事なので、18時…いや、17時にならないと電話に出れないんです。。

 

「そうか。ここはWi-Fiがあるか

 聞いてみよう。」

 

いや、ですから、、Wi-Fiがあっても、

彼女は仕事中なので出れないです。。

 

僕は もてる英語力を全て駆使して、

自分がただ散歩をしていただけだった事を

理解してもらう為に全力を尽くした!

 

やがてケルビンさんは

「そうなのか。

 やけに早いなぁとは思ったんだ 笑」

とにこやかに笑ってくれた。

 

まぁ、せっかくだから話をしようと、

色々お話しした。

ケルビンさんは、ガバメント とよく言う。

政府に対しても意見を教えてくれた。

シンガポールは、マレーシアにとって重要なパートナーであるとか、あの電飾まみれのリキシャは 夜中の2時頃 彼らは仕事が終わって帰る時もBGMマックスのまま家の前を通るので、うるさくて眠れないとか、多岐にわたるマラッカの情報を色々教えてくれた。

 

時々自分のことを「ババ」と呼んでいて、

僕は心の中では、 いや、「ジジ」だろ?

と密かにツッコんでいたが、、実は古くからいる中華系のマレーシアンは、マレーシア現地の人とも結婚し、マレーシアに溶け込み、独自の文化を発展させた。

プラナカンという人達で、女性は「ニョニャ」と言い、男性は「ババ」と呼ぶことをだいぶ後で知る事になる。

それまで僕は「ババ」の謎を抱えたままずっと一緒に過ごしていた。

 

話が逸れたが、話してみると ケルビンさんは、穏やかとというか、質素というか、質実剛健で、飾らない、本当に素敵な人だと言うことがよく分かった。

カフェで1時間ほど話し、店を出ると、今度は街を案内してくれると言う。

カフェの代金は、高いので 遠慮したのだが ご馳走してくれた。 

まったく押し付けがましく無い、さりげない優しさだった。

 

ランチの約束は大丈夫なんですか?と聞くと、

 

 14時くらいまでに戻れば大丈夫。

 母親が料理を作ってくれてるんだ。

 母の料理は本当に美味しいんだ。

と教えてくれた。

 

これも後で知ったことだが、プラナカンの料理は女性のニョニャからとった

「ニョニャ料理」と言うジャンルで呼ばれる。

KLIAにも、そのお店があったりする。

 

時間まで僕を案内してくれたケルビンさん。

まずは、レッドハウスの上の丘に連れて行ってくれた。

 どうだい。とても素敵な景色だろう?

 ここは僕もとても好きなところなんだ。

 ここにはもうきたかい?

と嬉しそうに 聞いてきた。

 

僕は 今朝登ったばかりの丘だったが、

「今朝来た」と言うのも、嬉しそうなケルビンさんに悪い気がして、、

気を遣って "初めて来たふり" をしてしまった。。

「素晴らしい景色です!

 連れてきてくれてありがとう!」 と。

 

言いながら

 (ああ、俺は つくづく日本人だなぁ。。)

と少し笑ってしまった。

 

こういう時、外国の人なら逆に

「もう来たことがあるから大丈夫。

 次に行こう!!」

とでも言って その方がお互いの為に良いから "言った方が良い!!"

となるのだろうか。。

そんな自問自答をしながらも、他も案内してもらった。

 

ケルビンさんと話しながら歩くマラッカは、1人で歩いたマラッカとは、また違って見え、とても有意義な時間となった。

ケルビンさんは、一通り案内してくれた後、ランチへと向かった。

「17時に また迎えに行きます」と再び約束を交わして。

 

僕はその後、ケルビンさんを誘ったが

「地元だから 今更乗りたく無い 笑」と言われた、川を行く遊覧船に乗る事にした。

 

遊覧船は海と反対側の、北側に川を昇って行く。レッドハウスの前の いつも渡っている橋の下を通り、途中にある家には壁にペイントがあったり、綺麗な家がある。

やがて公園の広場に出ると、謎の遊具で遊ぶ子供がいた。 鉄棒にぶら下がった "左右にだけ" 高速で揺れる 健康器具のような遊具で ひたすら左右に振れることを楽しんでいる。。

日本ではおよそ見ない遊具である。

さらに船は北上し、やがて右手に 大きなスーパーが見えた辺りで  Uターンし、元の船着場に戻った。

歩くだけでは分からないマラッカを見れて 新鮮で貴重な周遊だった。

僕は川遊びをしっかり堪能した後、暑い中を歩き回った疲れを宿で ゆっくり癒し 17時に間に合うように宿を出た。

 

実は昨日、WiFiが良く繋がる、話もしやすそうな 良い感じの BAR を見つけていた。

こういう店を見つけるのは、日本にいた時から得意であったし、間違いのない様に、前日にもWi-Fiの具合や 店の騒音具合なども、一杯やりながらリサーチしておいた。

僕はなんだかんだで 用意周到なのだ。

 

ケルビンさんを自宅からピックアップし、そのバーに入った。

17時10分にWi-Fiを繋ぎ、LINE電話を開始する。勿論僕は ビールを片手にである。

ケルビンさんはお酒を飲まないらしく お茶である。

 

いよいよである。。

LINE電話をスピーカーにしてかけた。

LINEのテレビ電話に宮下さんが出る。

ついに、マラッカと日本が繋がった!!

 

少し話してから、ケルビンさんに携帯を渡す。そして、ケルビンさんと宮下さんの感動の対面を1人眺める。

 

2人は笑いながら、楽しそうに話している

 

うーん。やはり こういうやりとりは良いものだ

 

ビールを飲みながら、僕はメッセンジャーとして、役割を果たせた事に安堵していた。

 

2人はさらに、30分程楽しそうに話し、やがて携帯が返ってきた。

 

宮下さんから、お礼を言われる。

 

 話したい事は話せましたか?

 

はい!ありがとうございました!

本当に色々話せました。感動です!

 

 良かった!

 じゃあ、もう切りますよ。

 

はい! 本当に!

本当にありがとうございました!

また、旅の連絡下さいねー!

 

と話し、電話を終わらせた。

 

その後、ケルビンさんと遅くまで話した。

「彼女が元気で良かった!」とケルビンさんも嬉しそうだった。

宿まで送って頂き 「また会いましょう!」 と固い握手をして 僕は宿へ戻った。

 

爽やかな感動を身体に残し、僕のマラッカでの大冒険は、こうして幕を閉じたのである。

 

続く

 

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↑ レッドハウスの上の丘から


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ケルビンさんをやり過ごそうとした空き地
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↑ 優雅な船旅


 

次話

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